第二十六章 31
殺人倶楽部声明発表の翌日。
ネットは元より、この声明はテレビのニュースでも取り沙汰された。壺丘はあくまで否定していたが、ただ否定するだけで、それ以外に主張は無い。
今日の午後三時には、警察庁が記者会見を行うことになっている。どんな内容になるかは、優も純子も壺丘も、大体想像がついている。
正午、優は学校にも行かず、アジトにいた。岸夫と竜二郎もいる。他の三名はそれぞれ学校へと通っていた。
そこに二人の訪問者が訪れた。安楽警察署裏通り課の、梅津と松本だ。
「藤岸夫は、表向きは逮捕という事になりそうだが。でも……純子から聞いたが、そいつは人間ではないんだって? 逮捕も無理ってことか」
リビングへと通され、ソファーに腰かけた梅津が岸夫を見る。
「壺丘さんを逮捕するだけでは駄目なんですか? そうしてもらうために、壺丘さんに無実の罪を着せるよう、仕向けたのですし」
「警察にもメンツがあるんだよ。仕掛け人の何人かを逮捕しないと、収まりがつかないだろう? 壺丘だけの犯行じゃあ説得力無いから、その協力者として藤岸夫他がいたという事にしたんだろう?」
優の言葉に対し、梅津は苛立ちさえ覚えて説明する。そんなに何もかも、都合のいい方向に進んでたまるかという気持ちだった。
「でも、岸夫君は逮捕できませんよ? 逮捕しても人形ですし、定期的にメンテナンスしないと動かなくなる代物だそうですよー」
竜二郎が口を挟む。
「人形っていうか、俺、ロボットだよね」
と、岸夫。
「岸夫君は自殺したというシナリオは駄目ですかあ?」
優の問いに、梅津は唸る。
「まあ……自殺の線で捏造しとくのが無難だな。この国じゃ昔からやってたことだ」
「灰皿はありませんよー」
煙草を出す梅津に、にっこりと笑って竜二郎が告げるが、梅津は携帯灰皿を出してみせ、構わず吸い出す。
「しっかし……随分と強引かつド汚い方法を使ったもんだ。正直幻滅した」
煙を吐き出し、優の方を向いて梅津が言う。
「これは戦争ですから。勝つためには何でもしますよぅ。でも、正直悪いことをしたとは思っています。後悔はしていませんけど。汚い手を使った自覚はありまぁす」
物怖じせず、思うことを口にする優。
「ですから壺丘さんに対しても、寛大な処置というか、少し手心を加えてほしいです」
「自分は容赦しなかったのに、こっちにはそんな要求するのか。大体それは、警察にお願いすることじゃない。検察に言うことだ」
優の言い分に呆れつつも、梅津は優のことを少し見直した。
「検察任せでは安心できませんねえ。壺丘さんを助ける何かいい手が無いか、私の方で考えてみまぁす」
あっさりとそんなことを口にする優に、梅津は舌を巻く。
(そんなもん……常識的に考えて不可能に近いだろうに。この騒動の罪を全部おっ被せたうえで、その相手を助けるだと? そんな手を考えてみるだと? それ以前に、壺丘を陥れた張本人が、今度はその陥れた相手を助けるだと? ふざけるにも程がある)
そう思って否定する一方で、常識的に考えて無理な事でも、しかしこの少女にならあっさりと実現できてしまうのではないかと、梅津には思えてしまった。
***
午後三時。警察の記者会見が始まった。ワイドショーでもネットでも、リアルタイムで放送される。
『今まで警察が何の声明も発表しなかったのは、警察内部の調査に時間がかかったためです。殺人倶楽部という名は確かに聞かれています。しかしこれは、実在しない都市伝説の暴走という結論に行き着きました。藤岸夫という少年に事情聴取も行ったところ、それらの工作を行っていた証拠もあげられました』
禿頭に厳(いかめ)しい顔立ちの警察庁長官が、ディスプレイに映った文章を淡々と読み上げていく。
『情報を流したとされる警察官のリストも、事実無根の悪戯です。未解決の殺人事件のリストは、壺丘三平容疑者が、独自で調べたものであると考えます。警察内部の者が流したなど、ありえません。警察の――不当に晒し者にされた警察官達の名誉のためにも、警察には非が無かったと断言します』
正義と共に会見の様子をテレビで見ながら、壺丘は改めて、終焉と敗北を実感していた。
「内部からの情報漏洩すらも認めないつもりか。これは予想外だった。一番の嘘吐きは警察だったな」
微笑みながら、強い毒を込めて皮肉る壺丘。
「警察が、殺人倶楽部の情報を流した警察官達を守る構えに出たから、壺丘さんに情報提供してくれた警察官達も、自分を守ってくれる組織を無視してまで、もうこれ以上こちらに味方はしないというわけか……」
情報を流した警察官達を晒したことで、このような効果も狙っていた事を理解し、正義は完膚なきまでにやられた気分を味わう。
「そうだな。組織が自分達を切り捨てにかかるのでなく、かばってくれようとしているのに、彼等がそれをさらに裏切ることはできまい。それに加えて、事態をかき混ぜるような真似もできないということだ。さらに言うなら、彼等としても匿名だからこそ、ぎりぎりの所で協力できた。それなのに安全圏から引きずり出され、自分達の名を公表されてなお、何ができる? 危険を冒して、人生を棒に振ってまで、なお私達に協力してくれるわけもない」
この構図も事前に狙ったものなのだろうかと、壺丘は考える。今や考えても仕方の無い事ではあるが。
「こうなっては、警察が罪を認めて、威信をかけて殺人倶楽部と敵対するはずもない。そんな殊勝な組織なら、裏通りなどというものを野放しにもしないだろう。もちろん最初から殺人倶楽部を保護することもない」
もし敵が警察を槍玉にあげる形で動かなければ、どうなったかはわからないと、壺丘は考える。警察とて、巨大な権力による圧力をはねのけて、殺人倶楽部の存在を認めて逮捕に向けて動いたかもしれない。いや、壺丘は世論を煽り、そうするように仕向けていたつもりであった。
「負けたな。実にあっさりと負けた。巨象に刃向った蟻の気分だ。いともあっさりと踏み潰された」
蟻なら象に踏まれても、隙間に逃れて助かるんじゃないかと、余計なことを考える正義。
その時、正義の携帯電話に、卓磨から電話がかかる。
『殺人倶楽部の代表者が、直接壺丘と話したいと言ってるんだけど、いいか?』
卓磨の言葉を正義が壺丘に伝えると、壺丘は無言で頷いたので、電話のスピーカーの音量をあげる。
『藤岸夫です』
ネットで声明を出していた少年の声が響く。
『俺が生まれる前の話ですけど、移民を受け入れる決定をした政治家達、資本家達がどうなったか、知っていますか?』
突然脈絡の無い話をしだす岸夫。
四十年以上も昔の話であるが、少子化が深刻化した日本では、ついに大規模な移民政策へと踏み切った。これらを強く勧めていたのは、財団の大物であったりそれらに媚びへつらう政治家達であったりした。
財団が――企業経営者達が移民を導入する目論見など目に見えている。自分達の儲けのために、安い労働力を大量に手に入れるためだ。
その結果どうなったかといえば、日本の治安が急速に悪化し、マフィアが跋扈し、裏通りが派生し、差別問題も噴出し――と、負の面ばかりが目立つ結果に終わった。そして移民を推奨した者達の多くが、家族まとめて、移民と共に流れ込んだマフィアによって残酷な方法で殺されて、その様子が映像としてネット上に晒されるという事件が発生するに至る。
移民を呼び込んだ彼等が、移民に殺されるという皮肉な構図。だがさらに皮肉なのは、移民の殺し屋を雇ったのは、移民により命を奪われた被害者の遺族達であったという事だ。
この事件に対し、当時の日本がどのような反応であったかといえば、歓喜一色であった。日本中が喜んだ。ネットでも、現実の日常会話においても、人々は平然とざまあみろと口にし、笑顔で語り合うほどであった。殺し屋を雇った者達は後ほど判明して警察に捕まったが、彼等のために二百人を越える大弁護団が結成されるほどであった。
それも当たり前の事だ。そもそも少子化を加速させたのは、自分達の強欲さを満たすために格差を広げ、家庭を持つことも教育費用もろくに払えなくした、一部の資本家達とその犬である政治家達だからだ。それで労働力が足らなくなったといって、治安が悪化することなど意に介さず、奴隷並に安く扱える労働力を確保せんと移民を大量に呼びこんでまで、彼等は金儲けに腐心したのだから。
この件で殺された者達に同情の声など無く、呪われた国賊として、歴史に名を刻む事となった。
『当時のネットでの反応も見ました。行われたのは法を犯した行為であり、殺人です。でも皆、心の底から、人の死を喜んでいた。殺しを絶賛していた。法治国家に反する行為であったにも関わらず、喜んだ。当然です。殺されたのは、法律を都合のいいように作っていた巨悪でしたからね。称賛していたのは、きっとネット上だけではないでしょう』
「だから殺人倶楽部も肯定しろと?」
『人は人を殺したがる動物ですし、殺人倶楽部が発生したのも、その需要があったからです。俺達はそれぞれ殺しを求める理由があった。移民推奨をした者達への殺しは、許され認められ讃えられる殺し。一方で、俺達は認められない殺しとされるんですか?』
「ここは法治国家であるし、人が人を殺していい権利などない」
『法律の話はしていません。人の心の話をしています。法が認めず許すまいと、人の心が許して讃えたこと。これが重要なんです。俺達の事情は誰も知らない。知らないくせに、存在そのものを悪と否定されるのはどうなんだろうと、問題提起してみただけです』
岸夫の言いたいことは壺丘にも理解できる。殺人倶楽部に属する者が全て許せないわけでもないし、それぞれに事情があることも知っている。法や倫理で考えるなら、いい殺人も悪い殺人も無い。全てが悪だ。しかし人間的な感情では、そう容易く割り切れない。
「すまんが……。いや、今更だが、君ではなくて、君の影に潜んでいるあの子と直接話したいな」
『はい、代わりましたぁ』
壺丘の要求を受け、即座に間延びした喋りの少女の声へと変わる。
『法を絶対とするなら、法の枠内で己の欲のために人を不幸にしている人達は、例え何をしても悪とはされないことになりますねえ。先程例に挙げた、己の欲望のために移民の呼び込みを強引に押し通し、この国に多くの害をもたらした人達も、悪ではない事になります。でも人々は心の中で理解してましたあ。自分の欲望を満たすために格差を拡げて、さらには移民政策を強引に実行した人達は、ただの殺人者よりもはるかに邪悪な存在だと』
「それはわかるが、法治国家である以上、おおっぴらにそれは認められないだろう」
『今岸夫君が言ったとおり、法治国家だろうと、法を絶対として人の心までは縛れないですよう? 所詮法なんて、不完全な人間が作ったあやふやなルールですし、万民が納得しているわけではないですもの。だからこそ、私達も生まれました』
「そうか。しかし法律云々を抜きにしても、君らは間違いなく悪だ」
壺丘の声に、微かではあるが確かに怒気が宿ったのを、側にいた正義も、電話の向こうの優も、確かに感じ取った。
『確かに私は悪ですよう? 殺人倶楽部の設立を望んだ張本人ですから。オーナーは純子さんですし、実際に作ったのも純子さんですが、私が言葉で望んだからこそ、純子さんがその望みをかなえ、殺人倶楽部が誕生し、多くの人が殺されることとなりました。私はただ望んだだけ。たったそれだけですが、私こそが諸悪の根源と言えますよね? 最大の悪ですよね? 自分の欲望のためだけに、国を滅茶苦茶にするとわかっていながら、移民を呼び込んだ邪悪な人達と、全く一緒ですよねえ? でも、その悪である私を、果たして法律で裁けるでしょうか? 私は正当防衛以外で、直接人を殺していませんよう。その正当防衛の殺人も揉み消されて、無かった事になってますしねえ。私はただ、殺人倶楽部が現実にあったらいいなあと、望んだだけです。だったら法治国家においては法律で決して裁けない私という存在は、壺丘さんのような社会派の人間からすれば、悪ではないという理屈になりませんかあ? 私を罰せられるとしたら、法律無視の正義の味方くらいですよう?』
優の返しに、壺丘は言葉を失う。
(社会に反感を抱き、法を否定するがあまり、そんな嫌味を……皮肉の構図を作りたいがために、殺人倶楽部を望み、そして望んだ本人は殺人を行いもしなかったというのか!?)
そこまで計算しつくして、この社会を、倫理観を、法治国家を嘲笑うために、この少女は殺人倶楽部を望んだとしたら――そう考えると、いろんな意味で恐ろしいと壺丘は思う。
(悪魔か……この娘は……)
慄然としながら、口の中で呟く。
(針の一突きで、たった一言の言葉で、崖から石を一つ転がすだけで、最小の力で最大の惨事を引き起こす。これが犬飼流でぇす。犬飼さんから私が学んだ、悪の行使ですぅ。犬飼さんほどスマートとは言いがたいですけどぉ)
電話の向こうで、優は声に出さずに呟き、付け加える。
『それともう一つ……。私達が悪でもなんでもいいですが、悪なら悪で、守りたいものを守るために足掻きます。貴方達が悪と決めた者でも、生きている。守りたいものもある。貴方達が守ろうとするように、私達も守るんです。そのためになら何でもします』
「その理屈に関しては、私も否定しないさ」
悪魔だと思えた娘が、人間らしい発言を真摯な声で訴えたのを聞いて、何故か壺丘はほっとした気分になり、微笑んだ。
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