第二十六章 殺人倶楽部を潰して遊ぼう
第二十六章 三つのプロローグ
暁優が小学六年生になった時、母親の暁夕子は自殺した。
一年半前から、父親の暁光次の精神がどんどん悪化していき、夕子は愛する人の心が壊れていく様を見せ付けられ、絶望のあまり命を絶った。
残されたのは、壊れた父親と、まだ子供の優の二人。
狂った父親の面倒を見るには、あまりにも過酷で、荷が重すぎる年齢。
失った悲しみに暮れる暇も許されず、失うことになった元凶の相手をせねばならない日々。
自発的には何もできず、妄想の中に逃げ込んでうわ言ばかり繰り返す父であろうと、優の中で、見捨てるという選択肢は現れなかった。
光次と知己である犬飼一という小説家が気にかけて、優の心を支えてくれなければ、その後どうなっていたかわからない。
とはいえ優の心は、確実に蝕まれていった。クラスメイトとの会話で、親の話が出るだけで、耳を塞ぎたくなる。授業参観の日、自分の親だけ来ていないことも、どうしても意識してしまう。代わりに犬飼が来てくれて、ずっと居心地悪そうにそわそわしながら引きつり笑いを浮かべていたのには、正直笑ってしまったが。
「私もあの両親の子だから、きっとまともじゃないんですよね」
家を訪れた犬飼に、十二歳になったばかりの優は、口にしてはいけないこととわかりつつも、愚痴ってしまった。
「まともってそもそも何だ? 何を基準にしてまともか、そうじゃないかって決めるんだ?」
いつも飄々としている犬飼は、その時も微笑みながらおどけた口調で尋ねてきた。犬飼のこういう所に、優はいつも救われている。ほっとする。
「正確には、多数派に属さないだけじゃないのか? 少数派にいるから引け目に感じてしまうと」
「そういうことではないです。私だけ劣っている、欠けているという意識を、強く持ってしまうということです。他と比べて、割り切れずにひがんでしまうんです」
「劣等感を持ってしまうということか。ふーむ……」
優の話を聞き、犬飼は考える。
「そういう奴は他にもいっぱいいる。人が持っているものを持たない者。何かが普通より劣る者。お前だけの話じゃないよ。運悪く、お前もそういう不幸な子供時代を過ごすことになっちゃったけどさ、それでお前がずっとこの先不幸ってわけでもないし、もう親のことは諦めた方がいい。いや、割り切った方がいい。と言っても……割り切れないタチなんだろうな」
犬飼のその言葉――自分だけではなく他にもいるという言葉が、優の心に深く突き刺さった。
それは考えてみれば当たり前の事であるが、優はそれまで特に意識しなかった。
(どこかに私の仲間がいるんですね……。その仲間達は、きっと私と同じように惨めな気分で毎日を過ごしている……)
そう意識すると、気が楽になる一方、気が重くもなる。自分は一人では無いという安心感と、その見えざる同志達が苦しんでいるという事への共感と同情と怒りを、同時に覚える。
「ちょっとこれ読んでみ? 俺の書いた本だけどさ」
そう言って犬飼が手渡したのは、『殺人倶楽部に入ろう』という名の小説であった。
その内容に、優は強く惹かれた。
小説の中で、殺人倶楽部に入って殺人許可を得た者達は皆、持たざる者達か、劣る者達だった。運の悪さだけで、社会の底辺へと押し込められた者達であった。そんな者達が、殺人特権という圧倒的権限を得て、社会に牙を剥く様の痛快さ。そして滅びていく儚さ。
優は自分があの父の娘であったことを認識せざるをえなかった。犬飼に渡された小説を呼んでからというもの、優もまた、空想にすがることで自我を保ち続けていたからだ。
この殺人倶楽部というものが現実に存在すれば、きっと自分と似たような者が集う。小説の中に出てくるような彼等になら、きっと心が許せる。きっと楽しい日々が過ごせる。自分達を貶めているこの社会というくだらないものに、きっと一矢報いることができる。それはきっと楽しいはずだ。きっと自分は救われる。きっと……きっと……
それが四年と数ヶ月前の話。
***
優がその事実を知った時、最初に沸き起こった感情は、腸が煮えくり返ってねじ切れそうになるほどの、激しい怒りであった。
殺人倶楽部に入ろうという小説が引き起こした社会問題。実際に殺人へと走った者達。それによって槍玉に挙げられて叩かれる作品と作者。
自分が入れ込んでいる大好きな作品と、尊敬する人物、二つを同時に穢された気分だ。
「もう古い話さ。この作品に限った話じゃないぜ。俺は書くこと過激だから、しょっちゅう叩かれている。ネットで調べてみ? その手の話がたっぷり載ってるから」
優が犬飼にその話をすると、犬飼は笑っていた。
優がネットで調べてみて、犬飼がどういう人種にどういう具合に叩かれていたかを知ると、悔しさのあまり涙が出たほどであった。
優にとって犬飼はこの世で最も尊敬している人物であるし、一年前から犬飼の作品も片っ端から読むようになって、今ではすっかり作品のファンでもある。こまめに優の家を訪れ、親代わりになっていろんなことを教えてくれたし、相談にも乗ってくれた。
確かに犬飼の小説は毒が強いが、読者を楽しませようとして作品を書いているのが読んでいてよくわかるし、実際凄く面白い。社会に悪影響を与える悪書だと叩いている自称善人達は、許しがたい冒涜をしていると、優は感じ取った。
例え現実と創作物との見境もつかなくなる者が現れたとしても、それは悪事を犯した者が悪いのであって、作品や作者が悪とされて叩かれることなど、許しがたい。自分の大好きな作品が、尊敬している人が、穢されている。手前勝手な倫理をふりかざし、悪として貶められている。それが悔しくて憎らしくて仕方がない。
「本当に殺人倶楽部を作って、この人達を皆殺しにしてやりたいっていうのが、私の正直な気持ちです」
優が間延びした喋り方をしていない時は、かなり感情が荒ぶっている時だという事を、犬飼は知っている。今がまさにその時だ。
「他にも殺したい人はいます。父さんをこんな風にした人達全て殺してあげたいです」
「それを言うと、俺もその中に含まれちまうんだがなあ」
暁光次と交流があり、彼の作品も支持していた犬飼は苦笑した。
「この世にはこんなに沢山、殺したい人達がいっぱいいるっていうのに、殺したい人も自由に殺しちゃいけない社会は、間違っていると思います。人から殺されたいと思われるような人は、殺したいと思った人から見て、それだけのひどいことをしているんです。この社会は狂っていると思います。私はこの社会そのものが大嫌いです」
(不味いなあ……こいつ、そのうち抑えがきかなくなるかもだ)
優がこうなったきっかけは自分であるが、元々おかしな性質を秘めていたようで、それを最悪の形で刺激してしまったと、犬飼は受け止める。
(そうなってもいいように、本当に殺人倶楽部を作るか? 薄幸のメガロドンやホルマリン漬け大統領では、こいつの欲求は抑えられないし。いや、こいつが殺意を向ける対象もどうにかした方がいい)
犬飼はその後しばらく迷っていた。迷っているうちに、彼が幹部として籍を置く宗教団体『薄幸のメガロドン』が次第にキナ臭くなってきたので、そちらに気を取られて、殺人倶楽部の件は棚上げしていた。
それが二年くらい前の話。
***
俱眠評太蓮都知事の自殺の二日後、テレビ、新聞、週刊誌、それらの公式サイトから、俱眠評太蓮都知事の自殺の話題が一斉に消えた。
SNSや匿名掲示板による、ネット上の個人の発言にまでは干渉しきれないので、ネット上では都知事の俱眠都知事と殺人倶楽部の話題は、未だなされている。もちろん、報道がピタリと止まったことについてもだ。
「衆姦蚊醜から、もう殺人倶楽部は扱えないと言われたよ」
アパートに訪れた真に、壺丘は告げる。今いるのは真と壺丘だけだ。
「都知事はやりすぎたんだ。逆らってはいけない者達に、真っ向から逆らった」
真が言う。
「この前言っていた、本当の支配者とやらのことか。そいつは裏通りの大物か何かか?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。裏通りの大物も兼任しているかもしれないって意味でね。奴等は、世界の本当の支配者達だ。裏通りの住人達も、その存在を知らない奴の方が多いだろうな」
尋ねる壺丘に、真は答えた。
「支配者といっても、一つの組織や一族や個人が、世界そのものを丸々全て支配しているわけじゃない。国、地域、人種、宗教など複雑に絡み合っている。アメリカとヨーロッパの一部を支配する『貸切油田屋』。カトリックと、ヨーロッパの多くの国々を管轄する『ヨブの報酬』といった具合にな。一つの国に複数の支配者層がいることもある。日本の場合は、複数の人間が一つの支配者層として君臨しているらしい」
「民主主義の票取りを商いとしている政治屋連中など、そいつらにとってはいくらでも替えが効く案山子か」
壺丘が鼻を鳴らす。
「そこまで軽視しているかどうかは不明だが、息子を殺されたことで激情にかられて、俱眠評はそいつらの意向に背いてしまったんだ。前世紀半ばにアメリカの大統領が暗殺され、その弟も五年後に暗殺された件以来、為政者が彼等に表立って逆ったことは、どこの国でもなかったらしい」
「反逆者への苛烈な処罰の仕方を考えると、計りしれない傲慢な奴等なんだな、その支配者層とやらは」
静かな口調で述べる壺丘だが、反骨精神旺盛の彼からすると、真の話は聞いて、すこぶる気分が悪い。
(雪岡の話では、支配者層はそんなに悪い人間ではないという話だが、露骨に自殺に見せかけて殺して、制裁と見せしめをかねるなんて、確かにひどく野蛮だな)
真も今回のやり口には反感を抱いている。
「人の命を屁とも思っていない所業を平然と行える、そんな巨大権力者が敵というわけか……」
うつむき加減になり、大きく息を吐く壺丘。
「諦めるか?」
その壺丘の様子を見て、真が尋ねる。
「いいや、諦めるつもりはない」
壺丘が小さく笑う。
「やれるだけやってみる。羽虫の一噛みだろうと、命取りになるかもしれん。何もしなければ、何も無いままだしな」
普段なら、こういった反逆者の心意気に好感を抱く真であったが、壺丘のそれには、何故か不快の念が生じ、同時に悪い予感を覚えていた。
それが数時間前の話。
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