第二十五章 20

 鋭一がコンビニのバイトを始めた頃、彼の面倒をよく見てくれたのが、その年配女性店員だった。


 常に明るく、トラブルが起こった時は頼もしく、店長や他の店員からの信頼も厚い。

 鋭一の境遇を知ってからは、土産物を無理矢理渡される事も多々あった。ついぽろっと口にしてしまい、余計な身の上話などしなければよかったと鋭一は思ったが、悪い気はしなかった。感謝もしていた。

 絵に描いたような善人すぎて、鋭一には眩しい存在だった。その人の境遇は知らないが、苦労を知っているからこそ人に親切なのだろうと、鋭一は見ていた。


 誰かに恨まれて殺されるような人物ではなかった。いや、殺されるなどして死ぬようなことが、あってはいけない人物だったとさえ思う。


(いや、いつもこうなんだ。弱い立場の善人ばかりが酷い目にあう世の中。腐った奴等だけが利口に立ち回って、善人を食い物にして肥え太る。だから俺は、そいつらを食う側に回った)


 あまりおおっぴらに口にしたくはなかったが、鋭一が殺人倶楽部に入ったのは、世の不条理に嫌気が差し、法の網を巧みにすり抜けて悪事を働く連中に、正義の鉄槌を下してやりたいという願望が、強くあったせいだ。

 付き合いの長い竜二郎は、鋭一のそんな性質も見抜いていた。だから殺人倶楽部へと誘い、そのうえ殺す相手も見繕ってくれた。


 もっと会員レベルを上げて、少しでも世のゴミ掃除をしてやりたいと、鋭一は切に願う。


(こいつは絶対に殺す。たとえ殺人倶楽部の規則を破ろうと)


 強い怒りと共に鋭一は決意する。

 本当は、怒りや殺意に身を任せたい心境ではない。死を嘆き哀しみたい心境だ。喪失感の方がずっと強い。その怒りは自然なものではなく、無理矢理引き出している。


***


 岸夫が夜の繁華街を歩いていると、偶然ばったりと優と出会う。ホルマリン漬け大統領のアジトに一緒に行った、昨日ぶりだ。

 優の姿を見ると、ほっとする。明らかに自分のことを一番気にかけてくれているのもあるが、それ以前にもっと根源的な部分で、彼女が最も身近な存在のような、そんな気持ちになる。


「改造してもらいましたかあ? 顔色悪いようですけどぉ」

「あ、うん。さっき手術した所なのかな? うーん……頭がふわふわしてる。改造手術したあとだからかな。手術の前後のこととか、いろいろ記憶も飛んでるし、気がついたら雪岡研究所にいたみたいな」


 優の言うとおり、レベルが5以上になったので、純子に改造して力をもらったのだが、そのことは誰にも教えていなかった。何故優がそれを知っているのだろうと一瞬頭をひねるが、純子に聞いたのだろうと思って、納得しておく。


「少し休ませてもらえばよかったのに。そこのベンチに座りましょう」


 そう言って優が先にベンチに座り、自分の横に座るようにと、視線で岸夫を促す。

 物怖じせず、優の隣へと座る岸夫。


「優さん、何してたの?」

「近々、中国拳法の道場が開かれるという話を聞いたので、行ってみたのですが、まだ改築している最中でしたぁ」

「そっかあ……」


 意外なものに興味があるんだなと、岸夫は思う。正直、雰囲気的に優には全く似合わないとも。


「そういうの興味あるの? この前もそんなポーズとってたけど」

「最近古い映画で見て格好いいなーと思いまして。今、殺人倶楽部の会員でもありますし、超常の能力ばかりに頼らないで、最低限は護身もできるようになりたいなと考えて、それなら一石二鳥かなーと」

「なるほどー。でも、能力だけに頼るのってよくないの?」

「備えあれば憂い無しって言うじゃないですかぁ。そういう状況もあるかもしれないですよう。あ……でもそれなら、雪岡研究所で銃も護身術もしっかり学んだ方がいいかもですねえ。真君が教えてくれるかもです」

「真君て、あのいつも無表情な子?」


 雪岡研究所で岸夫は何回か見たが、どうも苦手なイメージだった。


「はい。結構親切でしたよう。その気があるなら教えてもらうといいですよう」

「うーん……」


 苦手だから嫌ともはっきり言いがたく、岸夫は唸ってしまう。


 その時、自分達の前を見覚えのある人物が走って通り過ぎていった。


「あれ、今のは……鋭一さんだよね?」


 怖い顔で、しかも凄い勢いで駆けていったので、ひょっとしたら別人だったかもと思いつつ、岸夫は優に確認する。


「はい。鋭一さんでした。でも……何か様子がおかしいですねえ」

 そう言って立ち上がる優。


「後を追いまぁす。何となく嫌な予感がします。岸夫君はふらふらしてるなら無理せずにぃ」

「いや、俺も行くよ」


 岸夫も立ち上がり、優と共に鋭一の後を走って追った。


***


 男が裏路地へと入る。自分が追われている事はもう承知している。そして追っ手の視界から消えて、能力を発動させて逃げようと、再度試みる。


 鋭一の読みは正しかった。男の能力は、誰にも見られていない状態であれば、短距離であるが空間転移できるという代物であった。逃走用に特化した能力だ。

 裏路地に入った瞬間、転移を発動させる。


 転移を発動したと見越して、腕を振り、透明のつぶてを降らす鋭一。

 今度は悲鳴があがらなかったが、つぶてが発動した場所は、例え見えなくても鋭一にはわかる。かなり離れた場所だ。


「ふん。つまり、推測は後者が正しい」


 鋭一が呟いて駆け出す。裏路地に逃げ込んだのは、自分の存在を、誰からの視界からも消すためであろう。


(つまり視界から消えた時に、テレポートが出来る。そんな能力だろう。殺人の逃走にはうってつけだ)


 そもそも店員を殺す時も凶器を使っていた。対象の能力そのものは戦闘向きではない。


(もちろん複数の能力があるかもしれないが、凶器を使って殺すからには、戦闘向きの能力は無い気がする。つまり……だ。俺が殺人倶楽部の規則に則り、こいつに決闘を申し込んでも、こいつは受けない可能性が高い。ならば……)


 規則を破ってでも殺害するしかない。相手が殺人倶楽部の者とは知らなかった事にして、知り合いを殺したのが許せなかったと、言い訳する事に決めた。


「駄目ですっ」


 聞き覚えのある声がかかる。いつもの若干間延びした控えめな声ではなく、鋭い声であった。


「相手は殺人倶楽部の人ですっ。私、見覚えがありますっ」


 振り返ると、優と岸夫が追ってくるのを確認できた。街中でわりと大声で、堂々と殺人倶楽部の名を口にしている。


「余計なことをしてくれたな。知らなければそれでいいものを。いや、見逃せ。知らなかったことにすれば済む話だ」


 優を睨み、高圧的な口調で鋭一。


「いいえ、できません」


 鋭一の前までやってきて足を止めた優は、いつものうつむき加減ではなく、顔を上げて鋭一の目を見据え、きっぱりと拒んだ。こんな顔をするのかと、優の横顔を見て岸夫は驚いた。


「鋭一さん、何があったか知りませんけど、冷静になりましょう。このままではとても不味い事態を引き起こすことくらい、鋭一さんなら――」

「どけ!」


 喋っている途中に優を押しのけて、走っていく鋭一。


 すでに相手は見失ったが、問題は無い。鋭一が腕を振り、不可視のつぶてを降らせば、位置は特定できる。

 相手からすればさぞかし恐怖であろう。どれだけ逃げても、目に見えない攻撃が突然降り注ぐのだから。しかしだからこそ、この殺し方を気に入っている鋭一である。


(とはいっても、一度つぶてを降らせれば、ロックオンも解除される。急いで追わないと)


 つぶての発生した場所へと走っていく鋭一。喫茶店の中だ。


(すでに視界から外れている場所だ。しまった……逃げられる)


 焦りながら喫茶店の中に飛び込んだ鋭一は、そこで待ちうけていた光景に、固まってしまった。

 合計七人の男女が、敵意や警戒の眼差しで、鋭一を見据えている。そのうちの一人は、全身汗まみれで頭からは血を流し、荒い息をつきながら、床にへばっている。


「荒居、こいつか?」

「多分そうだと思う。俺ははっきり顔を見ていなかったが……」


 鋭一を見ている集団の一人が確認すると、へばっている男――荒居が鋭一を見上げて答えた。


(そういうことか。こいつら全員が、殺人倶楽部。そして俺達とは別のグループ)


 その集団の一人を襲いながら、その集団がたむろしている場に、単身で飛び込んでしまったという状況に、さすがの鋭一も緊張を禁じえない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る