第二十四章 19
銀嵐館の庭にて、今日も宗佑は桃島に修行を強いられていた。
「身が入らぬようだな。やはりあの娘がおらぬと駄目か」
「いてもいなくても身なんて入らんわ。こっちは嫌々やらされているんだ」
へばって尻餅をつき、宗佑は吐き捨てる。
「水を取ってくる」
宗佑に背を向ける桃島。
「俺が隙を見て逃げだしたら、お前の面目も丸つぶれだろうに。馬鹿な奴だ」
堂々と隙を見せる桃島の背に、宗佑が声をかけた。
「それはない。お前は逃げない」
足を止め、桃島が断言する。
「何でそんなこと言い切れるんだよ」
実際その機は何度もあったにも関わらず、どうせすぐ捕まると思って面倒で逃げていないので、自分の言葉に説得力も無いと、宗佑自身もわかっている。今なら衣食住にも有りつける。自由と引き換えの面倒な逃亡生活よりはこちらの方がいいと、自分に言い聞かせていた。
「俺は逃げないと信じている。いや、信じた。お前は約束した」
「いや……別に約束なんかした覚えはないぞ」
「それでも信じた」
「いやいやいや……お前、ひょっとして頭の中で勝手に作りあげた俺と会話して、勝手に思い込んでるだけじゃねーのか?」
桃島の言葉に恐怖を覚え始める宗佑。
「そうかもしれないが、問題は無い。お前は俺を裏切りはしないと信じている。信じられる奴だ。俺にはわかる。理屈を超越して、何となくわかる。戦えばわかる」
一方的に決め付ける桃島に、宗佑の恐怖はいつもの苛立ちへと変わる。
「お前がどれだけ悪事を働いてきたか知らん。だが俺にはわかる。あの綾音という子も見抜いている。お前は心底腐った奴ではない」
桃島の言葉に、宗佑は固まってしまう。体だけではなく、思考も停止する。
「心底腐っている奴なら、俺も目をかけたりしない。お前が懸想している綾音という娘も、お前を避ける」
「けそっ……」
桃島のその一言に、宗佑の硬直が解けた。
「女は皆売女だ! 誰が懸想などするか!」
必死に否定している時点で、自分でもそうなのではないかと疑い始めている宗佑である。
「そう思って逃げたいだけだろう。お前は俺からは逃げないが、自分の本心からは常に逃げ続けているな。あの娘のことに限らず、全て……」
「うるせえっ!」
側に落ちていた石を桃島に向かって投げつける宗佑。
「ふんぬっ」
飛んできた石を頭突きで叩き落す桃島。空中で石は綺麗に二つに割れていた。
「何でわざわざ頭突きで落とすかねえ……」
それを見て、宗佑は思わず笑ってしまう。
「お前は喜怒哀楽の激しい奴だ。羨ましい」
宗佑の変化を見て、桃島はそんな言葉を口にする。
「確かにお前はいつもむっつり顔だな」
ムキになるのが馬鹿馬鹿しくなって、普通に話をすることにする。
「うむ。いつもこんな顔だ。どうやら喋るのも苦手のようだしな。会話がうまく通じないことが多くて困る」
「治すように心がければいいじゃないか」
「これでもそのつもりだが、中々うまくいかん。自分の喋り方の何が悪いかもよくわからん」
そう言って桃島は水を取りに行った。
(あいつはあいつで、難儀みたいだな……)
自分が少しだけ桃島に気を許していることに気がついた宗佑であったが、もう意地を張って反発し続けなくてもいいような気もしてきた。
***
夕方の繁華街。一人で買い物をしていた波兵は、妖気を感じ取る。
最近では街中で妖気を感じるなど珍しいことでもないが、覚えのある気配だったので、そちらに向かってみると、見覚えのある盲目の老婆と遭遇した。盲人用の杖も使わず、障害物や通行人を上手く避けて歩いている。
「あれは確か……灰龍のところにいた、狗婆とかいう奴だな」
小声で呟く。姿を人間のそれに変えていても、波兵にはすぐにわかった。
(血の臭いがぷんぷんする。常日頃から人を殺しているか、食っているかだな)
何となく気になって、波兵は狗婆の後をこっそりとつけてみた。
住宅街に入り、古めかしい掘っ立て小屋の中へと消える老婆。小屋自体はボロいが、中に部屋が二つくらいは有りそうな大きさだ。
自らの妖気を潜め、波兵は戸の隙間から中を覗く。
狗婆は人の姿を解き、全身から毛を生やし、顔も犬のそれへと変え、料理を始めていた。鍋の中に肉を切って入れ、煮ている。
鍋の前には猫爺の姿もあった。その隣には、猫爺の尻尾と繋がった猫も丸まっている。
確か猫爺は尻尾から生えた猫を疑似餌にして人を誘き寄せ、猫を撫でに来た者を殺して楽しみ、さらには食らう妖だと聞いている。
(妖怪になったばかりの頃の俺もそうだったけど、妖怪って何で人の肉を食うようになるのかねえ。全部が全部そういうわけでもないが)
嫌な記憶を呼び起こしつつ、疑問に思う波兵。
「で、昨夜のはどんな奴だったんだい?」
肉のついた骨をしゃぶりながら、狗婆が尋ねる。今しゃぶっている肉の主について尋ねているのは明白だ。
「六歳か七歳くらいの女の子だよ。猫ちゃんかわいーとか言って、嬉しそうに撫でてくる、めんこい子じゃった。あの顔が恐怖に変わるところは、実に見物じゃったぞい」
「臭いで何となくそうじゃないかとは思っておったよ。ひっひっひっ。道理で肉付きがいまいちなわけじゃ。骨も柔らかいしの」
そう言って笑うと、ぼりぼりと骨を噛み砕く狗婆。
(何で、俺……ムカムカしてるんだろ)
老妖怪夫婦二人の会話と気色の悪い笑顔を見て、明らかに怒りが滾っている自分に、波兵は戸惑う。
ふと、波兵は思い立ち、無言で家の戸を開けた。
「お、お主は波兵ではないかっ」
あまりにも唐突に現れた波兵に、流石の猫爺と狗婆も驚いていた。
「美味そうな臭いに惹かれてやってきたけど、俺にお裾分けする分は残ってないかなあ?」
人懐っこい口調で言い、波兵は妖怪老夫婦に向かってにっこりと笑いかける。
「おお、ええぞええぞ。入るがよかろう」
友好的に笑いかけ、手招きする猫爺。狗婆も笑顔でうんうんと頷いている。
「いただきまーす。へえ、確かに美味しいね」
元が人であったこともしっかり意識しつつ、味わって、波兵は肉を食らう。
その後、波兵は食事を取りながら、老夫婦と他愛無い会話を交わし、打ち解けようとした。
「今度獲物を取る所を見せてくれないか?」
談笑しあい、そろそろいいかと頃合を見て、波兵は話を持ちかけた。
「おうおう、いいともよ。今夜にでも行くかね? 本当に傑作なんじゃよ。猫を可愛がっていい気になってる人間の顔が、一転して恐怖に凍りつくところはの」
「へえ、楽しみだな。是非連れてってよ」
上機嫌で了承する猫爺。うまいこと話が運び、波兵はほくそ笑んだ。
***
夕方、朽縄本家に弦螺と志乃介が訪れた。
「女の子なら帰しちゃったわよ。いつまでもここに引きとめておくわけにもいかないし。家族も心配しているでしょうから。それに情報は全部ちゃんと聞き出しておいたわ」
そう言って蜜房は、少女から聞いた話を、弦螺と志乃介に話して聞かせた。
「妖の棟梁、獣之帝ねえ。てっきり灰龍なのかと思っていたが、違うのか」
腕組みし、志乃介が難しい顔になる。
「妖怪といっても複数の集団が有るでしょうし、灰龍と関連があるのかどうかは、まだわからないのではありませんか?」
と、綾音。
「うんうん。まずはその確認からよね。そもそも敵の姿だっておぼろげというか、灰龍がいるっていうだけで、どんな組織なのかも全然わからないんだしさ」
蜜房が言い、志乃介を見た。
「いえ、お嬢様、新たな情報が続々と入ってきています。敵の内情もわかってきました。現在東京府とその周辺で活発に動いている妖の集団は、灰龍配下の者くらいですよ。柘榴豆腐売りも然り。あれから何名かの妖を捕えましたが、口にするのは灰龍のことばかりです。いずれも灰龍の配下ではありませんが、灰龍の勢力によって、仲間に加わるよう、声をかけられたとのことです」
志乃介が今日得た情報をかいつまんで報告する。
「灰龍の仲間そのものには接触できていないの? あの柘榴豆腐売りを屠っただけ?」
「捕えた妖怪が……誤魔化している可能性は……ありませんか?」
蜜房と累が続け様に、志乃介に問う。
「灰龍の組織の者とは遭遇していませぬ。偽りを口にしているとは思えない。それなりに脅して吐かせたからな」
蜜房と累の方にそれぞれ顔を向け、志乃介が答える。
「敵の情報も動きも、今わかっているのはこれくらいだよう。さらわれた女の子ってのが、良い手がかりになるかと思ったんだけど」
と、弦螺。
「獣之帝とやらが、関連していないとも限らないし、いずれにせよ、高尾山の中に入って確認してみないと。うちの妖術師が恐ろしくて入れないとまで言っていた妖気の持ち主だし、相当な力の持ち主なのは、間違いないでしょう」
「例え今は無関係でも、灰龍と手を組む可能性もありますしね」
蜜房が言い、綾音がそれに同調した。
「じゃあ今から高尾山にのりこめ~」
弦螺が勢いよく立ち上がり、弾んだ声と共に片手をあげる。
「今からはさすがにきついぞ。高尾山は広いし、探索に時間もかかる」
「僕も明日学校が……ありますし」
「ちぇっ、大人ってつまらないの」
志乃介と累が難色を示し、弦螺は頬を膨らませた。
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