第二十四章 12

 少し時間は遡り、夕暮れ時。


 かつて平和を憎んでいた自分が、今は平和を甘んじて受け入れている。

 それを心の内で責める声が二つある。

 一つは、未だ消え失せていない、平和を憎み、戦国の世に焦がれる自分。

 一つは、世を憎み、八つ当たりを繰り返した己を咎める自分。


 前者の悪心はまだいい。後者は良心からきている。こちらが厄介だ。いずれ積もり積もって破裂しそうな気がする。破裂した時、自分はどうなってしまうのだろう? それを考えると恐ろしい。漠然と予感してはいる。自分の罪を全て認めて受け入れた時、破裂するのだろうと。


 悪心も良心も、己を責める。

 どちらにも振り切れない、中途半端さがあるから悪いと、そのせいで苦悩しているのだと、窓際に立ち、夕陽を眺めながら、累は考える。


 昔からこの時間帯が累は好きだ。空が赤く染まり、暗くなっていくこの時、空を眺めていると心が躍る。何度見ても、その感覚は変わらない。

 だが今は、余計なことを考えて沈んでいる。


「まーた夕陽見てる。好きなのねえ」


 開けっ放しの扉から、蜜房の明るい声がかかり、累は少し救われた気分になった。

 蜜房とは相性がいい。だからこそ累は彼女に従っているし、彼女と会う前まで行っていた悪事も控えている。


「世界が大きく変化する時間帯……ですからね。そして……逢魔時と言うように、霊や妖が目を覚まして這いずり出てくるため、邪気が濃く……満ちる時間でもあります」

「最近は特にそうだから、私は気が滅入るわ」


 蜜房が溜息をつく。


「妖術師の宿命なんか一生避けて、のんびり作家人生歩みたかったのにねえ。お天道様は意地悪だから、それも許してくれないみたい」


 朽縄の本家に生まれ、幼い頃からひたすら妖術師としての修行を叩き込まれ、類稀なる力を持つという理由だけで当主へと奉りたてられた蜜房であるが、その運命には精一杯抗い続けている。

 当主になることも散々嫌がり抵抗したが、結局はその座に就いた。そして蜜房はその後当主の権限で本家を飛び出て、余程の有事でも無い限り呼ぶなと言い渡し、一族の運営も放棄して一人で好き勝手に生きている。


 妖の大規模な暗躍は、まさしくその有事であった。流石に今回ばかりは無視できないと、蜜房も腹をくくっている。それに、嫌なことばかりではない。


「ま、累ちゃんや綾音ちゃんも一緒に戦ってくれるようだし、心強いわ。皆で無事にこの件を解決して、いい思い出にしましょ」


 累ににっこりと笑いかける蜜房。実力的にも精神的にも、気心知れた雫野の妖術師二人が自分の側にいる事は、蜜房にとって救いになっていた。一人ならもっとげんなりした気分で、嫌々戦いに臨んだであろう。


「僕も……蜜房と綾音がいるからこそ、応じたのです。二人がいなければ……」


 累の言葉が途中で止まる。


 ふと、術の気配を感じ取る二人。敵意や悪意が混じったものではないので、警戒はしていない。

 窓を見ると、式神が窓にへばりついている。累が窓を開けて、式を手に取る。


「綾音、今日は遅い……ようです」


 式に書かれていた綾音の文字を読み、累が言った。


「昨日会った……桃島弾三と神田宗佑……二人と偶然会って、遊びに行く流れになったそうです……」

「桃島って人は大丈夫そうだけど、神田は大丈夫なの? そもそも妖術を用いて連続殺人と婦女暴行を行うような輩、いくら腕が立つからっていって、街中を平然と歩かせるのもどうかと思うけど」


 そういう意味では、管理している桃島という男も、あまり普通の神経ではない気がする蜜房であった。


「多分……平気でしょう」


 しかし累は、宗助を一目見て、大体察してしまった。


「悪事を犯した者全てが……救いの無い悪というわけでも、ありません……」

「それはわかるけどね。でも心配じゃない?」

「綾音も、人並以上にそのことが……わかる娘です……。何しろ僕の……娘ですからね」


 蜜房の前では口にできないが、何しろ綾音と出会ったその時から、彼女の見ている前で堂々と、綾音の生まれ育った村の者達を嬲り殺した累である。その後も綾音に隠れて散々悪事を働いてきたが、それらも直接見ていないだけの話であり、綾音は累が何をしているのか大体知っている。


「累ちゃんも悪い事いっぱいしてきた子だから、あの神田には同情してるってこと?」

「同情とは……違います。同族というか……親近感というか……。おそらく綾音も、僕と似ているから、彼に抵抗を……感じないのでしょう」


 あの宗佑という男も、自分と同様に、犯した罪を苦しんでいる。それをはっきりと自覚しないまま、罪を重ねている。そういう人物に違いないと、累は宗佑の目つきや表情を見ただけで、見抜いていた。


***


 食堂に入り、桃島は豚カツ、宗佑はビフテキ、綾音はオムレツを注文した。


(俺……逃げ出す隙はいつでもあるな。それなのに、何で逃げない? どうせ追ってくるだろうし、追いかけっこも疲れると諦めているからか?)


 自分で自分の気持ちがうまく整理できない宗佑。


「桃島さんはどうして銀嵐館に?」

 綾音が尋ねると、桃島は宗佑に視線を向ける。


「俺の話より、こいつと会話をしてくれ」

「すみません。聞いてはいけないことでしたか」

「そうではない。お前と話をしたいのはこいつだ。だからこいつと話をしろ」

「は?」


 とんでもない台詞を口にする桃島に、宗佑はあんぐりと口を開けて愕然となる。綾音も一瞬驚いて目を丸くするが、綾音なりに解釈して、宗佑の方を向く。


「宗佑さんは破心流を学んだ妖術師だそうですね。私は名の通り、雫野流です」

「俺と話なんて……いい。ろくなこと話せねーよ。ろくでもねーことしかしてきてないし」


 会話を振る綾音だったが、宗佑は食事の手を止めて、苦々しい気持ちでいっぱいになりながら、唇を噛みしめてうつむく。


「桃島さんは、宗佑さんのことをいろいろと気遣いしていらっしゃるようですし、今の宗佑さんの苦しみを救おうとしているのではないですか?」


 桃島にではなく、宗佑を意識して離す綾音。


「辛いことを愚痴れば楽になりますし、私でよろしければ話は伺いますよ。これから共に戦う同胞なのですし」


 余計なお世話だと思った宗佑であるが、一方で今の綾音の言葉に、激しい喜びと安堵を感じている己に、戸惑いを覚える。胸の中にじんわりとしたものが広がり、全身が温かくなって、目頭が熱くなっている。手の先は細かく震えている。


(女は全部売女だ。呪われるべき生き物だ。なのに……ちょっと優しい言葉をかけられただけで、この様か。馬鹿なんじゃねーか……俺)


 逃げるようにうつむいて、宗佑は無言のままだった。


「まだ気持ちの整理がつかないようだ」


 そんな宗佑を見て、桃島がいたわるように言った。

 だが桃島のその言葉を聞いて、宗佑はカッとなる。


(こいつは何様だ? 俺の保護者のつもりか?)


 実際保護管理者という名目で、桃山は宗佑の事を扱っているが、そんな目で見られたくもないし、扱われたくも無いと、宗佑は怒りに震える。さらに言えば、図星だったからこそ余計に苛立ちが募る。


「俺はこいつの心を入れ替えさせる。教育する」


 そんな宗佑の気を知ってか知らずか、桃山は言葉を続ける。


「この男の心をすこしずつ解したい。協力を求む」

「はい、私でよろしければ」


 さらに桃山と綾音で交わされた言葉を聞いて、宗佑の顔が羞恥と怒りで歪む。


(まるで子供扱いだ……。何様だ、お前ら……。畜生め……何様だ……)


 しかし怒りも羞恥もすぐに引き、別の感情が再び沸き起こってくる。そのせいで、宗佑は声を出せない。顔を上げることもできない。


「食え」


 食事の手が止まっている宗佑を見て、桃山が短く促す。宗佑は気を紛らわすために、うつむいたまま黙って食事を再開する。


「明日、空いているか?」

 綾音の方を向いて桃島が問う。


「はい、空いていますが」

「ならば俺とこいつと混じって、修練だ。こいつの心を開くだけではなく、今後の戦いのためでもある」

「わかりました」


 強引に決定する桃山であったが、綾音は最早躊躇うこともなくすんなりと受け入れる。桃山がどういう男なのかは大体わかったので、相手のペースに合わせることにした。

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