第二十三章 26

「ふわぁ~……美香姉、多分あれも中枢の意志とか無視して独断なんだろうけど、あんな物騒なこと、口にして平気なんかねェ~」


 政治家の暗殺を仄めかしたことを指し、みどりはにやにやと笑いながら言った。


「僕は大いに納得したよ。いかにも雪岡に調教された結果だと」

「確かに純子が好みそうなやり方です」

「いやいやいや、私は脅迫する時はあんなにストレートじゃないしー」


 真と累の言葉に、純子は笑顔のまま、顔の前で手を振って否定する。


「裏通り反対を声高に叫んでいた政治家さん達が視ていたら、生きた心地がしないだろうねえ」

 と、純子。


「何人かいましたよね。でも案外、何とも思わないんじゃないですか? 平和ボケしてますし」

「あはは、その可能性もあるかー」


 累の読みも当たっていそうだとして、純子が小さく笑う。


「何人か実際に殺されてみれば、残った奴等も少しはしゃきっとするんじゃないか?」


 どうでもよさそうに言う真。


「イェア、真兄も言うねえ~。みどりも同じこと考えてたけど、先に言われちゃったわ~」


 みどりが笑った直後、ライブ配信内で映し出されているテレビのニュース番組のボリュームが大きくなった。


***


 美香とサラ、それに義久とテレンスも、テレビ画面に注目する。


 人の波と形容してもいいほどの、大人数の警察官――機動隊が、繁華街の道路を走っている。

 裏通りの住人と、海外マフィアが、完全装備の機動隊によって、次々と取り押さえられている映像が映っている。発砲の音もしきりに鳴り響いており、日本の裏通りの住人も、海外マフィアも抵抗しているようだが、警官達とは装備と人数の差が歴然としすぎているため、勝負にならない。


『薬仏市阿片顔町繁華街で発生しようとしていた、地元裏通りの巨大ドラッグ組織と、マフィア連合の大抗争は、事前に情報を掴んでいた警察の特殊部隊によって、鎮圧されております。今なお抵抗を続けているようですが、この様子では時間の問題と思われます。先程入ってきた、神奈川県警の発表によりますと、市民の誘導は事前に済んでおり、怪我人は無いとのことです。また、市民の誘導には裏通りの穏健派の組織達の力も借りて行われたと、明言されております。以上、現場から中継しました』


 リポーターの中継が終わった所で、美香はテレビ画面からサラへと視線を戻した。自然とサラも、美香へと視線を戻す。


「絶好のタイミングで抗争が起こりかけたものだな! しかも昼間から人通りの多い場所で、そのような大規模な抗争が起こるとは! 偶然とは実に恐ろしいものだ! そして、警察はちゃんとそれを掴んでいて、食い止めてくれた! ありがたい話だ!」


 警察が動いたといっても、置物として悪名高い薬仏市の警察署ではない。動いたのは、警視庁の特殊部隊(SAT)である。薬仏市では警察そのものがほぼ機能していないし、裏通りやマフィアの抗争に介入する事は基本的に無い。事件が起こっても、報道される事もほとんど無い。

 だからこそサラは、ここで一般人を意図的に巻き添えした大規模な抗争を起こそうと企み、さらには各メディアにも訴えて、普段は裏通り関連の事件が起こっても一切報道されない薬仏市を報道するよう、工作したのだろうと、美香は見る。

 美香はそれらの情報を事前に知ったうえで、逆手に取った。警視総監の北条斬吉に頼んで、管轄外である神奈川県薬仏市にまで、警視庁警備部所属のSATを派遣してもらったのだ。神奈川県警の発表と報道されていたが、実際には神奈川県警は何も動いていないと思われる。せいぜいマスコミの対応程度であろう。


「市民に被害が及ばなかったのは幸いですが、裏通りの存在がある限りこうした事はまた……」

「とぼけるな」


 美香が叫び声ではなく、静かで低く、しかし大きく響く声で、サラの言葉を遮った。


「アルベルト・J・オーチン」


 美香が唐突に口にした名に、サラは必死で無反応を装うが、瞳の微かなブレを美香は見逃さなかった。


「CIAの工作員であり、大使館勤務の外交職員でもある。つまり貴女の部下だな! 知らないとは言わせない!」

「確かに私の部下ですが、CIAの職員であるという事はありません」

「昨日から連絡がつかないらしいな!」


 美香はこの時のために、大掛かりな運命操作術を事前に発動させていた。成功すれば、このタイミングで、もう一つのニュースが流れるように。


(この女と違って、私はテレビ局に根回しなどしていないしな! 代わりに運命操作術だ!)


 リモコンをいじるテレンスの方を向く。


「テレンスさん、まだニュースのボリュームを下げないでくれ! そろそろだ!」


 失敗したら大恥だと思いつつ、美香は要求する。


『次のニュースです。つい先程、神奈川県薬仏市薬仏駅構内の男性トイレで、白人男性の遺体が発見されました。被害者は頭部と右腕に銃創があり、死因は頭部の銃創と見られます。被害者の身元を確認した所、アメリカ大使館勤務のアルベルト・J・オーチンさん、四十一歳であると判明。警察は大使館に――』


 ニュースの内容を聞いて、サラはこれまでに見せたことのないような、愕然とした表情を見せた。


(上級運命操作術『運命の特異点』。初めて使用したが、うまくいった!)


 一つの事象を発生させるため、運命が収束していくという術である。今回は目的の事象が単純で、初級運命操作術の『偶然の悪戯』でも、文字通り運が良ければ達成できる程度の代物であったが故に、術を行使するにあたっての代償や下準備は、最低限で済んだ。


「彼が薬仏市に潜伏し、複数の組織を背後から煽って、白昼堂々人通りの多い場所で抗争させようとしていたのはわかっていた! しかも私と貴女が対談する時間に、それを発生させようと企んでいたこともな! それによって表通りの人間が大量に死ねば、裏通りへのヘイトを上げるための演出としては、さぞかし効果的だったろう! 一体どんな弁論で私を追い詰めるつもりであったか、興味もあるな!」


 美香がまくしたて、サラの次の言葉を待つが、サラは沈黙したままだ。


「どうした!? でまかせだと脊髄反射で否定しないのか!?」

「オーチンの死のニュースが流れると、よくわかりましたね」


 必死に平静を取り繕い、サラが指摘する。


「勘だ! 文句あるか!?」

 ひるむことなく言い切る美香。


(勘の一言で押し切るとか……いや、でもこれは美香のキャラだから許されてしまうな)


 苦笑する義久。おそらく運命操作術を使ったのだろうと、察してはいるが。


「しかし彼は死んだ……。貴女はオーチンのことを知りつつ、しかもこのニュースが流れることも知っていた。彼の死を知っていた。このことに説明をつけていただきたい」


 冷たい声で問うサラ。


「ニュースはただの偶然だ! さっきの国連のニュースと同じだろう! オーチンのことは情報を集めて知った! 口封じに殺された事も含めてな! そう! オーチンは口封じに殺された! 他ならぬ味方によって! これが私の見識だ! 私が殺すはずはない! 私は確たる証拠を欲し、彼を捕まえてゲロさせるつもりでいたからな! 私の立場ならそう考えるのが自然だろう!?」


 堂々と断ずる美香に、義久は首筋に寒気を覚えた。


(美香ちゃんの言っていることは正論だ。しかし……そのCIAの工作員を殺したのは……美香ちゃんじゃないのか? 証拠を押さえるよりも、アメリカ側への悪感情を植えつけるためだけに、殺すという選択を取った。口封じの身内殺しという疑惑を持たせるために)


 そのやり方の是非はともかくとして、効果は抜群に思える。もちろんバレれば、一気に形勢は逆転してしまう。それはサラの失敗と同じことだ。あくまでバレればの話である。


(サラ・デーモンの企みはバレた。事前に美香ちゃんが全て見通していて、手を打っていた。そしてサラ・デーモンの語り草――リアクションを見る限り、サラは美香ちゃんの動きは全く察知していなかった。おそらく殺害の証拠も掴めないだろう。日本の警察は裏通り寄りだ。捜査にまともに協力するような事も無い。それは俺がよく知っている。美香ちゃんが殺害したのであれば、そこまで見越したうえである事は間違いない)


 美香がそこまで踏み切るには、相当な覚悟があったと、義久は見る。


(月那美香……。裏通りの住人にして珍しい、『正』の人物だと思ったが――いや、ついこの間までそうだったんだろう。だが、あの生討論でハメられて打ちのめされ、彼女はダークサイドに堕ちて、なおかつ覚醒した。自分の手を赤く汚すだけではなく、黒く汚すことで、大事なものを守ろうとしている)


 義久に、美香を非難するつもりはない。軽蔑する気持ちも無い。昔の義久ならともかく、今の義久には、そんな気になれない。彼女はそこまでして戦ったのだと、飲み込める。


 サラは押し黙っていた。先に汚い手を使おうとしたのは自分だ。しかしそれを読まれていた。その結果、部下を失った。面目も丸つぶれだ。

 切り札のつもりだった手が、結果的には余計な行為となってしまった。薮蛇だった。そして墓穴となった。

 そのうえ敵は、部下の命と尊厳すら弄ばされる形で、こちらにダーティーイメージを押し付けるという、腸(はらわた)が煮えくり返りそうな外道極まる一手を放ってきた。こちらが汚い手を使ったつもりでいたら、敵はそれ以上に汚い手で逆襲してきた。逆手に取られた。


 それ以前にサラは美香を見誤っていた。月那美香とはこんな汚い手を使う人物だったのか? そこに未だ疑問を抱いている。

 全くの計算違い。全く思いもしなかった。これまでの彼女のキャラを知る限り、誰もが思わないだろう。

 しかしだからこそ、この手は効果が抜群なのだ。サラの想像にも及ばなかったし、世間もそうは思わない。世間は、真っ直ぐな性格の月那美香を信じている。サラが美香のことを、人の命と尊厳を弄んで、こちらに悪印象をなすりつける手を使ったなどと主張しても、世間は信じない。自分が今ここでそう主張した所で、余計に泥沼になる。世間が美香の言葉を信じるのは間違いない。


 サラは言葉が継げなくなっていた。否定するのは簡単だ。いや、否定するしかないだろう。だがそれも美香は見越している。否定した後に待つのは、地獄の門の開門だ。美香もまた、用意周到に策と罠を仕掛けて、この対談に臨んできた。シナリオは美香が書き、サラが何を言っても、美香の台本通りに進んでしまう。そういう構図であると、サラは理解する。


(あの時と逆というわけですね。しかも集団で空気作りをして一人をハメるという、陳腐で下衆な手段ではなく、一対一で押し通した。これはどう見ても……私の完全敗北です)


 この時点で、負けを認めざるをえないサラであったが、それでも言わなくてはならないことがある。例え美香のシナリオ通りで、さらなる地獄の門をくぐることになろうとも、言わなくてはならない。


「私は自分の部下を消耗品のように扱うことはしません」


 他にも言いたいことはあったが、傷口を広げぬよう、最低限の主張に留めておく。


「貴女の立場なら、そう言うしかないだろうな! 真実は闇の中だが! 全く汚い手を使うものだ! 心の底から軽蔑に値する!」


 美香の言葉を受け、サラは感情が爆発しそうになるのを、歯噛みして必死にこらえる。

 その後の美香は、しばらく裏通りの正当性を一方的に熱弁していた。しかしこれは他所でも散々言われたことだ。しかし途中から少し変わってきた。


「そもそも、だ! 人の歴史を振り返ると、ずっと進歩せずに同じことばかりしている! 己の気に入らないものを悪と断じて、否定して、弾圧し続けている! その気に入らない相手のことなど考えずに! それは人種であったり、国であったり、ただの趣味であったり、嗜好であったり、思想であったり、派閥であったり、いろいろだ! たまたま己が気に食わないというだけで、後付の理屈をつけて、勝手に縛る! 勝手に壊す! その手前勝手な線引きをされて、大事なものを奪われて、面白い奴などいるか! 腹の立たない奴などいるか! そんな奴等は断じて許せん! 裏通りを否定するお前達こそ、正にそれだ! 人類の歴史で延々と成長無く繰り返されているそいつらクレーマーの正体は、気に入らない奴に因縁をつける、性根のねじくれたチンピラに過ぎん! そのチンピラ風情が裏の社会を否定するなど、滑稽極まりない構図だな!」


 美香の長広舌をそれまで黙って聞いていたサラだが、ようやくここで口を開く。


「それを言うなら、私達を貴女は否定している」

「先に喧嘩を売る方が悪い! 当然だ! 昔アメリカが日本にしたような、喧嘩するように仕向ける挑発行為も含めてな!」


 サラの反論に対し、いつもより大声で叫んで、美香は反論し返す。


「それでも裏通りを潰しにかかるなら、もはや対話の場も無い! 暴力全開で応答するのみ! 守りたいものを守るために、この手を黒くも赤くも染める! その際には私が責任を持って裏通りの旗頭となろう! 裏通りの中枢――悦楽の十三階段も認めてくれた! その際は私を裏通りの大将に据えて、一人残らず死に絶えるまで戦い、我を押し通すと! この国のあらゆる場所に屍山血河が築かれようと、戦う道を選んでよいと! そう許可を頂いている! それが我々の答えだ!」


 先程の政治家暗殺よりさらにひどい脅迫を口にする美香に、サラも義久も啞然としてしまう。いや、最早脅迫を越えていた。これははっきりと、対話で解決できないなら戦争をすると宣言しているのだ。


***


「マジでそんな許可与えたのか?」


 オーマイレイプのアジトの一室にて、シルヴィアがエボニーの方を向いて尋ねる。


『そんにゃわけねーにゃー。あのばかおんなのくちからでまかせにゃー』


 悦楽の十三階段の一人であるエボニーが、念動力で怒りに満ちた刺々しい声を震わせる。猫本体の方は先程から何度もシャーシャーと、威嚇と怒りに満ちた声を漏らしている。


「ま、中々やるじゃねーか。俺はこいつが気に入ったよ」


 シルヴィアが画面に映った美香を見て笑う。


『しかも表通りのにんげんもみてるのに、中枢と悦楽の十三階段のことをばらすとか、ふざけんにゃー。こいつはぜったいゆるせんにゃー』

「でもこの脅迫は極めて有効ですよ」


 と、奈々。


「これ、美香ちゃんの勝ちだと私は思います」

「どうかな。表通りでも散々、不安として囁かれていたからな。追い詰められてブチ切れた裏通りが、何しでかすかわからない――ってよ。あの子はそれを明確に示しちまった。これは博打だぜ? 完全に危険物と見なされて全力で潰しにこられるか、触らぬ神に祟りなしで今まで通りにするか。とうとうその分水嶺に来ちまったんだ」


 奈々は美香の勝ちだと断言したが、シルヴィアは、どちらにも転ぶ可能性が有り得ると見ている。


『すくなくともかんぜんにきけんぶつだと、しめしてしまったにゃー。そのかくごだけはみとめてやるにゃー』


 ふんっとおもいっきり鼻を鳴らして、エボニーは言った。


***


「思い通りになにらなければ殺してやると、脅迫しているようなものですね。それこそゴロツキそのものでは?」


 嘲りと侮蔑を込めて言い放つサラだが、もう何を言っても無駄なような気がしている。完全に飲まれている。自分はもちろんのこと、間違いなく視聴者も。サラはそれを理解している。


「対話で解決しないなら戦争に発展する! ごく当たり前のことだ! 人類がずっとやってきたことだ! しかし避けられないわけではない! 避けるかどうかは、この国の政府が! 警察が! 何より国民が決めればいい! 以上だ! いや、もう一つ、もう一度、わかりきったことを改めて言わせてもらう!」


 美香がそこで一旦言葉を区切り、カメラ目線になる。


「裏通りが潰れて、この国に益など無い! 害は発生しまくるがな! その事実から目を逸らすな!」


 それを美香の最後の言葉として、義久はカメラをサラの方へと向けた。


「ありません」

 言葉少なに言い、サラは首を横に振った。


 義久がカメラを止め、こっそりと息を吐く。


(これで終わりか。それにしても美香ちゃん、いろいろと後に引きそうな発言しまくったな。美香ちゃんが優勢に見えたけど、その辺が結構危ういぞ)


 サラの水面下での動きを退けたのは見事であったし、その後の流れも美香が掴んでいたが、脅迫めいた発言の数々は、吉と出るか凶と出るかわからない。予想がつかない。もしかしたら表通りが思いっきり反発しかねない。裏にも表にも火をつけて、大爆発を引き起こす火薬となりかねないのではないかと、義久には思えた。

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