第二十三章 11

 義久は安楽市の各所に赴き、懇意にしている情報組織『マシンガン的出産』の情報屋数名と直接会って、情報の売買を行った。

 暗黒都市各地に潜んでいる彼等は、実際に会わないと取引に応じないという面倒なルールを持つが故に、取引する側も自らの足を運ばないといけないが、それに見合う情報を提供してくれるため、同業者は彼の組織を無視するわけにはいかない。


 時刻は夕方。曇天のせいもあってすっかり薄暗くなり、人通りが増した安楽市絶好町繁華街を徒歩で帰路に着く途中、義久は己に向けられた殺気を感じ取った。


(おいおい、よりによって俺の所に来たのかよ)


 うんざりしつつも、特に恐怖はしていない。純子によって再生力を付与されているので、そう簡単には死なない身である。


(とはいえ油断はできないな。再生力あっても不死身ってわけじゃないし)


 もし複数がかりで取り押さえられてしまうようなことがあれば、その時は死亡を覚悟しなければならない。それも再生力が尽きるまで嬲られる、凄惨な死に方となる。


(ずっと尾行されていた事には気付いていたけど、そいつには殺意が無かった。まこうとしてもまけなかったし。別口か? それとも同じ奴等の偵察か?)


 考えながら義久は、ペデストリアンデッキの上へと上る。ここなら遮蔽物がほとんど無いため、隠れる場所が限られる。尾行する者にとっては若干面倒だ。

 まくために上がったのではない。特定するために上がったのである。


 尾行者もそれで面倒になったのか、殺気を放ちながら堂々と義久を囲む動きで足早に迫ってきた。その数は六人。


(多いな。ちょっと不味いかも)


 いざとなったら、再生力を悟られないように、死んだ振りをしてやりすごせばいいが、それが使えるのは一度きりだ。自分が生きているのがわかったら、また刺客はやってくるだろうし、今度はきっちりと念入りに殺されるだろう。


(再生能力持ちだとバレる可能性もあるが、飛び降りて一気に逃げるしかない)


 交戦しても勝ち目は無い。数が多いうえに、一人一人がそれなりの実力者なのが、一目でわかったからだ。いつぞやの自分を殺そうとしてきたチンピラ達とは、全く次元が違う。

 手すりまで駆けようとした義久であるが、刺客が撃ってきた銃弾が足元を穿ち、思わず足が止まる。サイレンサー付きで、銃声はしなかった。


(馬鹿っ、ここで止まってどうするっ)


 己のチキンさを叱咤する義久。外れたにも関わらずビビって足を止めた事で、敵との距離は縮まった。ほんの一瞬であろうと、これが致命的にもなりかねない。

 その止まった瞬間を狙って蜂の巣にされる事を予感した義久であったが、どういうわけか続けて撃たれる気配が無い。通行人が邪魔で撃てないのかもしれないと考えたが、何か様子がおかしい。


 振り返ると、続けて撃たれなかった原因が判明した。

 六人の刺客は――いや、五人に数を減らした刺客は、誰一人として義久に視線を向けていなかった。彼等の後ろから現れた一人の男へと視線を集中させ、殺気を漲らせている。そのうち一人は、首から血を流して崩れ落ちていた。


 裏通りの抗争が始まったのを目の当たりにして、通行人達がそそくさとペデストリアンデッキから退散していく。義久もそれに混じって逃げるのが最良の選択であることはわかっていたが、それをあえてしなかった。何者であるかは不明だが、明らかに自分を守るために、たった一人で複数の刺客と交戦を開始した者がいる状況で、さっさと逃げるなどできない。


(いざとなったらの加勢。単純な好奇心。いずれにせよ、逃げられるわけがない)


 懐の中の銃を握り、義久は決心する。


 だが義久の加勢など全く不要であった。


 刺客達と交戦を開始したのは、両手にナイフを握った黒人男性だった。コーンロウで編んだ髪を背中まで垂らした、いかにも黒人らしい髪型。背はさほど高くないし、一見細身ではあるが、その体が相当鍛えられている事は、後ろ姿を見ただけでも一目でわかる。服の下には、しなやかな筋肉の鎧をまとっている事であろう。


 得物がナイフの男が一人と、銃を手にした刺客五人。普通ならお話にならない組み合わせだが、彼等の互いの距離は近すぎた。また、互いの実力が遠すぎた。


 コーンロウの男が、軽やかな動きで最も近い相手に詰め寄ると、目にも止まらぬ早業というフレーズが誇張無くあてはまる動きと速さで、ナイフを一閃させてその首を切り裂く。


 その際に義久は男の顔を見た。ネグロイドの年齢はわかりにくいが、それでもまだ若い青年だということがわかる。少なくとも自分よりはずっと年下であろう。大きな目があどけなさを感じさせ、少年くささを残している。実際に未成年なのかもしれない。絶妙な形と大きさのパーツと、バランスのいい配置が成された整った顔立ちは、羨ましいほどのイケメンだ。

 そして義久はその男の顔も名前もどういう人物かも、全て知っていた。知っていたが故に、どういういきさつでここに現れ、自分を狙う刺客と戦いだしたかも看破した。


 至近距離からの一斉銃撃も、まるで全てのタイミングと弾道を見抜いていたかのように、身を大きくかがめて一瞬で全て回避すると、身をかがめたまま猫を連想させる動きで、銃を撃った刺客の一人の懐へと一気に飛び込み、低空からナイフを閃かせる。

 黒人青年は絶命した刺客の体を盾にし、同時にそいつが手にしていた銃を他の刺客へと向け、指ごと引き金を引く。これで刺客は半分に減った。


 残った三人は実力の違いを思い知り、即座に撤退の選択を取った。青年も追撃しようとはせず、それを見送る。


「助かったよ。ずっとつけていたのは君だな?」

 義久が青年に近づき、礼を述べる。


「はい。ミスター高田、この一件がジ・エンドするまで護衛します。テレンス・ムーアと言います」


 にっこりと朗らかに笑い、やや片言気味の日本語で、青年は自己紹介した。


 その人物のことは初対面であるが、義久は知っていた。その筋では有名な人物だ。環境テロリスト集団『海チワワ』の首領であり、海チワワ最強の戦士と名高い人物だ。


「ヴァンダムさんは、俺が襲われることを見越していたのか」


 グリムペニスの下部組織であり、荒事や汚れ仕事を引き受けている海チワワの戦士を派遣したという事は、そういう事なのだろう。


「はい。わざと誘き寄せて撃退するために、今まで陰からガードしていました。僕が守っているのを最初から見せておくよりも、敵に与えるインパクトの演出的に、その方が良いと判断しまして」

「なるほど……」


 敵が何者であるか、ヴァンダムも承知したうえで、そう指示したのであろうと、義久は見抜く。


「ルシフェリン・ダストも一枚岩じゃないのか。俺に死んで欲しい考えの奴もいると。で、ヴァンダムさんにとっては、俺が生きていた方がいいって考えか」

「ミスター・ヴァンダムは、パイプラインの破壊をした方が望ましいと考える輩がいると、そう例えていましたネ」

「俺が殺されたら、俺の後釜ってのは現れにくいだろうし、世間への情報の伝達もゆるむってわけか。つまり俺の存在は裏通りより、ルシフェリン・ダスト側の一部の奴にとって都合が悪いわけかよ」


 苛立ちを覚える義久。裏通りを悪として正義を抱えておきながら、実際にやっている事は裏通りと対して変わらないという有様。いや、偽りの正義を掲げているだけに、こちらの方が余程タチが悪く、腹が立つ。


「殺させはしませんから、御心配なさらずなのですヨ」


 あどけなさを残す顔に、にっこりと屈託の無い笑みを広げるテレンス。ただの愛想笑いではなく、人柄が滲み出ている笑みだと、義久は感じた。


***


「うわああああっ! 嫌だアああああっ! 死にたくねえぇえぇぇえっ!」


 上野原上乃助は今日も自宅で深酒を飲み、泣きながら暴れていた。


 先祖代々伝わる二百坪のお屋敷の、障子もふすまも半分近くが破られている。恐怖を紛らわすために酒に酔って、しかし和らぐことの無い恐怖。大月が死んだと聞いて以来、上野原は荒れ続けている。

 保身のために記者会見を開き、あえて戦う表明をしてしまったが、あれは間違いでは無かったかと、ずっと怯えている。ああしておけば逆に襲われないと祖母に言われたが故に、思い切ってあの記者会見を開いたが、それでも襲われる可能性が無いとは言いきれない。


「貴方、落ち着いてください。またお婆様に叱られますよ」


 妻の上子が、おろおろしながらもなだめる。


「うるさーいっ! 女の分際で男の世界に入ってくるなーっ!」


 深酒のせいで意味不明なことを叫び、上子に向かって蹴りを繰りだす上野原。


 祖母のいない場所に限って、上野原は日頃から亭主関白丸出しの暴力親父であった。


「畜生っ、御国のために尽くし、戦ってきたこの憂国の志士である俺様を殺すだと? そんな事は断じて許されん! 誰か俺を守るべきだろおおぉっ! 早くっ! 誰か俺を命がけで守れよおおぉぉっ!」

「馬鹿じゃないの。いい加減にしてよ」


 喚き散らす上野原の前に、娘の上美が現れ、心底軽蔑しきった視線を注ぐ。上美は十三歳。還暦を過ぎている上野原とは、歳の差が五十近くも離れた親子である。


「今の自分が最高にみっともないって自覚無いの? 何が愛国よ、何が国士よ、呆れるわ。その姿を糞親父の信奉者共に見せてやりたいわ」


 日頃から天下国家親父丸出しで、家族の前でも、国はどうたら国民はかくあるべき保守すべきなんたら近隣諸国の脅威がうんたらと、そんな話ばかりしては威張り散らしている父親のことを、上美は激しく嫌っているので、ここぞとばかりに罵る。


「きっさまあああぁっ! 一家の大黒柱の家長に向かってその口の利き方、許さああああんっ! 家長は尊敬して然るべきぃぃ! それが日本の守るべき伝統オオォ!」


 喚きながら、十三歳の娘に向かって本気グーパンチを繰りだす上野原であったが、あっさりとかわされ、逆に顔面に娘の膝蹴りを食らい、吹っ飛んで倒れる。


「またお母さんを殴ったのねっ。絶対に許さないっ」

「やめてっ、お父さんをいじめないでっ。お父さんも一生懸命頑張ってるのよっ」


 憤怒の形相で倒れた父親に近づき、追撃をしようとする上美であったが、母親が泣きながらその足にすがりつき、制止する。


「うるさいなあ。ま~たやってるのかい」


 しわがれた不機嫌そうな声がかかり、上野原は青ざめた。


「曾お婆ちゃん」

「お婆様」


 上美と上子がほぼ同時に反応する。上子はほっとした顔であった。

 現れたのは、どう見ても年齢百歳を越えていそうな、皺くちゃの老婆であった。しかしその腰はまっすぐに伸びているし、足取りもしっかりとしている。


「上乃助はまた酒飲んでぴーぴー泣いてるのか。娘もいる前で、本当情けない。まあでも仕方ないね。私が甘やかして育てちゃったんだから。ごめんね、上子、上美」

「いえいえ、そんな……」

「曾お婆ちゃんは悪くないよ。いくら甘やかされて育ったとしても、もう父さんだっていい年なんだしさー、しっかり自分見つめなおす必要あるよ」


 しおらしく頭を下げる老婆に、上子も申し訳無さそうに頭を下げる。上美は呆れきった口調で言いたい放題言う。


 老婆の名は上野原梅子。孫の上野原上乃助よりもずっと名が知られている、世界的な有名人だ。

 梅子は上野原流古武術の継承者であり、同時に世界中のあらゆる格闘技に精通し、武術の神様と呼ばれ、世界中の格闘家から伝説として語り継がれる存在だった。現在は百十五歳という高齢故に引退しているが、十年前の百五歳に至るまで、フランス陸軍でCQC(近接格闘)の指南役を務めていた。軍隊経験も豊富で、傭兵として世界中の戦場で戦った経歴もある。


「ま、仕方ないね。馬鹿者とはいえ可愛い孫のためだ。私が守ってあげるよ」


 優しい声で告げる梅子の言葉に、上野原は泣き顔を上げた。


「そ、そうか。お婆ちゃんが護衛してくれるなら、鬼に金棒だっ」

「貴方、何を言ってるんですかっ、お婆様はもうお歳で引退されているのに」

「大丈夫よ、お母さん。曾お婆ちゃんはまだ現役で十分通じるって」


 上野原、上子、上美がそれぞれ言う。ちなみに上野原の娘の上美は、引退してフランスから帰ってきた梅子によって、幼い頃からみっちりと鍛えられており、上野原流古武術の次の継承者として名指しされている。


「何言ってるんだい。護衛なんかしないよ」

 にたりと笑う梅子。


「これはもう戦争なんだから、護衛なんかしてても埒があかないわ。こっちも一人殺られたんだろう? 報復に向こうの陣営の奴も一人殺って宣戦布告して、そんで、敵と思われる奴を見つけていって、片っ端から血祭りにあげて、皆殺しだよ。そいつが一番手っ取り早くて効率的だよ」

「曾お婆ちゃん、かっこいいっ」


 皺くちゃの顔に悪魔の如き笑みを浮かべる梅子に、上野原と上子の夫妻は震え上がり、上美は両手を胸の前で握り締めて歓声をあげた。

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