第二十三章 12

 義久は元々都心に住んでいたが、暗黒都市である安楽市での活動が多いため、安楽市にも住居を借りていた。

 2DKのマンションの一室。当然一人暮らしであるが、裏通りに堕ちてからは、もしかしたら客を泊める事もあるかもしれないとして、二人分の布団を買っておいた。それが今日初めて役に立った。


 朝。起きてすぐ行うのはメッセージの確認だ。情報屋として裏通りに堕ちてから、職業病のようになっている。

 今朝、特に気になったのは、純子から送られてきたメールだった。


『サラさんのインタビューする時に、美香ちゃんと対談して、それをリアルタイムで放映するようお願いしてもらえないかなー』


 美香の討論相手は、サラに決めたらしい。


(まあヴァンダムは避けるよなあ……。上野原は絵的にも内容的にもいまいちになるだろうし、無難な所か)


 了承の返信を送り、義久は隣の部屋へ移る。

 そこではテーブルに向かって、ノートに漢字を書き写しているテレンスの姿があった。どうやら日本語の勉強をしているようだ。

 テレンスはしばらくの間、四六時中義久の護衛をしてくれる事になったので、義久の住居に泊まってもらうことにしたのである。


「一晩中起きてたのか?」

「違います。さっき目が覚めたばかりです。朝の方が勉強捗るです」


 声をかける義久に、書き取りを続けながら答えるテレンス。


「漢字の読み書きベリーハードですヨ。ミスター・ヴァンダムは日本語と中国語のダブル漢字読み書きできますですからグレートです」

「すげえな、ヴァンダムさんは。それにしても……そっち側から俺に護衛を寄こすなんてね。護衛の振りをした人質っていう見方もできるがな」


 守っているようなスタンスを取りつつも、いつでも殺せるから下手なことをするなという、裏通り中枢に対しての、言葉には表さない恫喝のニュアンスを込めているように、義久には見えた。


「ミスター高田はそんなに大物(ビッグ)なのですカ? ミスター・ヴァンダムに思惑があるのは確かですが、ミスター高田の読みは間違いですネ」


 穏やかな口調でテレンスは否定する。


「なるほど、裏通り中枢からしてみりゃ、俺なんかをそこまでして守る価値も、人質と見なして取引の材料にする価値も無いしな」

「ミスター・ヴァンダムにも思惑はありますが、それ以前に単純に困るのですヨ。せっかく対話による世論誘導を試みているのに、いきなり暴力沙汰を混ぜてしまうのはノーサンキューなのであります」


 そう言ってテレンスは悪戯っぽく微笑んでみせる。

 この明るくて人当たりがよく、自分より明らかに年下の青年が、世界中で忌み嫌われているテロリスト集団の棟梁というのは、まるでイメージが符号しない。少し前まで副リーダーであったらしいし、彼が繰り上がる前の先代ボスは、かなりろくでもない人物だったという話だが。


「飯作ってくるけど、魚食える?」

「ノー・プロブレム。お刺身全然オッケーでーす」

「朝から刺身とか、腹に熱の入らないものは食いたくないな。普通に焼くよ」


 朝食を取る二人。食事が終わると、テレンスはまた漢字の勉強を再開した。


「熱心だなー。って、この漢字……」


 テレンスが見ているディスプレイを覗き込むと、映っている単語は全て、都内の鉄道の駅名だった。ノートに書いている単語の方は個別なのでわからなかった。


「駅名ばかりだな」

「僕、電車大好きですから。鉄道マニアではないですヨ。電車で旅して車窓から外の風景眺めるのが好きです。都会も田舎もどっちも好きです。世界中の電車、旅しました。風景見てきました。日本の電車から見える風景は特に好きですネ。街並みも、山も、平野も、全て大好きです。東海道新幹線も何度も乗りましたヨ。走りながら見る富士山最高です」


 朗らかな笑みを満面に広げて、テレンスは嬉しそうに自分の趣味を喋る。


「どこの駅もアルファベットで書かれているだろ?」

「漢字で覚えていた方が便利なのです。遠目にもぱっと分かりますし、時刻表も漢字のが見やすいのですヨ。でももう僕、前みたいに旅できないですネ。悲しいです」

「何でだ?」

「前のリーダーが死亡(ダイ)して、繰り上がりで僕がリーダーになってしまいましたですからネ。前はサブリーダーとはいっても、大して仕事せずに済みましたです。僕が活躍するのって大抵がデストロイ&バイオンレスでしたからネ。僕、こう見えても組織でイチバーンの強さでしたから、わりとフリーダムやらせてもらいましたヨ。でも責任あるポジションになっちゃいましたから、フリーの時間あまりとれませんネ」


 笑顔で語るテレンスに、義久は一つの大きな疑問を口に出したい欲求に駆られる。それは例えようも無いミスマッチに対する疑問。


「君、何で海チワワに?」


 その疑問を口にするなら、今が良い機であると判断し、好奇心の塊たる義久は、尋ねてみる。

 テレンスがどんな人間か、昨日会ったばかりの義久は何も知らない。しかし向かい合って会話をしている限り、どう見ても人懐っこい好青年としか見えない。もちろん見せかけだけで、腹の底にはドロドロしたものを隠しているかもしれないし、むしろそのドロドロが有るからこそ、海チワワに所属しているのではないかとも、義久は考えた。


「何ででしょーネ?」


 肩をすくめて、寂しそうな笑みを浮かべるテレンス。とぼけた答えのようでいて、からかうニュアンスは含まれていない。どことなく自虐的にも見える答えと、義久には受け取れた。


「義久さんもアンダーグラウンドが似合うタイブに見えませんヨ? そういう意味では、僕達似た者同士かもしれません」

「うんまあ、それは似合っていると言われても似合わないと言われても、別々の意味で悲しい気分だし、その時点で合ってはいないんだろうなあ」


 テレンスの指摘に、義久ははにかむ。


「電車が好きってんなら、今日の移動はタクシーじゃなく電車にしてみるか」

「オウ、粋な計らいサンクスでーす。でも満員電車だと暗殺者とか混じりやすいですから、気持ちだけ受け取っておきますヨ」

「満員電車の時間帯は避けるから大丈夫だよ。それに――」


 義久はアイスピックを手に取り、自分の腕に突き刺す。


「再生ですカ?」

「見る前にあてるなよ」


 傷が塞がる前に言い当てるテレンスに、義久は苦笑した。


「まあ、そういうわけだから、護衛も気楽にしていいんじゃないか?」


 そう言ってウィンクする義久を見て、テレンスの笑みが苦笑いへと変わる。何故テレンスが突然そんな表情になったのか、義久には理解できなかった。


***


 美香はここの所ずっと、裏通りの始末屋の事務所と雪岡研究所を行ったり来たりする毎日である。


 ミュージシャンとして所属している表通りの事務所には、顔が出せなくなってしまっている。ルシフェリン・ダストに煽動された市民団体が、何度も押しかけたせいだ。最近は流石に来なくなったようだが、また何かあるといけないので、ほとぼりが冷めるまで近寄らないことにした。

 少なくともルシフェリン・ダストと何らかの形で決着をつけるまでは、裏通りの月那美香として活動し続けるつもりでいる。


 四人のクローン達と事務所で寝食を共にしている美香であるが、今回の騒ぎは、クローン達も気にかけていた。


「さっさと裏の仕事やめまちょーね。二束の草鞋を履いていることがもたらした破綻だよ、こいつはさ」


 朝から美香の顔を見るなり、二号が嫌味ったらしく言う。


「何度言う気だ! 何度言われてもやめん!」

「オリジナルにとっても、真剣に負担になっていると思うからこそ、あたしはしつこく言ってるんスよっ」


 睨み付けてくる美香に、二号も負けじと睨み返す。


「負担にゃとわかってんにゃら、二号はしつこくやめろやめろ言うのをやめろにゃっ」


 七号が間に入り、美香をかばうかのような格好で立ち塞がり、至近距離から二号に食いつく。


「はんっ、いい子ちゃんぶってるだけで、てめーは何も本質が見えちゃいねえ。裏稼業と表稼業の両立なんて欲張ったことしている歪が、今ここでこうやって噴出して、オリジナルを蝕んでいるのがわからねーのかよっ。口では強がってばかりいるオリジナルだけど、どっちかにしぼった方がいいのは明白だろっ」


 険悪な形相で喚く二号に、七号は少し涙目になる。


「二号は心配していてもたってもいらないんですよ」


 いつもは二号の方をたしなめる十三号が、珍しく二号の肩を持つ。


「ごめんなさい、オリジナル。私……今回に限っては、二号の言い分がどうしても正しく聞こえます。オリジナルはとても無理をしているように見えて仕方がないです。そして、どちらかを取るとしたら、私は……危険な裏のお仕事の方を辞めていただきたいというのが、本音です」


 言いにくそうな口調で、しかしはっきりと己の意志を伝える十三号に、美香は安心させてやるように柔らかく微笑んだ。


「よく本音を言ってくれた、十三号。しかしな、その危険な裏稼業をしていたからこそ、お前達を救えたんだぞ?」


 静かに告げる美香の言葉に、はっとする十三号。


「ふひひ……ずりーよ、オリジナル。そんなこと言われたら返す言葉もなくなっちまう……なーんて、あたしがあっさり引き下がると思うのかこんにゃろーっ。何言われようと断固として裏稼業反対!」

「じゃあ、こうしよう、二号」


 笑顔のまま、美香は二号の方を向く。


「私がこの戦いに負けたら、私は潔く裏通りから足を洗う」


 静かだが、強い決意を込めて、美香は言い切った。


「どうせ口だけ。プロレスラーや国民的ロリコンアニメ監督の引退みたいに、すぐ戻ってくるんじゃね?」

「いいや、私に二言は無い。撤回も無い」


 嫌味ったらしく言う二号であったが、美香はきっぱりと言い切った。


「みんにゃ……気をつけるにゃ。この事務所の記念すべき二度目のアレにゃ……」


 その時、七号の表情が引き締まり、声も緊張気味になった。


「あひゃひゃひゃ、大事な話の最中だってのに、お客さんかよ。空気読めよな」


 二号も殺気を感じ取り、低く不機嫌そうな声を発し、臨戦体勢となる。


「今は機嫌悪いし、手加減しねーっスよ。皆殺しにしてやんよ」

「できれば生け捕りにして、どこの者かゲロさせてやりたいがな! まあ、ゲロしなくてもわかるが!」


 二号と美香が窓の外に同時に視線を向けると、カーテン越しに人影が露わになった。

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