第二十三章 8

 ヴァンダムとサラが大月の死を知ったのは、翌日の正午過ぎであった。


「裏通り側は想像以上に愚物だったな。この局面で暴力という手段を用いるなど、この国では潰してくださいと言っているようなものだ。ここはメキシコでも中国でもないのだぞ」


 憮然とした表情で、ヴァンダムは電話の向こうにいるサラに向かって言う。


『果たして裏通りの仕業でしょうか?』


 サラが疑問を示し、ヴァンダムはハッとする。


「マッチポンプ――こちらの自作自演という可能性もあると? ふむ。そこまで頭が回らなかった。私も愚鈍だったな」


 照れくさそうに微笑をこぼすヴァンダム。


『むしろその可能性の方が高いとすら、私は見ています。裏通りが暴力的手段で脅しをかけるなら、もっと早くにやっているでしょう。わざわざ取材などする形で、我々を嗅ぎまわる様な、そんな回りくどくて安全な立ち回りなどしませんよ』

「そう見せかけて――という可能性もあるが、流石にそれは考えすぎか」

『逆に裏通りを悪者に仕立て上げる自作自演だとすれば、今が絶好の好機です。個別のインタビューが進み、注目が高まる中で、暗殺という形による脅迫を行ったという、センセーショナルな事件が発生すれば、一気に裏通りへの反発が高まります。これに外圧も加われば、日本国政府も擁護できないのではないでしょうか』


 うまくいけばな――と、ヴァンダムは口に出さずに付け加える。


「その外圧こそ、アメリカ大使の君の仕事であるが……しかしもしそれが事実であるなら、私は悪いが、即刻ルシフェリン・ダストから手を引かせていただく。バレた時どうなるかもわからず、このようなマッチポンプを行うような愚物と、心中などしたくないのでね」


 不快を露わにしてヴァンダムは吐き捨てた。


『バレなければ有効な手段ですよ。それに私は立場上、途中の撤退もできません』


 サラの言葉に、ヴァンダムは小さく息を吐いた。ヴァンダムと違って、国家の歯車であるサラには、自由意思などあろうはずがない。


「まずは事実確認だな。甲府光太郎は……復讐にとらわれているが故、このような手を使う可能性も十分ありうる。そして、次に狙われる可能性のある者を守らねばならん。特にサラ、君だ」


 甲府光太郎という男に関しては、ヴァンダムも詳しいことを知らない。家族の命が裏通りによって奪われたという事実程度だ。接していても何を考えているか全く読み取れず、人形と喋っているかのような、そんな錯覚さえ覚えてしまう。


『私もそうですが、他にも護衛せねばならない人物がいます』

「ああ、わかっている。高田義久君だろう」


 サラの先回りして、その名を口にするヴァンダム。


『ええ。彼が死ねば、さらに効果抜群ですからね』

「裏通りにたてつくフリージャーナリストが、邪魔者扱いされて殺され、死んだ英雄となるシナリオか」

『裏通り中枢の使い走りとして我々を嗅ぎまわっている彼を、裏通り側が殺すはずがありませんのにね。ただ、もし彼が殺されれば、裏通りにおける過激思想の仕業という形にされて、中枢からも切り捨てられる可能性もあります』


 もし義久が殺されれば、あるいは狙われれば、最早ルシフェリン・ダストの仕業であることは明確になると、ヴァンダムは思う。


(しかし何かおかしいな……。引っかかる)


 サラの話を聞きながら、ヴァンダムは直感的に歪さを感じていた。


(誘導されているような……。考えすぎか?)


『どうしました?』


 押し黙るヴァンダムに、サラが怪訝な声をあげる。


「気が変わった。何かしらの結果が出るまでの間、例えルシフェリン・ダストによる自作自演であろうと、私も付き合うとしよう」

『何か考えがお有りで?』

「いいや。気になるから見届けたいということと、私の手の届かない所で話が余計にこじれ、途中離脱した私に被害が飛び火する可能性も、捨てきれないからだ」


 サラの問いに、ヴァンダムは不敵な笑みを浮かべてそう答えた。


『助かります。では今後ともよろしくお願いします』

 電話が切れる。


「別に私は、君と親しい友人になった覚えは無いのだがね」


 電話が切れてから、聞こえるはずのないサラに向かって、ヴァンダムは語りかける。


「私が害意を持つ者という仮定は無いのかね? あるいはそれも織り込み済みで探りを入れているのか? それとも……」


***


 昨夜未明、大月槻次郎が自宅近くの路上で殺害された事件は、ただの殺人事件ではなく、裏通りによる制裁という疑惑つきで、ニュース、新聞、ネットを賑わせた。


 夕方、義久と美香は雪岡研究所を訪れ、リビングで純子とみどりと共に、この件について話し合っていた。


「可能性としては三つ考えられるねえ。ルシフェリン・ダストの自作自演。あるいは裏通りの住人の過激な思想を持つ人が先走った。元々大月さんを恨んでいた人の仕業」


 純子が言う。


「殺され方から見て、恨んでいた奴の仕業ってのはないでしょォ~。明らかにブロっぽい奴の犯行だわさ。いや、裏通りの殺し屋雇ったって可能性もあるけどさァ」


 と、みどり。マスコミの発表では鋭利な刃物で何箇所も刺されたという、曖昧な代物であったが、裏通りで流れている情報によると、喉、胸、腹の急所を三箇所も同時に刺されて即死ということだ。


「裏通りの中枢が、このタイミングで邪魔者を殺すというやり方をするわけがないしな!」


 美香が叫ぶ。そうなると可能性は消去法で一つにしぼられる。


「桐子ちゃんはその辺慎重だしねえ。私が桐子ちゃんの立場だったら、大喜びで邪魔者全員皆殺しというか、全員実験台にする所だけど」

「あぶあぶあぶあぶぶ、そんなんだから純姉は煙たがられてるんだわさ」


 純子の言葉を聞いて、みどりが変な声で笑う。


「しかし表通りから見たら、裏通りを貶めるための自作自演説よりも、裏通りが強硬手段に出たという方を信じるだろう」


 この中で、最も表通りの住人に近いメンタリティを持つ義久が言う。


「裏通りへの風当たりは強くなるだろうな。そしてブチ切れた裏通りが純子みたいに、迷わず大規模な暴力手段に訴えるって可能性もあるんじゃないか?」

「いや、それはないよー。ていうか何で私を例えに出すかなー」


 義久の疑問を笑いながら否定する純子。


「表通りはあくまで平和な状態である方が、裏通りにとっては望ましいからねえ。混沌を引き受けるのが裏通りの役割なんだからさ。裏通り側がおおっぴらに脅迫めいたことをして、表通りを不安に陥れるのは禁じ手だよー。そもそも裏通りにとって一番望ましい状態は、表からは触れられない事なんだ。テレビで堂々と話題になったり語られたりして、注目を浴びている今は、望ましくない状態。それなのに余計なことして、引っ掻き回すなんて有りえないでしょ」

「それをいただこう! 裏通りは表通りからのおおっぴらな干渉は望まないという部分!」


 純子の話を聞いて、美香は目の前にディスプレイを出してメモを取る。次なる討論の際に、主張するつもりでいる。


「しかし……裏通りを貶めるつもりでの殺害だとしたら、非常に汚いやり口だな。しかも正義を掲げておきながらこれだ」


 呆れきった口調で義久。以前の義久なら、もっとストレートに怒りを露わにしていた所だが、裏通りで汚いものをいろいろ見すぎた結果、容易く怒りを出すことも無くなった。

 かといって、怒りや不快感が無いわけでは断じてない。目に見える悪に、全く何も感じなくなってしまったら人としておしまいだと、義久は思う。


「犯人を捕まえてゲロさせることができればいいんだがな!」


 腹立たしそうに美香が叫ぶ。


「犯人探しなら中枢や警察がやってるだろうが、夜とはいえ、あんな派手な殺害の仕方する奴だからなあ……」


 犯人は殺しに長けた者であろうから、捕まえるのは難しそうだというニュアンスで、義久は言った。


「向こうも一枚岩ではないだろうし、誰の仕業かもわからないよねえ。ヴァンダムさんの仕業かもしれないし、ルシフェリン・ダストの仕業かもしれない」

「『海チワワ』の幹部とボスも、今、日本にいるんだ。グリムペニスの本部ビルを出入りしているという情報があった」


 純子の言葉に反応して、義久が言った。


「幹部はクリスタル姉弟な。ボスと合わせて、腕利きの強者を三人も手元に置いているということは、ヴァンダムは荒事を起こすつもりがあるんじゃないか? さもなきゃ純子の言う通り、もう起こしたか、だ」

「んー、でもさあ……殺害方法がおかしくない? クリスタル姉弟のそれとは違うし、ボスもナイフで刺したとしたら……三箇所も刺すかなあ? 何よりクリスタル姉弟とグリムペニスの新しいボスって、堅気の人を傷つけるのを凄く嫌っているって話だよー? 海チワワがバイオテロ組織であるのにも関わらずね」

「そ、そうか……」


 純子に異を唱えられ、義久は海チワワの犯行の可能性をひとまず除外した。


「いずれにせよ、奴等はあくどい手段も暴力も含めて、何でもしてくるということだ! こちらもそのつもりで身構えておかないとな! そして……いや、なんでもない!」

「何でも無いが凄く気になる」


 美香が途中で言葉を引っ込めたことに対し、冗談めかして笑いかける義久であったが、美香のシリアス顔を見て、義久の笑いも消えた。


(そして、あっちがそのつもりなら、こっちも同様にダーティーな手段を使って、思い知らせてやる!)


 そう決心した美香であったが、そうした行為を嫌いそうな義久の手前、控えたのである。

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