第二十三章 5
ルシフェリン・ダストの聞き込みも終えて、義久は雪岡研究所へ赴く。
途中、尾行されてないかを激しく気にする。純子と繋がっている事は、すでにヴァンダムには知られているものの、現在進行形で繋がっている事は、できれば知られない方がいいだろうと判断し、注意していた。
リビングへと通されると、そこには純子とみどりと美香の姿があったが、美香があからさまにどんよりとダークなオーラを放っている。
「どうした? 元気無いじゃないか」
励ましのニュアンスも込めて、虚ろな面持ちの美香に、明るい声をかける義久。
「表通りの仕事は……しばらく控えようと思う。事務所からも、今は露出しない方がいいと言われてきたよ」
力無い声を発する美香。何があったのかは大体察しがつく。昨日の取材をネット上に上げた反響だろうと。義久も当然見て確かめたが、賛否で綺麗に分かれていた。
「否定派の声ばかり気にしない方がいいと思うぞ。美香ちゃんを応援する声だっていっぱいあったじゃないか」
「違うんだ……」
慰める義久に、美香はかぶりを振った。
「ルシフェリン・ダストの思惑通り、今、表通りでは裏通りに対しての反発の気運が高まっている。そして私は……表通りの連中から見て、裏通り代表の顔役として叩かれている。私こそが裏通りのドンだと言う者までいる有様だ。いきなり大した大物になったものだな」
自嘲の笑みをこぼす美香を見て、相当ひどい叩かれ方があったのだろうと義久は思った。
「一応擁護する声もかなりあるんだけどねー。今まで美香ちゃんは、裏通りのトラブルに巻き込まれた表通りの人の依頼を重点的にしていたし。例の芸能人クローン騒動の件も知れ渡っているしさ」
と、純子。
「それは私も知っている。しかしな……ルシフェリン・ダストに所属しているという者達が、裏通りの銃撃戦の巻き添えで死んだという遺族が集めて、私の表通りの方の事務所にまで大人数で押しかけてきて、事務所の前で、月那美香は人殺しの仲間だと、シュプレヒコールを起こしていたのには、心底参ってしまった……事務所の人にも謝りまくり、同じビルの人達にも後で謝罪しまくり、近所にも頭を下げまくり、そこでも何人かに嫌味を言われた。惨めなものだ……」
(うわ~……そりゃひどい)
想像以上のひどい事態に見舞われていた美香の話を聞き、義久は絶句してしまった。
「俺も同じ情報を得てきたところだ。ルシフェリン・ダストの大幹部の一人に、甲府光太郎という男がいる。彼が中核となって、裏通りの災禍に遭って親しい者を失った者を集め、組織の一員にしているようだ」
義久が報告する。
「そんな煽動までやってるとしたら、相当タチが悪いな。低劣で野蛮な市民団体そのまんまじゃないか」
「ふわわわぁ~、よっしーが務めていた新聞社だって、そういう低劣な団体と仲良しだったじゃんよ~」
「だからこそ俺は、その手の連中が余計に嫌いなんだよ」
みどりにからかわれ、義久は嫌な記憶が義久の脳裏に蘇る。新米記者時代、そういった連中と関わる事があって、たっぷりと嫌な気分を味わった義久である。
「一度取材したことがあるんだが、自分達が絶対正義と主張しながら、狂気が滲んだ血走った目で、思いつく限りの下品な罵倒を繰り返すんだ。人というより、変な病気に冒されて気が触れた、歯を剥いてキーキー喚き続ける凶暴なチンパンジーみたいな連中だぞ。あの手の人種とはもう関わりたくないと思っていたが……」
そのうえ、嫌な想いを味わったうえで得た取材内容は、結局記事になることはなく、悪い意味で貴重な経験をさせてもらっただけに終わってしまった。
「イェア~、なるほどねえ。よっしーが実年齢はわりと若いのに、おっさんぽく見られるのは、いろいろと苦労しているからか~。あぶあぶあぶあぶ」
「気持ちは断じて若いままなのっ。そうでなければ裏通りにも堕ちてないしっ。守りにも入らないしっ。見た目だってそんなフケてないだろー。いや、ないと思いたいっ」
さらにみどりにからかわれるも、笑いながら反論する義久を見て、落ち込んでいた美香が小さく微笑んだ。
「中枢も私の事情を鑑みてくれて、無理しなくていいと言われた。事態の打開に協力できることがあるなら、協力するともな。具体的にどうするかは全く触れられなかったが」
若干皮肉げな口調で美香。
「中枢だってどうすればいいのか、わからないんでしょー。私だったら暴力で解決させちゃうけど」
「あのさー、君はそれをやって、テレビに晒されたあげく逮捕されたのを忘れたの? 今そんなことしたら、余計向こうに攻撃材料与えるだけだろうに」
純子の言葉に呆れる義久。
「いや、今回はそんなことしないで大人しくしてるよー。ていうか、美香ちゃんと義久ちゃんがメインで頑張るのに、私が余計な手出しはしないよー」
「しないでくれ、頼むから」
笑いながら言う純子に、義久は真顔で懇願した。
「中枢としては、表通りからの裏通りへの干渉を防ぐために、勢いづいているルシフェリン・ダストの弱体化が狙いなんだから、手段は何でもいいと思うんだけどー。どうも私が逮捕された件を意識して、暴力に訴えようとしないねえ。ヴァンダムさんの狙い通りになっちゃってるよー」
実際の所、以前のあのテレビ生放送と逮捕劇は、いくらでも利用方法があるだろうと純子は見ている。そしてルシフェリン・ダストへの暴力抑止のためにも、まんまとヴァンダムに利用される構図となってしまった。そして今後も利用し続けるだろう。
「純子逮捕当時の裏通りの掲示板見ると、ヴァンダムの行いを馬鹿にして嘲っていた奴等も沢山いたな。何しろ純子は一日で釈放されたし、テレビでもその後は一切報道されなかった。裏の権力の手が回り、たちまち沈静化させられて――こうなることがわからなかったのかだの、ダサいだの、ザマーだの、そんな嘲笑ばかりだった。でも実際に馬鹿だったのは、先読みできなかったそいつらだったってわけか……。滑稽極まりない話だ」
常に数手先を読んで動き、一つの手で無数の効果を生む、奸智に長けた強力な一個人。目に映ったものだけしか見えず、先読みもできず、隠された真意に頭も回らない衆愚。両者の間に広がる恐ろしく大きな差を、見せ付けられた気がした義久であった。
そしてヴァンダムこそ、義久がやろうとしていること――ペンは剣より強しという言葉を、現在進行形で実践している男であり、だからこそ畏敬の念を覚えずにはいられない。
「私はあの時点で予想してたけどねえ。後に何羽もの鳥を打ち落とせる布石のつもりだったって。もちろん具体的にどうするかまでは、全て予想しきれなかったけれど」
おかしそうに微笑みながら言う純子。
「まあ話戻すけどさ。美香ちゃんね。そういうのは、美香ちゃんが引っ込んじゃう方が、クレーマーや抗議団体の思う壺なんだよ。奴等はそうさせたくて騒ぎ立てるからな。いつもの美香ちゃんらしく、屈することなく堂々と我が道を往く方がいい。酷なことを言うようで俺も嫌なんだけど、戦うつもりがあるなら、後ろ向いて逃げちゃ駄目だぜ?」
優しい口調で諭し、義久は美香に向かってウィンクしてみせる。
「ルシフェリン・ダストを探るだけではなく、美香ちゃんのケアも同時進行といきたいねえ」
「いらん! 私はそんなに弱くない!」
純子の気遣いを拒絶する美香。
「そうだな! 高田さんの言うとおり、相手の思惑にハマったのでは駄目だ! それにこんなのは私らしくない! 戦う決意をしておいて何てザマだ!」
あっさり立ち直る美香。もちろん心のダメージが全て癒えたわけではないが、強がり、戦う姿勢を見せる程度には回復できた。
「で、ルシフェリン・ダスト本部で集めてきた情報だけど、甲府光太郎っていう人物の名は挙がってたけど、それ以外に幹部だのボスだのの名前は全然聞かなかった。少なくとも下っ端の構成員は知らないみたいだが、もしかしたら、中間管理職に相当する者すらいなくて、甲府だけが仕切っている組織かもしれないな」
「ふえぇ~、ワンマン組織かあ。大変そうだァ」
みどりも組織の長を務めたことがあるからわかるが、仕切り役や指示役が一人の組織など、想像しただけでキツい。
「ルシフェリン・ダストの実態はわからないけど、小さい組織ってことはないようだし、ボスが一人いて、幹部に相当する人物無しってのは、現実的じゃないと思うよ? 単に表には出ていないだけなんじゃなーい?」
「まあ確かに……」
純子に意見され、義久も考えを改めた。
「それより、今からヴァンダムのインタビューをネットに上げようと思う。で、反応を見てから、次どうするか決めるよ」
「ヴァンダムさんが何言ってるか、楽しみだねえ。また私のこと引き合いに出してるのかなあ」
言葉通り、楽しそうににやにや笑いながら、純子が言った。
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