第二十二章 36
「やると思った」
背後から自分めがけて放たれた怨霊群砲を大きく横っ飛びにかわして、純子が笑いながら呟く。怨霊群は純子がいた位置を横切ってから上昇し、アンジェリーナめがけて襲いかかる。
「私の攻撃の斜線上にいるのがいけませんのよ。しかし至近距離から放ったというのに、よくかわせましたこと。流石は純子と言ったところかしら」
攻撃したはずのアンジェリーナの方には目もくれず、純子の方を向いてにこにこと笑っている百合であった。
「ジャジャジャジャジャアアァアアップ! ジャジャジャァアアアァァアップ!」
数十体にも及ぶ怨霊の一斉憑依を受け、アンジェリーナは血相を変えて絶叫する。
「ふんぬーっ! 以前の私ならまだしも、今の私はこれくらいで死なないわーっ! ジャアアァーップ!」
しばらく怨霊にまとわりつかれて苦しんでいたアンジェリーナであったが、一喝すると、怨霊達が一斉に弾き飛ばされ、霧散した。
「あらあら、驚きですわ。オーバーライフでさえ、あの怨霊群砲を受けたらただではすみませんのに、それをはねのけるとは、どれほどの精神力なのでしょう」
「ふっ、毎日毎日この研究所で地獄のような拷問を味わった私が、この程度で屈すると思ってるの!?」
感心の声をあげる百合を見下ろし、アンジェリーナが怨嗟に満ちた声で叫ぶ。
「さて、じゃあ私も少しは攻撃してみるかなあ。百合ちゃんの前では初公開な能力を使って」
「あら、それは楽しみですわね」
純子の言葉に、軽口を叩きながらも、わりと本気で興味を抱く百合。
一方で幸子は、限りなく傍観モードになっている。ここから解き放たれて人間を取り込みまくれば、人類の危機となるやもしれぬ超生物を前にしているというのに、遊んでいるかのような純子と百合を前にして、正直馬鹿馬鹿しい気分になっていた。少なくとも、すでに自分の出る幕は無いと思う。
純子の腕から電撃が放たれる。アンジェリーナは回避どころか反応もできず、電撃の直撃を受ける。
「ジャップ!?」
異様な感覚を受け、戸惑うアンジェリーナ。
「おや、耐えたかー。出力あげてみるかなあ」
再度電撃を放つ純子であったが、アンジェリーナは『魔法』で力場を発生させて、電撃の威力を半減させる。
(電撃に見えるのは見た目だけ。性質そのものは生体エネルギー。そして肉体の分子から霊子を剥離させる作用といったところでしょうか)
百合は二度見て、能力の本質を解析(アナライズ)した。
(あの女にも見抜かれて、防がれているようですし、もう通じないでしょうけど。それにしても……)
純子の使用した力を見て、百合は不快感を覚える。
「累の術に似ていますわね。肉体から無理矢理霊魂を引き剥がす系統の力。気に入りませんわ。純子のイメージに合っていませんもの」
「そもそも百合ちゃんの私のイメージがどんなものなのかなあ。あまり知りたくないけどねー」
百合に難癖をつけられ、純子は微苦笑をこぼす。
「別にそれほどおぞましいイメージではありませんから、安心してよろしくてよ」
にやにやと笑いながら、たっぷりと含みを込めて言う百合。
「小賢しいジャアァアァァァップ! こうなったらっ!」
アンジェリーナの下にある逆さイルカが、高速で震えだす。それに合わせて、イルカの上のアンジェリーナの上半身も縦に激しく揺れ動く。
「オーウ、イエスィエスイェス! カム! カムカム! カモンカモンカムオンカムオンカムォンカモオォォォン!」
激しく振動しながら、アンジェリーナは恍惚とした表情で喘ぎ、叫ぶ。
「あれは何してるの?」
幸子が問う。質問してから何となく気がついて、馬鹿なことを尋ねたと思う。
「えーっと……多分、単為生殖?」
頬をかきながら、答えづらそうに答える純子。見た目では、下の逆さイルカと上の上半身だけアンジェリーナとは、どういう風に繋がっているか、繋ぎ目が魔法少女の衣装に隠れているので、いまいちわからないが、そういうことなのだろうと純子は察した。
「まあまあ、人前ではしたないこと。おや……? お腹が膨れてきましたわよ。もう妊娠したのかしら」
百合の言うとおり、アンジェリーナの腹部が急速に膨れていく。
「ジャアアアアァァァップ! オゲプ!」
いつもの叫びの後に、いつもと違うおかしな叫び声をあげたかと思うと、アンジェリーナの下腹部から無数の何かが続けざまに飛び出てきた。
生まれてすぐに宙を舞って旋回しだすそれは、血にまみれた小さな五体のイルカであった。いずれも妙に目つきが悪い。
最初は小さかったイルカ達だが、飛びながらサイズが次第に膨らんでいる。成長している途中のようだ。やがてアンジェリーナの下にいるイルカよりも巨大になり、本来のイルカサイズにまで及ぶ。
「あれも一種の分裂ってことかなあ。ていうか、性交と受精と着床と出産と成長が一分程度で全部完了するって、凄い生物だねえ」
妙に目つきの悪い、血まみれのイルカ達を見上げ、純子は呑気な声で言った。
五匹のイルカが空中から純子の前後左右を取り囲むと、一斉に口から水圧ジェットを吐き出す。
重要箇所には当たらないように避けた純子だが、腕だけには水が直撃し、貫通する。
「んー、中々の威力」
腕に開いた穴を一瞥し、満足そうに微笑む純子。
イルカ達がさらに攻撃を仕掛けようとしたが、百合より放たれた怨霊群砲が次々とイルカを飲み込んでいき、イルカ達は床に落下していく。
「じャぁあアァアああぁアぁぁっップぅ!」
イルカ達が落とされた光景を見て、いつもと異なるイントネーションで叫ぶアンジェリーナ。
「け、けがらわしいイエローモンキーの分際でっ、私の見ている前で! 私の子を! イルカを殺すなんて! そんな野蛮なことをするなんて! 許されると思ってるのおおおぉっ! 中世ジャアアアァァップ!」
「ちょっと! 私以外の者が純子を傷つけるなど、許せませんわ!」
アンジェリーナが激昂する一方で、手傷を受けた純子を睨みつけ、百合が顔を歪めて激昂していた。
「いえ、それ以前に純子! どういうつもりですの!? 今のは避けることもできたはずでしょうに! こともあろうに私の前で、私以外の者に容易く傷つけさせて血を許すような真似をするなんて、何て意地の悪いあてつけかしら!」
「いやいやいや……ちょっと威力の程を体で試してみただけで……」
憤怒の形相になった百合に真剣に迫られ、純子はドン引きする。
「いいえ! 貴女の底意地の悪さは私が誰よりも理解していましてよ! 取り繕っても無駄ですわ!」
「はいはい、真面目にやるよー。ここに来るまでにも分裂し、また分裂して、かなり力は弱まっているだろうしねえ。分裂とか完全に悪手なのに」
「ルシフェリン・ダストのエージェントや、アンジェリーナ・ハリスを取り込んで力を得たことも、お忘れなく」
百合がそこまで喋った所で、アンジェリーナが純子と百合のいる場所に爆発を引き起こす。
(これはちょっと厄介な攻撃かなあ。威力は低いけど、いつ来るのかわからない)
爆風に吹き飛ばされながら、純子は思う。床に倒れる直前に、体を一回転させて、うまく着地して体勢をたてなおす。
純子めがけて逆さイルカの口から水圧ジェットが吐き出される。純子はそれを避けようとせず、手をかざす。
水は純子の手を貫通することなく、純子の掌に触れた瞬間凍結し、吐き出される水も全て凍らされ、まるで氷が逆流していくかのように吐き出されている水を凍りつかせていき、やがてイルカの口まで達した。
「ジャァァァァ~ップ!」
炎を巻きおこし、凍りついたイルカの頭部ごと焼くアンジェリーナ。そうしなければ、全身凍りついたかもしれないと判断したのだ。
己の身を焦がす炎は、凍結を防いだ後、すぐに消すつもりであったが、その炎の中から、純子の上半身が沸いて出た。
度肝を抜かれるアンジェリーナの胸へ、純子は手刀を突きいれ、心臓を抜き取り、そのまま重力に任せて床へと落下する
心臓を抜かれて脳に送られる血流が止まり、一瞬思考が停止したアンジェリーナであるが、すぐに新たな心臓が生成されて、血流が再開し、思考力が戻る。
だがその隙に、百合が術を完成させていた。
「オー……アンジェリーナ……やっと一緒になれたね……」
「ジャアアアァアッ!?」
すぐ間近に、毎日自分をいたぶっていた村山の顔があったので、アンジェリーナは悲鳴をあげた。
「もう放さないよ。ずっと一緒だよ。わかるかい? 今君と僕は一つになっている。君の中に僕がいることを」
「ふっ……ふふふっ、ふざけないでっ!」
底無しのおぞましさに身震いしながら、アンジェリーナは魔法を行使して、何とか村山を追い払おうとするが、村山は離れようとしない。
「人の想いや願いを取り込むという性質、逆に利用させていただきましたわ」
術をかけて、村山の霊をアンジェリーナに憑依させた百合が、小気味よさそうに笑う。
「その霊の想いはその身に取り込まれましたわね。こうなれば分離は困難。貴女を愛する男の霊と、死後に至るまで、共に過ごしなさいな」
「ガッデエェェェエェェム! ジャアァアアァァァァァァァァァッブ!」
百合の解説を聞いて、アンジェリーナは怒りと怖気に満ちた絶叫をあげ、あらんかぎりの力を振り絞り、村山の霊を追い出そうとした。
「へえ、百合ちゃん考えたねえ。これで力を余計に消費しまくって、彼女は弱体化するって寸法ね」
「そんな計算はありませんわ。さっき散々やられて頭にきてはいますが、その分、徹底的に苦しませてお返ししてあげないと、気がすみません。その方法ばかり、ずっと考えていましたが、丁度いい素材がありましたのでね。これも運命の導きでしょうか」
感心して称賛する純子であったが、百合は小さくかぶりを振り、得意満面で語る。
「ん? 何か様子が変だよー」
宙に浮かんだまま苦しむアンジェリーナを見上げ、純子が言った。
アンジェリーナの体の一部が大きく膨れあがっている。
見る見るうちに膨らんでいくそれは、やがて人間の上半身のフォルムを形作り、さらにどんどん膨らんで伸び上がると、アンジェリーナの体から離脱し、床へと落ちた。
床に落ちてうずくまるそれは、髪の毛、目鼻口、それに衣装といった詳細な部分が出来上がった。
「なるほど。分離したんだね」
うずくまったまま、憔悴しきった面持ちで自分を見上げる、アンジェリーナに乗っ取られる前の魔法少女を見返し、純子は何が起こったかを端的に言い当てた。
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