第二十二章 8
幸子の刀はその後に二度ほど獅子妻の体を斬りつけたが、厚く強靭な皮と筋肉のおかげで、さしたるダメージには至らない。
単純な技量では幸子の方が上回る。速度はほぼ互角。しかし破壊力と頑強さに関しては大きな差がある。
(昔のボクシング漫画で、大砲と竹やりの戦いとか、そんな表現見たことがあるけど、これがまさにそれね)
生きた心地がしない一方で、そんなことを漠然と思う幸子。
獅子妻の方はというと、冷静に彼我の性質の違いを見ていた。
(この女は確かに強い。速いし、動きも鋭い。瞬間的とはいえ、私の速度についてこられるというだけで脅威だ。しかし……視覚を封じられたとはいえ、この戦いは私に分がある。この女の刃は私には致命傷を与えるには困難だ。頭部を狙われない限りな)
故に、ガードは頭部に集中している獅子妻であった。実際幸子は、首から上を狙って攻撃してくることが多い。
幸子は隙を見て、獅子妻の首をはねるか、喉を貫くつもりでいた。胴体はいくら斬りつけても、刃がほとんど通らない。しかし首から上であれば筋肉の鎧は無い。首の筋肉も胴体に比べれば大して厚くない。もちろん骨が固いという可能性もあるが。
(これならどう?)
それまで刀で攻撃していた幸子が、懐から銃を抜き様に二発撃つ。
(銃もあったか)
至近距離ではあったが、獅子妻は銃弾を回避する。当たっても致命傷にはならないが、衝撃にひるんだところを斬られることを警戒し、一応避けておいた。
その避けた直後を狙い、幸子が一気に踏み込んで、全身で激しく回転して、右手に持った刀を大きく振り回す。
正に渾身の一撃といったところであったが、獅子妻は上体をかがめて、からくもその攻撃をかわすことができた。
勢い余って、自分に背中まで晒している幸子。
大きな隙ができたと見てとり、獅子妻はかがんだ格好から右腕を突き出して、幸子の背めがけて致命の一撃を放つ。
だが、獅子妻のその動きに至るまで、幸子の計算通りだった。
幸子の動きは――回転は止まらなかった。今振ったばかりの右手の刀の重さの遠心力と、亜空間から左手によって取り出されたもう一振りの刀の遠心力と射出の勢いの力によって、一回転する。
幸子が回転して獅子妻に向き直っていた時には、後半の回転と同時に振るわれた左手の刀によって、隙だらけだった獅子妻の顔面が深々と切り裂かれていた。
「があっ!?」
悲鳴をあげる獅子妻。口の先が鼻ごと切断されている。視覚を封じられていた所へ、頼みの鼻までやられてしまったことに戦慄する。
幸子の追撃を避けるために、大きく後方へと二回跳ぶ獅子妻。
(音だけに頼って戦えるか? できないことはないが、しかし……臭いに頼っている部分があまりにも大きかった)
犬や狼は鼻だけでなく、目と耳も優れている。獅子妻の聴覚も並外れた代物であったが、戦闘において全てを聴覚頼りにするのは、少々不安がある。また、音はいくらでも誤魔化せる。
幸子もそれをわかっている。故に、銃でもって獅子妻の顔面めがけて二発撃つ。狙いは耳だ。
「ぐあああっ!」
聴覚をも奪われ、獅子妻はさらに悲鳴をあげた。常に冷静な獅子妻であるが、三つの感覚を封じられて、流石に混乱せずにはいられなかった。
銃を抜く音も引き金を引く音も確かに聞こえた。だが、聞こえた時にはもう手遅れであった。せめて嗅覚があれば、避けることもできたかもしれないが、聴覚だけでは、銃口の向きや弾道までは計れなかった。
(この女は……私の想像以上に戦い馴れている。例え自分より肉体的に勝っている相手であろうと、それを打ち崩せる――経験からくる強さといったところか……。私に分があるなど、油断もいいところだ。むしろ私とは最悪の相性だった)
幸子の微かな殺気だけを肌で感じている。だがそれだけをあてにして避けるなど、とてもできる事ではない。それでなくても相手は達人だ。
最早相手の動きを完全に読み取れなくなり、遡上の鯉となったと意識し、獅子妻は恐怖に身を震わせた。今や抗う術は何も無い。
(せっかく九死に一生を得たというのに、こんなにも早く……終わってしまうのか?)
何も感じられない闇に閉ざされた気分で、悲嘆に暮れる獅子妻であったが――
幸子がとどめをささんと、亜空間から刀を抜こうとしたその時、幸子はその場から大きく跳躍し、獅子妻と距離を取った。
幸子がいた空間を、二発の銃弾が飛来し、壁を穿つ。
「うねうねーっ! そう! これが噂の、蛆虫ヘルプです!」
葉山が高らかに叫ぶ。獅子妻の危機を察知し、晃を確実に仕留められるであろう機会をふいにして、獅子妻の救援に入ったのである。
(助かった……)
葉山の攻撃の矛先から外されて、逃れられぬ死の予感と直面していた晃は、心底安堵していた。
十夜が身を起こす。片腕が使えない状態ではあるが、へこたれてはいられない。
(この狼男は取りあえず放置するしかない。三対一で、こいつをさっさと仕留める)
幸子の攻撃対象が、獅子妻から葉山へと移った。
さらに盲霊を放ち、葉山へとけしかける。
「おおおっ、何も見えない! 真っ暗です」
両目を覆う葉山。その隙を突いて幸子と晃がほぼ同じタイミングで銃を撃つ。
しかし葉山はまるで見えているかのように、体をひねっただけで、別角度からの同時攻撃をあっさりとかわしてみせた。
「でも問題有りません。だって蛆虫に目はありませんもの……。うねうねうね……。いや、あったかな? よくわからないけど、とにかく大丈夫」
「何わけのわからないこと言ってるの、この人……」
一瞬呆然とする幸子。
十夜が痛みをこらえて葉山へ向かっていくが、葉山は十夜の右足の膝と太ももをそれぞれ撃ち、十夜を転倒させる。
晃がさらに銃を撃つ。葉山は体をくねくねと揺らしてかわす。
銃ではいまいちと見た幸子が、左右にステップを踏みながら、葉山へと接近していく。
「無駄です」
狙いをつけさせないためにする動きであったが、まるで幸子の動きを完全に見透かしていたかのように、葉山の銃口の照準がぴたりと幸子の動きに合わせられた。
幸子はそれを見て戦慄した。恐怖のあまり、一瞬動きが鈍ったが、自分の動きが鈍ろうと鈍るまいと、結果は同じだったであろうと、幸子は思う。
引き金が引かれた直後、防弾繊維を二枚とも突き抜けて、腹部の中心から腰にかけて銃弾が貫通した。
愕然とした面持ちで、幸子が前のめりに倒れる。確かな死の訪れを意識する。
(ここまでなの……? 私……。もっと……シスターのお役に立ちたかった……)
薄れゆく意識の中、幸子は死を覚悟し、涙しながら思う。
「おや? 目が見えます」
目をぱちくりとさせる葉山。
「私もだ。そいつが意識を失ったことで、解放されたみたいだな」
切断された口先を押さえ、獅子妻が言う。切断面は拾い上げて手で抑えて接合を試みているが、再生能力がいまひとつな獅子妻では、すぐに回復とはいかない。かなり時間がかかるであうろし、当分鼻は使えない。
起き上がった十夜がなおも果敢に葉山に向かっていくが、その前に獅子妻が立ち塞がる。
共に片手しか使えない状態で、自由の利く方の片手で、ほぼ同じタイミングで拳を繰り出しあう十夜と獅子妻。
リーチの差で獅子妻が勝り、顔面に強烈な一撃を食らった十夜が大きく吹き飛ばされる。
晃は……十夜が吹き飛ばされたのを目の当たりにし、立ちすくんでしまっていた。次は自分の番だと思い、硬直していた。
(これは……不味い)
一方で凜は、丁度白金太郎の首を鎌ではねた所であったが、幸子が戦闘不能となり、十夜もダメージが大きい状況を目の当たりし、このまま戦闘を続けるのは危険だと判断した。
(こちらが負けないにしても、犠牲が出かねない。特に十夜が危険ね。あの女は別にどうでもいいけど、まあ、ついでで助けてあげる)
撤退を判断し、凜は呪文を唱え始める。
「手を伸ばしても届かない、空に描いた絵。惑わすために? 欺くために? はたまた想い焦がれるために?」
術が完成した瞬間、葉山と獅子妻の前に電撃の壁が出現した。
「何だっ?」
「おおっと、これは大変だ。蛆虫はわりと電気に弱いんですよ」
獅子妻と葉山がそれぞれ声をあげる。
「あの人達、消えちゃいましたね」
葉山が言った。凜も晃も十夜も幸子も、姿が消えている。
「いや、いる……」
多少聴力が回復した獅子妻は、足音はおろか呼吸音までとらえていた。
葉山と獅子妻が戸惑っているうちに、凜が幸子を抱え上げ、晃は十夜を抱え上げ、凜が開いた亜空間トンネルの入り口へと飛び込む。
凜が行使した術は、幻影を作り出す魔術であった。すぐに見破られることはわかっているが、流石にほんの数秒くらいは戸惑わせて、足止めさせることができるだろうと踏んで、電撃の壁の幻影を作り、自分達の姿を消した。
獅子妻が幻影を見破って、音を頼りにダッシュをかけ、腕を振るうが空を切る。すでに四人は、亜空間トンネルの中へと避難を完了させていた。
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