第二十二章 9

「完全に逃げられたようだ。音は消えた」


 切り落とされた鼻と口をくっつけるかのように傷口に押しつけたまま、獅子妻はくぐもった声で告げる。


「白金太郎がやられてしまったか」


 首をはねられて転がる白金太郎の亡骸を見下ろし、片膝をつく獅子妻。顔面に受けた怪我がひどくて、立っているのが辛くなった。


「すいません、ちょっとくっつけてくれませんか? 獅子妻さんのもくっつけますから」


 転がった白金太郎の生首が喋る。


「デジャヴがある」


 白金太郎の頭部を胴体へと押し付ける葉山を見て、獅子妻が呟く。


「もっと強く押しこんでください。それで粘土をこねて合わせるような感じで、周りをぎゅっぎゅっと、あ~、いいですね~、そんな感じです」


 葉山にあれこれ要求した後、白金太郎が立ち上がり、軽く首を回す。


「何と中まで元通り、と。血が出てちょっとくらくらするけど」


 言いつつ白金太郎は獅子妻の元へと歩みよる。


「自分のもあまり上手くないし、他人の体を粘土化して繋げるのはもっと大変だけど、ちょっと試してみます」


 白金太郎が獅子妻の顔に手を伸ばし、切り離された口の方に触れて、二つ切った粘土を押し付け、混ぜ合わせて一つにするような動きで、獅子妻の口をこねくり回す。


「繋がりました。ただし、完全に繋がったのは外側だけで、中の方はちょっと不安定な気がするので、しばらくは安静にした方がいいですよー」

「あ、ありがとう」


 まだひりひりと痛みが残るが、鼻も効くようになったし、喋るのにも支障は無くなっていた。


「それにしても葉山さんが戦う所を始めて見ましたが、凄いですねー。三対一でも全く引けを取らないとか。しかも相手だってかなりの使い手なのに」

「いえいえ、僕なんてただの蛆虫ですよ」


 白金太郎が称賛し、葉山が葉山らしく謙遜する。


「しかも霊の憑依で視界を遮られた状態で、あっさり撃退するとはな。礼がまだだったな。ありがとう」


 頭を下げる獅子妻。このように深く感謝を示したことなど、随分と久しぶりな気がする。


「ふふふ、仲間ですしね。蛆虫のような僕でも、仲間を助けるくらいはできるんです。一寸の蛆虫にも互助の魂とはよくいったものです。あるいは、一種のマゴットセラピーとでも言いましょうか」

「マゴットセラピー?」


 葉山の口から発せられた聞き覚えのない言葉を訝る白金太郎。


「傷口の壊死組織を蛆虫に食べてもらうという、伝統的治療法です。蛆虫は肉体の健康な部分には害を与えませんし、蛆虫が抗菌物質まで出してくれて、殺菌もしてくれるんですよ。現在でも実践している病院はあるという話です」


 葉山が得意げに語る。


「ほ、本当に? 作り話ではなく? でも今の話と何の関係が?」

「う……今の話と関係無いと……? そんな……蛆虫に救われる命もあるという、蛆虫の有効性という共通点では、一緒だと思ったのに……」

「いやいやいや、そんな話の繋げ方、わかるわけないでしょー」


 葉山と白金太郎のやりとりを見て、心なしか狼の口元が綻ぶ獅子妻。


「仲間か……」


 失ってしまったが、獅子妻にとって踊れバクテリアも、仲間と言える存在だった。短い間ではあったが、心地好い時間であったと、振り返ってみて思う。


(子供の頃は、誰と一緒にいても誰にも心開けなかったし、友情だの仲間意識だのが理解できなかった。だが今は何となくわかる気がする。踊れバクテリアの連中と一緒にいた時も、悪い気分ではなかったし、失ったことで、ぽっかりと心が抜けてしまったような感覚がある……)


 瞑目しながら、獅子妻は温かい気持ちと喪失感とを同時に味わう。


(どんな人間も居場所を欲するものか。私のような淡白な男でも。いや、今までが淡白であっただけで、これからは……違うのか?)


 踊れバクテリア結成の時から、自分に足りなかった何かがはめこまれたような、そんな気持ちになっていた獅子妻であった。


***


 気がつくと幸子は、亜空間トンネルの中で無造作に寝かされていた。

 死んだと思ったにも関わらず、生きている。服には穴が開いているが、腹には傷が無い。しかし体がひどいだるくて力が入らない。頭もひどくぼーっとしている。体力が相当低下しているのがわかる。


 側には十夜も寝かされていた。静かな寝息を立てている。そしてさらにその隣には、腰を下ろして見えない壁にもたれかかっている、凜と晃の姿があった。


 大体の状況は察したが、しかし疑問が沸く。


「助けてくれてありがとう。でもどうして私、生きてるの?」

「企業秘密よ。正直貴女はぎりぎりの所だった。助からないかと思った」


 礼を述べる幸子に、凜がどうでもよさそうに告げる。


「よく逃げられたものね」

「逃走方法も企業秘密。そして十夜と貴女は、しばらくここで休んでて。あんな連中がこの施設の中にいて、堂々と私達を敵視している状況だから、部屋の中ではおちおち休憩もできないしね」

「わかったわ」


 凜の言葉に幸子は寝たまま頷いた。


「晃、どうしたの? 今後の方針を決めましょう」


 心ここにあらずといった風で虚空を見上げていた晃に、凜が声をかける。どうして晃の様子がおかしいのかも、凜には何となく察しがついている。


「さっき……わずかな間だけど、びびっちゃってさ。十夜の心配するわけでもなく、十夜がやられて怒るでもなく、自分が死ぬことへの恐怖が優先されちゃってたんだ。それで……動けなくなってた。すぐに気を取り直したけどさ。一瞬だけどさ。それでも確かに、びびって固まってた。僕、覚悟が足りなかったのかな……」


 珍しく消沈気味になって、己の醜態を口にする晃。


 凜は小さく微笑んで晃の方へと寄ると、拳を握り、少し強めに晃の頭の上へと振り下ろす。


「痛いよ、凜さん」

「痛くしたのよ。気合い入れるために。でも貴方にもそういう気持ちがあるってわかって、私は逆に安心した」


 頭を押さえる晃に、微笑んだまま凜は言った。


「私も恐怖で動けなくなった時があったしね。相沢との戦いだったけど。それまでは私も調子こいてた部分があって、その調子こいていたが故の無様な敗北だったし、本来なら死んでた所だったのよ。でも幸運にも私は命を繋ぎとめたし、貴方も特に何を失ったわけでもない。私達はついている」

「反省して次に活かせってことか」


 凜に諭され、晃は照れくさそうに笑った。


「さて、それじゃあボスの判断を聞かせて欲しいところね。これからどうするつもり?」

「十夜と幸子さんには、回復するまで亜空間で休んでもらおう。僕と凜さんでしばらく行動。エントランスに研究所の人達が集っているらしいし、そこに僕らも行って、状況を話そう。バトルクリーチャーの研究室で人が死にまくってたことや、所長を殺した奴は退治したことや、黒幕っぽい奴等がいるってことを。これで……いいよね?」

「最後のお伺いがいらないのよねえ。部外者も見ている前だってのに、みっともない」

「あ……」


 凜に指摘され、晃は寝転がっている幸子の方を一瞥する。


「師弟関係か。いいものね」


 晃に向かって小さく微笑み、幸子はかつてシスターに、いろいろと教授してもらったことを思い出す。


「師弟というよりは、問題児な弟二人を面倒見る姉って感じなんだけどね」


 そう言って凜は肩をすくめてみせた。


***


「お邪魔しまんこー」


 純子が扉を開いて研究所の中に入ると、エントランスには何十人もの白衣姿のマッドサイエンティストが、床に腰を下ろしていた。それらが一斉に、純子達の方へと注目する。


「んー? 何でこんな所に大勢集ってるんだろ」

「雪岡嬢だっ」

「三狂の一人、雪岡純子さんだっ!」

「おおお、このタイミングで伝説のマッドサイエンティストがこの場に現れるとは!」

「キャー、純子ちゃーん、一枚写真撮らせてーっ」


 歓喜の表情で純子に殺到する研究員達。


「おーい、雪岡君」


 そんな中、知り合いのマッドサイエンティストが手を上げて声をかけてくる。郡山だ。隣には部下の村山もいる。


「ジャッ!? ジャッ……ジャジャジャジャジャジャジャアァァアアァアァァアアアアアアァァァァッッッッッブ!」


 純子の姿を見るなり、村山の隣にいたアンジェリーナが激昂し、怒号と共に両手をぐるぐる振り回しながら、純子に襲いかからんとする。


「こら、アンジェリーナ、やめろ」

「ジャプゥ!?」


 村山がアンジェリーナの背ビレの上に巻きつけておいた紐を引っ張り、アンジェリーナは仰向けにすっ転んで後頭部を床に打ち付ける。


「ジャアアァアァップ! ジャアアアアァァップ!」

「何なんですか、これ……?」


 転んだ姿勢のまま、人間の手足をばたつかせて、怒りに満ちた声をあげるイルカ怪人を見下ろし、呆気に取られる累。


 ギャラリーを押しのけて純子の側まで来た郡山は、現在の状況を全て説明した。結界の話も、凜達がバトルクリーチャーを作っている所へ行った事も、WH4の話も。


「まだエントランスに来てない技術者もいましてね。心配です」


 郡山がそう告げた所で、八鬼が純子達の側へとやってくる。


「ルシフェリン・ダストの萩野八鬼だ。雪岡純子、ここは空間が隔絶されているという話だが、どうやって入ってきた?」

「普通に外から入ったよー。外から入るのは楽にできるみたい。ただし、内側からは出られないタイプだねえ」

「なるほど。杜風幸子と同じことを言っている。で、何の目的で来た?」


 胡散臭そうに純子を見上げる八鬼。


「ほころびレジスタンスは、僕の弟分みたいなもんだからな。それがピンチと知り、助けにきただけだ」


 純子に代わって真が答える。


「どうやってピンチと知った?」

「そもそもお前誰だ? 初対面の誰だかわからん奴に、何で質問されて答えなくちゃならないんだ」


 いつも以上に淡々とした口ぶりとにべもない態度で、八鬼に対して応じる真。


「ルシフェリン・ダストの者だと言ったが?」

「知らん。マイナーな組織を誰もが知っているかのように口にされても、困る」

「ちょっとちょっと真君、何でそんな喧嘩腰なの?」


 真がいつになく好戦的なのを見て、純子が不思議そうに尋ねる。


「ルシフェリン・ダストが嫌いなだけだよ。偽善パワー全開の胡散臭い寄せ集め共が、裏通りを抑制するとか粋がってる連中だぞ」

「知ってるじゃねーか」


 純子に答える真の言葉を聞いて、八鬼が突っこむ。


「ま、いろいろ目的はあるけど、ここの問題解決もそれに含まれるから、安心していいよー。あ、それと他にも援軍がいるからねー」

「おおおおっ! 雪岡純子氏が事態の収束に来てくれるとは!」

「雪岡嬢なら何とかしてくれるに違いないっ」

「ちょーこころづよーい。ねね、写真、写真一枚だけっ」

「私達はもしかしたら今、マンドサイエテンィスト界の歴史が動く瞬間に立ち会っているかもしれませんぞぉ」


 純子の言葉を聞き、刹那生物研究所の所員達は、興奮と安堵と喜悦の声で沸きたつ。


「援軍、ね。最初から何者かと戦う気満々。そしてその何者かの正体も知ってるときた。ここの連中はただの巻き込まれ損だってのに、よくもまあ喜んでいられるもんだ。科学者ってバカなんだな」


 八鬼がその様子を見て呆れきって呟いていたが、純子、真、累の三名以外の耳には届いていなかった。

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