第二十二章 2

 村山村男は刹那生物研究所に勤務して一年半になり、新薬、化粧品、食品添加物などの動物実験を取り扱う仕事に従事している。

 稀に人間で実験をすることもあったが、村山は躊躇い無いどころか、嬉々として臨んだ。彼はまだ若いが、根っからのマッドサイエンティストだった。


 そんな村山の研究部署に、ある日、驚愕の贈り物が届けられた。

 人間大の大きさのイルカ。その胴体からは人間の手足が生え、二足歩行をする珍妙な生き物。まるでよく出来たイルカの着ぐるみに人が入っているかのようだが、断じて中の人などいない。イルカの体に人の手足が映えているだけだ。

 それは実によく出来た被験体マルタであった。まさに実験されるために生み出された生き物だとさえ、村山は感じた。強力な再生能力を有するため、薬物によって様々な症状が出ても、翌日には全て治ってしまう。何度でも実験に使える。そのうえ性格は凶暴で性悪であるがために、何の気兼ねも無くいたぶることができる。


 上役の話によると、これを送ってきたマッドサイエンティスト雪岡純子は、動物実験に反対という立場らしい。そのため、この元人間であり極悪人でもあるイルカマルタを使えば、動物実験による犠牲も極力抑える事が出来ると踏み、このような何度でも使える便利なマルタを製造したという。


「ほーれほれほれ、アンジェリーナ。今日は君の大好きな農薬の服用だよ~」


 猫撫で声をあげながら、村山はフラスコを片手にイルカへと近づいていく。


「ジャアップ! ジャジャジャアアァップ!」


 アンジェリーナと呼ばれたイルカは、拒絶の怒声をあげる。一応元人間であるが、日本語はほとんど通じない。また、日本人専門に差別していたレイシストだったせいか、今はジャップとしか声をあげられなくなっている。


「はいはい、駄々こねないで」


 笑顔でアンジェリーナの胴体を力いっぱい蹴り上げ、転ばせる村山。その後倒れたアンジェリーナの体の上に馬乗りになり、専用開口具を取り付けて、口を開きっぱなしにした後で、フラスコの中の液体を無理矢理口の中へと注ぎ込む。


「ジャジャジャジャジャアァアァァァァップ! ジャップジャップジャアアァップ!」


 開口具を外された後、アンジェリーナは七転八倒して苦しみもがき続けた。


「ははは、相変わらず可愛い奴だ」


 その様を見て村山は爽やかに笑い、コーヒーをすする。


「ジャアアアアァップ! ジャッジャジャッジャアァァッアァァップ!」

「はいはい、ジャップですよ」


 おどけた声と共に、研究室の扉が開き、村山の上役である郡山幸流(こおりやまこおる)主任が現れる。


「村山君、大変なことになったぞ。外に出られず、通信も途絶えた」

「はい?」


 郡山の言葉に、上ずった声をあげる村山。


「今、ヨブの報酬の視察が来ているのは知っているだろう? 彼女が妖術師のようでな。巨大な結界が張られて、この刹那生物研究所は、外界と完全に遮断されたと主張している」

「自分を妖術師などと称する胡散臭い奴の言うこと、真に受けるんですか?」

「しかし実際外には出られないし、電波も通じんのだ」


 胡散臭そうな顔になる村山に、郡山も渋面になった事実だけを伝えた。


「ジャ、ジャ、ジャ、ジャアアァアアァァップ!」

「うるさい、アンジェリーナ」


 アンジェリーナの頭を殴りつける村山。

 村山がこのイルカの名前をこう呼ぶようになったのは、彼女に紙を与えて、人間だった時の名前を書かせたからだ。彼女がこの体になる前の記憶も、全て持っている事もわかった。


「その視察の女性が話をするというので、皆集まっている。君も来たまえ。所内の者がほぼ全員、エントランスに集っている。バトクルリーチャー部と魔法少女製造研究部の連中だけは、揃って姿を見せていないが」

「多忙なバトルクリーチャー部はともかく、魔法少女製造研究部なんて、うちらの中でも特に頭の沸いている、暇持て余した窓際部署じゃないですか。それが揃って姿を見せないのは何故でしょう」


 魔法少女製造研究部は、刹那生物研究所の中でも特に異端である。魔法少女の製造という突拍子もない目的はもちろんのこと、プランを立てるだけで具体的な製造は一切進まないため、所内からも嘲笑の対象とされている日陰者達であった。しかし人数的に多いことと、スポンサーも多くついているために、潰すことも無視することもできない。

 戦闘用巨大ロボットや魔法少女の製造を夢見る、マッドサイエンティストや好事家の支援者は多い。故にこの刹那生物研究所でも、その部署が存在することを許されている。


***


 エントランスには刹那生物研究所に勤める技術者達が、集められていた。ほころびレジスタンスの三名もいる。これより刹那生物研究所が現在置かれた不可思議な現象に関して、説明がなされる所だ。


「電気、ガス、水道、全て遮断されています。今ついている電気は、停電時の備えである、所内の自家発電でまかなっています。また、水の蓄えも十分にあるので御心配なく」


 ここのお偉いさんと思われる白衣の初老の男が、状況の説明を行う。


「そして肝心の――オホンっ、この現象が如何なる事態かについては、ヨブの報酬から査察に来ていた、杜風幸子さんに解説を願います。杜風さん、どうぞ」

「あんな奴が来てるとか、聞いてないんだけど……」


 幸子の姿を見て、凜が呟く。面識こそ無いがその名は知っている。ヨブの報酬の凄腕エージェントとして、裏通りでは有名な存在だ。裏通りに関わらず、大きな事件には彼女が関わっている事が多い。


「結論から言いますと、この建物は全て、結界によって外界と隔絶されてしまっています」


 いきなり非現実的な、超常の領域の会話で入る幸子。


「結界には二種類あり、一つは外部からの侵入を防ぐもの。もう一つは内部に閉じ込めるものです。どちらかの目的によって張られるもので、この二つが両立という事は滅多に有りません。どちらかの力の作用にしぼることで、結界をより強固にします。つまり、侵入を防ぐ結界は内部からの力に脆く、閉鎖する結界は外部からの干渉が比較的脆いようにできています。今現在張られている結界は、内部に閉じ込めるタイプです。よって、異変に気がついた者が外からの解除を試みれば、結界が解ける可能性は高いでしょう。しかし、これだけ巨大な結界を張る力の有る者ですから、その解除も容易ではありませんが」

「今張られている結界とやらは閉じ込めるタイプですよね? 我々が中から打つ手立ては何か無いのですか?」


 研究員の一人が挙手して問う。


「今から話すところでした。結界を内部から解く方法も有ります。結界を築くには、必ず三つ以上の物質を支柱として必要とします。その支柱を最低二個にするまで破壊すれば、結界は解けます」

「ようするに結界とは、点が面の形で結ばれ、多面体の呈を成している限り維持するということですな」

「なるほど、魔術や妖術の類も、物理法則によって縛られた、解明されていないだけの科学の一つに過ぎないということか」


 飲み込みの早い技術者達何名かが、理解していた。


「しかし支柱が物質ということは、建物そのものに結界を張られたとなると、見つけ出すのも大変ではないですか?」


 郡山が問う。知識も無いのにそこまで見抜いたことに、幸子は感心しつつ頷く。


「その通りです。そのため、支柱を発見して破壊するというのは、極めて困難と言わざるをえません」


 幸子の言葉に、エントランスが一斉にざわついた。議論を始めるものまで現れる始末だ。


「皆さん静粛にっ! 静粛にっ!」


 お偉いさんと思われる初老の男が必死に声をはりあげること二分ほどで、ようやく場が静まる。


「そもそも誰が何の目的でそんなことをしたのです? 心当たりのある方は?」

 郡山が問う。


「ヨブの報酬とルシフェリン・ダストが同時に視察にきたということも、何か関係しているのでは?」

 技術者の一人が言った。


「それはありそうだ」

「タイミング的にはそっち関係が怪しいですよね。どうしても疑ってしまう」

「しかし杜風さんはこうして皆の前に出て説明してくれていますし、彼女が私達を貶めるつもりであれば、皆の前に出てこないでしょう」

「そう思わせて……という可能性も」

「いやいや、それなら何で一緒に閉じ込められているんですか」


 再びざわつくエントランス。幸子はすぐに話を切り出すことなく、また落ち着くのを待つ。


「皆さんの疑念はもっともです。しかし私がここまでの大きな結界を張るとしたら、数日がかりになります。私は今日来たばかりですし。それに、御指摘にもありました通り、私が皆さんに敵意を抱く者であり、犯人だとしたら、一緒に閉じ込められるような真似もしません。外にいます」


 論理的に弁解したつもりの幸子であったが――


「口では何とでも言える。我々には妖術の知識なんて無いから、いくらでも誤魔化せる」


 なお懐疑的な技術者が、吐き捨てるように言う。


「知識が無かろうと、道理で判断できるだろう。どう考えても杜風さんは当事者ではあるまい」


 別の技術者が意義を唱え、そこからまた一斉に騒がしくなり、幸子は溜息をついた。


「こいつら揃ってお馬鹿さんなのか?」


 ざわつきが収まったところで、よく通る甲高い声が頭上から響き、全員が上を見た。


「何だ?」

「あんな所に……」


 またまたまたまたざわつくエントランス。見上げると、天井に人が立って、技術者達を見下ろしている。そう、文字通り天井に立っていたのだ。髪の毛は地面に向かって垂れているが、全身をすっぽりと包んだマントは、まるで重力が逆転したかのように、裾の部分が天井に向かっており、垂れてこない。


「あの人は?」


 十夜が、隣にいる依頼者のコミケスキー・小宮に問う。黒マント男は、どう見ても、ここの研究員ではない。


「彼はルシフェリン・ダストの視察で来た者です。名前は萩野八鬼」

 小宮が答えた。


「いや、理解している奴も多少はいるか。誰の仕業で、目的が何かわからんが、二つわかっていることがある。一つは、この事態をもたらした者はかなりの力の持ち主であること。もう一つは、途轍もない悪意を持っている事。わざわざ建物ごと閉じ込めるなんて真似するからには、中にいる人間全員消し去る気なんじゃねーのか?」


 どうでもよさそうな口調で言う八鬼に、どよめくエントランス。


「それは確かに言えてるなー」

 晃が八鬼に同意する。


「そこの子達は? 彼等も視察か? それともただのお客さんか?」

 郡山が尋ねた。


「彼等は私が雇いました。緊急事態ですし、目的も言っておきます。我々の中に、ルシフェリン・ダストやヨブの報酬の協力者がいて、情報を流している者がいると疑い、調査を依頼しました」

「ちょっと……何を勝手にバラしてるの」


 小宮の言葉に、凜が顔色を変える。


「いや、こんな意味不明な事態になったからには、素性を明かした方が得策ですよ」

 悪びれずに言う小宮。


「ふざけんなよー。むしろ逆効果だぜぃ。余計ややこしくなるじゃないか」

 晃も険悪な面持ちで小宮を睨む。


「ほころびレジスタンスの三人か。そのうち二人が雪岡純子のマウスという始末屋組織。俺にとっては敵みたいなもんだが、お前らにとっては信用していい奴等なんじゃないか?」


 八鬼が凜達の方を見下ろし、不敵な笑みをたたえる。幸子は八鬼の笑顔を、ここで初めて見た。


「ほほう、雪岡嬢の……?」

 郡山が興味深そうに、晃達へと視線を向ける。


「ちょ、ちょっと検査してきませんか? ちょっとだけ、ちょっとだけ見るだけだから? ね? ちょっとだけ」


 いかにも危なそうな歪な笑みを浮かべた研究員が、凜達の前に来て声をかけてくるが、三人共、嫌そうな顔で無視した。

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