第二十二章 1

 刹那生物研究所は、四階建てで横長な、かなり大きな建物の施設である。

 数多くのマッドサイエンティストが囲われ、違法な研究を行っている研究施設で、キナ臭い噂は絶えない。スポンサーには、表通りの大企業や裏通りの組織も複数絡んでいる。政府も取引相手なので、警察も中枢も放置していた。


「ここは治外法権で、何をやっても許される空間って事かー」


 始末屋組織『ほころびレジスタンス』のボスである雲塚晃が、くせのある頭髪をいじりながら、皮肉げに言う。


「それを言ったら雪岡研究所も同じだろ」


 周囲を見渡し、柴谷十夜が言った。今彼等がいるのは、研究所のエントランスだ。かなり広い空間である。奥に続く廊下も、結構な幅が有る。


(幅が広いのは、実験台となる生き物の持ち運びのためかな)


 十夜はそう勘繰る。ここではバトルクリーチャーの製造も行われているという話である。


「そういやこないだ純子がテレビに出てたのは笑えたよなー」

「『グリムペニス』にハメられたみたいだけど、私は頭にきたわ。あんなやり方で裏の住人を表に引っ張り出すとか」


 話題を振る晃に、組織の御目付け役的存在である岸部凜が、今日も蛇の絡まった十字架のペンダントを弄びつつ、不愉快そうな顔で言う。凜からすれば純子はお気に入りの人物であるから、それを貶められたような気がして、当時は腹が立って仕方が無かった。


「お待たせして申し訳ない」


 三人がエントランスのソファーでくつろいでいた所に、白衣姿の背の高い研究員がやってきて、声をかけた。薄目で、面長と言うにも縦に長すぎる顔をした男だ。そのくせ鼻は低く潰れている。お世辞にも美男子とは言えない。何故か白衣の下には薄いピンクのカーディガンなど着ている。


 この男の名はコミケスキー・小山。ほころびレジスタンスをこの刹那研究所へと招いた依頼者である。

 依頼内容は、研究所内に裏切り者がいて、外に知られたくない情報を流そうとしている者がいるかもしれないので、その調査というものだ。


 現在、刹那研究所には、『ヨブの報酬』と『ルシフェリン・ダスト』の二つの組織の調査員が、同時に訪れている。この研究所で、人体実験のような、非人道的な実験がされていないかどうかのチェックをしに来たのだ。

 噂が本当であれば、人体実験もバリバリやっているであろうが、流石に二つの組織が、政府のお墨付きも得て、正面から堂々と調査に踏み入っている時には、控えるだろうと思われる。


『ルシフェリン・ダスト』は、最近台頭してきたアンチ裏通り組織である。表通りの様々な個人や組織が加担した寄せ集めの組織であり、新興勢力でありながら非常に規模が大きく、巨大化しすぎた裏通りの抑制を目的として掲げており、中枢も注視する一方で、その存在を容認せざるえない状況であるという。

 幾つかの過激な組織や個人は、すでにこの組織によって潰されたという噂もあるが、はっきりと目立った戦闘行動が行われた話は無い。現時点ではせいぜい調査活動程度である。


「依頼内容は前もって伝えたとおりです。一応、ルシフェリン・ダストの方とも顔合わせをした方がよろしいですか?」

「顔合わせする意味なんかないだろー。むしろこっそり気付かれない方がいいくらいだ」


 とんちんかんなことを口にする小山に、晃が呆れた口調で言う。


(何なの、この人……)


 一方で凜は、小山を見て一目でおかしいと感じていた。凜は誰を見ても、その人物に何かしらのヴィジョンが見えるのだが、小山からは何も見えないのだ。


(この人、生きてるの? いや、心が無いんじゃないの?)


 感情の全く無い人間がもしいるとしたら、それは何もヴィジョンが見えないのではないかと、凜は以前考えたことがある。しかし実際にそんな人間と出会ったのは初めてである。


「入れない場所が多いので、彼等の調査は難しいとも思います。貴方方への調査活動に関しましては、一応、私の方でできる限りの許可は出しておくつもりですが、外部の目に触れられない内容の研究も多くて――」

「ここにいる他の人達には、私達がどういう立場でいると言えばいいの?」


 小山の話途中に、凜が口を挟んだ。


「私の紹介で、新たな取引相手候補という事にしておけばよいですよ。もし誰かに尋ねられたとしても、詳しく述べる必要はありません。それで十分です。そういうお客さん、ここには多いですから」


 細い目を笑みの形にして、口元にもうっすらと笑みを浮かべて喋る小山であったが、凜はもちろんのこと、晃と十夜の目から見ても、小山への印象はあまりよくなかった。何か得体の知れない薄気味悪さを感じていた。


***


 刹那生物研究所へ訪れた杜風幸子は、泊り込みで研究所の調査を行っていた。


 実の所、この研究所の調査は名目に過ぎない。本当の目的は、ルシフェリン・ダストとの接触だ。

 世間ではルシフェリン・ダストがヨブの報酬の下部組織であるという噂もあるが、全く別組織だ。ただし利害の一致する部分はある。ヨブの報酬も、裏通りの組織や個人と事を構えることが多く、裏通りそのものとは良好な関係とは言いがたい。

 裏通りの勢力を削れるのであれば、それはヨブの報酬にとっても理想的であり、裏通りの抑制を掲げるルシフェリン・ダストと良好な関係を結べるのであれば、それも悪くないというスタンスである。


「萩野八鬼(はぎのはっき)だ」


 幸子が接触したルシフェリン・ダストのエージェントは、幸子を見上げて無愛想に自己紹介した。歳は二十歳前後だと思われる。容姿はまあまあ整っているが、身長は140cmも無さそうな小男だった。首から下がすっぽりと隠れる黒いマントなどを身にまとっているので、小さくても遠くからでもその姿は目立つ。


(マントの下に、大型の武器でも隠しているのかしら)


 真っ先にそう疑う幸子だが、ただの趣味という可能性もある。


「ヨブの報酬って、うちらに協賛してくれるのか? そうだと心強いが」


 ストレートに質問してくる八鬼。愛想も無いし、社交辞令が得意なタイプでは無いようだと、幸子は判断する。しかしこういった表裏の無い人間の方が、心を許せる。


「そちらの組織が海のものとも山のものともわからないので、様子見という所よ」

「それはルシフェリン・ダストに加わった連中も皆そう思ってるよ。何せ短期間で発足された、大規模な寄せ集め集団だからな。背後にはいろんな連中の思惑が渦巻いているって話だし」


 隠す事無く組織の内情を明かす八鬼に、幸子は少々呆れた。いくらあけすけな性格とはいえ、これは喋りすぎなのではないかと。嘘を口にしているようにも思えない。組織自体への忠誠や帰属心も薄そうである。


「貴方は裏通りが憎くて賛同したの?」

「そうだな。でも裏通り全部を認めないってわけでもない。この辺も組織内で考えが分かれている。ただまあ、国家までもが加担して、犯罪者達を国力のために利用し、管理しているってのは、凄く気に入らないな。たとえそれが必要だとしても。それによって無辜の市民が泣かされっぱなしというのはおかしいし、凶悪犯罪は凶悪犯罪としてちゃんと取り扱って欲しい所だ。俺が求めるのはそれくらいだ」


 幸子に問われ、八鬼は思っている事をぺらぺらと喋る。


(単純な性格というわけでも無さそうね。裏通りのこともよく知っているようだし)


 八鬼のことを少し見直す幸子。


「あんたは何でここに来たんだ? 俺らはここの研究員から匿名の要請があったんだが。非道な実験に良心が耐えられないとか何とかで、それを暴いてほしいとさ」

「ちょっと……声が大きい」


 八鬼の問いに、幸子は声をひそめて口元に人差し指を立てる。二人は廊下で立ち話をしている。幸い周囲には誰もいなかったが、この場で遠慮無く口にするには憚られる話題だ。


「ヨブの報酬も同じよ。バトルクリーチャーの製作に、知能を高めるために、生きた人間を用いているっていう話があってね。正確には混ぜているって所かしら。その告発のために、証拠を――」


 喋っている間に、異様な気配を感じて、幸子は会話を中断する。


(これって、儀式による大きな術が行使されたの? 結界が張られた? この建物全体に……)


 自らも術を使って調べてみないと詳細はわからないが、それでも、自らも結界術の使い手である幸子には、直感としてわかる。外界と隔絶するための結界が張られたことは間違いない。


***


 刹那生物研究所の食堂にて、昼食をとるほころびレジスタンスの三人。その中で異変に気が付いたのは、凜だけであった。


(気付いたか?)


 正確にはもう一名、気がついた者がいる。凜の脳内にいる妖術師、町田博次だ。


(ええ。この違和感……広範囲に亘って空間が閉ざされた?)


 声をかけてきた町田に答える凜。


(おそらく高位妖術師によって結界を張られたのだ)


 町田が言った。空間操作系の術の使い手であるが故、二人はその気配を察知することができた。


「凜さん、どうしたの?」


 凜の様子がおかしいことに気がつき、十夜が声をかけた次の瞬間――


 突然食堂が闇に包まれた。

 電灯が落ちたのだ。食堂は広いスペースであるが、窓も無かったので、電灯の明かりが無ければ何も見えない。


「停電?」


 食堂にいる研究員の誰かが声をあげた直後、すぐに明かりがついた。


 一時的な停電に過ぎず、それも回復して平常に戻ったかと思いきや、そうではなかった。


「あれ? 電話が通じないぞ。電波が届かない場所って……」

「ネット切れた」

「こっちもだ」


 食堂にいる研究員達が一斉にざわつきはじめる。


「本当だ、ネット繋がらない」


 十夜も試しにネットを開いてみようとしたが、電波が通らない地域にいるという反応が出る。


「どうもこの辺一帯に結界が張られたみたいよ」


 真顔で告げる凜の言葉に、晃と十夜は顔を見合わせた。


(亜空間の道で出られるかどうか試してみろ)


 町田に促され、建物の外へと向けて亜空間トンネルを開く凜。建物の中心部に位置する窓の無い部屋であるが、建物の外にまで伸びるトンネルくらいは開けられる。


「一応トンネルは開くみたいだけど……」


 中に入り、進んでいく凜は、すぐに足を止めた。途中で白い断面のようなものがあり、その先には進めなくなっていた。


「何これ?」


 許可も無く入ってきた晃が、凜の隣で白い断面にペタペタと触っていた。


「どうも私達、空間ごとここに閉じ込められたみたい。亜空間トンネルでも出られないのよ」

「閉じ込められたって、誰が何のためにそんなことしたのさ?」

「わかるわけないでしょ」


 晃の疑問に対し、凜は不機嫌そうに言い、晃を押しのけて亜空間トンネルを引き返して食堂へと戻った。


***


 命は予感していた。何かが起こるであろうと。

 命は感じていた。何者かが己を解き放つであろうと。

 命はまだ何者でもない。しかしここから出れば、きっと何者かになる。


 誰かが望む形をかなえるために、その命は生まれてきた。それは己の望みでもある。

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