第二十一章 エピローグ

 踊れバクテリア壊滅から三日後。


 エンジェルは相変わらず入院中であった。

 怜奈は昨日、自分のルーツとなる人物に会いに行った。

 蔵は克彦の裏通りの知識を伝授しつつ、来夢と揃って三人で、始末屋の仕事を学習していた。


 怜奈は遅刻して昼頃に現れ、三人の前で、昨日会ってきた人物の話に触れる。


「ショックこそ受けましたが、別に自分が人間ではなくても、哀しんでもいませんし、創った人を恨んでもいませんよ。楽しく会話してきましたしー」


 気遣う蔵の前で、怜奈は明るい笑顔で告げる。


「私とはわりと性格も違う感じでした。私みたいにキレて、暴言吐くようなこともしない人ですしねー」


 オーマイレイプ大幹部の黒崎奈々の人物に関しては、蔵も噂レベルで聞いたことがある。非常に温和で、人当たりがよく、絵に描いたようなドジっ子で、しかしキレると怖いとも聞いたのだが……。


「キレて暴言吐く事が無い人ってわかったのは、つまり怜奈、その人をキレさせてきたったことだよね」

「あ……いや、それは……ええ、ちょっといろいろ……」


 来夢の指摘に、しどろもどろになる怜奈。


「わりとショック受けないものなの? 自分が人間じゃないっていう素性がわかっても」

 克彦が尋ねる。


「普通に過ごしていれば人間との違いとか、私にもわかりませんしねー。御飯もトイレも人と同じですし、汗もかきますし、涙もでますし、ほぼ何も変わらないんですよね。体を切断しても血が出ないのは大きな違いと言えますけど」


 強がりではなく、怜奈には本当に実感が無いし、気にしても仕方ないとすぐ割り切っていた。


「自己憐憫の念とか、孤独感とか、そういうのは全然沸かないので、変な同情とかしなくていいですからねー。そんな意識持たれる方が気持ち悪いですー」

「怜奈は同情されるようなキャラではないしね」

「あ、そういう言われ方もちょっとカチンときますー。でもそういう認識の方が助かりますー」


 思ったことを口にする来夢に、怜奈は朗らかに笑った。


***


 午後になって、入院中のエンジェルを除いたプルトニウム・ダンディーの四人は、雪岡研究所へと向かった。純子達は研究所を空け、安楽市内にあるどこぞの隠れ里に行っていたが、昨日帰ってきたばかりだという。

 蔵達が研究所を訪れた目的は、克彦の人格改造を元に戻すためであった。


「そもそも気弱さを何とかしたいという話なのに、キレやすくしてどーする」


 純子を前にして、蔵が突っこむ。そのおかげで克彦はブレーキが利かず、おかしなことになってしまった。


「んー、まあそうなんだけどねえ。これが近道かと思って」

 意味不明な言い訳をする純子。


「人格改造をどうやったかっていうと、脳を直接いじったわけではなく、まず内臓の方をいじったんだよねえ。膵臓とかその辺ね。インシュリンを大量分泌しやすいようにして、低血糖症を起こりやすくしたんだ。低血糖症になると、血糖を上げるためにアドレナリンを放出しやすくなるしね。しかも甘いものを欲しがってイライラしやすくなるから、その糖分によってまた大量のインシュリンが分泌され、アドレナリンが出るっていう悪循環が起こるわけね。そのアドレナリン放出のタイミングに合わせて、軽い暗示をかけて、克彦君の中に元々潜んでいた抑圧をうまいこと苛立ちと嚙み合わせたんだよ。その効果がちょっと大きかったみたい」


 純子の話を聞いていて、蔵は呆れ、克彦は気分が悪くなった。来夢はいつもと変わらず何を考えているのかいまいちわからない。


「俺……いつも甘いものばかり欲しがってたのは、そういうことなのか……」

 納得する克彦


「元に戻しても、甘いものはあまり食べないようにした方がいいよー。現時点で間違いなく糖分の依存症になっているだろうからさー」

「じゃあその依存症も暗示か改造かで直してよ」


 忠告する純子に、来夢が心なしか突っかかるような響きの声で要求する。


「まあ今回は私の失敗ってことで、無償で直してあげるよー」

「当たり前」

「当たり前だ」


 来夢と蔵が同時に同じ言葉を口にし、互いに顔を見合わせる。


「元の気弱な俺に戻ってしまうのか」

 嘆息する克彦。それはそれで抵抗ある。


「それはどうかなあ。この一年の間にいろいろあって、君も成長したんじゃなーい?」

「強盗繰り返しながら逃亡生活していただけで、成長するのかねえ。俺に金盗られた人達には、悪いことしたと今は思ってるし……」


 純子はフォローのつもりだったのかもしれないが、克彦にはとてもそうは思えない。


「それも貴重な体験だよ。それに、誰かから何かを奪い、食い物にするのは、自然界のあるべき姿だし、何も問題無いよね」

「うん、問題無い」


 無茶苦茶な理屈だと思ったが、来夢が純子に同意していたので、克彦も深く考えないようにする。


「自然界では在るべき姿ですが、人間社会の中では許されぬことですよー。今度やったら、めっ、しますよ。めっ」

「わかってるよ」


 念押しする怜奈に、克彦は二度とやるものかと心の中で誓う。


「結局純子が全部悪かったという話だな」

「うん、それと克彦兄ちゃんを追い詰めたこの世界が悪い。克彦兄ちゃんは何も悪くない」

「本当にそれでいいのかな……」


 蔵と来夢の断言に、克彦は鼻白む。


「克彦君の悲劇は起こるべくして起こったのですし、他にどうにもできなかったと思うんですよねー。人は罪を犯すように神様に設計されていますしー、たまたま運悪く克彦君がその役を担っただけですよー?」

「私もそう思う。他の誰かが克彦君として生まれれば、結局同じことをしただろうしねえ」

「うん、罪とか罰とか、そういうの無視していい。すごくくだらない」


 怜奈、純子、来夢の三人がかりで諭されたので、克彦はそれで自分が赦されたような気持ちになった。


***


 研究所を出た所で、怜奈は三人と別れて帰宅した。蔵と来夢と克彦は、タクシーで山奥にあるアジトへと戻っている。


「ねえ、克彦兄ちゃん、おじさん」

 タクシーの中で、来夢が声をかけてくる。


「俺、今は男でも女でもないけど、もし……性別を決めるとしたら、そういう手術をするとしたら、やっぱり女になる方がいいの?」

「何故そう思う?」


 蔵が問い返す。


「だってセックスできるじゃない」


 あっけらかんと言ってのけた来夢の台詞に、蔵と克彦が同時に吹く。


「克彦兄ちゃんなんてやりたい盛りの歳だろ? 今だって尻の穴使えばできるはずだけど、克彦兄ちゃんは何か嫌がってるし」

「あのな、来夢……そういうのをボスもいる前で堂々と言うなよ」


 二人きりの時はそういう話もよくしているのかと、蔵は克彦の台詞から判断する。


「克彦はわかるが、どうして私にまで聞くのだね?」

「克彦はわかるがって言うなよ。俺はそんな不純な意識で来夢を見てないぞっ」


 ムキになる克彦だが、ムキになっている時点で、不純な意識もあるのが丸わかりだ。


「おじさんにはHしたい気持ち無いの?」

「君としたいとは思わないし、たとえそういう性癖や欲求があったとしても、我慢しておくびにも出さんよ」


 きっぱりと蔵は言い切る。


「どうして?」

「それが大人としても男としても、最低限当たり前のことだ。好きでもない相手を、ましてや子供を、性欲のはけ口だけに使うなど、有りえん話だ」

「何で?」


 しつこく食い下がる来夢。エロゲ漬けの来夢の性知識とセックス観からすると、蔵の言うことが理解しがたかった。


「私の中ではそれが悪という受けとり方だからだよ。来夢は自分を悪としきりに言うが、君は社会や周囲を意識した悪に過ぎん。自分の中での悪と思う領域は侵していないし、その歯止めも存在する。本当の悪漢は、己の中に一切の禁忌が無く、歯止めという概念も存在しない」

「……」


 蔵の言葉に何か思うことがあったのか、来夢は押し黙って考え込む。


「ボス、来夢はこんな身体だから、Hに対して特に意識が強いんだと思う」


 擁護するように克彦。擁護したつもりであったが、言ってから自分で、凄く余計なことをストレートに口にしてしまったかと思い、やっちゃった感を覚えて来夢の反応を横目で伺う。


「来夢、たまには家に帰りたまえよ。いや、週末くらいは家で過ごして家族を安心させてやれ」


 以前から思っていたことを話題として振る蔵。


「じゃあ明日帰る。克彦兄ちゃんも一緒においでよ」

「あ、ああ……懐かしいな。以前もよくお泊りしてたっけ。でも一年間いなくなってたこととか、突っこまれないか?」


 来夢の家族の反応を考え、克彦は不安になった。


「俺がついてるんだよ。平気に決まってる。適当に俺が言い訳してあげる」

「本当頼もしい弟分だよ、お前は」


 皮肉や冗談ではなく本心でそう思い、克彦は隣にいる来夢を見ながら微笑んだ。


***


 翌日の夜。蔵はアジトに一人でいた。来夢は帰宅し、克彦は来夢の家に泊まりに行った。

 蔵は自室でブランデーをちびちびと飲みながら、ネットを閲覧していた。


(このアジトともあと一週間ほどでおさらばだな)


 アジトに残されていた物の整理も大分住んだし、怜奈が繁華街に広めの良い事務所を見つけてくれたので、そちらに引越しする予定になっている。


(中々いいスタートを切れたな)


 裏通り関連のネットを閲覧しつつ、蔵はにんまりと笑う。表通りでも話題になったテロ組織を退けた組織として、プルトニウム・ダンディーの名は早くも話題になっている。


(あいつの死を出汁にしたかのようであるが、あいつも草葉の陰で喜んでくれるだろう)


 勝手にそう思っているだけではない。蔵の友人は、そういう男だった。確信している。

 蔵が組織を立ち上げる決意をしたことで、多くの出会いが有り、また様々な変化がもたらされた。一つの集団の中心になって動くことで、多数の人間に影響を与えるという事は、心地好さもあるが、責任も重大である。


(今度こそしくじらない。大きくなってやる)


 良い仲間にも恵まれたし、雪岡純子という強力な(しかし迷惑でもある)後ろ盾もいる。今度は上手く行きそうな気がした。


 尿意を催し、トイレへと向かう。


 出すものを出してすっきりした所で、工場内に警報音が響く。侵入者を察知して鳴り響く代物だ。


(故障か? いや、本当に侵入者か? 鍵はかけてあったが……)


 緊張で一気に酔いが醒め、蔵は自室へと銃を取りに向かう。蔵とていつもは銃を携帯しているが、流石に今はリラックスしてラフな格好であったため、銃も持っていなかった。


 拳銃を手に取り、不意打ちに警戒しながら廊下を歩く。

 侵入者とはすぐに遭遇した。不意打ちをかますような真似もせず、堂々と蔵の前に姿を現した。

 廊下の先の曲がり角から現れたのは、見覚えのある狼男だった。


「獅子妻……」


 それは間違いなく死んだと思われた、獅子妻であった。


(何故? あの状態から生き返ったというのか? どうやってこの場を? 何をしに?)


 最後の疑問は愚問だと、蔵は思った。何をしにきたかは、獅子妻から放たれる殺気からして、明白である。


『殺された人間は殺した人間より弱いから悪い。死んだら全ておしまい。殺されないようにすることが大事』


 殺意にあてられて硬直しながら、蔵の脳裏には、来夢が口にしていた台詞が思い起こされていた。

 蔵の中に恐怖はなかった。


(悔しいな……すごく悔しい……。頭をハンマーで殴られたように……。腹の中をミキサーでかき回されたように、悔しくてたまらない)


 逃れられぬ運命を確信し、蔵が抱いた感情は、底知れぬ悔しさだった。


***


 その日の朝、真は何日かぶりのジョギングに出る。


 足斬り童子と腕斬り童子の里にさらわれ、そこで薬漬けにされて、運動機能も体力もひどく低下している。純子が薬抜きをしてくれたものの、完全ではない。体内に蓄積された薬を全部抜ききるのは、純子の力をもってしても大変だという話だ。

 本調子とは言えないが、だからこそ日々の鍛錬に励まねばならないと真は思う。純子に運動しても構わないと、昨夜ようやく告げられた所だ。二日間は大事をとって安静にしていたが、真はその間、もどかしくて仕方なかった。


「朝からお疲れさんだこと」


 あどけない顔立ちの黒人少年が朗らかな笑みと共に声をかけてくる。


「リック、珍しい時間にいるな」


 真が懇意にしている情報組織『マシンガン的出産』に所属する、顔馴染みの情報屋リチャード井上の前で、真は足を止めた。


「一夜明けだよ。『ルシフェリン・ダスト』という新興勢力の出現のせいで、うちらはもちろん、多くの情報屋がてんやわんやだぜ」


 大きく溜息をついて肩をすくめるリチャード。


「政府内部の反裏通り勢力の息がかかっているとか、『ヨブの報酬』の下部組織とか、諸説紛々だな」


 と、真。


『ルシフェリン・ダスト』の名は真も聞き及んでいる。二週間前に発足した組織で、裏通りの存在そのものを抑制するのが目的であるという。この組織には元々、反裏通りを掲げていた者達が集結しているという事で、裏通りでは話題になっていた。


「今は情報が錯綜している時期だよ。ヨブの報酬の組織の者が出入りしていたのは事実だけど、それだけで下部組織断定とか、気が早すぎる読みだけどなー」


 しばしの間雑談を交わし、真はリチャードと別れてジョギングを再開する。


 安楽大将の森に入った所でデジャヴを覚える。この間はここで腕斬り同時の青葉とその配下に襲われ、不覚を取った。


(嫌な予感がする……)


 走りながらそう思った矢先、真の前に異形の存在が表れた。

 筋骨隆々とした狼男。明らかに真が目当てで、真の前に立ち塞がっている。だが殺気は無い。


(こいつは、踊れバクテリアの首領?)


 一応純子から、世間を騒がしているテロ組織が自分のマウス達だった話も、それと抗争して打ち破ったのが独立した蔵の組織であることも、聞き及んでいる真であった。どんなマウスであるかも含めて。

 獅子妻が何かを真の足元に投げつけると、四足で疾走してその場から姿を消す。投げられている時点で、その生首の主が誰であるか、真は確認できてしまい、黒目がちの目を大きく見開いた


「蔵さん……」


 無念の形相の生首を見下ろし、真はその名を呟く。


 ふと、蔵の口腔に何かが押し込められているのを確認した。

 うずくまり、硬直した蔵の口を広げて、中に入っているものを取り出す。


「きゃーっ! おまわりさ~ん!」


 道端に落ちている生首をいじる少年という、すごい光景に出くわした早朝ジョギング老婆が悲鳴をあげて逃げるが、真は気に留めない。


 生首の口の中に入っていたのは、丸まった写真だった。

 広げると赤字で『NEXT』と書かれ、その下には真の知る少年二人の顔が並び、そのどちらの首にも赤いペンで線が引かれていた。


21 おじさんと一緒に遊ぼう 終

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