第二十一章 23

 来夢は敵にさらわれ、エンジェルは病院へ直行し、アジトへは蔵と怜奈の二人で戻った。

 二人共陰鬱な面持ちで、移動中一切口を開かなかった。蔵は何を喋っていいかもわからず、こんな状態になって、これからどうしたものかと思案するが、何もいい案は思いつかない。


「負けですね。向こうにはまだもう一人いるという話ですし。こちらで戦力になるのは私だけ。向こうは負傷者が一人いるとはいえ、さらに二人のマウスがいるわけですからね」


 アジトに戻った所で、怜奈の方がようやく口を開いた。

 いつになってもボスの自分が何も言わないので、業を煮やして現実を突きつけたような、そんな印象を覚える蔵。


「そう決めてかかるな。まだ私達は生きている」

 怜奈を見つめ、蔵はできるだけ平静を装って言った。


「エンジェルが復帰できればいいがな」

 腹の傷は命に別状こそないが、重傷であった。


「言うまでもないですが、来夢は諦めてください」

 硬質な声で告げる怜奈。


「どういう意図かは知らんが、わざわざさらっていったのだ。殺されてはいまい」

「例え殺されていなくても、どんな酷い目にあっているかわかりませんね。そして、私達だけで助けにいくのは不可能です」


 蔵が反論したが、怜奈はなおも非情な現実を口にし続ける。


(これで諦めろというのか? また私はしくじったというのか? ふざけるな。諦めきれるか。いや、私の意地だけではない。仲間を撃たれ、さらわれ、引っ込んでいられるか)


 怜奈の物言いには正直腹が立っていた蔵であったが、彼女の言葉が正しいこともわかっている。


(気は進まないが、手は二つほどある)


 携帯電話を取り出し、そのうちの一つを試みる蔵。


『もしもーし、あ、蔵さん』

「純子。実は……」


 情けなくはあるが、困った時の純子頼みという手段に訴えた蔵であった。


『んー……そっかあ、中々ヘビーな状況になっちゃったねえ』


 蔵から現状を説明され、純子は困ったような声をあげる。その反応だけで、色よい言葉が期待できそうにないと、蔵は感じる。


『一応さ、踊れバクテリアも私のマウスなんだよねえ。例えば私のマウスのストックの全てを投入すれば、そりゃ踊れバクテリアに勝ち目はないよー。ただでさえあっちの情報を教えたり私が強めのマウス揃えたりして、蔵さんの方に肩入れしまくってるのに、これ以上やるのは私ルールとしてはねえ……。踊れバクテリアにも勝ち目を与えておかないと。踊れバクテリアは圧倒的不利だったにも関わらず、上手く生き延びたってことじゃないかなあ』


 この期に及んで純子の自分ルールを出されたことに、軽い苛立ちを覚えずにいられない。


「この話を持ちかけてきたのは君だぞ。ゲームメーカーを気取ってバランス取りなどされても困る。私達は君の駒ではない」

『いや、私のマウスは全部私の駒だけど?』

「駒だからこの状況も黙って受け入れろというのか? 力が至らず自己責任だから諦めろと言うのか?」


 蔵の苛立ちがさらに募り、露骨に噛みつき始める。


「援軍が出せないならそれでもいい。だったらせめて、私を戦闘用のマウスに改造しろ。お茶を沸かす能力のような代物ではなく、ちゃんと戦えるものだ。多少危険な実験をしても構わん」

『いや、今は無理だよ。真君がさらわれちゃって、累君とみどりちゃんも出払ってて、妖怪の隠れ里にいるからさあ』


 絶望的な答えが返ってくる。真がさらわれたうえに、雪岡研究所の猛者達が全て出払っているというからには、向こうは向こうで相当厄介な事態であると察せられた。


「わかった……。こちらで腕のいい始末屋や殺し屋を雇う」

『それより蔵さんが戦えばいいよ。さらなる改造の必要は無いと思う』

「お茶を沸かす力だけではないのか?」


 純子の言葉の意味を察し、目を剥く蔵。


『いや、その能力しかないけど。その能力の使い方次第ってことだよー。まあグレードアップするやり方を教えてあげるから、それを有効活用して頑張ってみてー』


 そう言って純子は蔵の能力のグレードアップ方法を簡単に伝えた。


「私も戦闘員として勘定される流れとなった。これで少しは希望の光が見えないか?」


 電話を切ってから怜奈に向かって言う蔵であったが、怜奈は渋い顔のまま、何も言わなかった。


***


「汚い場所。克彦兄ちゃん、こんな所で平気なの?」


 踊れバクテリアのアジトの中へと連れて来られた来夢は、ボロボロの工場を見て、思ったことをそのまま口に出す。

 すでに陽は落ちている。獅子妻もロドリゲスもいない。今この場にいるのは克彦と来夢だけだ。克彦が寝泊りしている個室である。


「あまり平気じゃないけど、野宿よりはマシだからな」


 言いながら克彦は部屋の中にある冷蔵庫を開ける。一応電気は通っているが、これもオンボロだ。


「食うか?」


 取り出したエクレアを差し出す克彦に、来夢は小さく微笑んで受けとる。


「克彦兄ちゃんが敵だったなんてね。ちょっと面白い展開」

「俺もびっくりだわ。来夢が俺達を殺しにくるなんてよ」


 面白くは無いが、再開できた喜びは隠しきれない克彦だった。


「で、克彦兄ちゃん、どうしていきなりいなくなっちゃったの?」


 あからさまに責める響きの声で尋ねる来夢。


「俺もお前の話を聞いて雪岡研究所に行って改造してもらって、家族殺して、それからこの一年間、日本全国逃亡一人旅してたよ。この能力なら気づかれないと思ってたのに、駄目だった。世の中にはもっと強い奴がごろごろしてて、警察にも凄い奴がいて、逃げるのが精一杯だった。捕まる前にせめてお前ともう一度会いたいと思って安楽市に戻ったけど、また警察に囲まれて……何とか逃げて、この組織のボスしてる獅子妻に拾われたんだ」


 克彦の話を聞いて、来夢は哀れむような視線で克彦を見る。


「俺を殺せば組織の手柄になるよ」


 冗談とも思えぬ口調であっさりと言う来夢に、克彦は顔をしかめる。


「ふざけんなよ。他の誰を殺してもいいけど、俺はお前だけは殺したくない」


 両親以外の殺人は、どんなに殺意が沸いても必死に抑えてきた克彦だが、あえてそう嘯いてみる。


「俺は逆。殺されるのが克彦兄ちゃんなら文句言わないし、克彦兄ちゃんが死ぬなら、俺が殺したい。他の人に殺されるのは嫌」

「ははは、そういう考えか」


 真顔できっぱりと言う来夢に、思わず笑ってしまう克彦だった。来夢の性格はよくわかっているつもりであったが、それでも全ては読みきれない。全く予想外の斜め上や下から切り込んでくる事が多かった。


「そういや再会した時も躊躇いなく俺に向かってきたしな」

「うん、遊びたかった。克彦兄ちゃんが俺と同じマウスになったのも嬉しかったし」

「俺もわりとすんなり受け入れてたしな。不思議なもんだ」

「何も不思議じゃない。俺は不思議と思わない。これが俺と克彦兄ちゃんのスタンダード」

「俺はそこまでぶっとんでねーし」


 一年前と全く変わらないノリで、楽しそうに会話を交わす二人であったが、不意に来夢が真顔になる。


「一年間、何で逃亡旅行なんかしてたの? 何で家出したの? 俺、克彦兄ちゃんがいなくなって、凄く寂しい思いしてたのに。許せない」


 来夢の瞳は明らかに潤んでいた。それを見て克彦は胸が痛むと同時に、自分がちゃんと想われていたことに喜びも覚え、胸に熱いものがこみあげてくる。


「また俺の前からいなくなったら嫌だから、ここで克彦兄ちゃんを殺して俺も死んじゃおうかな」

「いやいや……悪かったって思ってるよ。俺も一人でずっと寂しかった。でも俺もいろいろ悩んだり迷ったりしててさ……」


 来夢に魔が差す気配を感じとり、克彦はそれをなだめにかかる。来夢が時折衝動的にとんでもないことをする事も、克彦は知っている。


「あの時の俺、どうかしてた。すっかり混乱してて、自分でも馬鹿だったと思ってる」

「寂しかったらさっさと帰ってくればよかったのに。それができないほどの悩みって何さ」

「わかんない……。自分でもわけからないっていうか、親を殺して、そこかしこで強盗繰り返しているうちに、どんどん自分が汚く、腐っていく感じがして、でも常に怒りが渦巻いて、甘いものが無性に欲しくて、やめられなくて……。綺麗な来夢に比べて、汚い自分が情けなくて、お前と会う資格も無いとか、そんな風に思えちまって……それでも最期に会いたくて、命と引き換えのつもりで安楽市に戻ってきて……」


 喋っている間に、克彦はぼろぼろと泣き出していた。


「どうしてこんなことになっちゃったのか、自分でもわかんねーよ。坂を転がり落ちるみたいに、どんどんおかしくなっていった。雪岡研究所で心まで変えてもらったからなんだろうけど、怒りが止められなくて……それを抑えるのもしんどくて……」

「克彦兄ちゃん、辛かったんだね。可哀想……」


 やにわに来夢が克彦に抱きつく。


「俺にできることなら何でもする。だからもう離れないでよ。黙ってどっか行かないでよ。今度離れたら、嘘じゃなく本っ当に殺すよ? 許せないもん」


 本当に嘘ではないだろうなと、克彦は思う。自分をしがみつくようにして抱きしめて耳元で喋る来夢の声には、確かに殺気が込められていると克彦は感じた。


「わかったよ……でも俺、連続強盗犯で親殺しのうえに、今やテロリストの一味なんだぞ」

「誰か別の人のせいにしておけばいい」

「いや、どうやって……」

「純子のせいにしよう。頭を改造されておかしくされたせいだって。そうすれば責任は全て純子がかぶって、克彦兄ちゃんは無罪放免だよ」

「お、おう……」


 来夢の提案に若干引きながらも、頷いておく克彦であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る