第二十一章 22
それはまだ、二人がお隣さんだった頃の話。
安生克彦が学校から帰宅すると、隣家にいる三つ年下の砂城来夢がそのタイミングを見計らって、必ず携帯に電話をかけてくる。
家の窓から通りを凝視し、帰宅するのをずっと見張っているという話を聞き、克彦は若干引きながらも嬉しかった。自分の存在をそこまで心待ちにしてくれている事が。
「今日はどうしよう?」
「安楽大将の森に行きたい。銃弾集め」
克彦が伺い、来夢が希望を述べるというパターンが成立している。そして二人で遊びに行く。来夢の家で遊ぶこともある。克彦の前では、家の中でも一応ちゃんと服を着ていた。母親の言いつけだった。
来夢と克彦は互いに依存していたし、友人と呼べる存在は他にいなかった。互いに心が開ける唯一の存在だった。
来夢からすれば、家族と仲良くしてはいたが、克彦を相手にするほど、完全に心を開くことができない。どうにも家族という存在が煩わしく、来夢の中で勝手に隔たりを作ってしまっていたせいだ。
一方、克彦はというと、その家族でさえ気を許せない。学校ではいじめられ、両親からも虐げられていたので、克彦にしてみれば来夢一人しかいない。強いて言えば、たまに二人に混じって遊ぶ、来夢の妹の花くらいだが、来夢ほどあけすけに気を許しているわけでもない。
二人は安楽大将の森へと赴き、裏通りの組織が抗争した痕跡とも言える、落ちている銃弾を探して遊ぶ。その間に二人でいろいろなことを喋っている。
「肉を突き抜けた弾なのか、役目を果たせなかった弾なのか、気になる」
弾を拾いながら、そんなことを口にする来夢。
「人間も役目を果たせず死ぬ人がかなりいる」
「そんなこと言うなよ」
来夢の言葉に、少し嫌な気分になる克彦。中学一年になったが故、多少は自分の将来を考えるようになっている。学校にも家にも居場所が無く、弱気で卑屈な自分が、一体どんな大人になるのか。それこそ何も社会の歯車になれず、ニートとして終わる駄目な大人になるのではないかと、怯えてしまった。
「俺、何か役目が欲しいな。大人になるまで待ちきれない。何かが欲しい」
銃弾を見つめながら、来夢がそんなことを口走る。
「来夢、まだ十歳だろ」
「まだ十歳とか関係無い。何でもいい。好きな仕事を見つけて働けるならそうしたい。この間テレビで見た。まだ十一歳だけど、子役として働いている子の話。四歳から舞台に出てるから、もう役者業が染み付いちゃってるし、そのことばかり考えて生きてるって。熱中できるものがあるのが、羨ましい。俺も何かに熱中したい。何か欲しい」
「そっかー……」
来夢は昔から、同年齢の子供よりずっと大人びた考え方をする子だった。そのうえ頭もいいし、知識も豊富だ。学校には通わず、家で通信教育を受けるもそれだけでは物足りず、いつも難しい本を読んでいるという。実際克彦よりずっと物知りで、三歳下の来夢から、いろいろ教わってばかりいた。
「克彦兄ちゃんは何かしたいこと無いの?」
「俺も特に無い……。空っぽだな」
来夢に問われ、克彦はそんな言葉を口走った。後から振り返ってみれば、その時からだ。来夢が頻繁に空っぽという言葉を口にするようになったのは。
「自分のやりたいことをして生きていられる人間は幸せ。そんな人間はほとんどいないって言う。それは嘘。ほとんどの人は、結局一番自分に合った道を選択している。俺にはそう見える。やりたいことがあるけど、何かに縛られてやれないって人は、言い訳しているだけ。力が及ばない言い訳。縛りを捨てられない言い訳。大変だからやろうとしない言い訳。でも……そもそもやりたいことが見つからないのは、違う。理想の生き方そのものが見つからないのは、どうすればいいの? 植物みたいにただ生きていればいいの?」
来夢の言葉には切実な響きが伺えた。
克彦はいつも感じている。来夢は普通ではない子だ。頭の出来の良さだけではなく、常人とは異なる感性を持つ。底の知れぬ力が有る。容姿にも恵まれている。だがそれでもなお、飢えている。力が有るが故に、その力を出し切れないことが、来夢の不幸になっているように、この時の克彦には見えた。
(来夢は特別な奴だ。俺みたいな何も取り得の無い奴を、来夢のような特別な奴が慕ってくれている。それだけでも奇跡みたいなもんだ)
そう思うと、克彦は自分が惨めになってくる。
(たまたま俺が来夢に話を合わせてやれるから、こいつの話を聞いてやれるから、それだけで来夢は俺を選んでくれた。ただそれだけなんだ。きっとこいつはそのうち、俺の届かない所に行ってしまう。そのうち、俺なんかよりずっと特別なこいつに相応しい相方を見つける。そうに違いない。そして俺は一人になる)
それは克彦の中にずっとある予感であり、恐れであった。そしてある事件をきっかけに、その気持ちをこじらせた克彦は、後から考えれば、愚か極まりない行動へと出てしまう。
ある日、来夢は克彦の前で血まみれで微笑んでいた。
「克彦兄ちゃんを苦しめていた悪は、退治したよ。念入りに苦しめて殺しておいた」
そう言って来夢は、ぺちゃんこに潰れた生首を克彦の足元に放り投げてみせた。
克彦は絶望した。自分のせいで、来夢を化け物にしてしまったと。絶対に特別な存在であり、きっと輝かしい将来が待っている来夢の人生を台無しにしてしまったと。
絶望している克彦の顔を、来夢は不思議そうに眺めていた。来夢は、自分を苦しめている者を全てやっつけたのだから、克彦がきっと喜んでくれると思っていたのだ。なのに全く予想外の反応。
そうして、克彦は来夢の前から姿を消した。
その後の克彦は、暴走以外の何者でもない行動を取った。
自分をいじめている者を殺害するために、雪岡研究所で改造してもらってきた来夢。それを模倣するように、克彦も雪岡研究所を訪れ、人体実験を志願した。ただ肉体をいじられるだけではなく、人格の変化も望んだ。弱気であったが故に、この悲劇を招いたと思い込んでいたからだ。
結果、克彦は気弱さこそ無くなったが、それだけに留まらず、怒りと嫉妬と殺意が渦巻くようになってしまう。改造されて家に戻ったその日に、衝動的に家族を殺した。
克彦はさらに絶望した。自分は来夢を化け物に変えて、自身も化け物になったと。
堕ちた自分を来夢に見せたくないと思い、克彦は家を出た。自分が両親を殺したことも、来夢にはすぐ知られる。その事実を考えただけで死にたくなる。もう来夢の側にはいられない。見られたくない。そう思って逃げ出したのである。
その後は沸き続ける怒りを抑え続けて、日本中あちこちを渡り歩く日々。
雪岡研究所で授かった能力を駆使して逃走し続けていたが、その内、警察にも超常の能力者の追っ手が現れ、亜空間トンネルを封じられる事も有り、逃走そのものも困難となり、克彦は己の破滅を意識しだす。
一方、克彦を助けるという目的で、雪岡研究所で改造され、克彦を助けるという大義名分の元に、今までやりたくて我慢していた殺人をやってのけた来夢は、助けてあげた克彦がその直後に消えるという事態に直面し、悲嘆に暮れた。来夢が全く予想できなかった展開であり、克彦が何故姿を消したのかも、全く理解できない。
「罪なんて無い 魂が認めない 泥の中で蠢く天使 輝いている
空なんて無い 約束は守らない 泥の中に堕とした天使 泣きじゃくってる
可愛い姿 いつまでも見ていたいから 帰さない
悲しい叫び いつまでも聞いていたいから 離さない
悪い心が踊る 悪い心が歌う 悪い心と一緒に飛んでいく
罰なんていらない 魂は裁けない 泥の中で悶える天使 艶めいている
空なんていらない いつまでも飛ばさない 泥の中で犯した天使 微笑んでいる」
克彦が消えた後、来夢はその哀しみを表現した詩を綴り、曲まで作り、毎日のように歌い続けていた。
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