第二十一章 19

 安楽市は東京都の市町村の大部分を併合して作られた、巨大都市である。

 二十三区に裏通りの勢力をできるだけ寄せ付けないために、両手で数えられぬほどの数の市町村を併合し、裏通りの住人に日本の首都から甘い蜜を吸うことができる場所として、暗黒都市として召し上げた、贅沢な生贄だ。

 中枢に管理され、表通りへの過度な干渉を抑えられていてもなお、暗黒都市指定された安楽市では、裏通りが関与する様々な事件が起こる。


 踊れバクテリアによる連続テロは、ケースとしては非常にレアであったが、やはり発端は裏通りだ。


 繁華街のテロが特に警戒されていたが、広大な安楽市において、全ての繁華街を警察が守備にあたるのは不可能である。


 今回の目標地点は、とある競艇場周辺の小さな繁華街であった。繁華街としての希望は小さいが、人は多く集まる。特にレースがある日は。

 レースが終わって、賭け事大好きなおっさん連中が競艇場の中から出てきたところを見計らって、木田、ロドリゲス、克彦の三名はテロの実行に移った。


 ロドリゲスのマシンガンが、木田の毒ガスが、次々と命を奪う。

 逃げようとしても、狭い出入り口に大勢の人間がひしめている所を狙われたので、競艇場の中へと逃げるしかない。しかし人ごみのおかげでうまく逃げることもかなわない。

 たちまち競艇場前は、恐怖と混乱と絶望が渦巻く地獄と化した。死体が幾つも重なり、文字通り屍の山が築かれた。


「殺し甲斐があるなー、この人数」


 木田が一息つき、笑顔でロドリゲスに語りかける。


「ああ、弾が足りるかどうか不安になる」


 相変わらず仏頂面のロドリゲスであったが、その目は笑っているかのように、木田には見えた。


 克彦は逃走確保の役割として、殺戮には参加しなかった。そして克彦本人も、参加したいと思わなかった。

 木田やロドリゲスとは打ち解けたが、彼等と同じになることがどうしても抵抗がある。


(俺だって人を殺したのに、どうして……)


 いくら考えてもわからないが、克彦の心が激しく拒絶している。

 克彦が人を殺したのは一度だけ。自分の親を殺した時のみだ。その後は、どんなに殺意を抱いても、それを実行できずにいた。純子に人格改造されて、簡単に殺意がわくようになったのに、殺意に身を任せることができないのだ。


『機動隊がそちらに向かっているようだ。撤退しろ』

 獅子妻から撤退指示が下る。


「早いな」

「戦わせろよっ」


 ロドリゲスが呻き、木田が喚く。


『多少は殺せるだろうが、全力でぶつかって勝ち目があるはずが無い』


 獅子妻がそう言って木田をなだめた直後、複数の装甲車が押しかけ、競艇場入り口を封じた。


「逃げるのも中々しんどそうだ。隙間無く包囲されているし、俺の亜空間トンネルは短いから、この位置と距離では、包囲している車の後ろに行くのがやっとだ」


 克彦が言った。車の背後へと逃れた所で、その後も逃げ切れるかどうか、怪しい所だ。もっと建物の密集している場所ならともかく、繁華街を抜けると、田園地帯が広がる開けた場所であるのがよくない。


『こちらの指示を伝えるために、そちらの状況はちゃんと逐一報告しろ』

「わざわざ撮影してリアルタイムで映像送ってるのになお不服か? あんたも現場にくればいいだろ? 一人だけ安全圏にいやがって」


 獅子妻の言い草にカチンときて、克彦が反発する。


『指導者が安全な場にいるのは当然だ。指導者が現地に赴いて身を危険に晒す事の方がよほど愚かしいであろう。機動隊の数がその程度であれば、突破できそうだな。思ったより数が少ない』

「思ったより?」


 獅子妻の神経が理解できない克彦。装甲車で周囲を完全に包囲されている状況であるし、突破は困難としか思えない。おまけに機動隊員は皆ガスマスクを装着し、いかつい防弾アーマーとジェラルミンシールドという出で立ちだ。


「仕方がないな……」


 ロドリゲスが嘆息し、不意に上着を脱いで、克彦の方へと放り投げた。マンシガンも克彦に投げてよこす。


(木田みたいに怪人に変身するつもりか?)


 そう勘繰った克彦の予想は当たっていた。


 ロドリゲスの体が赤茶色に変色すると同時に、体中から同じ色の海草のようなものが生えて体を覆い尽くす。

 特に両腕から生えている何枚もの海草もどきは長い。アスファルトの上に落ちて、とぐろを巻いている。


 ロドリゲスが高速で両腕を振り回すと、両腕から生えている長い何枚もの海草もどきが伸び、ここからかなり離れた距離にいる機動隊員の何人かを打ち据えた。


「ぐああああっ!」

「ぎゃあああっ!」


 くぐもった悲鳴があがる。海草もどきで体を打たれた機動隊員が、マスクの下で苦悶の形相になって倒れていく。


「毒か?」

 倒れた機動隊員の様子を見て、木田が問う。


「奴等の脳に、大量の情報を一度に流しこんだ」

 ロドリゲスが心なしか陰鬱な声で告げた。


「どんな情報かはわからんが、俺の体に生えている草みたいなもんは、情報端末のようなもんだ。俺以外の人間が触れると、大量の情報が一度に脳を直撃する。それで一時的に頭がパーになる。運が悪いとそのまま廃人だ。ちなみに無事助かっても、流し込んだ情報は覚えていないらしい。恐らくは人間の脳では受け止めきれない、特殊な情報なんだろう。だが例え理解できなくても、一時的に脳みそをおかしくはできる」


 解説しながら両腕を振るい、攻撃し続けるロドリゲス。


 機動隊が一斉に銃を撃ってきたが、克彦が足元に開いた亜空間トンネルの入り口から、中から黒く長い手が何十本も出てきて、銃弾を片っ端から弾いていく。


「あの辺が手薄になった。あの裏から逃げよう」


 克彦が言うと、黒い手が触手のように三人の体に巻きつき、黒い穴のような入り口の中へと引きずり込む。


「その手は、ロドリゲスの海草に触れても平気なのか?」

 木田が克彦に尋ねる。


「これは擬似生命だから、多分平気だろう」

 自分でも自分の能力の原理がわからない克彦が、苦笑気味に答えた。


 トンネルの中から外の風景は全て見えるが、ぼやけている。外からは見えないのはわかっているが、中からは外の光景が把握できる。

 亜空間トンネルに向かって銃弾が降り注いだが、トンネルの入り口は開きっぱなしだというのに、銃弾は全て弾かれた。


「黒手に招かれた者でないかぎり、この亜空間トンネルの中には入れない。出ることは出来るけどね」


 克彦が自慢げに言い、先導するかのようにトンネルの中を歩き出した。


***


 踊れバクテリアのいる場所へ闇タクシーで向かう、プルトニウム・ダンディーの四人。


 タクシーの運転手にも見える形で空中に投影された地図には、踊れバクテリアの三人を記す怪人マークが浮かんでいる。そろそろ近い。敵は競艇場の前にいる。


 しばらく地図の一箇所から動かなかった三名であるが、突然動き出した。


「競艇場前でテロを行ったらしい。機動隊を相手に大暴れだそうだ」


 携帯電話を耳にあて、毒田桐子より最新情報を仕入れた蔵が告げる。


『一応バラしておきましょうか。見た目は機動隊ですが、あれは機動隊に扮した中枢の精鋭です。裏通りから派生したテロリストということで、まずこちらが血を流して市民を守ることになったわけです』

「てっきり私達に血を流させて、そちらは何もせずかと思ったが。いや、失礼」


 毒田桐子の報告を聞き、毒田を――中枢を少し見直す蔵。


「暗黒守護天使達のお手並み拝見といったところか。俺達の出番があればいいがな」

 エンジェルが言う。


『たまたま近かったから急行できました。運が良かったというか。しかしそちらの手助けも要りそうです。奴等はたった今、包囲を突破して逃走したとのことです』

「無駄足にはならないようですねー」


 怜奈が不敵な笑みを浮かべたその時、走るタクシーの中から、競艇場の建物が見えた。


***


 亜空間トンネルをくぐり、機動隊の包囲網を突破した三人だが、通常空間に戻った場所は、機動隊の包囲からそう離れた場所ではない。それどころか、数メートル後ろだ。


「しーっ、気付かれないよう、こっそり離れよう」


 克彦が口の前に人差し指を立てて言ったが、近くにいた機動隊員達が、あっさりと気がついて振り返る。


「もう一つ出せないのか?」

 木田が克彦に尋ねる。


「連続使用はできない能力なんだよ。黒手だけなら出せるし、同じトンネルに戻ることはできるけど、もう一つのトンネルを作るには、時間がかかる。それまで粘ってくれれば、何とか……」


 克彦が解説している間に、ロドリゲスが両腕の海草を振り回して機動隊員を攻撃する。

 しかし機動隊員達は防弾アーマーを脱ぎ、ロドリゲスの攻撃をたくみにかわす。


「こいつら結構できる。そもそも躊躇無く殺しにかかってくる動きは、警察のそれとは思えなかったが」

『裏通り課であれば殺しにかかってくるぞ。しかし……裏通り課がここまで素早く駆けつけるとも思えんが』


 ロドリゲスの疑問に反応し、獅子妻が言う。


「時間切れだ……」


 呟いたロドリゲスの体が、怪人から元の人間のそれに戻る。海草もどきは全て体内へと引っ込んだ。


「こっちは丁度いい時間だ」

 克彦の声と共に黒手が伸び、ロドリゲスと木田の体に巻きついた。


 再び亜空間トンネルの中へと入る三名。


「こんな繰り返しでは逃走しきれんだろう」


 克彦からマシンガンを受け取りながら、ロドリゲスが言った。


「大丈夫。今度はトンネルの先の出口を高速道路の下に伸ばした。そこで時間を稼いで、さらにもう一度亜空間トンネルを使えば、高速道路の上に行ける」


 克彦の指す先には、高速道路がある。


「そこから車を奪って逃走か。なるほど、確かにうまいこと逃げられそうだ」

 木田が微笑む。


 克彦のプラン通り、高速道路の高架下へと一旦出て、三人は柱の陰に身を潜める。機動隊が探しに来る所まで見えたが、三人を発見はしていない。そして見つかる前に、克彦の能力の発動時間制限が切れて、高速道路の上へと亜空間トンネルを伸ばし、中に入って移動する。


「ここまで来れば一安心か」


 無事高速道路の上に辿り着き、安堵の吐息をつく木田。まだ木田だけ怪人の変身を解いてないので、目にしたドライバー達がぎょっとしている。


 三人が一息つき、完全に油断しているその時であった。

 無数の気配が自分達の頭を文字通り飛び越え、高速道路へと着地し、三人の顔が驚愕と緊張に強張る。


「いきなりすぎですよーっ。何かと思ったじゃないですかっ」


 抗議の声をあげる怜奈。すでに全身藍色タイツでヘルムも被り、ブルー・ハシビロ子となっている。


「流石は俺が認めた天使。俺達を天上へといざなうとはな。正に天使の役目」

「反重力」


 称賛するエンジェルに、背中から無数の翼のようなものを生やした来夢が短く答える。


 その来夢の目が、驚きに見開いた。


(来夢!?)


 ほぼ全裸に薄い布きれをまとわりつかせただけというあられもない姿の来夢を見て、驚愕の表情になる克彦。


(克彦兄ちゃん……)


 一方で来夢も克彦を見て、驚き戸惑っていた。


 二人はかつて隣家に住んでいた同士。互いに唯一の友人で、よく遊んだ仲である。

 来夢が雪岡研究所に向かったきっかけは、いじめにあっていた克彦を救うためだった。人体実験の代償で得た力でもって、来夢は克彦をいじめていた連中を殺害した。


 克彦が雪岡研究所に向かったきっかけは、来夢が自分を助けるために改造されたからだ。来夢と同じようになることを望み、さらには自分の弱い心も変えることを望み、家族を殺害した。


(やっと会えた……。お前に会いに戻ってきたんだ。なのに今、俺はこんな組織にいて、お前は……)


 明らかに自分と敵対する者の一員となっていることを察する克彦。


「警察って雰囲気じゃないぞ」


 ロドリゲスが言う。しかし追っ手である事は間違いない。どういう方法を用いたかは不明だが、自分達が現れたポイントを知り、わざわざ高速道路の上まで飛んできたのだ。これで追っ手でないはずがない。


『そのリーゼントは知っている。エンジェルという呼び名の、そこそこ名の知れたフリーの始末屋だ』


 獅子妻が克彦のカメラ越しにエンジェルを見て告げる。


「裏通りの始末屋までもが俺達の敵に?」

『まずは中枢の精鋭が派遣され、それを蹴散らしたら裏通りの腕利きが派遣され、それすら退けたらタブー指定――という流れだが、そのセオリーとは異なる……かな』


 木田の疑問に、獅子妻が答える。


「何者だ、お前ら」

 ロドリゲスがドスの効いた声で問う。


「プルトニウム・ダンディー。最近発足したばかりの始末屋組織だ。お前達には、我々の名声を上げるための踏み台になってもらう」


 蔵が淡々と自己紹介し、宣言した。

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