第十九章 エピローグ

 ヴァンダムはその日、日本を去ることになっていた。


「勝浦、私より雪岡の方が上だと思うのなら、今すぐにでも彼女の下に走った方がいいぞ」


 グリムペニス日本支部ビルの前にて、別れしな、ヴァンダムは意地悪く笑ってみせながら、勝浦にそう告げる。


「滅相も無い……」

 縮こまって首を小さく振る勝浦。


「私の裏切りを……いくらそれを見抜いて操っていたとはいえ……許していただけるのですか? それとも覚えていて、いずれ使い捨てるのですか?」


 どうしても聞いておきたくて、勝浦は恐る恐る尋ねる。


「ああ……勝浦よ、君の恐怖はよくわかる。しかしだ、それをあえて確認して、それで私がノーだと言えば、君はそれを頭から信じて安心するのかね?」


 ヴァンダムに逆に尋ねられ、勝浦の顔はさらに強張った。


「では……そうだな、君が安心させてやろう」

 ヴァンダムは意地悪な笑顔のまま言った。


「私は羊飼いだ。勝浦、君は何だね。答えたまえ」

「羊……いえ……牧場の番犬です」

「パーフェクトな答えだ。そしてこれで安心しただろう? 雪岡純子という狼から羊を守るため、君は今後も必死に牧場を守るのだ」


 そう言い残すと、ヴァンダムは車へと乗った。


(あんたは羊飼いを名乗るわりには、羊をドーピングして狼と戦わせて殺したじゃないか……。どこの世にそんな羊飼いがいるんだ)


 走り去る車を見送りながら、勝浦は忌々しげに思った。


 車の中で、ヴァンダムの電話が鳴る。相手は、かつて一度だけ会話したことのある人物だ。


「ハロウ」

『もしもし、私のことは覚えておいででして?』

「ミセス・ハリスの紹介――雪岡純子を敵視している雨岸百合という、オーバーライフの方でしょう。もちろん覚えていますとも」


 覚えてはいたが、電話がかかるまでその存在は忘れていたヴァンダムであった。


『あの子と事を構えるのなら、私に声をかけてくださればよろしかったのに』

「それはこちらの台詞でもある。私が来日していたのだから、声をかけていただければ、共闘という運びにもできて、私ももう少し楽ができたかもしれないというのに」


 社交辞令でそう述べるヴァンダムであるが、正直、この雨岸百合という、どこの馬の骨ともわからぬ人物のことなど、全く信用していないし、あてにもしていない。


『なるほど、私のことなど失念していたと仰られますのね』

「多忙の身でね。御容赦願いたい」

『まあ、随分と必死に動いて、あの程度のつまらない結果しか出せない御仁ではね……。豎子ともに謀るに足らずと言ったところですかしら』

「ほほう、私を項羽のような猛々しく苛烈な人物になぞらえてくださるか。まあ、私も自分のやった事が、どの程度のことかは自覚しているので、皮肉を口にされても痛痒を感じないよ」


 憎々しげな口調で皮肉を返すヴァンダム。


『貴女は純子と最も相性の悪そうなタイプですわね』

「私も直に話して、そう思ったよ」

『しかし――徹底的に合理的に考えるのなら、その相性の悪い相手と、戦うという選択もしないはずですわよね』

「勝利のヴィジョンが見えなければ、戦わなかったが?」

『次、仕掛ける時は、ちゃんと私にも声をかけてくださいませ。貴方の子飼いの海チワワに劣らぬ戦力を提供できましてよ』

「是非」


 百合の申し出にヴァンダムは即答したが、この時点においては、そのつもりは全く無かった。


***


 釈放され、雪岡研究所に戻ってきた純子は驚いた。

 わざわざ入り口で出迎える真、累、みどり、蔵の四人の姿があったからだ。


「んー……ただいま……んこ……」


 気まずそうに頬をかきながら笑い、軽く会釈する純子。


「釈放されるとは思っていたが、随分早かったな」


 無言の少年少女三人組に先駆けて、唯一見た目が大人の蔵がまず声をかける。


「まあねえ。んー……随分、その……迷惑かけちゃって、心配かけちゃったみたいで、すまんこ」

「釈放されるのはわかっていたけどさあ、いい気分はしないよね~」


 溜息混じりにみどりが言う。逮捕されただけならまだしも、お茶の間に報道されるというのは、百戦錬磨の彼等からしても、悪い意味で中々新鮮な衝撃であった。


「美香姉はいつもこんな世界で生きてるんだなーとか、意識しちゃうよね。日陰者からすると、表舞台って眩しすぎるよぉ~」

「今後の影響が無いかなど、皆心配していたぞ。しばらくは目立った動きはしない方がよいのではないか?」

「う、うん……そうだね」


 みどりと蔵が声をかけて空気を和らげようとするが、純子は気まずそうなままである。理由は言わずもがなだ。

 その気まずさの原因が、前に進み出る。


「真く……」


 純子が口を開こうとした刹那、真は他の目も気にせず、正面から純子に抱きついた。

 真からすると、抱き寄せて抱きしめたい気持ちであったが、身長差がある故に、どうしても真の方が抱きついた格好にしか見えないし、絵面的に男女の立場が逆転しているようであることは、真も意識している。


「悔しい……許せない」


 純子の耳元で、静かに己の正直な気持ちを口にする真。


「お前を晒し者にした奴、絶対にブチ殺してやる」


 静かな口調のまま、しかし確固たる信念と殺意を込めて宣言する。


(わーい、ヴァンダムさんのおかけで、真君に抱きつかれちゃった~。うん、これなら何度でも負けていいや~)


 一方で純子は、ニヤケ顔になるのをこらえきれずに、真を強く抱き返す。


「何ですか、あれは……。報道されて逮捕されれば、真に抱いて……もらえるんですか? 僕も同じこと……すればいいんですか? 悔しい……許せない」

「ふえぇ~、御先祖様、ちょっと落ち着いてね~。ほれ、代わりにみどりが抱っこしてあげるから」

「ちょ……苦しい……それ抱っこじゃない……」


 怒りと嫉妬に震えながらぶつぶつと呟く累を、裸絞めにするみどりだった。


***


 飛行機が飛び立つ。日本からアメリカへ向けて。


(今回はそう……威力偵察という事にしておこうか。敵の情報を知らなさすぎた。だが彼女の性質は知る事ができた。次は入念に対策を準備して臨める)


 虚空を見上げ、ヴァンダムは思う。負け惜しみではない。反省する所も有ったが、得たものも多かった。


(何より楽しかった。久しぶりにな)

 自然と口元に笑みがこぼれる。


 テレビをつけると、これから訪れる予定のアメリカで、グリムペニスによるデモ行進の映像が流れていた。


「メイメイ鳴いて、可愛い羊達だ」

 再び微笑むヴァンダム。


「日本の羊達は、番犬になってしまったようだがな。まあ、それもよし。それにしても……日本では未だ電子書籍ではなく、紙の書物が主流なのか。つくづく環境破壊がお好きなようで」


 そう言ってヴァンダムは、一冊の本を開き、読み始める。勝浦から手渡されたライトノベルだった。


***


 自室にて、純子は知り合いらに釈放された事を連絡するために、携帯電話のディスプレイを空中に開く。すると、メールボックスに山ほどメッセージが受信されていた。


 その三分の一ほどが実験台希望であった。残りは抗議や悪戯だ。皆先日のテレビ番組を見て、雪岡研究所の存在を知った者達である。

 この実験台希望の数は純子を満足させるに十分すぎる。それどころか嬉しい悲鳴レベルの数だ。


(なるほどねえ。ヴァンダムさん、こうなることも計算したうえで、約束を守ったわけだ。私の敵も増えてくれたし。テレビに映って私の知名度も上がって、実験台志願者も増える――と。これまた私の望まないやり方ではあるけど、結果的には取引は成立ってことかー)


 にやにやと笑いながら純子は思う。


(大したもんだー。でも……あの人は百合ちゃん以上に、私とは水と油みたい)


 椅子に腰かけ、純子は大量の実験台希望者達一人一人に、断りと謝罪のメールを送っていく。普段から実験台志願者のメールに自動返信はしておらず、全て手打ちで返事を返している。


(しばらく人体実験の募集そのものも中止にしとこっと。敵は全て即処分の方向で……)


 何故そう思うかに至ったのかと言えば――


「敵の施しはいらないんだ」


 笑みをたたえたままメールをうち続け、純子は呟いた。



第十九章 羊飼いになって遊ぼう 終

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