第十九章 34

 その日もヴァンダムは、妻のケイトとテレビ電話で長時間雑談に興じていた。離れていても毎日必ず会話をする。


「ブルジョワ男性はまともな恋愛結婚が、難しいということを知っているかね?」

『あら? ソレはどうしてデスの?』

「擦り寄ってくる女が、財布やステータス目当ての、人の皮を被った雌豚ばかりだからだよ。娼婦未満の存在だ。そうとも知らず、騙されて結婚するケースが多々だ。まあ、男の方もアクセサリー代わりの妻を求めている場合もあるが、それもやがて歳を取れば色あせるアクセサリーだ」

『あら? ソレなら私ダッテ貴方を財布代わりにシテ、寄付させているダケかもしれませんよ?』

「嗚呼……もしそうだったらどうしようかな? いや、別に問題無いな。初めから寄付なのだし」


 ケイトの冗談に、ヴァンダムも冗談で返す。


『それはソウト、マッドサイエンティストを逮捕にこぎつけたそうデスね』

「ああ、たった一日限りの勝利だ」


 自分から言い出す前に、ケイトからその件を切り出され、ヴァンダムは苦笑する。


「猫に九生有り。雪岡はどうせすぐに釈放される。当然だろう」

『それがワカッていて、ドウしてこのような事をシタのかしら?』

「羊を殺された羊飼いの意趣返しだよ。今の私にできる精一杯が、このくだらないリヴェンジというわけだ。彼女にとってどの程度の打撃になったのかは、私には計り知れないが、一応、私の勝利には違いないだろう?」


 被爆したデモ隊の学生はまだ死んではいないが、その多くは助かる見込みも無いので、すでにヴァンダムの中で死んだ事になっていた。

 彼等の仇を取りたいという気持ちも、ヴァンダムの中には確かにあった。彼等は命がけで頑張ってくれた。

 だから自分もそれに報いようとした。最初のデモ隊に死人が出るのは織り込んでいたし、その後の戦いでも死者を出した。犠牲を出したからには、その犠牲を無駄にもしたくはない。


 ヴァンダムにしては非合理的な感傷ではあるし、自分でも無駄な動機付けではないかと疑問を覚えたが、己の羊を殺されて怒らぬ羊飼いなどいないと、己の心に言い聞かせ、それも理由の一つとして素直に認めた。羊を狼の前に送り込んだのは、他ならぬ自分であるという点については、深く考えていないが。


「羊の仇を討ちたいなどという気持ちが芽生えた今の私は、少しは成長したのだろうか? 少しは正常な人間に近づけたのだろうか?」

『そうとも言えるワネ。私と出会った頃に比べルと、大分人間味が出てきたワ。でも、人を羊ニ例えて見ている時点で、マダマダよ』

「ぐっ……」


 ケイトに指摘されて、言葉に詰まる。だがヴァンダムからすると、どうしてもあれらは人に見えず、羊の属性を持つ者としか見ることができない。


「まあ次はこうはいかない。私も雪岡を甘く見ていたが故、大事な羊達を失った。大した準備も無く即興で仕返しするのは、この程度のことしかできかった。次こそは、本気で決着をつけなくてはな」

『でも不思議ネ。雪岡純子その他マッドサイエンティスト達は、どうしてグリムペニスが肥大化し、人類文明科学の停滞を引き起こすのを食い止めようト、しなカッタのかしら?』


 一部の不老不死のマッドサイエンティスト達は、グリムペニスの勢力が弱い頃からいた。その弱いうちに潰さず、今更争いあう間柄になったのが、ケイトには理解しがたかった。


「単純に見くびっていた――と考えられる。気がついたら肥大化していたと。だが別の憶測もあるな。彼等にも都合がいいものとして、しばらく放置していたと」

『都合がイイ?』


 ヴァンダムの言葉を訝るケイト。


「彼等は科学を最も発展させる要素が、戦争だと信じている。それは当たっているがな。その一方で彼等は、戦争ばかりが続く状態も望ましくないものであると考えているらしい。戦争は科学を発展させるが、平和な時代の方が別の意味で文化を発展させると。戦争に変わるカンフル剤として、科学排斥の潮流を作り出すグリムペニス――この歪で極端な思想を蔓延させ、それが崩れたときの反動でもって、科学文明発達至上主義の思想を世に植えつけるという目的。まあ……あくまで憶測だよ」


 憶測の部分も多く含まれるがが、マッドサイエンティストと呼ばれる者達の思考回路を、ある程度見通したうえでの考えであるし、この説が当たっている可能性は高いと、ヴァンダムは見ている。


「私のこの説が事実であるとしたら、彼等は計算違いを起こしたと言わざるを得ないがね。グリムペニスが――科学文明の発展への弾圧と規制が、想像以上に強くなりすぎてしまい、それが世の中に蔓延しすぎてしまった。規制派が規制反対派を圧倒しすぎてしまえば、彼等が構想していた規制への反動による、科学の発展と進歩とやらも、期待できなくなる。わりと早い段階で雪岡純子と草露ミルクは我々と真っ向から相対するようになったので、この二名に関しては、それを見抜いていたようだが」


 だからこそヴァンダムも、この二名は本気で潰さねばならないと考えている。


***


 主不在の雪岡研究所。


 いつも食事を作るのは純子の仕事であったが故、その日はみどりが食事を作った。

 真、累、みどりの三人による食事。食事中、誰も喋ろうとしない。

 喋らない雰囲気になっているのは、純子の存在がでかでかと報道され、逮捕されたからであるが、その中でも特に空気を重くしていたのは真であった。いつも通り無表情であるが、怒りと悔しさのオーラをこれでもかというほど発散しまくっていて、累もみどりもそれを意識しまくって、無言になってしまっている。


「うっひゃあ~っ! もうっ、飯が不味くなるっ。純姉が死んだわけでもねーのに、何うじうじしてやがんだぁぁぁ~~っ!」


 突然みどりが叫び、真を睨む。


「へーいっ、頭きてるのはわかるけど、男ならもっと泰然と構えておけよ、真兄」

「そうだな。ごめん。しかしそれにしても頭にくる。雪岡の自業自得とはいえ……」


 名指しされ、素直に謝った後に愚痴る真。


「しかし純姉、これからどうなるんだろーねえ」

「すぐ……釈放されますよ……」


 みどりに向かって、累が言った。


「本気で閉じ込めたままにしたり……死刑にしようとしたりすれば……、純子とて、何をしでかすかわかりません」

「なるる~、国のエロい人達もそんくらい承知のうえで、メンツ立てるか何かの理由で逮捕したってわけか」

「メンツというより……制裁……でしょうね。放射性物質撒くような真似をした事への……」


 オーバーライフのフィクサー達の考えに関しては、彼等とも多少は関わり合いを持つ累の方が、みどりよりも理解している。一方でみどりは、転生を繰り返しているので、他のオーバーライフとあまり関わった事が無い。


「見方変えると、放射線撒いた制裁が、たった一日の報道と拘束ってのも凄い話だわさ……」

 と、みどり。


「累の言うことが本当だといいな。もし明日になっても釈放されないようなら、面会にでも行こう」


 真のその言葉に、みどりは意外そうに真を見た。


「真兄のことだから、脱獄させに留置所に殴りこみに行こうって言うのかと思ったわ~」

「そんなことしても意味無いし、その気なら本人がやってるだろ」


 みどりの言うことが冗談だとはわかっているが、それにしても自分のことを何だと思っているのだろうと、真は軽く嘆息した。


***


 夜の安楽警察署の留置所。

 安楽警察署には裏通り専用の留置所があり、結構な数の逮捕者が入っている。通常の犯罪者はほとんどが個室であるが、裏通り関連の逮捕者は数も多いため、相部屋にされる事が多い。


 純子が何をしでかすかわからないということで、他の逮捕者と相部屋になる事も無く、個室に入れられていた。鉄格子で丸見えという事も無い、普通の部屋だ。扉には格子がついている。


「携帯取り上げられちゃったのは痛いなあ。暇すぎる」


 簡素なベッドに横向きに寝転がりながら、純子が呟く。何もすることが無く、何も出来ず、無為に時間だけが過ぎていく。

 不意にノックされる。夜の零時だというのに、一体何の用であろうかと勘繰る。いや、そもそも警察官かどうかも怪しい。


「どうぞー」

 声をかけると格子付きの扉が開き、そこに現れた懐かしい顔を見て、純子の表情が輝く。


「シスター、ひっさしぶりーっ」


 身を起こし、明るい声をかける純子であったが、シスターの方は憮然とした面持ちで純子を見ている。


「ど……どうし……わわっ」


 シスターの右手に、刺付きグローブがハメられているのを見て、純子は泡を食った顔になる。さらに左手には、からしとわさびが握られていた。


「こんばんはー、久しぶりにー、お尻ペンペンでーす」


 挨拶するなりシスターは純子へと詰めより、その体に覆いかぶさり、白衣をたくし上げる。


「ちょっ、やめてーっ。おまわりさーんっ」

「往生際が悪いですよー」


 じたばたと暴れる純子の腰を左腕が抱え込んでがっちり拘束すると、シスターは右手でもって、ショートパンツを下着ごと一気に太ももまで引き下ろした。


「おお……久しぶりにお目にかかりますが、相変わらずびゅーてぃふぉーなお尻でーす。色、形、肌触り、柔らかさ、どれをとっても極上品。いや、このシチュエーションなら獄錠品。二千年間、数多のヒップを見てきた私ですーがー、これはベスト3の中に入る逸品ですよー」


 純子の丸出しの尻をまじまじと見つめ、尻評を述べるシスター。


「しかーし、哀しいことにこの白いお尻がー、これから無惨なる赤と紫に染まるなんてー、何と悲しいことでしょーか」


 言うなり、シスターは右手で渾身の力をこめ、そして十分に手首にしなりを入れ、純子の尻を叩き始めた


「きゃああああああっ!」


 深夜の留置場に悲鳴がこだまするが、予め警察署の署員には話をつけているので、ここに来る事は無い。


「お薬も塗っておきまーす」


 左手に持ったからしとわさびの蓋を開け、右の掌にたっぷりと出すと、傷だらけになった純子の尻に塗りたくるシスター。


「うひぃいぃぃぃっ!」


 悲鳴をあげながらじたばたともがく純子。


「中に入れるのは勘弁してあげまーす。でも今度やったら、その保障もありませんよー」


 そう言ってシスターは、ショートパンツを上げて元に戻してやるが、純子を解放しようとはせずに、純子の頭部を両手に抱えて、自分の胸へと押し当てる。


「もー、本っ当に久しぶりに悪い子してくれましたねー。何となく懐かしくもありますがー」

「すまんこ……」


 服越しにシスターの柔らかさと温かさを味わいながら、謝罪する純子。


「明日には釈放されるそうでーす。しばらくは大人しくしていなさいねー」

「あれー? 釈放してくれるんだー?」

「すぐに釈放してもらえると確信していたから、今まで大人しくしていたんでしょー? もし釈放しなかったら、それはそれで問題でしょう」


 閉じ込めたままにするなり、本気で刑罰を与える方向に持っていこうものならそれこそ、純子に手を出さなかった理由の恐怖が、実現することになる。

 もちろんそうなったら、それを抑える側も必死で抑えるが、結果として、どれだけの犠牲が出るかわかったものではない。しかしさっさと解放しておけば、そのような事態にはならない。こっそり釈放して済むのだから、そうすることに越したことはない。フィクサー達がそう判断するであろう事は、純子も見抜いていた。


「世間の目を考慮しての一応の逮捕かあ。ま、ヴァンダムさんもそれを見抜いていたようだけどね。いずれにせよヴァンダムさんの勝ちは勝ち。私は敗者、と。白黒だけをはっきりさせた感じかなあ」


 裏通りでは純子が解放された事も伝わるだろうし、無理矢理逮捕にこぎつけても、あっさり解放された事で、一連のやりとりを茶番劇だと見なす者も出てくるだろうと、純子は予想する。しかしこの茶番劇を実行するのがどれだけ大変なことか、純子にはわかっている。

 さらに言えば、一日限りの報道も含めたこの強引な逮捕劇は、ヴァンダムの布石なのだろうとも考える。現時点ではただの意趣返しであっても、後々いくらでも活かす事はできる。


「羊飼いは羊の性質を誰よりもわかっているのですよー。羊は狼が現れて一時的には騒いでも、次の日には何事も無く、草を食んでいまーす」

「一瞬世論が沸き立っても、情報源が閉ざされれば、世の興味は次に移るだけの話だからねえ。 とはいえ、人々の記憶にしっかりと残ったのも事実だけど」


 マスコミが口を閉ざしてしまえば、それまでの話である。ネット上ではしばらく騒がれるかもしれないが、それも時間の経過と共に興味が薄れていく。

 純子がここでこっそり釈放された所で、世の中に大した影響は無い。被害者が死亡した後、遺族が騒ぎ立てるかもしれないが、そうなった所で、流れは変えられない。


(ヴァンダムさんのように力の有る人でもないかぎり、ね。でもそれは不幸なことだよ。私が敵だと判断したら――)


 自分と敵対する者が、全力で自分に食らいついてこようとするなら、むしろ純子は歓迎する。しかも粋のいい遊び相手とあれば尚更だ。

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