第十九章 22

「早速だけどさ、あの時の電話の会話ってさ、他の幹部の人達も聞いてた? あるいは、グリムペニス支部のビルの中だった?」


 席に座った勝浦に向かって、純子は尋ねる。


「はい」


 見た目は自分の半分も生きていないであろう小娘の問いかけに、勝浦は萎縮しきって返答する。


「そっかー、じゃああの会話自体、ヴァンダムさんに筒抜けの可能性が大だねえ。ということは、勝浦さん、ヴァンダムさんに殺されちゃう可能性も大だよー?」


 笑顔でさらっと言う純子。勝浦の恐怖がさらに増す。


「ビルに戻ったら、もう一度盗聴器の確認は徹底してみて」

「も、戻って平気なのですか?」

「危険はもちろんあると思うけどねー。でも戻らないと話にならないし、盗聴されていても厄介だし、やっておいてねー。で、私は当初、勝浦さんを騙して死んでもらうつもりだったんだけど……」


 勝浦の恐怖メーターがますます上がったのは言うまでもないが、そこがピークだった。


「やめたよ。で、この本をヴァンダムさんに渡して欲しいんだ」


 そう言って手渡された本のタイトルを見て、勝浦は吹いてしまった。

 本はライトノベルだった。テロリストが主人公の、破滅的な内容だ。それはタイトルを見ても大体わかる。しかし内容などよりもこれは、タイトルの方が重要だ。

 本のタイトルと、それを手渡すことの意味が、勝浦にもわからないはずがない。これはヴァンダムに対するメッセージだ。だがそのメッセージをヴァンダムに伝える意味そのものが、わからない。


「勝浦さんの身の安全のためにも、これは手渡してね」

「即座に殺される可能性は無いのですか? あるいは、私が彼の近くから離れた所で、殺される可能性も高いのでは……」


 どう考えても勝浦の身の安全に繋がるとは思えなかった。これは挑戦状か脅迫の類に思える。あるいは悪趣味な冗談か。


「もちろんその可能性はあるけど、何もしないでいるよりかはいいんじゃないかなあ? 私が信じられないならやらなくてもいいけど、私の指示通りに動いてくれなかったら、それで私と勝浦さんの関係は完全に切れると思ってね? その後の命の保障もしないし」

「関係を保っていれば命の保障はしてくれると?」


 わざわざ確認するのもどうかと思った勝浦だが、確認しないでいるのも怖い。


「できるだけ努力はするつもりだよー」


 曖昧で、いまいち安心できない答えではあったが、それでも多少は安堵する勝浦であった。


「わかりました……。貴女の言うとおりやってみます」

「うん。よろしくー」


 手渡されたラノベの文庫本を鞄にしまう勝浦を見て、純子は屈託のない笑みをひろげてみせた。


***


 コルネリス・ヴァンダムはオランダの裕福な家で生まれ育った。

 母親はいない。受精卵の時点で遺伝子操作を行われており、受精卵から出産に至るまで、人工子宮の中で育てられたのだ。


 幼い頃から英才教育を受けて育った彼は、記憶力にも計算力にも洞察力にも優れ、優秀な成績を収めるが、他人を慮るということが一切できない性格であり、優秀な跡取りを欲した父親も、この息子をもてあますようになった。

 ヴァンダムからすれば、他人への配慮などという行為も発想も、理解できない。そんなことに気を遣う者達が、不思議で仕方無い。人は全て自分のためだけに生きるべきで、そのために、自分にとって利用価値が互いにある際に利用するだけのものだと、ずっと思っていた。


 故に、損得を越えて相手に奉仕するという行為も、全く理解できないし、理解しようとしても理解しきれないので、そういうものだと割り切って、深く考えないようにし、理屈で周囲と合わせようと努力したものの、度々失敗し、トラブルを起こす。

 人間関係以外では完璧な男であったにも関わらず、人との接し方だけに難があった幼少時代であるが、大学に進んだ頃には、それもある程度は克服できた。


 そしてこの世界は、どれだけ上に行けるかというゲームであると理解する。どれだけ金を稼げるか、どれだけ名声を得るか、どれだけ力を誇示できるか、どれだけの権力を得られるか、等々。


 そんな中で、ヴァンダムは純粋に財だけを欲した。権力や名声は財を成すための道具。贅沢をしたいわけではない。ただひたすら貯金して、数字を増やしたいのだ。その数字の上がり幅と貯まった額を見る事と、より数字を貯める手段を模索する事だけが、ヴァンダムの悦びとなった。

 一月の支出は日本円にして二十万も無い。見た目をよくしておかないと見くびられるので、服装だけは気遣うが、それとて本心では面倒だと思っている。一方で経費は使いまくる。服も経費で落としている。


 金を貯めるという行為にのみ腐心するヴァンダムであるが、手段を選ばないわけではない。より稼げそうな手段はいくらあっても、堅実な儲けしか好まない。それというのも、ヴァンダムはギャンブルが苦手だったからだ。

 人より多く稼ぐには、博打めいた事も何度も行わなくてはならないが、そのような不確実性を何より嫌う。計算して必ず出る答えでないといけない。その計算と答えに、さらに実行力が伴う代物でないといけない。もちろんそれでも生きている限りは、運という要素を排除することはかなわない。大きなことをするには尚更だ。


 一方、成人してからしばらくして、ヴァンダムは金儲け以外のことにも興味が芽生えた。幼い頃からヴァンダムは、人の善意だの博愛だの奉仕だのといったことが、全く理解できなかったが、理解できないが故に、その気持ちの流れをより観察したいという欲求が働いた。その動機から、グリムペニスという組織に目をつけ、組織を乗っ取ったのである。

 グリムペニスの二代目棟梁となったヴァンダムが結局やった事といえば、如何にして人の善意の流れを利用し、金を搾りとるかであった。その間に人の善意を理解しようと、懸命に観察したが、どうしてもわからない。


 そんなヴァンダムに、転機が訪れる。

 ヴァンダムは恋をしたのだ。三十代半ばにしての初恋であった。

 相手は秘書で、ルックスは並の下といったところだが、とても気が利き、慈愛に満ちた女性であった。気がつくとヴァンダムは彼女のことばかり考えていたし、毎日彼女と会うのが楽しみになっていた。

 ヴァンダムは不器用ながらにも彼女に告白し、二人は恋人同士となった。


 だがヴァンダムのその、他者を慮ることができない性格が災いし、彼女を散々苦しめたあげく、ヴァンダムは彼女に別れを告げられた。三ヶ月の付き合いであった。


「貴方は人の愛し方がわからないどころか、人の心を理屈でしかわからない、可哀想な人」


 別れ際に言われた言葉が、ヴァンダムの心に突き刺さった。

 人を愛することの悦びと素晴らしさ、そしてそれを失う激しい痛み。ヴァンダムは自宅で放心して、職務放棄どころか食事も睡眠もままならない状態へと陥る。


(世の中の人間は皆こんなことを経験していたのか? それも人によっては十代で。信じられん。それで平気だったのか? 正気を保っていられるというのか? 私は今すぐにでも消えてしまいたい。死んでしまいたいほどの苦しさだというのに……)


 それまで他人の多くを能力的に劣るとして見下していたヴァンダムであるが、考えが改まった。他人より劣るのは自分の方であったと認識した。失恋のダメージで何もできなくなってしまった自分こそ、とんでもなく弱く、誰よりも劣る者だと。

 一週間後、ようやくグリムペニスへと出向いたヴァンダムであるが、仕事がろくにおぼつかない状態で、大幹部連中の半分はヴァンダムを心配し、半分はヴァンダムを会長の座から引きずり落とす工作を始めた。


(工作をする連中の方が正常だと、私には思えるのだ。しかし、こんな無能な私を心配する者達の方が……人としてはまともなのか。その心があれば、私は彼女を失わずに済んだのか……)


 部下達を観察しながら、ヴァンダムは漠然とそんなことを考えていた。そして自暴自棄になっていた彼は、グリムペニスの会長職を追われようと構うまいと思っていた。


 もしヴァンダムがここで、失恋直後の第二の恋とめぐり合えなければ、彼はグリムペニスを去っていた可能性が高い。


 ヴァンダムは女神と出会った。彼女は国際的に有名な人物で、様々なNGO組織に所属して慈善事業に携わり、視覚と聴覚の重複障害も煩っていたが故に、二十一世紀のヘレン・ケラーなどとも呼ばれていた。

 彼女――ケイトとは、グリムペニスの仕事の都合で出会ったのだが、その存在は、ヴァンダムにとってあまりにも衝撃的すぎた。


 ケイトは仕事等のどうしても必要な時以外は、補助装置をつけることが無いという。理由は、世界には自分と同じ障害を持ちつつも、補助装置をつけることができない人がごまんといる。その人達とできるだけ、同じ立場でいたいというものだった。そのケイトの行動原理は、ヴァンダムには計り知れない代物である。


 別れた恋人よりも、さらに深い慈愛の心を持つ彼女に、ヴァンダムはまたあっさりと恋をした。


 そしてヴァンダムはケイトに、自分にこれまでの人生を語り、自分がどういう人間であるかも全て語り、自分の人間性が災いして愛する者に辛い想いをさせて、別れを告げられたことも全て語った。そのうえで彼は、ケイトに望んだ。


「私はサイコパスなのかもしれないが、今、そうではなくなりたいと願っている。理屈に合わぬ人の行動も、気持ちのうえで共感したいと思っている。別に私は、感情が一切無い人間ではない。しかし所々欠けているというか、鈍いというか、欠陥というか欠落というか……その、つまり……根っから無いわけではなく、どこかに忘れているというか、しまっているのだと思いたい。だから……君にも探すのを手伝って欲しい」


 不器用な告白だとヴァンダム自身も思ったが、ケイトは穏やかな微笑をたたえたまま聞いてくれた。

 精一杯の告白と要望を聞き終えた後、彼女は微笑んだまま了承してくれた。

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