第十九章 5

 グリムペニスの学生メンバー達が、雪岡純子に対してデモ行進を行う手筈は、着々と進んでいる。

 今までただ環境保護を訴えるだけのデモ行進であったのに、特定個人に対してのデモという事に、戸惑いを覚える者は多い。しかも相手は裏通りの住人で、眉唾ものな都市伝説まで伴っているため、デモ参加を表明する者は普段と比べて圧倒的に少ない。


「反応は鈍いですが、それでもそれなりには人が集まるのではないかと思われます」


 ヴァンダムの部屋へと赴き、勝浦は報告した。


「正直、私には彼等を雪岡純子という個人に対し、デモへと差し向ける真意を計りかねますが」

「彼女は今まで社会の裏で、敵対する者を暴力で排除してきた。表の世界に引きずり出して、社会的制裁を与えてやるのが目的だ。そして雪岡純子の悪名を、表の社会でも知らぬ者がいないようにする」


 疑問を口にする勝浦に、ヴァンダムは語り聞かせる。デモを行えば注目され、そのマッドサイエンティストの名もなし崩し的に拡がるのかと、勝浦は解釈する。


「彼等に適した、彼等だからこそできる役割だ。そのことに誇りを持たせたまえ。充実感と遣り甲斐を与えろ。彼等のプライドを満たすのだ」


 繰り返し何度も言われているヴァンダムの言葉に、勝浦は小さく溜息をつく。


「彼等の中には、出世して組織の顔役となりたい者もいるようですけどね。すでに名前の知れた目立った子達もいます」


 本人らが計算しているかどうかはさておき、集団の中に注目を浴びる者は必ず出てくる。


「ノー。彼等は永遠にソルジャーのままでいい。人にはそれぞれの役割がある。彼等は歯車の役割を果たす。私達は歯車を回す中枢機関――ビジネスを担う側だ」


 しかしヴァンダムは、両手を顔の前にかざして、顔をしかめて小さくかぶりを振る。


「彼等は純粋すぎるからな。私達がダーティーな部分を担い、彼等にはずっと夢を見せ続けておけばよいのだ。もちろん才覚のある者は拾い上げてもいいが、デモなどに現をぬかしている時点で、期待は薄い。二度とアンジェリーナ・ハリスのような失態を犯さぬためにも、組織上層部の人選は厳選して行わなければな」


 その純粋な多くの人間達こそが、グリムペニスという組織を支えているのであるから、彼等には永遠に純粋なままでいてもらった方がよいというのが、ヴァンダムの判断であった。


 ヴァンダムはアンジェリーナ・ハリスの事を思い出す。彼女は事もあろうに、この環境保護団体において、真面目に環境保護を考えていた。そんな人物を大幹部にした事が最大の誤りであった。ああいう人間は、どんなに牽引力があって利用できようと、二度と組織の中枢に呼び込んではいけないと、様々な代償と共に学習した。ビジネスには不要だ。

 操りやすい兵士達は、昇進させても現場指揮官程度に留めておかなくてはならない。参謀本部にまで引っ張ってきてはならない。


「善意の活動をしているという充実感と、正義の救済をしていくという使命感を、より強く彼等に植え付けろ。そしてより多くの者に植えつけろ。兵士を兵士であるがままにしておくには、何度でも刷り込みをする事だ。どんなにひどく偏った二元論にも、疑う余地を与えぬ程にな。疑われてしまうと、崩れ去ってしまうぞ。環境保護、動物保護が、途轍もなく矛盾に満ちた不自然な理屈であり、偽善であるという事実に、気付かれてしまう。そうなってはならない。そうだろう?」


 冷静に考えれば、牛や豚を殺すのは平気な一方で、イルカとクジラに限って残酷などという価値観が、狂っていることなどわかりそうなものだが、そういった刷り込みをしつこくしておけば、頭の悪い層は理性より感性の面で容易く洗脳できる。

 もちろんグリムペニスの幹部達の多くは、そのような価値観など持ち合わせていない。これはただのビジネスだ。世論を操作することによって、いかに権益を貪るか。それだけの話だ。


 特定の動物を殺すのが残酷だ、自然破壊だと唱え続け、そういう観念を多くの人間に植え付けて圧力をかけて食料源を断てば、その分、別の食料品が売れる。

 科学の発展は悪だとして厳しい規制をかけて、新商品の開発を滞らせておいて、一部の企業が製造したものを自然に優しい換気用に優しい製品だと、グリムペニスの太鼓判を押しておけば、その製品だけが独占して売れる。

 もちろんそれらの出荷元は、グリムペニスと裏で繋がり、多額のマネーをグリムペニスに流している。


「我々の環境保護活動というビジネスを成立させるためには、世論という名の影響力が必要である。そのためには、難しいことは考えぬ純粋で誇り高き兵士達が数多く必要なのだ。数。そう、数が必要だ。その条件さえ満たしていればいい。環境保護こそが至上であると信じる者達が必要だ。新たな人材を確保するのだ」


 ヴァンダムは日本で環境保護ブームがうまいこと過熱化した事に、ある程度満足してはいるが、満足しきっているわけではない。なおも手をひろげたいと願っている。


「学生達は相当数集まっていますが、日本ではもう限界ではないでしょうか? 世論も七割はグリムペニスに反発していますし……」

「何を言っている? 三割も賛同しているか、もしくはどっちつかずかという事であろう? 素晴らしい数字ではないかっ」


 陰鬱な面持ちで告げる勝浦の言葉に、ヴァンダムは表情を輝かせた。


「幹部は人選の必要があるが、会員は様々な人間を区別無く入れていい。熱意さえあればよい。もっと集めたまえ。例えば――そう、障害者も構わず入れろ。如何なるハンデを背負っていようと、グリムペニスは喜んで受け入れると宣伝し、彼等を雇い入れろ。社会に貢献したいという意思さえあればよいのだ。それだけで我々の一員となる資格は十分。環境保護――地球の守護という生き甲斐を与え、歯車として大いに役立ってもらおう」

(奥さんを意識しているのかな?)


 勝浦はそう勘繰った。ヴァンダムの妻――ケイト・ヴァンダムは視角と聴覚の重複障害者であり、夫であるコルネリウス・ヴァンダム以上に名の知れた有名人である事を、勝浦は思い出す。彼女は夫の組織には関わろうとはせず、グリムペニスとは別個のNGOで活動している。


「奥さんも喜ぶでしょうな」

「あ……うん、まあな。ケイトは間違いなく喜んでくれるな、うん」


 社交辞令で口にした勝浦の言葉に、珍しくヴァンダムは言葉を濁して、照れくさそうな笑みをこぼす。


「働かないニートもいいぞ。彼等にも有効な使い道――利用価値はある。守るものは己だけである彼等は、うまく誘導すれば優秀な消費者になり得る。本を売りつけろ。時間を持て余し、屁理屈だけは長じた彼等は、雄弁なるスポークスマンである。思想を植えつけて語らせろ。SNSでも匿名掲示板でも集会でもデモでもいい。そしてより広めてもらおう。我々の牧場をより実りある豊かなものにするためにな」


 演説するかのように語り続けるヴァンダム。己の案に酔っているかのような雰囲気は無い。極めて真面目な口調で語っている。


「この世に価値の無いものなど無い。全てが何らかの形で我等に利用価値のあるものへと変換できる。どこに価値を見出し、どのように利用し、どれだけ我等の糧にできるか、それだけを考えろ。もちろん、コストパフォーマンスも考えなくてはならないがな」


 しかしこの先程から語るヴァンダムの思想を聞いていて、勝浦は全くいい気分はしていない。


「貴方の理想通りに人々が踊れば、おそらく多くの人々が幸福にはなれるでしょうな……」


 皮肉を込めて勝浦は言った。それは皮肉であるが、真理でもあると、勝浦はわかっている。


 一つの偏った思想に、疑問を持たずに委ねることは、実に楽でいい。生き甲斐にもなる。働き甲斐にもなる。経済も動く。政治屋もマスコミもオマンマの食い上げを手に入れられる。弱者達も救われる。ヴァンダムの理想の実現で、得をする人間の方が多いはずだ。

 にも関わらず、勝浦にはその一切合財が認められず、受け入れられなかった。邪悪で、歪な理想としか感じなかった。


「皮肉かね? まあ君の不満はわかる」


 勝浦の魂の尊厳の抵抗も、ヴァンダムは見抜いていた。


「私の感覚からすると、私のしていることは羊飼いそのものだ。羊は人に様々な恩恵を与えてくれる。羊毛、羊乳、ラム、マトン、羊皮紙、ラノリン、なめし革もいいな、頭蓋骨を置物として飾ってもいい。もちろん見世物にして楽しむこともできよう。あますことなく使える。そして私は多大な恩恵を授けてくれる羊達を育て、管理し、愛でる。そうした支配者と被支配者の構図が、君は気に入らないのだろう?」


 ヴァンダムの指摘に、勝浦は無言という形で肯定する。


「人の姿をした羊達に、心の安息と充足感を与えること。それが私の義務と言えよう。現実という名の狼に教われないよう、守り、導く」

「毛を刈り取りながらですか?」


 あまりの傲慢さに、勝浦は吐き気すらもよおしながら問う。


「言ったろう? 時に毛を刈り取り、時に乳を搾り、時に皮を剥ぎ、時に肉も食らう。羊には羊の役割が、羊飼いには羊飼いだからこそ得られる恩恵があるのだ」


 優しい口調で告げ、ヴァンダムは勝浦に向かってにっこりと笑ってみせた。


***


 清次郎、善太、桃子他の主要メンバーは、その日もグリムペニスのビルの会議室で、念入りに打ち合わせを行っていた。


 明日はデモの日。いつものデモとは違う、とある個人を批判し、糾弾するというデモ。


 雪岡純子というマッドサエンティストの情報は、SNS罪ッターの鍵付きアカウントで主要メンバーに流し、どのような人物かを伝達し、決行日もすでに教えてあるが、公にはしないようにと勝浦から厳命されている。


 雪岡純子がいかに悪で非道な存在かを触れ回って、士気を上げようと試みているが、やはり反応は芳しくない。


「やっぱり怪しいもんなー。俺も未だに半信半疑」

「今更何言ってるんだ」

「怪しいのは確かだが、俺達は裏通りの情報サイトもこの目で見て確認したろ?」

「勝浦さんの命令もあるし、確かにこのマッドサイエンティストとやらは存在するでしょ」

「それよりうちらにスパイがいたら、罪ッターで秘密にしててもバレない?」

「そんな仮定の話考えても仕方無い」

「ていうか私達の中にスパイなんているわけないでしょ」

「デモに集まる人の多くには、具体的なデモ内容は現地で伝える手はずにすればよかったのに。そうすれば人も集まった」

「それは駄目だろ。現地で伝えられても混乱する」

「でもマッドサイエンティストにも情報が漏れてたら、対策とられちゃうかもしれない可能性もある」

「どんな対策だよ。俺達グリムペニス日本支部デモ隊に勝てるわけねーだろ」


 メンバー達は口々に議論しあい、万全の体制で明日のデモに臨もうとしていたが、一度議論が始まると、毎回全くまとまりがなく自分の主張のし合い、否定のし合いになっている。否定意見も出るのか議論討論の基本であるが、彼等は皆、自分が否定される事を極めて嫌がるくせに、他人の否定だけはやたらしたがる傾向にあった。

 清次郎はほとんど自分の意見など口にせず、ただ観察していた。混じるのが嫌だった。彼等が物凄く見苦しく見えて仕方が無いのだ。


「実験台志願のメール出したら、秘密の入り口に入るパスワードが来て、ビルの中にある秘密の入り口も、メンバーの一人に確認させてきた。入れるだけ中に突入するよ」


 桃子のその報告によって、ようやく収まりを見せたかに見えたが――


「ビルの中の人が迷惑じゃない?」

 善太の一言に、再び険悪な空気になる。


「お前何言ってるの? 俺達は正しいことをやろうっていうのに、何でそれが迷惑になるんだよ」


 勝浦に迷惑と言われた時もカチンときていたメンバーの一人が、同じ立場である学生メンバーにも同じことを言われ、今度は口に出して反発した。


「そうそう、そんな危険人物がビルの下にいるなんて、ビルの持ち主にとっても良くない事だしな」

「ていうかさ、そのデパートもグルなんじゃない? だったら同じ悪だから、一緒にやっつけてオッケーでしょ。何が迷惑だって話だよ」

「本当どうかしてるよ。どうして迷惑なんて発想が出るんだか」


(どうかしてるのは自分達じゃないか……)


 ごくまともなことを口にした善太が叩かれているのを見て、清次郎は怒りを覚えたが、それを口にもしない。いや、できない。


(卑怯だな……俺)

 そう思い、うなだれる清次郎。


「ちょっとやめてよ。彼はまだ日が浅いから、私達の思想についていけないのよ。私達は普通の人達の――いや、時代の常に一歩前、一歩上を進んでいるんだがら、新規の人にまでそのノリを押し付けるのは無理があるでしょ」


 桃子がそう言ってフォローしたが、フォローされた善太は機嫌を悪くした。


「日が浅いって、俺もうここに入って結構時間経ってるぜ。そんな人を見くびった擁護の仕方されても嬉しくねーよ」

「ちょっと……何なのあんた? トンチンカンな発言して、かばってもらってその態度は何なの?」


 善太の物言いに、桃子も怒りを露わにする。


「喧嘩やめろー!」


 ヤケクソ気味に清次郎が叫び、会議室がしーんと静まり返る。


「俺達の敵は……俺達じゃないよ……」


 普段大人しい清次郎が叫び、しかも震える声でそう訴えたことが、単純な彼等の心に響いた。


「そうだよな……。仲間割れよくない」

「俺も言いすぎた。悪かった」

「うん、私も」


 謝罪しあい、場は落ち着きを取り戻したが、そのきっかけとなった清次郎は、この集団は根本的に駄目だと呆れかえり、諦めきっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る