第十九章 4

 カンドービルから南に少し行った場所には、大きな神社がある。『夜叉踊り神社』という名のその神社は、東京西部の市町村が合併されて安楽市が出来た際に、ほぼ同時に建築されという、比較的新しい神社だ。


 神社の中には『暗黒魔神龍庵』という名の、おどろおどろしい名の和風喫茶がある。

 褐色長身オールバックの男が店の中に入る。彼はここで待ち合わせをしていた。


 メニューを覗くと、暗黒魔神龍のフィレステーキ、逆鱗出汁スープ、魔界スーパーノヴァオムライス、ダークブレスパフェだのと、意味不明な名前の料理名が並んでいて、男は顔をしかめた。


「へーい、バイパー。おっひっさー」


 相手が来るのが遅いので、結局龍汁定食なるものを注文して食べ始めた所に、待ち合わせの相手が来て、並びのいい歯を見せて笑いながら声をかけてきた。


「よう、みどり」

 挨拶を返し、バイパーはお椀の中に入っていた肉の塊を口に入れる。


「あたしは鯖の滅殺無間地獄煮付け定食で~」

「これ、一体何の肉なんだ……? 豚でも牛でも鶏でも無さそうだし」


 畳になったボックス席の向かいに正座して座るみどりに、パイパーが尋ねる。パイパーはあぐらをかいている。


「そりゃもちろん暗黒魔神龍の肉ですよ。魔界で狩ってきました」


 着物姿の四十代くらいの女性店員がやってきて、笑顔で告げる。


「そっか……」

 空気を呼んで、それで納得しておくバイパー。


「雪岡純子の所で厄介になってるって聞いたけど、改造とかされてねーのか」

「ふわぁ~……どうだろ。真兄とか知らないうちにこっそり改造されて、不老不死化と放射線耐性つけられていたみたいだし、あたしもひょっとしたら改造されてるかも~」

「真面目に考えて答えている所がこえーな」


 バイパーが苦笑いを浮かべる。


「んで、バイパーは何の用で安楽市に?」


 安楽市を訪れるから会わないかとバイパーに連絡を入れられ、みどりはこの喫茶店で会う約束をしたのであった。


「うちの糞ったれの御主人様の命令で、海チワワの幹部を追っている。二度ほどやりあったが、中々手強い便器だわ」


 忌々しげな口調でバイパーが言う。


「イェア、バイパーが二度も討ち漏らすたあ、相当なもんだぁね。しかも便器ってこたー、女かい」

「かなりゴツい見た目だがなあ」


 女性相手に便器という言葉は使っても、デブという言葉を使って罵るには、抵抗があるバイパーだった。


「ところで、海チワワって日本で何やってるのォ?」

「毛皮だの角だのを取引しているマフィアとドンパチしているよ。あるいはどっかの研究室にバイオテロをかけることもある」


 後者はともかく、前者は悪いことではないようにみどりには思える。


「一部のマフィアとは手を組もうとしているがな。ジェフリー・アレンていうアホが、上の意向を無視して、何度も交渉を台無しにしていたが、そいつが死んだから、今度こそマフィアと手を組むんじゃないかって、うちの御主人様は言ってたよ」

「ふえぇ~……散々交渉決裂している組織じゃあ、マフィア連中だって取引したくはないんじゃね?」

「ははは、俺もそう思うわ」


 みどりの指摘に、バイパーが笑った。


***


 上半身シャツ一枚の真が、片手で逆立ちをしている。

 直立した足の上には、純子が両手を大きく広げて片足で乗っていた。雪岡研究所では、ごく見慣れた光景だ。


 みどりとバイパーが昼食を取っている頃、雪岡研究所では未だ昼食にはならず、累と純子が二人がかりで真のトレーニングに付き合っていた。

 強くなるためには地道に体を磨き続けるしかない。何のために己の体をいじめ続けるのか。戦いを楽しむにあたって弱かったら話にならない。生死を賭けたゲームに臨む際、己が磨いた力を如何なく発揮する喜びのためというのも大きい。だが何よりも真には確固とした目的がある。


「ほらほら、意識を緩めない。体の負担をかける箇所に常に意識を集中させて。強くなるっていうイメージをね」


 真の上に乗った純子が、真の気が緩んだのをすかさず見抜いて注意する。


(いずれこいつを倒すため、いずれこいつが助けを必要とする時が来た時のための鍛錬)


 そう何度も言い聞かせて、真は修練に励み続ける。

 今の自分の力では、ヒロインを守るナイトにはなれない。護るべき相手に降りかかる火の粉は、大抵が護られるまでもなく己の手で振り払える。だが護るべき相手が護りを必要とするほどの危機に遭遇した際に、今の自分では何の力にもなり得ない。


(つまりはせいぜい走狗にしかなれないってことだ。どんなに僕が護ると嘯いてもな)


 そう考えると口惜しくて仕方がない。だが同時に、闘志も燃えてくる。


「あ、一時だ。ちょっと時間オーバーしちゃったねえ。御飯にしよ」


 真の上から降りて、純子が言った。


「作っている間、累に代わってくれ」

 と、累の方を一瞥した真だが――


「ひたすら頑張ればいいってわけじゃないし、もういいよ。君の体は成長を止めたおかげで、頭も体も吸収率こそ優れているけど、限界ってものもあるんだからねー」


 純子がかぶりを振って言う。


「君を不老不死に改造したのは、私や累君と一緒に時を過ごせるようにってのもあるけれど、その年齢で留めていた理由は幾つかあるんだよー」


 逆立ちをやめて大の字になった真を見下ろし、なおも純子は説明する。


「不老不死の人ってほとんどが、見た目子供か老人かの二極端なんだよねえ。その方がいろいろと利点あるんだよ。特に日本ならおじいちゃんおばあちゃんていうだけで、見られ方全然違うしさ。子供も、子供の特権てのがあるじゃなーい。それと私の個人的趣味で、一番可愛いと思う年齢――出会ったままの君の姿でいてもらいたかったし。で、肝心の本題だけど、成長速度や敏捷性を維持するって意味も強いんだ。一方で膂力や体力は、その肉体年齢だとどうしても大人に劣るけれど、裏通りでは身の軽さの方が重要だからねえ」

「その割には速度でもあのデカブツのバイパーにも劣っていたけれどな」


 体が小さいから速いなどという単純な理屈は、真には信じられない。


「それはまあ……相手の方が上だったってことで、もっと修行しないとだねえ」

 微笑ながら純子。


「ま、真君が望むなら、私ができることは何でもするつもりだから、遠慮無く言ってよー。例えば改造手術とか、あるいは改造手術とか、もしくは改造手術とかもいいかも」

「お前が千年以上も生きてきた経験と叡智を、お前との間で繰り返されるゲームで教わっている感じだな」


 単純に身体能力の向上だけではなく、経験を与えられるという形で自分が成長している事を真は実感している。


「私はそこいらの国家以上の年月を生きてきたけれど、所詮は一人分の人生だよ。私からだけ学ぶのではなく、この世にあるもの全てから学び取らないとね」

「そんなこと言われなくてもわかっている。特にお前から学ぶものが多いと、感謝してやったんだよ」


 真本人は全く気がついていなかったが、爽やかな笑みをひろげて、純子に向けていた。それを見て、純子はどきっとする。


「何してるんだ?」


 突然真に向かって、目を瞑って両手を合わせて拝みだす純子に、真は戸惑う。


「いやー、いいもの見れたから」

「ちょっと……二人共、これを見てください……」


 顔の前に出していたホログラフィーディスプレイを、真と純子の方に飛ばす累。


「え……何これ?」

 そこに書かれていた内容を見て、純子は一瞬顔をしかめた。


 鍵付きSNSからのお漏らし情報が、裏通り用ゴシップサイトにと晒されていた。その内容は、グリムペニスのデモ隊が、今度の休日に雪岡研究所へ押しかける計画を立てているという代物である。


「確か今、グリムペニスのボスが来日中なんだよな。これはそいつの差し金か?」


 タオルで汗を拭きながら、少し呆れたトーンで真が言った。


「どうだろうねえ……。どういう意図があるんだろ……。あるいは若い子達の暴走かもしれないけど」


 純子にしてみても、この展開はあまりにも予想外であった。一つわかっているのは、このデモとやらが決行されれば、表通りに自分の名が必要以上に知れ渡りかねないという事だ。


(機先を制してメディアに圧力かけてもらって、抑えておくかなあ? いや、私がそんなことしなくても、国の偉い人達が勝手に抑えてくれるよね)


 そう判断し、デモが起こるまで、純子は何もしない事に決めた。

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