第十八章 35

 真、百合、睦月、亜希子、咲の五人が、揃って庭まで逃げてきた時には、屋敷の半分以上に火が燃え広がっていた。


「ちょっとぉ~、私の部屋のもの、全部燃えちゃうじゃない。せっかくいろいろ本とか服とか買い集めたのにっ」

「また集める楽しみができたと思いなさいな」


 口惜しそうに屋敷を睨みつける亜希子に、百合が声をかける。


「これは貴方の仕業……ではなさそうですわね」


 百合が真の方を見て言った。真の様子を見た限り、どうしてもそうは見えない。第一、百合に喧嘩を売りにきて、自らも屋内に入っているというのに、わざわざ放火して台無しにしてしまう理由など無い。


「でも火の回り方が不自然だったし、どう考えても放火だと思うんだよねえ」

「気がついたら家の裏側燃えまくりだしさ」


 睦月と亜希子がそれぞれ言う。


「うおおおーっ! 百合様っ、御無事でしたかーっ!」


 一人逃げ遅れた白金太郎が、ティーポットとティーカップと大量のティーバッグを抱え、家の中から飛び手で来た。


「って、何で相沢真がここにっ!?」

 真の姿を見て驚く白金太郎。


「百合様、お喜びくださいっ。お茶は無事ですっ!」

「ちょっと貴方は黙っていてくださるかしら」


 得意満面に抱えた茶道具一式を見せる白金太郎に、つれない態度の百合。


「どちらかというと、そっちの関係じゃないか? 恨みを買っている事は相当しているだろうし。解せないのは、放火なんていう不確実な手段を取った事だが。表通りの人間かもしれないぞ」


 と、真が分析する。


「なるほど。理にかなってますわね」


 心当たりが多すぎて、百合には誰の仕業か全く見当がつかない。しかし自分を恨む者は多くても、自分の居場所を知られるというのも不思議だった。


(まさか裏切り者がいるのでしょうか。ラットの中にはいても不思議ではありませんが)


 百合は無数のラットを手なずけている。純子に捨てられたという立場による共感もあって、互いに協力関係を築いてはいるが、白金太郎や葉山ほどは信じられる間柄でもない。

 亜希子や睦月は自分に反感丸出しであるが、今見た様子では違うように見える。火事そのものを不思議がっていた。それ以前に、彼らにとっても住処である場所に火をつけるような輩と、結託するとは考えにくい。


「白けたな。今日の所は退いておく」


 銃を収め、堂々と背中を向けてその場を立ち去ろうとする真。完全に隙だらけではあるが、相手に攻撃する気配を感じれば、即座に対応できるという自信があってのことだ。


「あら? 上手い逃げ口上を見つけられて何よりですわね。放火魔さんに感謝しなさいな。まあ舌戦は中々強かったと認めてあげまししょうか」


 その背中に嫌味をぶつける百合であったが、真は反応せずに立ち去る。


(百合の方が明らかに押してたからねえ。短い攻防だったけど。もしあのまま戦っていたとしても、真が勝つとはとても思えないなあ。まあ、百合にかなわないのは、わかりきっていたことだけど)


 睦月は思う。火事が起こらなかったら、あの後真はどうしていたのだろうかと、その辺が疑問ですらある。おそらく真は、途中でかなわないと見なして逃亡していたであろうが、百合もそれを見越していたようであるし、今の百合の嫌味は的を射ている。


「ママ、これからどうするの? 私達家なきっ子―ズ状態だよ」


 結構今の住まいが気に入っていた亜希子が、呆然と憮然が混じったような表情で言う。


「私は他にも幾つか家を持っていますから、そのうちのどれかに移りましょう」


 百合も今の住居が気に入っていたため、亜希子の気持ちはわかる。


「貴女はどういたしますの?」

 咲に声をかける百合。


「どうもしない。真があんたを倒してくれないかという期待もあったけど」

「期待はずれで残念でしたわね。あんな非力な子ではなく、もっと強力な助っ人を探していらっしゃいな」

「別に助っ人とか、復讐とか、そんなつもりは無い」


 からかう百合に、咲はあっさりとした口調で言い返し、睦月の方を見る。


「落ち着いたらまた二人でゆっくり話がしたいな」

「あはっ、いいよう。それより君は、早く純子の所に行ってきた方がいいねえ」

「ありがと。じゃ」


 短く礼と別れを告げ、咲は立ち去った。


***


 雨岸邸から少し離れた場所で、真はみどりと落ち合った。


「へーい、裏方のみどりちゃんですよぉ~」


 みどりが物陰から頭だけを出し、にかっと歯を見せて笑う。


「火事は真兄の仕業じゃないよねぇ~?」

「まさかな。で、あいつの心は読めたか?」

「ある程度はね~。なんつーか……いろんな人間の頭の中見たけれどさァ、あの女はドン引きだわ。頭の中、真兄をどんだけ追い詰めて、どんだけ残酷に殺すかで、いっぱいだったぜィ。あとは純姉への恨みと未練って所かな」


 みどりの報告を受け、真は頭の中で不敵に笑ってみせる。


「僕も全く同じことを考えている。ただ殺すだけでは復讐とは言えない。あいつの思い描く筋書きが全て裏目に出て、屈辱と恐怖と絶望を味あわせてからだ。そのためにもお前の協力が必要だ」

「なるるる、そのためにあたしを選んだってのもあるのか」


 納得するみどりではあったが、ちょっと顔をしかめる。自分の能力をそんなことに利用されるのは、あまりいい気分がしない。


「みどりの能力を知った時、僕の復讐の構図は頭の中に漠然とできあがった」

「御先祖様だって似たようなことできるのよ。夢からの干渉はあたしでないと無理だけど」

「あいつは僕に力を貸さないように、雪岡に止められている。で、その夢への干渉とやらをあいつに出来るか?」

「意識してガードされない限りはね。相手もオーバーライフだから、精神攻撃されているとわかれば、備えられちゃうよぉ~。やるとしたら、精神攻撃されていると意識されないよう、ほどほどの干渉程度かなあ」


 難色を示すみどり。


「あいつの頭の中を見たのなら、あいつが嫌がる悪夢を毎晩見せ続ける事もできるか?」

「う……」


 真の問いに、みどりは口ごもる。難色どころか露骨に嫌そうな顔をしている。


「それはいくらなんでも悪趣味すぎね?」

 責めるような口調のみどりに、真は押し黙る。


「スマートな復讐をしようとは考えていない。悪趣味だろうが何だろうが、苦しませてやりたいというのが、僕の率直な気持ちなんだ。悪意を向けられ続けて弄ばれるのがどれだけおぞましいか、あいつにも思い知らせてやりたい。でも嫌なら無理強いはしない。他の方法を考える」


 少し間を置いて思案してから、真は言葉を選び、告げた。


「うん……まあ……できなくもないけど、あまり連続して悪夢見せると怪しまれそうだよォ~。せいぜい二回くらいがいいとこだわさ」


 真の気持ちも察し、みどりは一応引き受ける前提で話を進める。


「最初は露骨でもいい。二回目は、怪しまれないように現実で起こった出来事と関連させた方がいいかな」

「悪夢を見せるって、嫌がらせ程度にしかならないんじゃないかなァ」

「最終的には見せた悪夢と現実とリンクさせて追いつめる。悪夢と同じ結果になることに怯えて、奴の行動をしぼらせる。そこに隙を作らせる」


 真の思い描く計画はいつものように大雑把ではあったが、直接心を繋げているみどりには、真が何をしたいかが大体伝わった。


「ただの嫌がらせじゃなく、勝つための布石ってわけね。オッケイ」

「奴のこともよく知りたい。あそこまでどうしょうもない屑に成り果てるからには、それなりの理由もあるはずだ。あの女の悪意の根源があると見ていい。雪岡に執着する理由もな」

「あのさ、真兄……言いたい事が三つほどあるんだけど」


 憮然とした顔になり、みどりは言う。


「一つ目。あたしさァ、人の頭の中を覗くのって本当は好きじゃないから、少しは気遣ってよねェ~」

「すまないと思ってるよ」

「二つ目。真兄には信じられないけど、世の中の糞野郎全てが、悲惨な過去があって世界や人間を呪うようになったわけではなく、もう本当に根っからの糞野郎ってのもいるんだよね。もちろん環境の問題は大きいけど、人の痛みのわからないカスや、人を見下して楽しむ屑や、悪意を振りまくゲスは、自分が虐げられたからそういう人間になるわけでもないよォ? もちろん逆も然り。先入観や固定観念ってーのは思わぬ落とし穴になりかねないから、注意した方がいいってこと」


 似たような事を純子にも注意されたと、思い出す真。


「で、三つ目。みどりの能力も万能ってわけじゃないんだよォ~? 何度も言ってるけど、頭の中に深く潜り込むには、双方の合意やら信頼も必要。もし、こないだ御先祖様にやったみたく強制的に潜り込むのなら、術そのものを用いないといけない。そうすればいくらなんでも相手だって気が付くよ」

「雨岸百合のルーツまでは知りようが無いってことか?」

「いや、方法は無くもないよぉ~。みどりは夢という形でも人の心に干渉できるから、夢の中で記憶を連想させることで、それを探ることはできるかもしれない。でもそのやり方は確実性も無いんだよね。これまた何度も言うけど、露骨にやれば、精神干渉されていることも悟られちゃうかもだし」


 雨岸百合がどれほどの術師で、過ぎたる命を持つ者としての力や格がどれほどのものか、いまひとつみどりにもわからないので、はっきりとしたことは言いづらかった。


「いずれにせよ、記憶の掘り起こしは最小限にした方がいいよぉ~。さっき言ったように、二回くらいが限度だと思うわ~。精神分裂体を常にべったり張り付かせておけば、あの女が真兄にどんな手を仕掛けてくるかもわかりそうなもんだけど、気付かれるリスクも高くなるんだよね」

「わかった。あの女が何を企もうと、ある程度は把握できるから、その辺は多分大丈夫だ」


 あくまである程度であり、大部分が推測の域をることが出ないが、みどりにこれ以上あれこれ注文するのもどうかと思い、これで話を〆ることにした。何よりみどり自身が気乗りしない様子なので、気遣ったという理由が大きい。


「こっちのスパイに、気付かれない限りはな」


 そのスパイと共に行動してしまったのは不味かったと、真は思う。情報を流される事を疑われ、警戒される可能性が生じてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る