第十八章 34

 現れたのは真だけではなかった。後ろには咲の姿もある。睦月と亜希子経由で自分の居場所を突き止めたのは聞くまでも無い。

 睦月と亜希子が揃って行動し、真もそれに加わった時点で、百合がこの展開の可能性も考えなかったわけではない。偶然が積み重なって、遭遇も考えられた。しかし睦月や亜希子が積極的に、真に自分の存在を教えたとも考えにくい。


 真は自分の敵が誰かさえ知らない状態でいた。純子も累も亜希子も睦月も、同じ理由で教えなかったのだろうと、百合は見透かしていた。たとえ真が復讐に向かったとしても、あっさりと蹴散らされるのがオチだと理解していたから。

 だが真は、どうにかして自分の存在を突き止めた。それが百合には痛快に感じられた。


「私はすでに貴方と会っていますわよ。話もしていますし。貴方の筆おろしをしてあげたあの死体人形を通じてね」


 真に向かって優雅に微笑みかけ、百合は口を開く。


「知らなかったでしょう? あれも私の操っていた死体ですのよ。よくできていたでしょう? 初体験の相手が死体なんて、素敵かつ貴重だと思いませんこと? 私に感謝してほしいですわ」

「精一杯淑女キャラ作ってるが、中身は品性劣悪すぎて笑えるな。まあ、あんなことをしてくれるわけだから、下衆なのはわかっていたが、実物は想像していたよりずっとひどいもんだ」


 真の顔から笑みが消え、いつもの無表情に戻る。同時に、迸る殺気がさらに激しくまる。


「全くだ。睦月を殺人鬼になるよう仕向けて育てたのも、これなら納得いく」

 咲が真に同意する。


「人を苦しめて何が楽しい? 人の命を――心を弄んで、何が楽しいんだ?」


 挑みかかるような視線を百合にぶつけて、キツい口調で咲が問う。


「あら? それ以上に楽しいことが他に何かありまして? 楽しくて当然のことを何が楽しいかなどと尋ねるなど、愚問も愚問」


 それを百合は心地良さそうに受け止め、嘲る。


 真がゆっくりと室内に足を踏み入れる。咲は入り口で待機したままだ。手を出すなと予め真に言われているが、危なくなったら真の言いつけなど無視するつもりでいる。


「危なくなったら助けるかなあ」


 身構えている咲の横から顔だけ出し、こっそり扉の隙間から様子を伺い、睦月が呟く。後ろには亜希子もいた。


「どっちを?」

 亜希子が問う。


「亜希子はどっちも助けたいだろうけど、俺が助けたいのは真だけだねえ」

「ママに加担する振りをして、真と咲を逃がすって手もあるんだけど~」

「あはっ、その手もあるか」


 亜希子と睦月がそんなやりとりをしている最中に、真と百合は煽りあいを続けている。


「貴方は所詮、純子へのあてつけのための嫌がらせの道具にすぎないのですよ。それをこれから嫌と言うほど思い知らせてあげますわ」

「そうだな。雪岡にはかなわないから、周囲へ嫌がらせするくらいしかないわけだ」

「例え今は無理でも、いずれ純子も私の前に屈しますわ。時間はいくらでもありますし、そのための準備も――」

「無い。お前は雪岡にたどり着く以前に、僕の足元で床を這う事になるからな」


 百合の言葉を遮り、断言する真に、入り口で様子を伺っていた咲が息を呑んだ。殺気がさらに増していた。


「まあまあ、それは楽しみですこと」

 義手を胸元にあて、百合が術を唱える。


 それを見た真は、銃を抜き様に撃ったが、短い呪文で召喚された者によって防がれた。


 百合の前に現れたのは、巨大な子供だった。年齢が四歳か五歳くらいの子供がその体型のまま、2メートルを越えるであろう巨体になっている。当然横幅もある。

 肌は何らかの皮膚病にでも侵されているかのように赤い。顔にある目と鼻の位置がおかしい。目が額や頬の位置にあり、鼻は斜めに傾き鼻孔が斜め上に向かっていた。口は位置こそ正常だが、片側が大きくひん曲がっている。


(真兄、本気でやる気?)


 次の銃撃に移る前に、みどりが心配げに声をかける。


(前哨戦だ。僕もこいつも本気ではない。僕には僕の、そしてきっとこいつにはこいつのシナリオがあるだろう。互いに、相手を徹底的に壊してやるためのシナリオがな)

(ふえぇ……そのわりには真兄、殺る気マンマンなのが伝わってくるんだけどォ~)


 みどりとの会話を手短に済ませ、真は巨大幼児に向かって発砲する。


「いたああああいっ!」


 胸と顔にそれぞれ銃弾を受け、歪んだ顔をさらに歪ませて泣き喚く。


「よいこと?」


 泣き喚く巨大幼児の耳を引っ張り、自分の口の側まで寄せた所で何やら耳打ちする百合。

 巨大幼児が真を睨む。少し逡巡したような仕草を見せた後、真めがけて突っこんでくる。その動きは意外に速い。


 巨大幼児の攻撃を避けつつ、真は何発も撃ちこんでいく。顔に銃弾を食らってもほとんどダメージが無いようで、人間と同じ部位が致命傷になるとは限らないと見なしつつも、喉、胸、腹部、額など、それらしき場所を狙って撃ったものの、巨大幼児は痛がるだけで、動きは鈍らなかった。

 溶肉液入りの弾であるが故、銃創周囲の肉も溶かすので、重要器官には深刻なダメージを与えるはずだが、全く影響が見受けられない。


(へーい、真兄。あれは死体で作ったゴーレムみたいなもんだわさ。しかもそいつに御丁寧に霊体まで入れてやがるわ)


 みどりのアドバイスを聞き、真はどこを撃つべきか判断した。


 巨大幼児の両足の膝に向かって、立て続けに撃つ。銃弾のダメージと溶肉液の効果によって、膝関節が完全に機能を失くし、巨大幼児は転倒した。後は床を這いずるだけだ。


「あらあら、お上手ですこと」


 百合が言い、義手を払うと、巨大幼児の体がぼろぼろと崩れ始めた。まるで乾燥して風化していくように。


「おがあ……さん……おか……あ……」


 巨大幼児が泣きながら発した言葉と、みどりが口にした霊体を入れているという言葉で、真は目の前の巨大幼児の正体が何であったか察した。


「殺して、死体をいじって、殺した霊魂も入れなおしたわけか」

「大した洞察力ですわね。毎日ずっと暗い押入れの中で、お母さんお母さんと泣くだけの泣き人形、中々の傑作でしたわよ。貴方を壊せば、元の姿に戻して、お母さんの所に返してあげると、約束してあげましたのに、貴方が台無しにしてしまいましたわね。実に残念、実に悲劇、実に喜劇、嗚呼……何て素晴らしく美しい……これぞまさに芸術。私はまた一つ、大いなる創作を成してしまいましたわ」


 自己陶酔ポーズを決めながら、うっとりした表情で語る百合に、真は銃を撃つ。


「まだ話は終わっていませんわよ。この芸術の真骨頂が何であるか、語らせてくださいな」


 義手で銃弾をあっさりと弾き、百合はなおも続ける。


「容赦なく人を殺さんとする、嫌悪すべき造詣のおぞましき化け物、でもその正体が子供であり、意思とは関係無く殺していたことを知った事への怒り。殺すことでしか救えなかったやるせなさ。憎悪の矛先を向ける矛先が違ったことを知った後ろめたさ。そして殺した貴方もいろいろと想像してしまいますの。まだ幼い子供が化け物へと変えられて、元に戻して、家にも帰してやると約束されたのに、その希望をあっさりと摘み取ってしまい、どれだけ恐怖と絶望を味わって死んでいったかと、どんな気持ちで自分に殺されたかと、殺した貴方はこの先、幼児の姿を見る度に、今日のことを思い出して、陰鬱な気分に苛まれますの。まさにっ、芸術とはまさにこのことでしてよ」

「ひどすぎる……」


 咲が百合を睨みつけ、怒りに満ちた声で呻く。


「それがつまらないと雪岡に言われなかったか?」


 真が冷めきった声で言うと、百合の表情が劇的に変化した。自己陶酔の極みでうっとりしていた顔が、一変して険しくなる。


「同じ悪党としても、お前は雪岡より数段劣る。ひょっとしてそれが原因で、雪岡に見限られたんじゃないか? それに腹を立てて、見当違いのくだらない仕返しをしているわけか」

「もしかして、純子は私の存在を貴方に教えていたのかしら?」

「別に雪岡に聞いたわけじゃない。ただの当てずっぽうだったが、その様子だと図星か。全くもってくだらない奴だ」


 罵り続ける真に、百合はとうとう無言になる。


「雪岡が興味を持たないのも頷ける」


 最後の一言もまた当てずっぽうであったが、おそらく純子の性格を考えると、百合のような人物には全く感心を抱かないと判断して、指摘した。


 無言のまま、百合はその場で義手を振るった。


 反射的にその場を飛びのく真。義手に仕込まれていたニードルガンより、無数の針が射出され、真のいた空間後方の壁に突き刺さる。

 針自体は質量の小ささ故に、破壊力には欠ける。有効距離もいまいちだ。しかしある程度の距離であれば、人体に対しての殺傷力は有る。銃声も無く、硝煙も残さないであろうから、暗器の一種として考えれば、十分有効な武器だ。


「あはぁっ、百合が怒った」


 睦月が笑う。舌戦で百合が負けたのを見たのは、痛快だった。


 百合が真との間合いを詰める。接近戦を見越して、真は後方にステップを踏み、袖口から長針を抜き、両手にそれぞれ逆手に持つ。銃も同時に持ったままだ。


 構えるよりも前に百合が間近に接近し、右の義手が振るわれる。踏み込みの速さに驚きつつも、頭部を狙われた攻撃を際どい所でかわす真。


 立て続けに左の義手が突き出される。拳が真の鳩尾に綺麗に決まり、真の体がくの字に折れ曲がる。

 その場に前のめりに倒れかけた真であるが、床と顔が着く直前に床に手をつき、倒れるのをこらえて、一気に起き上がろうとする。


 だがそこに百合の強烈な回し蹴りが放たれ、真の側頭部をとらえた。

 真の小さな体が横向きに飛ぶ。蹴りによって吹っ飛ばされただけではない。クリーンヒットしたわけでもない。寸前でかわそうと身を大きく引いたのだ。しかしそれでも相当な威力をもって、真の頭部にダメージを与えた。


 ぐらつく頭で立ち上がり、百合の次の攻撃に備える。明らかに相手の方が体術は上で、一方的な展開になっている。


 少し距離が開いたので、銃を一発撃つ真だが、あっさりとかわされ、同時にあっさりと距離を詰められる。


 百合の手刀が振り下ろされる。ほぼ同時に、真も逆手に携えた長針を突き出す。両者の腕が交差する。


 先に百合の手刀が真の肩口をとらえた。鎖骨が折れる確かな感触。


 真の針は百合の首をかすめたに留まったが、百合は大急ぎで真と距離を取り、傷を受けた首に手を当てて、解毒の術を試みる。

 実際には真の針に毒など塗られていないが、真は追撃を受けずに済み、真の側から攻撃に映る余裕も生じた。


「ねえ……コゲ臭くない?」


 二人の戦いを見物していた亜希子が呟く。


「ていうか、煙が出てるねえ」


 亜希子の言葉に反応して、睦月が振り返ると、廊下の向こうから煙が立ち上っているのが見えた。


「火事だよっ、火事っ。裏からかなり火が回ってるっ」

「え?」

「は?」


 真も咲も百合も、睦月のその報告に呆然としてしまった。


***


「監視カメラの間をすり抜ける技術って、本当役立つなー。これだけは是非覚えておくべきだね。まあ道具も使ってるけど」


 迷彩布に身を包み、百合の屋敷に裏から火をつけた張本人が、裏の塀をよじのぼりながら呟く。


(みどりがいるから、気がつかれるかも知れないけど、まあそうならない方に賭けよう。あいつが俺の邪魔な存在になるとは皮肉だよ。しかも二度も)


 真達の後を尾行して、こっそりと雨岸邸に辿り着いた犬飼は、屋敷に忍び込み、真が百合と対峙したのを見計らい、屋敷の裏に火を放ったのだ。


(どうなったか結果を見届けたい所だけど、ここはひとまず退散と。みどりさえいなければなー。ま、後でそのみどりに、結果だけ聞くとするかね)


 雨岸邸からダッシュで逃げながら、犬飼はそう決めた。

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