第十八章 32

「何でみどりがいるんだ」


 コントロールルームのモニターから、闘技場内のバトルを見物して楽しんでいた犬飼であったが、通路にみどりの姿を見て、顔をしかめて呟いた。


(咲も来たし。雪岡純子も一緒か。咲を追ってるみたいだが、どういうことだ。うん、これは知りたい。知るためにもあいつらに死んでもらっては困る。いや、他はどうでもいいけど、流石にみどりは死なせたくないし)


 コントロールルームの機材を操作する犬飼。自爆装置は止められないが、中にいる者達を無事に脱出させる事くらいはできる。


(で、俺がここにいてもあれだな。しゃーない。危険だけど助けに行った振りをして合流するか)


 一通り操作を終え、犬飼はコントロールルームを出た。


***


 咲の様子があからさまに怪しいのは、真と睦月にも一目でわかった。


「おかしいよ……。咲、正気じゃないわ。こんな変なヴィジョンが見えるなんて……」


 目を凝らし、咲の周囲に投影される黒と灰色と紫の濁ったドロ水と泡のようなオーラを見て、亜希子が呆然とした面持ちで言う。


「操られてるっぽいけど、まあ……それもいいか。二人共、手出ししないで」

「そんなの聞けない。危なくなったら手出しするよ」


 咲を見据えたまま睦月が言ったが、亜希子があっさり拒む。


「真剣に危なくなったらにしておけ。睦月には睦月で考えがありそうだし、ギリギリまで様子を見てやれ」

「わかった」


 亜希子に向かって真が言い、亜希子も頷く。


「咲。望みを少しかなえてあげるよ。そうすれば、俺も君も、少しは気分が晴れそうじゃない? あはっ」


 睦月が声をかけるが、咲はまるで睦月の声が聞こえてないかのように無言のまま、睦月に向かって手をかざす。


 咲がかざした手に向かって息を吹きかけると、何枚もの赤い花びらが掌の上に現れる。

 さらにもう一度息を吹きかけると、花びらの数が爆発的に増え、まるで意志を持って飛んでいるが如く動きで、掌の上から睦月に向かっていく。


 睦月は避けようとしなかった。花びらが顔に張り付くと、五感があからさまにおかしくなったのが、実感できる。目の前を舞い散る花びらの動きが途轍もなく早く見えるし、音も聞こえづらくなった。それどころか立っている事ができず、よろよろと左右に体を揺らした後、膝をついてしまう。

 咲に能力の仕組みを教えてもらった時、例え自分でもまともに食らったら恐ろしい能力だと思ったが、実際に食らってみて、よりその恐ろしさを実感できた。戦闘どころではない。


 持続時間の問題や、頭に近い場所でないといけないという条件はあるが、形状が花びらという時点で、初見で不意打ちを食らえば何が何だかわからないうちに、無防備な状態に陥る事になる。


(で、どうする? 酸の中に突き落とす? それともまだ別の何かがある? あったとして、真達が助けてくれるとして、どの辺で俺が危険な状態になると判断するのかなあ?)


 ぼやける頭で、睦月は漠然と考える。

 ゆっくりと睦月の方に歩み寄る咲。


 咲が睦月の顔に自分の顔を寄せる。咲の憎悪で濁った瞳を間近で見て、睦月は背筋に寒気を覚える。


(例え正気を失っていようと、好きにやらせれば、正気が戻った際に少しは気持ちが楽になるかも――と思ったけど、うまくいくかなあ……?)


 罪滅ぼしの気持ちも含めての算段であったが、相手が操られている時点で、思惑通りにいくかどうかも怪しいと、やや懐疑的な睦月であった。

 咲が間近で息を吐く。黄色い花粉のようなものが咲の口から吐き出され、睦月はそれを吸い込んだ。


 それから咲はしばらくの間、何もせずじっと睦月を見つめていた。睦月も咲をただ見ている。きっと変化が起こるまで時間がかかるのだろうと、睦月は思う。


 果たして十数秒後、睦月の体に変化が生じた。


 皮膚を突き破り、体のあちこちから芽が出て、葉が開き、花が咲く。そして全身の力が急激に抜けていく。体に咲いた花に奪われていく。

 膝をついた状態も維持できなくなり、橋の上に横たわる睦月。


 あっという間に全身花まみれになって、睦月の体そのものが花で覆われてほとんど見えなくなった。


「ちょっと……」


 その光景を目の当たりにし、亜希子が呻き、真に視線を送る。

 真は亜希子を一瞥して首を横に振るが、亜希子は納得いかない。もう危険どころではない状態に見える。


「なるほど……いくら再生力があっても、その再生するエネルギーを他に吸われてしまっているから、今の俺なら簡単に殺されそうだ」


 喋りながら睦月は、花びらによって感覚が狂わされた効果が、すでに無くなっている事に気がついた。あるいはその効果さえも、睦月に生えた花によって吸われたかもれしない。


「気が済んだかな? それともまだ駄目? それとも……俺のしたこと無意味?」


 掠れ声で咲に語りかける睦月だが、咲は何の反応も無い。


「まあ……俺の自己満足みたいな部分もあるけど、もういいかなあ」


 睦月が身を起こす。それと同時に、睦月に咲いた花が一斉に、睦月の中へと吸い込まれるようにして消えた。いや、実際睦月の体内へと戻っていった。


「ただ再生能力があるだけなら、今のは悪くなかったけどねえ。俺はファミリアー・フレッシュっていう、他の生物を体内に取り込んで、自分の僕として改造する能力があるんだよねえ。だから、俺の体から咲いた花も、取り込むことができるってわけ。もちろん、吸われた体力も幾分か取り戻せる、と。あははっ」


 立ち上がった睦月に、咲はまた花びらを吹きかけようとするが、睦月が腕を伸ばし、咲の口を押さえた。


「さてと……どうすれば元の咲に戻せるかなあ?」


 もう片方の手で咲の肩をがっちりと掴むと、睦月は真と亜希子の方を見上げる。


「亜希子、真、手伝って。咲を拘束したい」

「も~、心配かけて~」


 亜希子が口を尖らせ、睦月と咲のいる橋へと飛び降りる。

 真も降りようとしたその時、闘技場の入り口に見知った二つの顔を確認した。


「来たのか」

「来ちゃったー」


 真に声をかけられ、毎度お馴染みの屈託のない笑みを広げる純子。その横には、歯を見せて笑うみどりの姿もある。


「いいタイミングだったみたいだねー。みどりちゃん、お願い」

「オッケイ、純姉」


 純子に促され、みどりが短い呪文で術を発動させる。


「ええええっ!?」


 睦月が驚きの声をあげる。咲の体が鮮やかなエメラルドグリーンの炎に包まれたからだ。それは咲を押さえている睦月の身も焼いているはずだが、全く熱いと感じない。


「ぐあああああああっ!」


 突然、睦月の側で絶叫があがる。咲の方から聞こえたが、咲の声ではないし、咲の口は押さえているから、このような叫び声が上がるはずもない。

 声は咲が背負ったナップザックの中から聞こえた。睦月がその口を開け、中にある物を取り出す。


 出てきたのは鯖島恒星の生首であった。叫び声の主はこれだ。


「駄目だわ。霊が物体に――生首に憑いている状態じゃ」


 雫野の浄化の炎は、霊体なら問答無用で冥界送りにするが、物質には効果が無いうえに、死霊が物質に憑いていると、その物質に阻まれてしまい、完全には効果が及ばない。

 しかし全く効かないわけでもない。鯖島の霊を生首に繋ぎとめていた術が、次第に緩んでいく。鯖島の霊が、浄化の炎による解放感にあてられているおかげだ。


「ああああ……」


 最初は凄まじい形相で叫んでいた鯖島であったが、やがて声が掠れていき、その顔は穏やかなものへと変わり、静かに目を閉じる。


「お、うまくいったわ。浄化完了、と」


 みどりが言い、咲を包んでいた緑の炎が消えた。咲の目の濁りも消えたので、睦月は咲の口から手を離す。


「睦月……」


 正気を取り戻した咲が、泣きそうな顔で睦月を見る。

 睦月が口を開こうとしたその時、爆音が響き、闘技場がゆっくり傾きだした。


「何だい、これ。暴れすぎて崩れたとかじゃないよねえ」

「爆発している時点で違うと思うよー」


 睦月と純子が言う。


「予め爆弾が仕掛けられていて、それが作動したのか?」


 真が言った直後、今度は二度爆音が響く。一つは上からであり、見上げると天井が崩れ、闘技場のガラス球に破片が降り注いでいる。


「これ、ひょっとしなくてもヤバそうじゃない?」

 と、亜希子


「早く逃げた方がいいとおもうよー」


 純子が言ったその時、闘技場の下に貯まっていた酸が床の下へと吸いこまれて消えていく。

 床に穴が開き、下へと続く階段が現れる。


「非常脱出口だ。そこから逃げた方がいい」


 純子とみどりの後ろに現れた犬飼が声をかける。


「あいつ、途中からいなくなってたと思ったら……」

 不審げに犬飼を見る真。


「へーい、犬飼さん、どこ行ってたのさ」

 みどりに問われて犬飼は頭をかく。


「建物の中散策していたら、コントロールルームを見つけてな。そこから戦いの様子を見学していたんだが、爆弾が設置されている事に気がついて、解除しようといろいろいじってたら、緊急避難用の……って、喋ってる場合じゃないな。逃げよう」


 犬飼が純子とみどりの脇を抜け、闘技場の中に入り、床に開いた非常脱出口へ真っ先に駆け込む。他の面々もその後に続いた。

 そしてさらにその後に、全く誰も知らない男が駆け込んできたのを確認する。


「誰だ?」

「……」


 真が問うが、男は首を横に振っただけで、答えようとしない。


「多分、百合が雇った情報屋だよ。俺らのやりとりを撮影して、百合に見せてたんだ」


 純子と真二人がいる前で堂々と百合の名を出す睦月であったが、純子も真も、反応しない振りをしていた。


***


「どういう展開ですの? 純子が現れるし、咲にかかった憎悪の共有は、雫野の術であっさり解かれるし、舞台は老朽化で崩れるのではなく爆発しだすし、意味不明すぎでしてよ」


 雇った情報屋が撮影していた映像の一部始終を見て、百合は呆気に取られていた。


「百合様の仕掛けだと思ったら、違うのですか?」


 百合の横で同じ映像を見ていた白金太郎が意外そうに尋ねる。


「何もかも想定外でしてよ。気になる事がてんこもりですわ。あの様子では、爆発は純子も想定外のようでしたし」


 爆発の謎、累以外の雫野の妖術師が純子の側に新たにいることは、特に気になる。


(累だけでも相当に厄介だというのに、新たにそのような人材を見つけてくるとは……)


 霊や霊を操る術師に対して、絶大な力を発揮する雫野の妖術師は、死霊術師である百合にとっては、途轍もなく厄介な相手だ。それが純子の協力者として新たにもう一人増えたとなれば、また自分と純子の距離が広がることに繋がるという事になるので、百合にとっては忌々しい事態だ。


「映像が切れたということは、百合様が雇ったカメラマンは……」

「いえ、あの様子では無事逃げられたでしょう。任務を遂げた事を称えてあげましょうか」


 どうでもよさそうに百合は言った。

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