第十八章 12

「外に行って食べない?」


 家にこもったままの睦月に、亜希子が声をかける。

 自分が外に出ようとしないでいると、その時はその時でまた百合がろくでもない真似をして、外に出ざるをえないような状況に追い込むのはわかりきっている睦月である。復讐者と交戦も覚悟のうえで外出した方がいいのはわかっているが、それでも自ら外出するのは気乗りしない。


「でも俺、今狙われてるっぽいからさあ。巻き込みたくいんだよねえ」

「だ~か~ら、一緒に行くのっ。狙われてるからって、あんな家に引きこもって、ママの相手なんかするのもうんざりでしょ? 特に今はっ。それにさ~、私も一緒に戦うって言ったよね?」


 腰に両手を当てて胸を張って言う亜希子。


「あはっ、掃き溜めバカンスの皆とは逆のこと言ってるよ。ボスとか俺に、狙われてるから引きこもってろって命令してたっけ」


 睦月がおかしそうに笑う。


「それにさ、ママの遊びにただ付き合わされるのも癪じゃない? ママに何か一発お見舞いしてやるようなこと、考えない?」

「亜希子に何か考えあるのぉ?」

「あんた日本語通じてないの? 考えないって確認取ってるのに、考えがあるのかって尋ねるのはおかしいでしょ」

「あはっ、確かにそうだ」

「私と睦月が友達ってことも、純子にばれてもいいかな? それで困るのはママくらいのもんだし。てなわけで、純子に確認とってみるね」


 電話をかける亜希子。


「純子に何の確認?」

 睦月が訝る。


「あ、もしもし純子ぉ~? 最近いっぱい人体実験してない? 八つ裂き魔の復讐目当てっていう目的の人いっぱい」


 質問をぶつける亜希子を見て、睦月は顔をしかめる。


(それストレートに聞いちゃっていいのかなあ。百合の事にもどうやっても触れそうだし。亜希子は純子と接触していても、百合の元にいることは秘密のはずだろうに)


 そう思って心配する睦月であった。


『何で八つ裂き魔に興味があるのかな?』

「えっとね、八つ裂き魔の正体、私、知ってるのよね。睦月って子」

『んー、確かに睦月ちゃんの復讐目当てって子を改造しまくったよー。でも何で亜希子ちゃんが睦月ちゃんのことを?』

「睦月は私の友達なの。で、純子も私の友達。友達が友達を殺すために、改造人間作りまくるとか、すっごくげんなりするわ」

『んー……私も睦月ちゃんのこと友達だと思ってるよー。でも、私は私のルールに従って、人体実験するわけだからさあ』


 純子の声は睦月にも届いていた。睦月も口を出そうかと一瞬迷ったが、亜希子に要求されないかぎり、何も言わないでおくことにする。


「何人人体実験して、どんな改造したのか教えてよ~」

『それは言えないよー。教えたら改造した人達が振りになっちゃうかもしれないし』

「じゃあ純子は自分の友達が死んでもいいの?」

『それは死なないように頑張ってとしか……』

「ケチ」


 ふくれっ面で電話を切る亜希子。そのやりとりを聞いて、苦笑いが出っぱなしだった睦月。


 ふと、睦月はもう一人の存在を思い至る。


(あいつなら……力を貸してくれる? いや、何馬鹿なことを考えてるんだ。皆を殺した奴なのにさ。それに……)


 変なちょっかいを出される前に、亜希子に釘をさしておかねばと、睦月は思う。


「真は知ってるよね?」

「うん、戦友」


 睦月の問いに、亜希子は即答する。


「彼には……百合のことを教えないで欲しい」

「ママにも言われたよ、それ」

「百合が……俺に殺された人達の復讐者を差し向けて遊んでいる事もね。黙っていてほしい。真が百合の存在を知れば、彼の性格上、百合に向かっていく気がするんだよねえ。でも、真では百合には勝てないよ。だから黙ってて欲しい」


 亜希子は知らないが、睦月は百合が真をどう扱おうとしているか、知っていた。純子の嫌がらせのために、真を追い詰め、壊そうとしている事も。そのため、真の方から百合に近づけない方がよいと考える。

 本心を言えば、それだけではなく、真の助け自体を借りたくないという気持ちもある。


「教えなくても真が気付いたらどうするの?」

 亜希子が尋ねる。


「その時は……なるようになるかな。あは……」


 間を空けて、言葉を濁す睦月であった。


***


 咲はあの後、みどりに簡単な精神安定の暗示をかけてもらい、そのおかげで症状は落ち着いた。


 雪岡研究所を出て、咲と犬飼はずっと無言で歩いていた。時折本屋に入って時間を潰していたが、その間も二人して何も喋らない。

 やがて喫茶店に落ち着いた所で、ようやく咲のほうから口を開いた。


「いつまで着いてくるんだ。私なんか取材しても、いい小説のネタなんて書けないと思うぞ」

「やっと口を開いたかと思ったら、俺への文句かよ」


 犬飼が小さく笑う。


「興味が尽きるまでかな。で、これからどうするつもりなんだ? お前は」

「もう一度あの睦月に会って、話がしたい」


 この間は互いに混乱していて、ろくに話したいことも話せなかった。今度はもう少し落ち着いて話がしたいと、咲は思う。


「私の中に恨みも怒りも憎しみもくすぶっている。私の心が揺れていると、私の中のアルラウネがまた暴れだす可能性があるんでしょ? 何とかケリをつけたいけど、それには睦月との対話が必要な気がする。八つ裂き魔を怪物か何かのように考えていたのに、会ってみたらあんなか弱い女の子だった。そのギャップで、私の中のバランスが狂っちゃった。だから、アフターケアが必要」


 できれば、睦月を許す方向で収めたいと咲は考えるが、許せないという気持ちも同時に存在しているのが厄介だ。


「あの子は、苦しんでいた。あの子が苦しんでいる様を見て、怒りが和らいで、そこから私がおかしくなったってことは、私の本心、実は怒りで満ち溢れていたってことなのかな」

「そしてアルラウネは、お前の無自覚な、復讐したい気持ちを糧にしていたってわけか」


 犬飼の指摘に、咲は身を震わせた。


「いっそ憎しみや恨みを消さなくてもいいんじゃないか? 睦月を作った奴に向けるってのがいいんじゃないかねえ。睦月を作ったとか言うあの白ずくめの女こそ、諸悪の元凶だろう? 睦月は悪として作られた存在だ。だからこそ、睦月を責められる奴なんてこの世のどこにもいないんじゃないか? 誰だって睦月と同じ境遇に生まれれば、八つ裂き魔になったんだぞ?」

「それを言ってしまえば、この世の全ての悪人が該当すると言える。あの百合という女も」


 とりとめの無い話をする犬飼に、咲は口を尖らせる。全ての悪に、悪になる原因があるのだから、罪など無く、責める権利も罰する権利も無いと言っているように聞こえる。


「その通り。人間という不完全で惨めで愚かな種族が、チンケな物差しで勝手に測るだけの概念、それが罪と罰だからな。法律なんていうルールも、たかだか人間如きが勝手に作り上げた代物でしかない。俺はそんなしょーもないもの、適当に守って適当に破ってりゃいと考えてるからな。多分あの雪岡純子もそうだろう」


 みどりもそうだったしなと、言葉に出さず付け加える犬飼。


「完全なルール、完全な倫理観、そんなものを人間如きが作れないし、作って決めてもいけないんだよ。もっと知性も精神も優れた、神様がそういう線引きをするってんなら、まだわかるけどな」

「あんたは神を信じるのか?」


 そういうタイプには見えないと、犬飼を見て思いながら、咲は尋ねる。


「つい最近まで薄幸のメガロドンにいた俺を捕まえて、何言ってるんだか」


 犬飼が冗談めかして笑った直後――


「それは奇遇だな。僕も薄幸のメガロドンに少しだけお邪魔した」


 すぐ後ろの席から、真が顔を覗かせて口を挟んだ。


「いつから聞いてた? つーか、いつからいた」

「つい今しがただ。睦月を作った奴がどうとかいう辺りだ。そいつは何者だ?」


 質問する犬飼に答え、真は質問し返した。


「私も詳しくは知らない。私が八つ裂き魔の遺族だと調べ上げてきて、睦月の存在を教え、復讐するよう煽ってきたんだ」

「俺も知らんねえ」


 咲と犬飼が答える。


「研究所ではそいつの話はしなかったな」

 犬飼の方を向いて真が言った。


「隠していたわけじゃあない。俺はただ興味本位でくっついてきているだけだし。雪岡純子も承知のうえだと思っていたが、お前の話を聞く限り、そうじゃないのかな?」

「睦月がひどい環境で育ったのは、僕も知っている。でもそれを仕組んだ人間を僕は知らなかった。雪岡は知っていた気がするが、僕の前では一言も話さなかった」


 純子は睦月の出生を知っていた節がある。睦月の話題は何度か出したことがあるが、純子は真の前で、睦月の出生に関してはあまり触れようとしていなかった。

 嘘はつかないが、語りもしないという姿勢を見せる時、純子が自分には知られたくない話題であるという事を、真は長い付き合いで知っている。


「主従の間柄でも、全てを教えているわけではない、か。そもそもお前さん、主の立場にある純子に対しても、不満や疑念を持っていそうだな」

「たっぷりあるぞ。たっぷり」


 含みを利かせて言う犬飼の言葉に対し、真が間髪おかずにそう告げた。


「二度言うほどにか。ははは」

 思わず笑う犬飼。


「睦月に会いに行くなら、僕も同行する。今のあいつは危険に晒されている最中だ。あんたらも、睦月も僕が守る」

「何であなたがそんなことをするの?」


 宣言する真に、咲が不思議そうに尋ねた。


「黙って見過ごして見殺しにしたら、寝覚めが悪くなりそうだという理由もある。でもそれ以上に、あいつを作った者とやらには興味がある。睦月の刺客を撃退していれば、その黒幕を突き止める機会も出てくるかもしれない」

「なるほどねえ」


 真の話を聞いて、犬飼は納得したような声をあげる。


「お二人さん、その黒幕を突き止めたら殺すのか?」


 犬飼がニヤケ笑いを浮かべて、ストレートな質問をぶつける。


「なりゆき次第だな。殺してやりたい気はするが」


 真はそう答えたが、咲は無言のままであった。


「それ以前の問題として、僕が睦月の前に現れるとややこしいことになるかもしれないが」

 と、真。


「ややこしいことって?」

 犬飼が尋ねる。


「あいつの仲間を僕は全て殺しているからな」


 それから真は、掃き溜めバカンスとの抗争の件を二人に話した。


***


 夜――外出した睦月と亜希子は、安楽市絶好町繁華街までわざわざやってきた。


「私、そこでよくデートするから、美味しいお店とかいっぱい知ってるよ」


 と、亜希子に誘われたわけだが、睦月はこの街に戻ってくるのは、正直抵抗があった。


 繁華街を歩いている最中、早速殺気を感じ取る二人。

 殺気は前方からだ。こちらの動きを知って、先回りをしているようである。


 やがて人ごみの中で、歩道の真ん中で堂々と立ち塞がってくる三人組の姿があった。


「こんな人の多い場所で、堂々とやる気かねえ。ま、俺はそれでもいいけど」


 睦月が三人に向かって言う。そのうちの一人は見覚えがある。先日交戦した、酸使いの木村紺太郎だ。


「うっわー、嫌なイメージ」


 目をこらして三人を見て、亜希子は思わず呻く。三人共、黒く濁った油のようなものをまと

わりつかせたヴィジョンが、見受けられた。

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