第十七章 25

 ログアウトした後、マキヒメは長年の分身として仮想世界を冒険し続けたキャラクターを削除しにかかった。


『本当に削除していいのですか? あと××秒で削除します』


 キャラクター選択画面でそう表示され、カウントが続くのを、マキヒメは泣きながら見届ける。

 実際にはキャラクターを削除しても、復活させる手段もあるので、完全消滅するわけではないのだが、それにしても自分の手で削除してそれを見送るという行為と経過は堪えた。


 甘い幻想の時間は思い出の中だけに残る。これからは幻想を支えていた現実とだけ向き合う。

 だがその現実も、最早壊れている。幻想に自らの手で幕を降ろしたのは、現実が深刻に壊れ始めたが故だ。全てを終わらせたいという気持ちが、マキヒメをそのような行動へと駆り立てた。


「これで見納めね。今までありがとう」


 涙声で別れを告げてキャラの消失を見送り、マキヒメはリアルへと戻る。

 より広範囲に電撃の渦を作る。住宅数棟を突き抜けるほどの範囲。何件もの家の中にいる者十数名あまりが一度に電撃を浴び、息絶え、電霊と化して、マキヒメが今までいた世界へ鯖の隔たりを越えて無差別に送られる。そしてゲームの世界をずっと漂うことになる。

 電撃は遮蔽物を貫通し、焦げ跡なども残さない。見た目は電撃であっても、実際は電気のそれではない。生物だけに反応する生体エネルギーであり、可視化された力そのものといっていい。


 台風の如く、電撃の渦巻きを維持したままゆっくりと歩いていくマキヒメ。ただそれだけで、大勢の人間が次々死んでいく。


 どれだけの時間が過ぎたであろう。どけだけの人を殺したであろう。


(何より、あとどれだけ殺すんだろう。どれだけ殺せるんだろう)


 一人虐殺マシーンと化したマキヒメは、ぼんやりとそんなことを考えた。


『緊急警報です! 浣町内一帯にて細菌テロが発生した模様! 市民の方々は警察の支持に従って至急非難してください! 繰り返します!』


 日が完全に落ちた頃、スピーカーから大音量で避難勧告が流される。

 さらにマキヒメの前に、機動隊と思われる車が集結し、停車してバリケードを作る。


「やっと来たのね」


 妨害が入ることも予測していたマキヒメは、虚ろな笑みを浮かべる。


 催涙弾などが撃たれたのを見て、マキヒメの笑みが消える。マキヒメの能力は、対生物にしか作用しない。

 激しく煙が立ち込める中、マキヒメは渦の範囲をさらに拡大させて、車のバリケードに潜んでいる機動隊まで及ばせる。


 催涙ガスのせいで激しく咳き込み、涙するマキヒメ。しかし機動隊はほぼ全滅していた。


 前方が塞がれているので、電撃の渦を消して引き返し、別の道を行くマキヒメ。どうやらこの街はもう駄目なようだ。皆避難してしまった。

 自分の存在を公的機関に知られてしまった。これ以上殺すのは困難だ。自分の動きはきっとチェックされて、先回りされて避難勧告が出されてしまうであろう。


「もっともっと殺したかったのに……」


 夜だというのに全く人気の無い繁華街まで来た所で、マキヒメも少し疲れて無人の喫茶店に入り、席に腰を下ろす。店のドアも開きっぱなしだった。


 自分が大量殺人鬼になった事が、いまだに実感が無い。ゴーストタウンを作り上げたのも自分の仕業という実感も無い。

 だが自分のやっている事に自覚はある。世界は醜い。醜い世界を作っている醜い奴等を、あの美しい世界へと送ってやる。しかし送られてもただ漂い、あの世界を眺めることしかできない。それでいい。


 全てが憎らしく、呪わしい。その呪いを解き放ち、実質的な力を伴って災いをもたらす存在になれたのが心地好くてたまらない。同時に嘆かわしくてたまらない。


 もしかしたら殺した中には、オススメ11のプレイヤーもいるかもしれない。あるいはその家族も。

 最悪の場合、ネナベオージも殺してしまうかもしれない。あるいはもう殺してしまったかもしれない。その可能性とて、確かにあるのだ。


 自分が世の中に無差別に害を成す悪と成り果てた事に、マキヒメは絶望する。


「どうしてこうなったの? 私、悪になっちゃったよ。まるで悪の魔王そのままだよ」


 ゲームの中では何度も勇者や英雄になって悪者を倒して世界を救ってきたのに、現実では魔王さながらに悪の化身となり、災いを振りまいている。多くの人間を殺め、多くの人間を哀しませ、殺めた人間の魂すら封じるというおぞましい存在。

 ゲームというフィルターの中では、大した感慨もなく、ただのありがち悪役なのに、実際にそんなものが存在するということを意識すると、おぞましくて仕方無い。しかもそれが自分自身であるとは。


 マキヒメは完全に良心を失くしたわけでもない。だが自暴自棄な気持ちと、この世界への怒りが、今まで良心の主張を許さなかった。

 それが今になって、己の運命に対する嘆き、良心の呵責にさいなまれはじめている。


「優雅にお茶か?」


 テープルの上に突っ伏していたマキヒメであったが、声がかかって、驚いて頭を上げる。

 くたびれたスーツ姿に、狐を連想させる吊り上がった細目の小男が、喫茶店の入り口に佇んでいた。


 問答無用で電撃の渦を発生させるマキヒメ。しかし男はそれを見ても悠然と佇んでいる。

 男に電撃が直撃せんとしたまさにその時、男の手から数枚の呪符が放たれ、電撃を弾いた。

 電撃が消え、呪符も消し炭となって消え去る。相殺された形となった。


「その超常の力、どうやって身につけたのか、如何なる性質を持つのか、いろいろ興味深いが、生かしたまま捕らえて、研究機関に連れて行けるほど、余裕も無いな」


 男がマキヒメを見据えて言い、懐に手を入れる。

 その男が何者か、マキヒメは何となく察した。常人では太刀打ちできないと踏んで、超常の力を持つ刺客が放たれたのであろうと。


(止められるものなら、止めて欲しいわ。精一杯抗いはするけど)


 マキヒメが立ち上がり、男と向かい合う。

 男の手から呪符が放たれる。それらは意思があるかのような動きで舞い、マキヒメに襲いかかる。


 電撃が渦状ではなく、雷のように上から下へと幾条も降り注ぎ、マキヒメに放たれた呪符を撃墜したかのように見えたが――

 呪符が弾けたかと思うと、火炎が吹き上がり、マキヒメの方へと伸びていく。


「破心流妖術、とくと味わえ」


 男が、超常関係ではメジャーな妖術流派の名を口にする。星炭流妖術と同様に、化学反応や物理系統の術を得手とするが、一族の間でしか継承されない星炭流とは異なり、破心流は会得を望む者に門戸を開いているため、この国で最も使い手の多い妖術流派とも言われている。


 マキヒメは何か仕掛けがあると予期していため、すぐに次の行動へと移せた。電撃を薄い膜のようにして周囲に張り、火炎を防ぐ。バリアーのような働きだ。

 さらに男が呪符を取り出し、今度は自分の足元へと落とす。床に触れる前に、呪符が大きく膨んだかと思うと、男の胸辺りまでの高さの、白く大きな塊となった。


「餅獣は防げるかな」


 男が不敵に笑って呟くと、白い塊が物凄い勢いで跳躍し、マキヒメに飛び掛る。

 マキヒメが電撃を放つ。白い塊はあっさりと迎撃され、地面に落ちてぶるぶると震える。確かに餅のようだとマキヒメは思う。


「馬鹿な……餅獣が電気如きで……」


 今のは相当自信のある術だったようで、男が顔色を変えていた。しかしどの辺りが自信の根拠なのか、マキヒメには判断がつかない。


 他にも奥の手があるかもしれないし、隙を突かれるのもどうかと思ったので、マキヒメは普段よりもさらに出力をあげて、電撃の渦を発生させる。これまでの渦より、電撃の密度が濃い。

 男は呪符で防ごうとしたが、放った呪符は全て塵となっただけで、電撃の勢いを殺ぐ事すらかなわず、その身に浴びる事となった。


 電撃の密度を濃くしているにも関わらず、男は他の人間よりも絶命するのに時間がかかった。電撃を浴びながらも必死に抵抗していた。超常の力の持ち主であるだけあって、抵抗力があるようだ。


「何だ……。ゲームより現実の戦いの方がずっとぬるいじゃない」


 そう嘯くものの、いずれは自分を上回る力の持ち主が現れて、破滅するであろうことも、マキヒメは予期している。


 店を出ようとして、ふらつくマキヒメ。立ちくらみを覚え、カウンターの椅子で持ち堪える。そして店内にたてかけてあった鏡を見て、マキヒメは悲鳴をあげた。

 どう見ても五十過ぎ、下手をすれば六十過ぎに見える女性がそこに映っていた。目が窪み、肌がたるみ、皺が深く刻まれ、醜く老いさらばえた自分。


 力を使いすぎた代償であることは容易に察せられた。


「これが一線を越えた報い。もう……私、本当に取り返しのつかない所にきちゃったよ。あはっ、あははっ、あははははは……うわあああああんっ!」


 自虐の笑いは途中から号泣へと変わる。


「助けてよぉ……誰かぁ……ネナベオージ、今すぐこっちに来て私を助けてよぉ。さっきみたいに私のこと抱きしめてよぉ……」


 床の上にへたりこみ、老女となったマキヒメは、子供のような声を出して助けを求め、泣き喚き続けた。

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