第十七章 20
「お、戻ってきたのか」
「どうも」
正午。雪岡研究所に姿を現した蔵に声をかけられ、累は照れくさそうに会釈する。
「蔵さんのお茶をいただくのも……久しぶりです……。やはり一番美味しいです……ね」
「ふわぁ……御先祖様、喋り方も元に戻っちゃったよぉ~。ネトゲの中で普通に喋りだして、リアルでも普通に喋るようになっのにさァ」
「オススメ11にかける情熱効果……でした」
突っこむみどりに、累は言った。
「それが今は……途切れてしまったので、また元通り……ではいけませんね。今回の件をきっかけにして、僕は自分を大きく変えることにしました。喋り方は……難しいですけど、それも頑張って普通にしてみます」
「んー、何か始めるつもりなの?」
笑顔で語る累に、純子が尋ねる」
「はい。手始めに……運動不足だけは何とかします」
みどりに敗れたのも真に敗れたのも、原因はそれだと累は思っている。
「真兄と一緒に毎日早朝マラソンでもしてくるとか、効果ありそうだよぉ~」
歯を見せて笑いながら、みどりが言った。
「みどりちゃん、それは累君にしてみたらハードル上がりすぎだよ。私だって外走るの恥ずかしいから、ルームマラソンにしてるし」
純子が外を走るのが恥ずかしいと口にしたのは、意外に思える一同であった。そんな羞恥心があったのかと。
「まあ白衣で走るのは確かに恥ずかしいだろうな」
「ジャージにすればいいと言いたい所だが、白衣を脱ぐのは嫌なのか」
「ジャージ姿の雪岡は想像つかないな。この中で一番似合いそうなのは蔵さんだが」
「私が着ると体育教師みたいになりそうだ」
真と蔵が口々に言う。
「ところで純子。育夫の……ことですが」
累が真顔になって話題を変える。
「あまり酷い処置はしないよう……お願いしますよ。あれはそんなに腐っている男ではないので、多少は……加減してほしい所です」
「恋人殺してゲーム世界に引きずり込んで束縛しているんだぜィ? 十分腐りまくってるじゃんよぉ~」
「文字通りの廃人を作って電霊を量産するよう仕向けた、諸悪の根源だろう」
累の訴えに対し、みどりと真が突っこんだ。
「まあ累君がそう言うなら、考えておくよ」
基本的に純子は実験の有り方について、真や累に何を言われても、あまり耳を貸すことはないため、いつしか真と累も口を出さなくなっていたが、最近は純子も心なしか丸くなってきた感もあるし、一度敵に回って相手の内情も知っている自分の頼みであるということも計算したうえで、累はお願いしてみた。
「電霊になった経緯は褒められたものでは……ないですけどね。でも接していて、悪人という感じは……無かったです」
純粋だったと口にしようとして、累は思いとどまる。累も含め、ここにいる全員、純粋な人間はタチが悪いという認識だからだ。教祖様していたみどりは特にそれを承知しているであろう。
「んー、オススメ11、ここにきていきなりRMTが流行りだしているんだってさ。人が増えたせいかねえ。しかも中華とか懐かしいなあ」
顔の前にホログラフィーディスプレイを出し、オススメ11関連の掲示板を読み漁っていた純子が、不思議そうに呟く。
「ふえぇ~、あーるえむてぃーって何だったっけ? 前にも聞いたような、聞かないような」
みどりが問う。
「りあるまねーとれーどの略。ゲーム内のお金をリアルのお金で売買することね。それ専用の業者が結構いるんだよー。まだ日中の国交があった頃は、中国人の業者が特に日本のネットゲームに入り込んでいて、中華業者って言われて、忌み嫌われてたんだけど、何で今中華業者がまた復活しているのかなあ……」
顎に手を当てて不思議がる純子。累には思い当たる節があったが、黙っておくことにした。
***
大型バージョンアップがとうとう明日に迫る中、マキヒメは今日もリアルでせっせと電霊を増やしていた。
男を釣る行為も、作業の一つとして割り切っている。電霊一人を作るまでの手間が大変だが、累がもうあてにならないとあれば、自分が頑張るしかない。しかも累は、役目を果たしたといわんばかりに、どこかに消えてしまった。
人気の無い場所に連れ込んで電霊化を果たして、廃人となった男にドリームバンドをかぶせると、ニャントンと通じている組織へと連絡を入れる。今日だけでもう三人目だ。組織の人間とも連携を取り合い、マキヒメを尾行してもらう形でついてきてもらっている。
どう見ても移民である彼等は無言で、マキヒメがたぶらかした男を車へと詰め込む。今日は多くても三人までと、前もって彼等に告げているので、今日はもうおしまいだ。
いくら作業と割り切っているとはいえ、疲れることに変わりは無い。一日一人ならまだしも、一日に三人も引っ掛けるのはダルかった。
(早く帰ってゲームしたい)
電車に揺られて自宅に向かいながら、マキヒメはずっとそう考えていた。本当はすぐ寝たいところであるが、寝る前に少しだけでもオススメ11の世界に触れておきたい。
だが自宅には、招かれざる客がマキヒメを待ち構えていた。
自宅の門の前にいる二人の初老の男女を見て、マキヒメは愕然とした。マキヒメの両親であった。
「父さん、母さん、どうして……」
「どうしてじゃないでしょう! 電話してもでないとか、何かあったかと思って来るのが当然でしょう!」
ヒステリックな声をあげる母親に、マキヒメは怒りを覚える。今まで無関心であったくせに、他の子から愛想を尽かされるや否や、いっぱしに親気取りで恩を売ろうという見え透いた魂胆に、吐き気すら覚える。
「家には誰もいないようだな。近所の人に聞いたら、いつも庭の手入れをしているここの奥さんが全く姿を見せない、だそうだ。真紀の事ではなく、旦那さんの母方の事だな」
不信感を露わにして父親が言う。
「今も電気がついていないし、何かよくないことがあったのは間違いないな。興信所にも調べてもらったが、旦那さんは働いていない人らしいな。資産があるとはいえ、よくそんな人と結婚したものだ」
父親の言葉を聞いて、マキヒメは唖然とする。興信所に調査依頼という行為自体も気色悪いが、それを今更行ったうえで罵るなど、夫婦揃って自分達のおかしさには気付かないのだろうかと、神経を疑う。
「何かよくないトラブルに巻き込まれてるんじゃないの? まさか貴女が原因じゃないでしょうね?」
母親が問う。心配してくれたのかと思ったら真っ先に自分を疑う。心配なのは、娘が困っているからではない。娘が犯罪を起こしたかもしれないので、自分達の世間体が心配なだけだ。マキヒメはそこまであっさり見抜いた。
「何を黙っている。親を前にして何も言えないのか。そんな態度が出来るような子に躾けた覚えは無いが」
躾けられた覚えは一切無いが、一体どこで躾をした記憶がこの父親の中にあるのだろうと、呆れるマキヒメ。
(そう、こいつらって昔からこうだった。だから兄も姉も愛想を尽かした。薄っぺらで、体面だけ気にして、それで威張り腐っている。人の気持ちなんて全然わかろうとしない。全ては自分達の体面と保身だけ。子はそのための道具)
自分を産み、育ててくれたとはいえ、マキヒメはこんな馬鹿共に、感謝の念など欠片も抱く気にはなれない。
でもこの両親に限った話ではない。皆そうだった。マキヒメがこれまでリアルで見てきた全ての人間がろくでもなかった。
「誰も彼も……何でもっと人に優しくできないの? 何が楽しくて傷つけるの? それで苦しい思いをしている人の気持ちがわからないの?」
悲しみと怒りが混ざった表情で両親を睨みつけ、マキヒメは問う。
両親はマキヒメの視線と台詞に圧倒され、言葉を失っていた。本能的に危険な気配を感じ取っていた。しかしそれを察したからといって、何ができるわけでもない。
「もういいよ……何もかも……」
自分でもぞっとする声を発し、自分で自分の声にぞっとしたという事実がおかしくて笑い、マキヒメは能力を発動させた。
育夫から付与された電霊を作る能力は、問答無用で相手から霊を体の外へと放出させて、ゲームの中に電霊として放り込むわけではない。霊にすること自体はすぐできるが、ゲームの中に入れるには、対象にドリームバンドを被せる必要も有るし、そのための手間もかかる。
マキヒメの場合、たぶらかした相手に即効性の睡眠薬をうちこみ、意識を失わせてから電霊化の力を発動させていた。ニャントンの場合は念動力で相手を気絶させてから行っていた。タツヨシは催涙スプレーやスタンガンなどを駆使した。
今マキヒメが発動させた能力は、最近育夫から授かったもう一つの力である。
マキヒメの体を中心にして、渦を巻くようにして電撃のようなものが放射された。それらがマキヒメの両親を貫き、しばらく二人は棒立ちのまま電撃を浴び続けていたが、やがて生気が抜けたように地面へと倒れる。
不意にマキヒメが鞄の中からドリームバンドを取り出し、かぶってオススメ11を起動する。
ログインした場所に、マキヒメの両親が電霊となって漂っているのを確認する。生霊ではない。本体は死んだうえで、霊が電脳世界に送られた状態である。つまり死霊を電霊としてオススメ11に送り込んだ。しかもドリームバンドを起動する前に、死後即座に空間を飛び越えて、オススメ11の中に送り込んでいる。
マキヒメが覚醒させたもう一つの力は、生きたまま電霊化するのではなく、マキヒメの体から生ずる電撃状の生体エネルギーを浴びせて殺害する事により、死霊の電霊を作るという代物であった。ただし生霊の電霊を作るよりも、力が広範囲に及ぶうえに時間も大してかからないので、一度に複数の人間を殺せる。
だがこれではプレイヤーにすることは不可能だ。本体が生きていて、ドリームバンドを被って脳がゲームを操作していない限り、電霊をプレイヤーとしてインさせる事はできない。育夫や明日香と同様に、ただ電脳空間を漂うだけだ。つまり、オススメ11のプレイヤーを増やす事は不可能で、そのためには役に立たない能力であった。
両親の殺害と電霊化の確認に満足し、すぐにマキヒメはログアウトする。
荒い息をつくマキヒメ。新しい能力は、疲労がさらに激しい。命そのものが削られるかのような錯覚を覚える。
「私もそっちに――傷つける側に回るね? もういい。そうすればいいんでしょ? それが楽しいんでしょ?」
泣きながら笑い、マキヒメは両親の死体を見下ろして呟いた。
「ひええええっ!」
突然悲鳴があがった。今の一部始終を隣人が目撃していたのだ。
もう一度能力を発動させようとしたが、まだ残っているマキヒメの良心が思い留まらせた
(駄目だ……。何の罪も無い人は殺せない……)
ここで躊躇せずに隣人を殺害しておいた方が、後に多くの悲劇を生まずに済んだかもしれないなどと、神ならぬ身のマキヒメに想像がつくはずもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます