第十七章 17

 いきなり正面からハイキックを放ってきたことに対し、累は軽い落胆を覚える。

 機先を制するための不意打ち的な行為であるが、自分に対してそんな手を使ってきたのが、情けなく思えた。しかも隙だらけの大振りの蹴りだ。


 累は余裕をもって見切り、軽く身をかがめて避けると、攻撃後の隙を狙って一気に懐へと飛び見込み、真の首筋を狙って手刀を入れる。

 わざと隙だらけの攻撃をして誘っているのかとも思って、警戒していた累であるが、それさえも無かった。累の手刀がまともに入る。フィクションでよくある、気絶させるためのつもりの攻撃では無い。本気で相手にダメージを与えるために放った攻撃だ。


(運動不足で筋力も体力も低下していますから、容赦せず遊びもせず、速攻でいかせてもらいます)


 そう思いながら攻撃を仕掛けたはずの累であったが、真の体が崩れ落ちるのを見て、拍子抜けする。

 勝負はあっさりついた。うずくまり、完全に隙を晒している真。どうにでも料理できるが、これで勝負は決まったも同然だ。追い討ちをかけることも無い。


 数秒間だが意識が飛んでいた真は、慌てたように起き上がり、累と向かい合う。


「もう終わりですよ。真の負けです」

 累が冷ややかな声で告げる。真を見る眼差しも、同様に冷ややかだ。


「何言ってるんだ。僕はまだこうして立っている」

「見苦しいですね。今ので勝負がついたと認めないとは」

「僕が死ぬまで敗北とは言わないし、そもそも僕は勝負しにきたんじゃないぞ。お前を連れ戻しにきたんだ」


 言いながら再び構える真。


「勝負するならみどりの時のように、手段を選ばない。でも連れ戻すためなら、卑劣な手段は使わず正々堂々とやらないと、お前も納得しないだろ?」

「逆のような気もしましたが……なるほど、僕を納得させたうえで連れていこうというわけですか」


 ますます冷たく硬質な声を発する累。


「口でも暴力でも、納得することはありませんよ。ついでに言うと後者では、僕に届きません。次は死ぬかもしれませんよ? もう一度君を殺すなんて、嫌ですけど、僕は勝負とあれば、誰であろうと手を抜けないんです」

「もう一度?」

「僕は前世の真を一度殺しています。その時は人間ではなく、獣之帝という名の妖怪でしたが。やっと会えたのに殺してまた失った、あの時の僕の悲しみ――もう二度と味わいたくないです」

「それでも真剣勝負とあれば手を抜かない……か」

「はい」


 真はこの時、累を見直した。尊敬の念のようなものが、心に沸いてきた。同時に、累に同情する気持ちも沸いた。


 それ以上は言葉を交わそうとせず、累の方から動いた。

 累が構えている真に向かって、正面から組み付く。右手で真の首根っこを掴み、左手で真の右上腕部の服を掴むと、自分の片足を真の片足に絡ませて払い、そのまま体重をかけて押し倒す。

 大外刈りに似た技を食らい、受身をとれず、後頭部と背中を床にしたたかに撃ちつけられる真。柔道のそれとは違い、相手を倒す際にわざわざ首を掴んだまま腕に力を込めて、体重も乗せている。一本を取るための技ではない。数百年前、血と泥にまみれた戦場の中で自然に身につけた技――刀が使えない際に、咄嗟に素手で武装した相手を殺すための技だ。


 累とて本気で真を殺したいとは思わないが、戦うとあれば本気にならざるをえない。相手が素手の時点で、累も武器や術は使う気は無いが、ならばその素手でもって全力で応じる構えでいるが故、殺す気は無くても、死に繋がりかねない技も平然と使う所存だった。

 意識を失う前、真にもその想いが伝わった。対等の条件以外は、全く手を抜く気の無い意思表示をぶつけてきた累に、真は喜悦と恐怖の両方の感情に、強く支配されていた。


***


 再び意識が飛ぶ真。


「見てろよ、真」


 真の頭の中で懐かしい声で響く。吹っ飛んだ意識の夢の中で、懐かしい顔が浮かぶ。やんちゃな笑顔の、小柄な黒人男性。しかし身長こそ低いが、全身筋肉の鎧で覆われており、人によっては小柄と呼ぶには躊躇うかもしれない。


「力と重量は、技を遥かに凌駕する。どんな格闘技でもな、体重にちょっと差がつくと、えらい差がつく。ガタイのでかさと体重ってのは、肉弾戦じゃあ実に強い要素だ。漫画みたいに細身やチビが、筋肉隆々の巨漢を技で翻弄して倒すなんてのは、難しい話だ」


 そう言う彼の前には、身長180を優に超えているであろう、筋肉ムキムキの白人がいる。


「ほれ、かかってこい、アンドリュー」

「も~お、サイモンてば少しは手加減して頂戴よ~? 私、野蛮なこと嫌いなんだから~」


 アンドリューと呼ばれたマッチョの白人男性が、気色の悪い裏声で釘を刺し、自分より二回り以上小柄な黒人男性――サイモンに襲いかかる。

 勝負は一瞬でついた。突っ込んでくるアンドリューをひらりとかわして、サイモンは回りこむようにしてアンドリューの横へ入る。さらにはアンドリューの片腕を取り、突っ込んできた勢いも利用したうえで、アンドリューの片腕に自分の体重を乗せて倒す。


「いやああああっ! 痛い痛い痛い痛い! 痛いわよおぉぉ~! 早く! 早く離して頂戴! 痛いってのおおォぉぉぉッ!」


 サイモンに脇固めをかけられて、けたたましい悲鳴をあげるアンドリュー。


「これが柔よく剛を制すの見本って奴だ。まともにやったんじゃあ、小さい奴が大きい奴には、まず勝てない。だが方法が無いわけでもない。ま、俺やお前みたいなおチビさんは、できる限り素手同士の戦闘なんか避けるに越したこたーないんだが、どうしてもそういう状況に迫られた時も想定しなくっちゃな」


 そう言って肩をすくめて手を広げてみせ、茶目っ気たっぷりな笑顔を見せるサイモン。


 いつもニコニコと愛想のいいこの小さな男が、仲間からも他の傭兵達からも、最強の傭兵として敬意や畏怖の念を抱かれているなど、彼を知らぬ者からは想像もできないであろう。しかし真は、半年ばかりの短い傭兵生活の中であったが、彼より強い傭兵など見たことが無かった。


***


 短い間であったが、意識が飛んでいる間に見た夢は、この状況があったからこそであると、真は判断する。


(まさに僕が……味わっている最中か。剛を制される側で)


 起き上がり、まだ頭がぼんやりとする中、今見た夢が状況を打破するヒントとなるものであるかどうかを探る。

 単純な体格やパワーやスタミナといった面であれば、累よりも肉体年齢が高くて体も大きく、毎日トレーニングしている真の方に分があるはずだ。累が運動の類を全くせず、そのおかげもあってみどりに敗れたのは真も知っている。


 しかし実戦で鍛えられた累の技は、衰えていない。剛を制する柔を制する手を打たねばならない。


(喧嘩なんだから手段なんてどうでもいいし、とにかく根負けするまで殴りあう――つもりでいたけど、無理があるか)


 真正面からぶつかるつもりでいた真であるが、相手がただのどつきあいの喧嘩には応じてくれそうにはない。受けず、いなし、避けて、本気で潰しにきている。真が累に合わせてくれているのは、素手での勝負という点だけだ。


(まともにやったんじゃあ、自分より技の長けた相手には勝てない――と置き換える。つまり、技をいなすには――技を……封じるには――)


 累を見据えて、必死に頭を巡らす。累がこちらに攻撃してくる前に、答えを出さないと、またやられる。すでにかなりのダメージを追っているし、これ以上ダメージをもらうと、立つこともできなくなりそうな気がした。すでに足に来ている。


(毒霧――いや、そうじゃなくて……)


 みどりに用いたような卑劣な手段では、累を納得させることはできない。


 しかし答えはすぐに出た。真が以前毒霧などを用いたのも、真の趣味の一つがプロレス鑑賞である事から来ている。


(次、組んできた時が狙い目だな。密着して相手の動きが止まった時――)


 ようやく方法を思いついたその時、累が一気に真の目の前まで踏み込んできて、同時に右肘を突き出す。空手の技で言う猿臂だ。

 累の肘が、人中と呼ばれる鼻と口の間にある急所を直撃する。強烈な衝撃と共に、前歯が折れる確かな感覚を覚える真。


(駄目だ……まだ堪えろ……)


 ふらつきながらも、倒れずにその場に持ち堪える真。累が組みに来た時が好機であったが、打撃でこられてしまった。


(綺麗に入りましたが、やはり今の僕は筋力がただの子供並かそれ以下ですから、決定打にはなりませんでしたね)


 一方で累はそう判断し、トドメはしっかりと組み技で決めようと思い、腰を低く落とし、低空から真に飛び込む。

 低空タックルで相手を転がしてから、相手に馬乗りに跨ってから蹂躙するという、総合格闘技でのお決まりコースを試みる累であった。


 だが真は、累の動きをしっかりと読み、上から覆いかぶさるようにして受け止め、正面から累の首に腕を回してがっちりと押さえ込み、うまく防御を取った。

 真が累の首を腕で締め上げ、フロントからヘッドロックしたまま、上体を倒して累に体重をかけて上から押さえ込む。体重と力は真の方が上であるがため、こうなると累はどうすることもできない。


(幾つかかけてくる技とその返し技を想定していたが、一番対処しやすい奴できてくれたな)


 思わずほくそ笑む真。頭の中でではなく、実際に表情に出して笑っていた。前歯が欠けた顔で、口から血を吹き出しながら。

 真からすると、累が組んできた際、一瞬の隙をついて絞め技か関節技をかけるしか無いと判断し、狙っていた。どうも累は投げ技を好む傾向もあるように見えたが、組み技も警戒しておいた。


「ぐ……ぐ……」


 累が呻く。極めてシンプルな技だが、真が離さない限り、これはもうどうにもできないと悟る。


(まさか僕が真に敗北する? いくら素手での戦いで、僕が運動不足だったからとはいえ……)

 屈辱ではあったが、認めざるを得ない。


(僕に油断もあったと思いますが……)


 圧倒的に自分の方が勝っていると、途中で判断していた部分もある。実際、技量も経験も累の方が上であるが、だからといってそれによって必ず勝敗が決定されるわけではない。


 諦めて、累は真の手を軽く叩く。ギブアップのサインである。


 真が累から手を離して、大の字に寝転がる。


「もう動けない……。けど……」

 荒い息をつきながら、真は言った。


「動けるようになったらまたやる。そこで勝てなくてもまたやる。お前が一緒に帰ると言うまでやるし、僕が生きているかぎり、諦めないかぎり、それは敗北じゃないからな」

「手足の骨、それぞれ四本くらい折ってあげましょうか」


 呆れつつも意地悪い口調で言う累。


「好きにしろよ。それでも、雪岡に治してもらってまた来るだけの話だ」


 真が微笑みをこぼす。その微笑を見て、累はドキッとする。


「逃げるなよ。僕は何度でも来る。何回でも来る。お前が屈するまでは僕の負けじゃない。お前が僕を殺さない限り、僕の負けにはならない」

「もう……ズルいですよ。そこまで言われて、それでも抗うなんてできないでしょ」


 累が涙ぐみながら、倒れている真の上に覆いかぶさるようにして抱きつく。


「手間かけさせて。いや……予想していたよりは手間がかからなくて済んだかな」


 自分に抱きつく累の頭を軽く小突き、真は小さく息を吐いて呟いた。


「でも、僕はまた皆を裏切るかもしれませんよ。一度人を裏切る者は、何度でも裏切ります。結局僕は、何のかんのいって我を通すタイプですからね。例え多くの犠牲を出しても、親しい者を裏切ってでも、自分のやりたいことを通す人間なんです。ある意味純子よりタチが悪い。あのまま引きこもっていた方が平和なんですよ?」


 真の顔に自分の顔を寄せて、真摯な口調で累は問う。


「それでもヒキよりはマシだと、雪岡なら言うだろ。僕はどっちも面倒だと思うが」


 普段なら累の顔を押しのける真であったが、今はそうする気にもなれなかった。その余力も無いという事もあったが。


「まあ、またおかしなことしたら、こうして僕が修正しにくるし、雪岡同様に調教してやるさ。雪岡だけでも手がかかるのに、お前まで面倒見ることになるとは思わなかったけどな」


 何故か懐かしい感覚に包まれながら、真は言った。

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