第十五章 32

 モヒデブの姿は無い。いや、モヒデブの残骸のようなものならある。葉山の足元に散らかっている。体の全てがめくりかえって、皮のめくれたミカンのようになって床に広がっている。

 つまりそういうことだ。こいつは、モヒデブの体の中に隠れていた。あの巨体なら、中に隠れていても不思議ではない。


「そんな能力の使い方をするとは、予想してなかったよ」


 血を吐き出しながらそう言ったのは純子だ。俺が驚愕している間に、純子はほのかの元へと移動してうずくまり、倒れているほのかの傷口に右手を突っこんでいた。左手は自分の撃ち抜かれた喉に当てられたままだ。


「三度目かー。君に傷つけられるのは」


 葉山を見据えて呟くと、純子は左手をほのかの頭に回して自分の膝の上へと乗せる。喉の傷はもう見当たらない。血の痕だけだ。


「まず手強いのから……これが蛆虫流の定石です」


 両手にそれぞれ銃を構えた葉山が、静かに告げる。


 ほのかは意識を失っているようだ。ほのかは心臓と脳だけは弱点だと言っていた。ほのかが撃たれたのは胸の中央。つまり――

 またかよ……また神様の悪ふざけが始まったのかよ……。


「予定が狂っちまったな。これで最初に立てた作戦は台無しだ」


 憮然とした顔で葉山を睨みつけたまま、シルヴィアが不機嫌そうな声を発する。

 四人がかりの予定だったが、ほのかは明らかに戦闘不能。純子は――?


「大丈夫。必ず助けるから」


 振り返る俺の目を見て、純子は力強い声で言う。こいつのこんな声は初めて聞いた。依然として、ほのかの傷口に手を突っこんだままだ。


 何をしているのかわからないが、俺は純子を信じることにした。信じるしかない。


 シルヴィアも口にしていたように、予め立てた作戦は、これで完全に台無しになった。ほのかだけではなく、ほのかを治療しているらしい純子も戦えない。俺とシルヴィアの二人で、葉山と戦うことになる。

 俺はほのかと純子の方から、葉山のいる方へと体を向ける。葉山はただその場に佇み、口を半開きにしてあらぬ方向に視線を向けて、ぶつぶつと口の中で何か呟いている。


「じゃあ、必ず殺す」


 純子とほのかに答えるニュアンスで、俺は宣言する。当初の予定とは大幅に狂ったが、狂ったまま実行するしかないと、視線でシルヴィアに促す。

 神様は相変わらず悪意に満ちた台本で、演劇を進めているようだが、俺の知ったことではない。俺は自分が思ったように踊ってやる。


「そっちの子を狙ったのは正解でした。これで戦力半減。最も厄介な雪岡純子も後回しにできそうです」

 葉山がぶつぶつと呟く。


 せいぜい余裕こいてろ。いや、油断してろ。目にもの見せてやる。


「シルヴィア、俺と交代してくれ」

「わかった」


 俺の曖昧な要求を二つ返事で呑むシルヴィア。議論している暇も無いし、断るか頷くかのどちらかだ。ほのかとの連携でもそうだったが、先に言ったほうの勝ちって奴だ。


 俺が横に大きく跳びつつ、二発撃つ。

 葉山は最小限の動きで回避し、左手の銃で俺を撃ち、ほぼ同時に右手でシルヴィアを撃つ。


 シルヴィアはかわした後、動こうとはしない。どうやら俺の一言で、やりたいことを汲んでくれたようだ。つまり、俺の方が囮をする。


 俺がさらに撃ちまくり、卓球台の上へと上がる。葉山が反撃してきたのを見計らい、卓球台から一気に跳躍して、バーカウンターへと飛び移る。


 その瞬間を狙って、葉山は俺を撃った。着地と同時のタイミング。当然俺は避けきれず、脇腹に銃弾を食らう。

 防弾繊維を貫かれずに済んだが、衝撃でひるみ、葉山に連続攻撃の機会を与えた。葉山がさらに撃つ。


 しかし、俺に攻撃の意識を集中させすぎだ。わざとらしく作った隙にもまんまと乗ってくるとは。馬鹿なのか、自信があるのか、それともそれこそが葉山の作戦であるのか。


 シルヴィアが動く。ライフルで葉山を撃つ。


 葉山はこれをかわす。そのかわしたタイミングを狙って俺が撃つ。

 まるで申し合わせたかのような、俺とシルヴィアの即興のコンビネーション。ある程度以上の腕が無いと出来ない芸当だが、逆を言えば、ある程度以上の腕前の者同士なら、誰でもできるということ。


 しかし葉山は甘くなかった。二人がかりで立て続けに攻められつつも、わりと余裕をもってかわし、さらに反撃をしてくる。

 葉山が俺の方に移動しながら、シルヴィアに右手の銃を向けた――と思いきや、それがフェイントで、左手に持った銃で俺に向かって一発撃ってきやがった。


 俺はかわせなかった。いや、このタイミングで撃ってくるとすら思わなかった。完全に引っかかってしまった。

 腹のド真ん中を撃たれ、バーカウンターの奥へと倒れこむ俺。


 その俺の上に、葉山が勢いよく飛び乗って、踏みつけてきた。


 不味い……この位置は不味い。バーカウンターの奥で、シルヴィアの視界が遮られてしまっている。俺の正確な位置がわかりづらい。


 やはりというか予想通り、葉山は身をかがめて、カウンターを利用してシルヴィアの視界から自らも姿を消した。同時に、俺の頭部を掴むと、首をひねる。

 頚骨骨折。再生しきる前に、今度は頭を銃把で激しく何度も殴打する。頭蓋骨陥没または骨折、さらに脳挫傷といったところか?


 畜生……この間と同じだ。続け様にダメージを与えて、俺の再生のエネルギーを使い果たそうとしている。しかもこの間より早いペースで。


 とはいえ、ここにはまだ元気いっぱいのシルヴィアもいる。黙っているはずがない。

 そのシルヴィアが攻撃してくる気配を察したのか、葉山がバーカウンターから離れる。


 次の瞬間、衝撃と轟音と共に俺の意識が暗転する。

 何を起こったのかはすぐにわかった。シルヴィアが盾で、カウンターを吹っ飛ばしたのだ。もちろん俺もその巻き添えで大ダメージを受ける。邪魔なバーカウンターと葉山を俺も巻き添えで同時攻撃か。ひでえな。まあ俺の再生能力を承知したうえでのことだが。


 だが葉山は察知してそれを逃れ、俺は余計なダメージを受け、成果は葉山を引き剥がした事と、バーカウンターを壊しただけ。


 再生にも時間がかかる。俺は痛みに喘ぎ、シルヴィアと葉山を見た。これであの二人の一対一の構図になっちまった。畜生……。

 なるべく早くに再生し、参戦しないと、シルヴィアが危ない。なのにっ、体が言うことを利いてくれない。糞っ。このままじゃヤバい。


 ぼやける視界の中、シルヴィアがライフルを撃っているのが見える。葉山が二挺銃を立て続けに撃ちまくっているのも見えた。シルヴィアが倒れるのが見えた。おい……


 ふざけんなよ……。全滅コースかよ……。何だよ、これは……

 神様死ねよ。もうやめてくれよ。このままじゃほのかが……


「僕は蛆虫……醜く汚らわしい蛆虫だ……。でも、もうすぐ蝿になって飛べる……」


 勝利を確信でもしたのか、葉山はそんなことを呟いている。


 ふと俺は思った。この葉山という男も、俺と同じなんじゃないかと。この世のドン底を見たと思い込んでいる。それを知ったつもりでいる。一体どの辺がドン底かも、本当は知らないのに。

 ドン底がどこだかなんてわからないが、自分がドン底だと認識し、そこから這い上がった奴は強い。いや、強くなる。力がつくし、強さも得る。


 でも俺はもう駄目だ。これで負け……


『お前は負けるな』


 嗚呼……幻聴が聴こえやがる。いや、違う。ただ鮮明に思い出しているだけだ。忘れたくても忘れられない、あの男のあの言葉を。


『私の人生は無様な敗北者で終わったかもしれないが、お前は負けるな。何があっても負けるな。何があっても頑張れ。挫けるな。諦めるな。負けるな』


 一生忘れられそうにない厄介な言葉を俺に言い残し――いや、押し付けて、あいつはくたばりやがった。だが……

 俺がここでくたばったら、本当の意味であいつの人生を無駄にしてしまう。俺を憎みながらも育ててくれたあいつがいたからこそ、今の俺もあるってのによ。


「糞親父め……」


 口に出しては一度も言わず、別れ際に心の中で一度だけでしか呼んだことが無い言葉を、今ここで声に出して呟き、俺は立ち上がった。

 その言葉を口にした瞬間、嘘のように力が沸いてきた。


 俺のもう一つの能力――肉体の潜在能力を自由に引き出す力。そいつを今ここでフルに使う。再生しきらない状態でこの能力を使うのははっきり言って危険だ。何しろこの力は、再生能力と併用できない。この能力を発動させると、再生能力は消えてしまうからだ。

 でもこのまま敗北するよりはマシだ。


 力が漲るだけではない。集中力も、コンセントの服用以上に研ぎ澄まされているのがわかる。しかしこの能力がもつのは、せいぜい四秒。四秒の間に、決着をつけないといけない。この葉山という化け物じみた強さを持つ相手に、それを実行しないといけない。


 神様はどこまでも底意地が悪く、どんな強烈な想いも、どんなに懸命な努力も嘲笑い、無情に奈落へと突き落とす。そういう奴だと俺は知っている。

 だがそれでも足掻く。足掻くように、俺達は神様とやらに作られている。それが神様の描いた部隊演劇のシナリオの通りだとしても、足掻くようにして踊り続ける。


 時間の流れが遅くなっているかのように、状況の全てが把握できる。


 シルヴィアは腹部から出血して倒れているが、純子が治療とやらをすれば助かるかもしれない。ほのかの治療を終えた後にだが。しかしそれも、葉山を倒してからの話だ。

 葉山の視線は俺に向けられている。シルヴィアはもう戦闘不能と見なしている。今ここで真っ先に斃すべき相手は、俺だと認識している。はっ、上等だっ。


 俺と葉山がほぼ同じタイミングで互いに銃を向け合い、撃ち、横に跳んでかわす。


 さらに撃ち合う。これまた同時。俺の執念と集中力は、葉山とほぼ同じ強さになるまで引き上げられていた。

 と――思ったのは、錯覚だった。


 俺の銃弾は外れていたが、葉山の銃弾は俺の胸に二発も当たっていた。


 二発とも防弾繊維は貫かなかったが、衝撃を堪えきれず、俺は横向きに倒れていた。

 与えられた超人時間の四秒は、あっさりと消え去っていた。決死の覚悟も、泡の如く潰された。現実は漫画のようにはいかないと思い知らされた。


 神様はやはりいた。最後の最期まで、あの糞野郎の悪意は炸裂し続けた。いや、最期にとびっきりのプレゼントをしてくれたかもしれない。一人で馬鹿っぽく盛り上って、追い詰められた主人公が燃え上がった感じで、しかしやっぱり敗北というしまらない終わり方。

 嗚呼、俺には見えるわ。神様が冷笑を浮かべて俺を眺めているのが。俺の不恰好な死を見て、さぞかし楽しいだろうよ。


 葉山の銃口が、ゆっくりと俺の頭へと照準が合わされる。まるで知っているみたいだな。今の俺に再生能力が無くなっていることを。今頭を撃たれたら、それで終わりだ。神様に教わったか?


 あらゆる足掻きも無駄だった。あらゆる想いも届かなかった。これが神の書いた台本の結末。

 悔しいな。完全敗北だ。これで終わりだ。すまん……ほのか……おっさん……


 ぼんやりとそう思いながら、俺は銃を構えた葉山を見ていた。


 その葉山の銃を持つ手首を、別の手が掴んだ。


 あまりにも予想外の光景が展開された。何も無かった空間に、手首から先だけの手がいきなり現れて、葉山の手首を掴んだかと思うと、まるで豆腐でも握り潰すかのように、葉山の手首を粉砕し、銃を持ったままの葉山の手が腕から離れて、床に落ちた。

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