第十四章 13
純子の配慮で、義久はしばらくの間、雪岡研究所で寝泊りする事になった。
ホルマリン漬け大統領にも顔が割れてしまっているし、クローン販売の件が落ち着くまでは、一人で行動するのも自宅に帰るのも危険だと警告されたからだ。
しかしその理屈だと、ホルマリン漬け大統領そのものが壊滅しない限り、この先ずっと、単独行動は危険になるのではないかとも思ったが、それはそれで後になって考えればいいとして、素直に従っておく。
一晩明け、義久は真っ先に鞭打ち症梟のサイトを開く。自分が投稿された記事がちゃんとサイトに反映されていた。しかもトップニュース扱いだ。
読者の反響も凄かった。反映されてから三時間程度だというのに、『いいね』が四桁以上もついている。感想文も大量に書かれていて、その多くが記事に対しての好意的な反応か、ホルマリン漬け大統領への批判的な文章であった。
「よっしゃあっ!」
思わず叫び、義久は両手の拳を握り締めてガッツポーズを取った。
「よっしーはリアクション豊富だよね~。真兄もあれは見習うべきだぜィ」
と、みどりが言ったが――
「嫌だよ」
真は即座にそう返す。
「これをデスクにも見せたいよなー」
朝糞新聞社で自分に目をかけてくれた先輩副部長のことを思い出し、呟く。
リビングにて純子、真、みどり、蔵、累らと朝食を取りながら、六人でずっと記事とその反応の話題を語り合っていた。特に蔵とみどりが義久をベタ褒めしてくれて、義久は終始御機嫌だった。
「本名を堂々と晒しちゃうのは結構抵抗があったけど、大丈夫なのかね?」
義久が問う。信用第一の裏通りにおいて、偽名や匿名での活動はかなり忌避される行為であり、それだけで仕事が入りにくくなり注目もされなくなると、蔵に教えられていたので、本名で売り出したわけであるが。
「ううん。全然大丈夫じゃないから、暫定的にここで寝泊りした方がいいって勧めたわけだよ」
純子があっさりとした口調で言う。暫定的には助かるが、その後はどうしたらいいのだと問いたいが、それを口にしても自分がチキンと思われそうな気がして、口にはしなかった。
「裏通りに堕ちたら誰だって危険なんだ。君は虎の尾を踏みに虎の巣穴に入ったうえに、虎の子を巣穴から引きずり出して晒したようなもんだ。虎の怒りを買ったのは間違いない」
蔵にそう言われ、それじゃやっぱり匿名か偽名の方が良かったじゃないかと思った義久だが、それを口にするとやっぱり自分がチキンと思われそうな気もして、口にはしなかった。
午前中、義久はまたネットで情報収集を行う。蔵曰く、義久があげた記事と動画を見て、関係者の内部告発や情報漏れが出てくる可能性もあるということなので、用心深くチェックしておく。
正午になり、義久の記事へのアクセス数や反応は増えていったが、めぼしい情報提供は無かった。
昼食を終えた所で美香が研究所を訪れる。
「クローンアイドル販売の記事を見たぞ! 素晴らしい出来だった!」
「ははは、君に認めてもらうと余計に嬉しいね」
顔を見るなり美香も称賛してきたので、義久は照り笑いを浮かべて頭をかく。
「何で私だと余計に嬉しいんだ!? 言え!」
「高田をマスゴミマスゴミとなじっていて不審がっていたお前が褒めてくれれば、そう感じるのも当たり前だろ。元々応援していた人に褒められるのと、否定していた奴が実力やら実績やら成果を認めてくれるのでは、後者の方が余計に嬉しくなるもんだ」
胡散臭そうに問いただす美香に、真が代わりに答える。
「そ、そうだな……。言われてみれば……そんな単純なことに気付かない自分が恥ずかしい」
真の指摘を受けて美香は鼻白み、声のトーンを落とす。
「新たにこれといった情報も入ってこないし、昨日凍結の太陽から送られてきた三木谷稔という常連客の家に乗り込みたい」
リビングにいる雪岡研究所の面々プラス美香の前で、義久は希望を述べる。ちなみに植木鉢生首二人組は、別の部屋へと移動されている。
「三木谷の自宅で、クローンアイドルが囲われているかどうかの証拠を掴みたいんだが、これはホルマリン漬け大統領の抗争とは直接関係無いし、君らに頼みにくいかなあ」
純子達は共通する敵対組織であるからこそ、義久に協力してくれているという関係にある。組織の客にまで範囲を広げるとなると、純子達にとっては範囲外の相手となりそうであるし、一人でやるしかないかと思ってそう口にした義久であるが、一方で、それでもなお協力してもらえないだろうかという、期待も込めていた。
「関係無くはないぞ。客のプライバシーも暴かれるとなったら、組織にとっても痛手だ。そのパパラッチに付き合うことは、ホルマリン漬け大統領との抗争の一環と言える」
「真君の言う通りだねえ。それに一度同じ船に乗ったわけだから、多少の迂回があったとしても、付き合っていいと思うんだよねえ。あまり固いこと言うの抜きでさー」
真と純子が続けてそう言ってくれたので、義久はほっとする。
「ありがとよー。ペンの力だけじゃ駄目だからっていうんで、こっちに来たのに、俺は自分自身の剣を持たずに戦いを始めちゃったかな。この件は最後まで君らという剣を借りないといけないみたいだ。厚かましいと思われそうだが」
頭をかきつつ、義久は申し訳無さそうに言う。
「手っ取り早く自分の剣を持つ方法はあるんだよー。私の実験台になってくれれば、ちゃんと義久君自身が戦闘力備えることできるからねー」
と、純子。
「いや、それはちょっと遠慮したいな」
苦笑しながら両手を胸の前で上げて、降参ポーズを取る義久。
「純姉は次も来ないの~? あたしは行くけど」
「美香ちゃんも行くだろうし、四人パーティーくらいで丁度いいんじゃない? 私は今回露出控えめにしとくよー」
尋ねるみどりに純子は微笑んで、そう答えた。
***
鞭打ち症梟の一面トップを飾った、ホルマリン漬け大統領のクローン製造工場暴露記事は、当然井土ヶ谷も目にしていた。
クローン培養工場内部を撮影した動画があげられ、御丁寧にも撮影した記者の記事までついて、しかもそれらが絶賛されている事実に、井土ヶ谷は腸が煮えくり返る。
「俺の商売を出汁にして人気を取りやがって!」
井土ヶ谷は思わず叫ぶ。彼が最も腹を立てた部分はそこだった。
ニュースサイトでの告発が話題性を呼び、撮影したジャーナリストの高田義久という男が評価されていることに、激しい嫉妬心を覚える。評価される者。もてはやされる者。それらは全て井土ヶ谷にとって妬ましい対象だ。
地位と財を成しても虚しいだけだった。それよりも井土ヶ谷は名声を欲する。注目を浴びたい、何より理想を言えばチヤホヤされたいという欲求がデカい。凄い奴だと称えられ、尊敬されたい。
贅沢を言えば、何もかも良評価を受けたい。褒められたい。全てにおいてだ。頭もいいと言われたい。見た目もいいと言われたい。成果と能力も凄いと言われたい。何より持論をぶった際に同意を得て素晴らしいと称えられたい。人格についても認められたい。とにかく承認欲求を満たしたい。
人の良評価を得るということが、何よりも一番難しいことであると悟った。壁にぶち当たった。金持ちになるよりはるかに難しいと井土ヶ谷は思い知った。
しかし地位だけは手に入れたので、一応有名にはなれる。
だからせめて注目だけでも浴びたい。悪名でもいいから名声だけでも高めたい。誰かに見ていてもらいたい。意識してもらいたい。噂されたいと考える。だからネットで煽ることを趣味とした。
不特定多数にチヤホヤされるのは諦めた。それは如何なる面からでも、絶望的に難しい。どんなに社会的に成功しても、人の尊敬は得られない。せいぜい嫉妬される程度だ。
井土ヶ谷が注目や名声に執着するのは、子供時代の嫌な思い出が発端となっている。
小学生の頃は主に、スポーツができる奴がチヤホヤされていた。井土ヶ谷は運動神経が悪く、つまはじき者にされることが多かった。小学校高学年から中学になると、ルックスの良し悪しも人気に関係する。
だが井土ヶ谷は顔も悪いし背も低い。自分だって皆から尊敬されたいのに、それは決して得られない。
一方でそのスポーツのできる奴や顔のいい奴は、自分に対してイジメまでする。イジメをするような奴がチヤホヤされるおかしさ。生まれの運だけで、この理不尽さ。不公平さ。井土ヶ谷は運命を呪った。
裏通りに足を踏み入れてから、彼等の居場所を調べ、誘拐屋という裏通りでも認知されていない職業の者を雇って、子供の頃に自分をいじめた奴を全てさらわせた。
彼等を嬲り殺して、子供の頃の恨みは晴らした。心の底からすっきりした。トラウマが半分くらいは解消された気がした。かつてのいじめっ子達への復讐行為は、裏通りに堕ちた者によくあるパターンの行動だと、誘拐屋は言っていた。
怒りとコンプレックスをバネにして、井土ヶ谷は地位も財も成したが、本当に欲しいものはそんなものではない。人から認められたい。心から尊敬されたい。それだけだ。
だからこそ許せない。よりによって自分が作ったものを暴いてネタにして、多数から評価を得ている者がいる。井土ヶ谷が欲しいものを手に入れている。これほど許しがたい話は無い。
上司の大幹部――秋野香から電話がかかってくる。
『鞭打ち症梟の機関紙サイトは見たかね?』
予想通りの話題を振ってくる香に、井土ヶ谷は隠しもせずに堂々と舌打ちした。
「この組織に圧力をかけるということはできませんか?」
ダメモトで聞いてみる井土ヶ谷。裏通りの情報組織に圧力をかけて、記事を取り下げるなどおそらく不可能であろうことは、井土ヶ谷にもわかっている。
『もう少し頭を使えないか? 圧力をかけた所で、事実は消せない。人々の記憶は消せない。そういう類の圧力は馬鹿のすることだ』
香から返ってきた言葉を聞き、余計なことを伺わなければよかったと、井土ヶ谷は後悔する。
「この記者を消すことは?」
しかし記者個人に関しては、問題無いと思う。すでにそのために殺し屋を雇ってある。
『それは可能な限り行うといい。君の裁量でな。だが雪岡陣営にべったりな時点で、難易度は高いと思われるが』
まるで他人事のような口ぶりの香に、井土ヶ谷は苛立ちを覚える。この大幹部はいつもこうだ。
「興味が無さそうな言い方ですが、それなら何故わざわざ電話をかけてきたので?」
井土ヶ谷が嫌味ったらしい口調で問う。
『一応仕事だからだ。それ以上でもそれ以下でもない。ただ仕事として確認を果たした。その仕事に、私はムキになるわけでもなく、情熱を傾けるわけでもない。最低限の務めを果たす。それが気に入らないか?』
だったらくだらん皮肉を口にするのもやめろと井土ヶ谷は思う。
「言われるまでもなく対処しますよ。私はこの仕事に情熱を注いでいますから」
うそぶく井土ヶ谷。
「雇った殺し屋の一人は、以前に相沢真をも倒している、『エンジェル』という通り名の有名な男です。本名晒さず通り名でありながらも見くびられることなく、一目置かれている実績の持ち主です」
『エンジェルなら私も聞いたことがある。対抗するには申し分のない人選だな』
「もう一名は、エンジェルよりさらに年季がある、古参かつ有名な始末屋です。木戸康清という名で、雪岡純子のマウスを倒したこともあるとか」
『そちらは知らない。で、オークションと調教施設、どちらを警備させる?』
「担当は調教施設の警備がいいでしょう。オークションは前もって中止にして回避もできるものの、あの施設の担当者と商品を即座に移動は難しいので。奴等が来たら確実に退けたい所です」
『うまくいくといいな。皮肉ではなくそう願う。では』
香の言い残した最後の台詞に、井土ヶ谷は違和感を覚える。この男が初めて見せた気遣いのようなもの。
(俺に言われて態度を改めた? いや、違うな。何か奴にとって個人的なものが……)
勘ではあるが、そんな気がした。
「お前等、来い」
電話を内線に切り替え、井土ヶ谷は呼び出しをかける。
しばらくすると、八人の美女美少女が部屋を訪れる。全員、井土ヶ谷専用のクローンだ。
「お前等、俺を褒めろ」
周囲にはべらせたクローン達に向かって告げる。
「浩三様最高ですっ」
「浩三様素敵ですぅ」
「浩三様かっこいいっ。超愛してるっ」
「私、浩三様のためなら死んでもいいっ」
「さすがに井土ヶ谷様は格が違った」
「凄いなー、憧れちゃうなー」
全員笑顔で、口々に井土ヶ谷を褒め称えるクローン達。棒読みでもなく、ちゃんと感情をこめている。
(そういう風に躾けてあるんだからな。当然だ)
作られた称賛であることはわかっている。しかしそんな紛い物の称賛ですら、実際に笑顔を向けられ、声を伴って告げられると、心地好いと感じてしまう井土ヶ谷であった。
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