第十四章 10

 秋野香は女を買うのを好まない。身を売る女の中には、哀れな事情を抱えた者もいることを知ってから、買う気が失せた。

 香の中に良心が残っているからという、そんな理由ではない。彼の中での浄化という名の教義に沿う相手でなくてはならないからだ。


 面倒ではあるが、出会い系サイト等で相手を探す。できるだけ頭も性格も悪そうな相手を見つけなくてはならないので、それもまた一苦労だ。そうでないと香の中の教義が満たされない。


「お兄さん随分男前じゃなーい。俳優にだってなれるんじゃなーい?」


 自分より十歳近く年上と思われる厚化粧の痩せた女が、香にもたれかかるように腕を組み、猫撫で声をかけてくる。

 今日の相手は人妻だった。人相からしていかにも性悪女といった顔つきで、香から見ればそれだけで合格点だ。片方の鼻から鼻毛が出ているのに処理もしないというのがまた、高ポイントと言える。


「私、今夜の晩御飯奢って欲しいかなあ。身なりからしてお金もってるんでしょー?」


 そんな要求を無視して、香は相手を裏通りの組織の息がかかったホテルへと連れ込む。


 部屋の中に入れた瞬間、香は女の顔面に手加減無しの全力パンチを見舞った。


「は?」


 あまりの事態に女は現実を受け入れられず、鼻血を出しながら香を見上げ、ポカンと口を開けていた。


「さて、浄化の儀式を始めようか」


 普段無表情な香が、心底嬉しそうな笑顔へと変わる。


「ぎゃーっ! 人殺しーっ! へんたーい! 誰かきてーっ! おまわりさーん!」


 女は自分が何をされたのか理解し、大声で喚きたてて助けを呼ぶ。


「ああ、この反応パターン……何度見ても、最高だな」


 香は嬉しそうに呟くと、渾身の力と歓喜を込めて、女の顎を蹴り上げた。顎が割れ、折れた歯と血が撒き散らされ、女は仰向けに倒れる。


「大丈夫。これは貴女の罪を浄化するために必要なことなんだ。これで貴女は穢れから救われる」


 穏やかな口調で言い放ち、香は女の服を引き裂いていく。女がなおも抵抗しようともがくが、香は裏拳を一発頬にお見舞いした。女はそれで抵抗する気力を失い、恐怖と呆然が入り混じった表情でもって、香の笑顔をただ見上げていた。


 半裸にした先は普通の愛撫であったが、またすぐ普通では無くなった。女が恐怖のあまり濡れなくなるのもパターンの一つだ。そういう時のための用意もちゃんとある。

 香が上着のポケットから、親指と人差し指の間に入る、ひとつまみサイズの注射器を取り出し、女の首筋に注射針を刺し、中の液体を注入する。


「あへ~」


 即効性の違法ドラッグの効果でたちまち女は夢見心地になり、さらには全身の感覚が鋭敏になって体が火照り、強い性欲に支配される。


 行為に全く問題の無い状態となったのを確認すると、香は腰を突き入れると同時に、女の首を両手で掴み、強く絞めた。

 ドラッグの効果があってなお、女は苦悶に喘ぐ。女が必死に香の手首を掴んで引き離そうとするが、当然びくともしない。生死の境であるにも関わらず、火事場の馬鹿力などというものも都合よく働いてはくれない。


 香が行為を終える前に、女の呼吸は止まっていた。だが香にしてみれば問題は無い。いつものことだ。


「浄化完了」


 行為を終えた香が呟き、立ち上がる。いつもの無表情に戻っている。


 携帯電話を取り出してメールを送り、扉を開けて部屋を出る。それを待っていたかのように、清掃具を手にした作業着姿の男達が数名、香がいた室内へと入っていく。一人は巨大なトランクを転がしていた。トランクの用途は言わずと知れている。

 彼等は後始末専門の組織『恐怖の大王後援会』の者だ。浄化活動の前にはちゃんと呼んでおく。いくら裏通りの息がかかったホテルとはいえ、死体の放置など迷惑極まりない。


 香は死にかけの女と、死んだ直後の女としか交われない。その行為を香は浄化と呼んでいる。


 香が最初に浄化した女は、中三の時に片想いだった女子生徒であった。


 見た目は見るからにチャラついたギャル系で、金さえ払えば誰とでもやらせる等、悪い噂がいろいろと立っていた。しかし当時純情で思い込みの激しかった香は、そんなことはないと必死に己に言い聞かせて、思い切って告白した。


 返ってきたのは「五万でいいよ」という台詞。


 香は五万円を払ってホテルへと入り、気がつくと、動かなくなった彼女の首をひたすら絞め続けながら、腰を振っていた。

 死体は、裏通りのかなり危険な筋の組織に大金を払い、さらには内臓を担保にして、処分してもらった。『隣のエルドラド』という組織だ。別の組織にも頼んだが、殺人の理由を聞かれて、あっさりと拒否された。


 香のその性癖は、その際に身についたものではない。それはあくまできっかけにすぎず、決定的になった出来事は他にもう一つある。

 そのもう一つの出来事によって、香の中に教義が生まれた。香にとっての死姦は、穢れきった哀れな女達を浄化するための儀式となった。


 ホテルを出たところで、携帯電話が振動する。相手は井土ヶ谷だ。

 電話を取ると、たまたま視察中だったクローン培養工場に、相沢真と月那美香と他二名が襲撃をしてきたという内容である。


『被害はありません。構成員が何名か死んだ程度です』


 井土ヶ谷の言葉に、香は何も突っこまない。香から見ても、別に被害とも思わない。例え工場が全壊しようと、その認識は同じであろうが。


「他二名が何者か知りたい所だな。映像を送れるか?」


 気になったのはその点だ。月那美香が相沢真と組んで襲撃してきた理由は何となくわかるが、他にさらに二人いるというのは引っかかる。一体何者で、何の目的があって行動を共にしているのか。

 やがて送られてきた映像を見て、香は絶句することになる。


(義久……やっと来てくれたか……)


 四人のうちの一人は、かつての幼馴染であり親友でもあった男だった。


『相沢と月那以外は非戦闘員のように見受けられます。一切の交戦活動をしていないので。で、少し値は張りますが、腕利きの殺し屋を二名ほど雇って対処します』


 怒りを滲ませた口調で告げる井土ヶ谷。


『相沢は俺の聖域を何度も土足で踏みにじりやがったんです。文句ありませんよね』


 相変わらず不遜な口調で、井土ヶ谷が念押しする。この男が如何に自分の商売に熱を入れているかはわかるが、香はそれを冷めた目で見ている。


「君の裁量に全て任せる」

 短く言い放つと、香は電話を切った。


(聖域か……。俺達の穢れた聖域も、あいつに浄化されようというのか)


 香の頭は、一つのことでいっぱいになっていた。今や疎遠になっているかつての親友が、裏通りに足を踏み入れ、自分達の側まで近づいてこようとしている事に。


(遅かったな。待っていたんだぞ、ずっと)


 ほくそ笑む一方で、気がかりもある


(相沢真と行動を共にしているということは、純子とも組んでいるのか? 純子が俺と義久の仲を知った上で、俺を弄ぼうとしているのか?)


 直接純子に電話をかけて確認したい衝動に駆られる香。

 香は裏通りに堕ちる際、雪岡研究所を訪れて力を手に入れている。その後純子と敵対するホルマリン漬け大統領に入ってからも、彼女とは繋がりを持ち続けている。


(本気で私を潰しにきているのなら、聞けるはずもない。あるいは偶然の導きに過ぎないのか……?)


 いずれにしても香にとって最大のポイントは、義久と純子の繋がりなどではない。義久が裏通りに堕ち、あまつさえ自分に近づいてきていることだ。それが何より重要なのだ。

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