第十四章 ジャーナリストと遊ぼう

第十四章 三つのプロローグ

 高田義久は毎朝墓前に祈る。


 墓前の前に飾られている写真は、十四歳で他界した妹――高田吹雪のものだ。長い黒髪の持ち主で、少し痩せ気味だが、それなりに可愛い娘である。義久の二つ年下の妹だ。

 生前は義久とも仲がよかった。誰とでも親しくなる子であったが、特に友人の秋野香を交えてよく三人で遊んだ。吹雪が中学、義久と香が高校になってからも、頻繁に行動を共にした。


 義久は強い想いを込めて、亡き妹の墓前に向かって口を開く。


「兄ちゃんが必ず仇を取ってやるからな」


 一体何千回口にしたかわからない誓い。


(そう決めた俺にしか出来ないことだからな。あんな惨たらしい殺され方をされてそのままだなんて、あんまりだもんな。あんな殺し方をした奴等が今ものうのうと生きているなんて、許せないからな)


 一体何千回口に出さずに思ったかわからない決意。


 義久の妹の吹雪は、殺された。

 義久はその無念を晴らすべく、新聞記者になった。妹を殺した相手はわかっている。だが法では裁けない者達。故に報道の力でもって彼等の悪事を白日の元に晒してやろうと、そんな単純な考えだった。


「じゃあ、行ってくる」


 短く告げると、義久は部屋の机の上に置かれた封筒を手に取る。

 封筒には退職届と書かれていた。


 それが今朝の話。


***


「へーい、純姉純姉、芸能人をクローン化して調教してペットとして販売してるって話、知ってるぅ~? あ、今何回『して』と『しって』を言ったかわかるぅ~?」


 研究室の一室にて、ソファーに寝転びながら、顔の前に出した幾つものディスプレイを眺め、みどりが純子に声をかける。


「もちろん知ってるよー。あれ本当やめてほしいし、そろそろ喧嘩売って強引にやめさせようかなーとか考えてる所だけどねー」


 机の上に幾つも映し出したディスプレイに向かい、作業に没頭していた純子が、手と目と頭を休めることなく答える。現在、部屋にいるのはこの二名である。


「表通りのサイトでもちらほらと噂になっているし、ゴシップ誌も話題にあげてやがるぜィ。まあ確かに夢のある話だけどさァ。あー、でもこのサイト見たかぎりじゃ、主に女性アイドルとか女優とかがメインなのか~。つまんないのォ。男性アイドルのユニット一式、下僕にしたいっていう女だって、結構いそうなもんなのに」

「もっと詳しいのがここで見られるよー」


 純子が席を立ち、みどりの方へとやってくる。

 純子が自分のディスプレイを空中に出して、裏通りでも有名な快楽提供組織『ホルマリン漬け大統領』の公式サイトを開くと、指で軽くディスプレイの端をつつく。するとディスプレイが空中を音も無く動き、寝転がったみどりの顔の前で移動して止まる。


「ふえぇ、やっぱりこの組織の仕業かァ。こっちの表通りのゴシップサイトの推測、当たってんじゃん。ゴシップサイトの方、大丈夫かねえ。つーか純姉、ここの会員なんだね」


 みどりが起き上がると、顔の前にある複数のディスプレイも移動し、純子にも見やすい位置に来る。


「あんまり深く突っこみすぎると消されちゃうこともあるけど、これくらいなら平気だと思うよー。はい」



 純子が喋りながら、最上級秘密会員用の入り口をクリックしてIDとパスを打ちこみ、該当するページを開く。

 ページには女性のシルエットだけが描かれ、『あの有名人が貴方に絶対服従するスレイブに!?』『調教済みのアイドル、女優、モデルのクローンをお売りします』などと見出しが大きく書かれていた。


「うっひゃあ、本当にやってたのかよォ~。こりゃすげえ~」


 笑顔で歓声をあげるみどり。


「具体的に誰を売るとか、そういうのは書いてないねぇ~。残念。美香姉とかいないかなーって期待しちゃったのにィ」

「えー、私は美香ちゃんのクローンが売り出されてるとか、そんなの見たら引いちゃうよー」


 楽しそうに喋る、見た目だけ少女の二人。


「あ、ここに書いてあるねー。一体作るのもそこから調教するのも手間なので、時間はかかるけど、注文してから作るって」


 純子がディスプレイを指す。


「なるほどォ~、受注してからかー。ほほお、本物の細胞を入手済みの人とそうでない人とで、また値段も違うのか。ていうかさァ、ホルマリン漬け大統領って、純姉の敵だし、この分だと純姉のクローンだって作られそうだよね~」

「ホルマリン漬け大統領が作ったかどうかは知らないけど、噂だと、どっかの国に私のクローンいるらしいよー」


 心なしか嫌そうな顔になる純子。


「マジでー? ま、そんだけ純姉があちこちに敵作りすぎってことなんだね」

「えー、何そのまとめ方」


 並びのいい歯を見せて笑うみどりに、純子も微笑をこぼした。

 それも今朝の話。


***


 秋野香は幼い頃からの親友である高田義久が、悲痛に満ちた表情で嘆いている様を、冷めた目で眺めていた。

 香と義久は高校一年で、同じ高校に通っている。女のような名前であるが、男である。


「この半年間、吹雪の件で進展は何も無しだ。警察がろくに調査してくれねー理由がわかったよっ。ホルマリン漬け大統領って組織は、裏通りの中でもすげーデカい組織で、客にお偉い人がいっぱいで、警察の動きを上から封じることもできるんだとよっ。糞っ、何が警察だっ。何のためにいるんだっ。何が裏通りだっ。何でそんなもの野放しにしとくんだっ」


 下校途中、香を前にして悔しげに喚き散らす義久。


 実際に裏通りの大組織といえど、あまりハメを外しすぎると警察も黙ってはいないし、ホルマリン漬け大統領という組織はその中でも例外として、特に強い力を備えていることを香は知っていたが、義久に話せるわけもない。


「裏通りが犯罪者の抑制に繋がっているだとか、産業の支えになってるとか、そんなこと言ってる奴もブチ殺してやりたいわっ。もちろん裏通りの連中も全部なっ」


(じゃあ真っ先にお前の前にいる俺を殺さないとな)


 呪詛を吐く義久に、香は頭の中で冷めた口調で言葉を投げかける。


 義久の恨み言を聞きつつ、時になだめながら、香は義久と別れて帰宅した。


 自室に入り、指紋認証キー付きの引き出しの中から、鳥を模した仮面と、人工肌のマスクを取り出す。学ランの上着だけ脱ぎ、ネクタイを高価なものにして締めなおし、鳥の仮面と人工肌のマスクを被る。人工肌は若干の皺が刻まれており、鳥のマスクから露出した部分の肌だけ見ても、やや年配の者と映る。


 携帯電話からディスプレイを空中に投影し、映像付きで電話をかける。普段は音声だけで済ませる時の方が多いが、今回に限っては映像付きでのやりとりが必要だった。


『おーう、わずか半年で大幹部昇格、おめでとございマスデーす』


 若干訛りのある口調で、相手が挨拶する。ディスプレイには道化の仮面を被った黒人男性が映っていた。


「あんたの最短記録を塗り替えてすまないな、マイク・レナード。昇格の挨拶でかけたんだが、このマスクは似合っているか?」

『ハハハ、そんなものは気にしていマセーん。マスク、中々お似合いデスよー』


 レナードと呼ばれた黒人が笑う。

 一応彼は、自分の正体を知っている。他の大幹部達も知っている。だが大幹部となった時点で、幹部や構成員に対しては徹底的に素性を隠すのが、香とレナードが身を置く組織――ホルマリン漬け大統領の慣例であるらしい。


「全然姿を現さないボスとやらとのお目通りはやっぱり無しか」

『彼はもうこの組織自体に興味ロストのようデース』


 肩をすくめて顔の前で軽く手を開いてみせるレナード。


『そのうち気が向いた時にふらっと、組織に顔を出すこともあるかもしれマセーん。でもボスは格別の存在デスし、彼の座を奪うというのは考えない方がヨイデスよー』

「そんな野心は無いさ」


 謙遜しているわけではなく、本当に無かった。ホルマリン漬け大統領は大幹部こそが実質最上位の地位である。ほとんど姿を現さないというボスは、名ばかりの存在になってしまっているらしい。組織の運営にさえ、ほとんど関わらないという。


『今後とも頑張ってクダサーい。あ、大幹部同士仲が良いというわけでもナイので、注意してクダサーい』

「忠告ありがとう。こちらこそよろしく」


 先輩大幹部への挨拶を一つ終え、一息つく香。


 その後も同様に大幹部達への挨拶を行う。

 全て終えたところで、慣れないマスクを脱ぎ捨て、香は部屋の真ん中に大の字に寝転がった。


(高校を出たら、義久とは距離を置こう……。あと二年は仕方無いが)


 下校の際のやりとりをうんざりしながら思い起こし、香はそう決めた。


 それは十年前の話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る