第十三章 22
「それは違うだろおおおっ! 俺がやることだろおおおっ! 何で俺が切り取られてるんだよおお!」
喚きながら股間を押さえて蹲り、すぐ足元に落ちた己の一物に目を落とす。
「うっわー……何これ~、皮被ってるし、こんなお粗末なの初めて見たわ~」
小気味良さそうに言い放つと、亜希子はヒールで床の上に落ちたジェフリーの性器を踏み潰した。
「け、けがらわしい女なんぞに、俺の大事な一物があああっ! せ、せめて食わせろよおおおおっ!」
意味不明なことを口走り、最早戦意喪失したジェフリーは、堂々と亜希子に背を向けて、内股でその場を立ち去ろうとする。
「逃がさないわ」
ジェフリーの背に小太刀を突き刺そうとする亜希子。
「えっ?」
のろのろと逃げる無防備なジェフリーの背に、突き刺したと思ったら、何の手ごたえもないので、亜希子は怪訝な声をあげる。
「幻術ですわ。幻影を出すタイプではなく、亜希子さんの脳自体にかける、文字通りの幻術」
背後からかかった声に、亜希子はびっくりして振り返る。
「ママ……」
「中々苦戦しましたわね。とは言いましても、相手の方が経験豊富でそれなりの強者に見えましたし、善戦したと言った方がよいかしら」
喋りながら、百合は亜希子の方へと近づいていく。少し離れた場所に、白金太郎の姿もあった。
「ママ、いつから見てたの?」
「いつからというほど長い時間、戦っていたわけではないでしょう? それより傷の手当てをしましょう。妖刀の力で今は大して痛みを感じないのでしょうけど、すぐに痛みがやってきますし、傷口が大きいので出血も激しくてよ」
「意地悪ママのくせに、何で今日は優しいのよ。熱でもあるの?」
憎まれ口を叩きつつも、百合の気遣いに安堵してしまう亜希子。
一方で百合は亜希子の皮肉に、呆れ顔になっていた。
「亜希子さんも御存知の通り、私は意地悪でしてよ? でもつまらない意地悪をするほどナンセンスなことはありません。私は今、貴女の保護者なのですから、傷ついていたら治療もしますし、困ったことがあれば助けにもなりますわ。私が行う意地悪というのは、芸術性を帯びた創作活動に他ならないのですから。いえ……それ以前にですね、同じ屋根の下で暮らしているのに、日常生活で常に周囲にそのような振る舞いをしていても、私自身も周囲もギスギスして疲れてしまいますわ」
「何か私のこと悪く言われているような気がする……。やっぱりママ意地悪だわ」
百合の話を聞いて、亜希子生まれ育った屋敷において、使用人達相手に暴虐の限りを尽くしていた記憶を呼び起こし、陰鬱な気分になる。
「ようするに、身近な人間関係くらいは健全に保っておきたいということですわ。いずれ大掛かりな意地悪をして遊ぶことも考えていますから、楽しみにしていなさい。さあ、こちらに来なさいな。応急処置をしましょう」
そう言って百合が側にあるドアを開けて、義手で手招きする。
中は倉庫であったが、誰もいない。治療のために服も脱がなくてはならないので、百合も気遣いをしてくれたのだと思うと、何故か亜希子はほっとした。考えてみればそれくらいの思慮は当然のことだが、百合が相手だと意外性を感じてしまう。
亜希子は服を脱いで下着姿になると、百合に向かって背を向けて腰を下ろす。
(まだママと会ってからそんなに日も経ってないし、私、ママのことよく知りもしないし、ちょっと誤解していた部分もあるかなー。ま、大悪党なのは変わりないけど)
百合に傷口に薬らしきものを塗られながら、亜希子はそんなことを考えていた。
「つまらない意地悪しないとか……。いつも俺に対してやっているのは、偉大な意地悪だったのかなあ……?」
一方、通路に取り残された白金太郎が、そんなことを呟いていた。
***
真は銃をしまい、右手に虹色に輝く二枚貝を持つ。
超常関係の怪しいオークションで買った、精神増幅装置の魔道具だ。みどりに鑑定してもらい、本物であることも確認済みである。これを用いれば、術師としての鍛錬をしてない身で術を行使しても、脳への負担はかなり抑えられる。
精神増幅器を手にした事を確認してから、みどりは真の魂魄に干渉した。
己の魂の深部の扉が開かれている事を、真は確かに実感できた。みどりによって、開けられている事も。
雫野みどりは記憶と能力を損なうことなく転生する秘術を身につけている。そのためには、自分の現世での記憶と力を魂に記録する方法と、記録した記憶と力を引き出す方法の二つが必要とされる。
記録の引き出しは、転生後に自動的に行われる。しかしそれは自分自身に限っての話だ。他人に向けてこの秘術を行使したことは、未だ一度も無い。
真の前世の魔術師は、記録することまでは出来たが、引き出す方法までは編み出せなかった。だが予知能力を持つ彼は、いずれ引き出す術を身につけた人物と巡りあうことがわかっていた。
前世の力の取り出しは、未だ一度もテストしていない。
みどりは真に告げた。うまくいく確証は無く危険なので、本当にかなわない敵と遭遇し、抜き差しなら無い状況にでもならないかぎり、テストさえしないとのこと。深刻に命の危険に晒された時、初めてテストを行うとのことだ。
(そう、こいつはまだテストの段階だから、部分的にだけね。テスト自体も危険な人体実験に変わりないけどさァ)
みどりがいつになく真面目な口調で語りかける。
(雪岡にではなく、別の奴に人体実験させることになるなんてな)
皮肉っぽく笑う自分を思い浮かべる真。その直後、怒涛の勢いで真の頭に情報が噴出した。まるで火山の噴火のように、一度に多くの情報が真の頭の中で爆発した。
(ほんの一部だけでこれか……しかも精神増幅器を使ってるのに)
脳を襲う形容しがたい気持ち悪さに、真は顔を歪める。そのうえ同時に激しい頭痛にも見舞われる。
「あれ? どしたの? 何でいきなり変な顔してるの?」
いつも無表情の真が苦しげな表情を浮かべているのを見て、正美は不審げに尋ねる。
真が正美を見据え、銃を手にしていない左手をおもむろに上げる。正美は不穏な気配を感じ取り、警戒する。
「いける……」
どことなく虚ろな目つきで呟くと、真は左手に意識を集中した。
左手の中から、それは出現した。何も無い空間に突然現れたのは、一振りの杖。ファンタジーの魔法使いが持つような、ゆるやかにうねり、先が丸く渦巻き状になった樫の木の杖であった。
「あ、それ知ってる。アポートって奴だよ。昔そういう能力使う人見たことあるし。でも君って超常の力使うタイプじゃないと思ったんだけどな。イメージ的にも合わないから、そういうのはやめた方がいいと思う。うん、イメージは大事」
正美が喋っている間に、真は呪文の詠唱を開始する。全く知らない言語。だがその呪文に関する意味はちゃんと理解している。
青白く光る文字が無数に現れる。それらは杖と真を取り巻くようにして、幾重もの円状になって、激しく回転する。
「あ、これ知ってる。ルーン文字っていうのだよ。ゲームで覚えた知識だけど」
正美が緊張感に欠けた声で喋るが、何が起こるかわからないことは承知しているので、一瞬たりとも警戒を解いていない。
しかし正美の方から攻撃しようともしない。今攻撃するよりも、相手が何かしてきたその瞬間にカウンターをお見舞いしようという腹積もりでいた。
光る文字が規則正しい回転から一斉にバラバラに放たれ、不規則な動きで正美のいる方へ殺到する。正美はそれに反応してしまい、真に向かって二発撃つ。一発は真を狙い、もう一発は真の回避先を予測して撃った。
頭痛と違和感のせいで反応が遅れた真は、回避先を予測して撃った方の弾に当たってしまう。
弾丸が左上腕部を貫通する。だが杖は手放さず、渦巻き状になった杖の頭の部分を、正美の方に向けたままだ。
文字は正美の前方一面に広がったかと思うと、突然弾けて消え、代わりに猛吹雪が吹き荒れて正美を襲った。
「――!」
正美が何か叫んでいるようだが、吹雪の轟音によってかき消される。
真の前方には真っ白な世界広がっている。四方八方から突風が吹き荒れ、大量の雪と氷の粒が乱舞し、視界はほぼ遮られていた。
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