第十三章 9

 芦屋黒斗が警察官になろうと決意したのは、小学二年生の時だ。


 通学路――学校の登下校時にいつも顔を合わせる、近所の子供パトロール隊のお爺さん。会う度に笑顔で話しかけてくれる彼のことが、黒斗は好きだった。


 ある日、黒斗が一人で下校している際、中年の変質者に襲われた。

 周囲に誰もおらず、黒斗は必死に助けを呼び、抵抗もしたが、力いっぱい殴られたうえ刃物で脅されて、車の中へと連れ込まれようとしていた。


 そこに現れた顔見知りの子供パトロール隊の老人が、変質者を車から引きずり出し、黒斗を逃がそうとしたが、目の前で刺されてしまう。

 慌てて車に乗り込もうとする変質者であったが、老人はなおも変質者にしがみ付き、逃がすまいとする。変質者は怒声と共に、老人をメッタ刺しにしたが、それでも老人は変質者を離そうとせず、車の中の黒斗に、逃げるように促し続けた。


 その光景は黒斗の脳裏に、人生で最も強烈な記憶として焼きついた。通りがかりの警察官が変質者を取り押さえ、黒斗は助かったが、老人は帰らぬ人となった。


 その事件の影響で、黒斗はこの世の悪を憎み、犯罪を憎み、警察官の道へと進むことを決意した。自分を命がけで助けてくれたお爺さんを見習い、今度は自分が弱者を助け、守るために。


 最初は単純な正義感だけであった。最初はただ単にこの世の悪を憎み、犯罪者は全て悪だと決め付けていた。裏通りの存在も忌み嫌っていた。

 しかし裏通り課に配属され、裏通りの住人達と接していくうちに、彼等をひとまとめに否定することも憎むこともできなくなってしまう。

 むしろ黒斗が意識する悪は、自分達の上に存在した。『ホルマリン漬け大統領』やグリムペニスといった、一般市民にまで害を及ぼす邪悪な組織に対し、圧力がかかって捜査できない。『薄幸のメガロドン』の際もひどかったと聞く。


 国家権力にすら介入する巨悪を前にしては、国家権力の中に組み込まれた組織は全くの無力という現実。

 黒斗はそれに少しでも抗いたくて、サイボーグ化して最強の戦闘力を持つ刑事となり、かなりの自由と横暴が許される特権を手に入れたが、組織のしがらみを全て無視できるわけではない。かといって警察官というしがらみを断ち切るよりかは、組織の中にあった方が出来ることが大きい。


 現在進行形中の、海チワワによる連続集団誘拐事件。何もできずに手をこまねいていることが、黒斗には許しがたい現実であった。黒斗がいかに卓越した戦闘力を持っていたとしても、一人で乗り込んでいって救助するなど、とても不可能だ。


 さらわれた人達を全て救い出し、海チワワもグリムペニスも無力化し、彼等の犯罪であるという確たる証拠を手に入れる。それだけのことを全て確実に実行しないことには、警察の介入はできない。

 強行して成果をあげれば、圧力をかけている上にも文句を言わせず済むが、中途半端な結果に終わらせれば、組織の歯車としての立場を思い知らされる結果が待っている。離島勤務に飛ばされ、文字通りの島流しにされた者の例は、枚挙に暇がない。


(確実にやりきればいい。腐った上層部に、グウの音も出ないほどの、完全な証拠をつきつけ、明るみにしてしまえばいいんだ。薄幸のメガロドンの際は上手くいったらしいが、今度は流石に人手も時間も足りない)


 密かに集えば、警察内で有志は集められるであろうが、時間があまりにも限られている。ヘマをすれば、アンタッチャブルと言われている黒斗であろうと、責任は免れない。


(裏通りの力を借りるか……)

 最終的にはそれしか無いと黒斗は判断する。


 これまでも、警察内部を動かしにくい件において、黒斗は裏通りの住人を用いて、事件の解決にあたらせた事が何度もある。彼等に先陣を切らせれば、失敗したとしても警察はノータッチという事にできる。

 非常に汚いやり方だということは黒斗も自覚しているし、それを頼める人物も限られてくる。失敗したら彼等を見殺さねばならない。

 その汚い方法で、失敗したうえに利用した裏通りの住人を見殺したことが、これまで一度も無いのが幸いではあるが、この先もまた失敗しないとは限らない。


 自宅マンションに久しぶりに帰宅した黒斗は、一人悩み続けていた。裏通りの住人を利用して強引に事件解決を図るか否か。実行するとしたら人選はどうするか。


「やっと帰ってきたか。警察署に入り浸りであったが故、声をかける機会が中々出来なかった」


 室内に気配が生じると同時に、聞き覚えのある声が響いた。

 黒斗が声のした方を向くと、空間に裂け目が生じ、中から人外の存在が現れた。


「ミサゴ、久しぶりだな」


 何年かぶりに再開した知り合いのイーコ。かつて共闘したこともある仲だが、黒斗は怪訝な目でミサゴを見た。以前とどうも様子が違う。随分と擦れた顔つきになってしまっているように見える。


「お前の力を借りたし。最終的には警察の力も欲する」


 ミサゴは、海チワワに拉致された人達を助けるために動いていることを黒斗に語った。共闘する者に、純子がいることも話す。黒斗には純子に助けを借りた事は前もって教えた方がいいと、ミサゴは判断した。


「タイムリーな話だな」


 ミサゴの話を聞き終え、にやりと笑う黒斗。これは天の導きなのではないかとすら思ってしまった。


「まあ快諾だ。俺も丁度あいつらを何とかしたいと思っていた所だし。純子も参戦するっていうのなら、うまくいく可能性も上がるかもな。逆に事態が悪化する可能性もあるが、それでも何もやらないよりはマシだしね。ただし警察を全面的に動かせるかどうかは、純子達やミサゴの働きの結果次第になる。奴等の犯罪の確たる証拠が揃ってないと駄目だ。他のイーコの協力は難しいのか?」

「イーコであった僕は在らず。今の僕はワリーコである。イーコとは袂を分かつた。然れどイーコはイーコですでに動いている」

「ワリーコって何だよ……」


 詳しいいきさつは不明だが、再会するまでの間に、ミサゴがやさぐれてしまったのは何となくわかった。


「状況次第ではあるが、こちらであれこれ指示することにもなるかもしれないぞ?」


 黒斗が確認する。指揮系統はほぼ無く、それぞれがバラバラに動いて救助作戦にあたるというのは不安であるが、ひとまとめにすることも不可能だろうし、せめて直接繋がっているミサゴとは、連絡を取り合いたい。


「それはこちらも同じこと。場合によって頼むことが出てくると思われる」

「純子以外にも誰が参加するのかとか、出来るだけ把握しておきたい」

「了解。僕は早速救助に動く。彼奴等の逮捕はともかくとして、せめて助け出された人の保護は頼む。ではさらばだ」

「こっちも了解」


 ミサゴが亜空間の中に姿を消す。黒斗は一人になってもにやにやと笑ったままだ。

 不確定要素だらけの見切り発車であるが、それはそれで面白いと黒斗は思った。

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