第十二章 エピローグ

 海上保安庁の船で和歌山の港にあがった凜達は、電車を乗り継いで帰宅した。

 最後は終電ぎりぎりになってしまったが、何とか安楽市へと戻ることが出来た。


「本当に大変なお仕事の依頼となってしまいましたが、御協力感謝いたします」


 事務所に入ってようやく姿を現したツツジが、改めてかしこまり、礼を告げる。


「ミサゴは大怪我だったけど、大丈夫なのかな」

 心配げに十夜。


「ミサゴもちゃんと礼を言いにくればいいんですがねー」


 アリスイが頭の後ろで腕を組んでそう言ったその時――


「来たぞ」

「のわあっ! い、いつ来たんですかあっ!」


 突然背後に現れたミサゴを見て、大袈裟に驚くアリスイ。その腕は三角巾で吊ってある。


「たった今だ。驚いたのはこちらも同じこと。着いた瞬間に僕の名を話題に挙げていたからな」

「怪我は平気?」


 凜が尋ねる。十夜達から聞いた話によると、かなりのダメージを受けていたとのことであるし、みそ妖術での治療も考えた。


「雪岡研究所で怪しい培養液の中に入れられそうになったが、気色悪いので丁重にお断りした。みそ妖術の治癒も結構。自然回復に任せ、しばらくは療養するが故」


 培養液の中に入るのも味噌を塗られるのも、同レベルで嫌なのかと思うとおかしくて、凜は微笑を浮かべる。


「そんなこと言わずに治してもらえばいいじゃん」

 と、晃。


「ミサゴってぶっきらぼうだけど、誰かに物頼んだり借りを作ったりするのが苦手なタイプなんじゃね? 最低限、どうしても助けて欲しくなったら、仕方なくヘルプ出すみたいな感じでさー」

「……失礼する。協力には感謝する」


 晃の指摘が図星だったのか、ミサゴは答えようとせずに短く礼を述べて、さっさと立ち去ろうとする。


「ミサゴ、歩く道は違うかもしれないけど、オイラ達の目指す所は一緒ですよっ」


 アリスイが明るい顔で、立ち去るミサゴに声をかける。一瞬ミサゴの足が止まったが、言葉は発する事無く、亜空間の中へと消えた。


「ねー、アリスイ、今の台詞って何のパクリ?」

「あ……晃さんっ、ひどいですよっ。オイラの魂から吐き出された渾身の格好いい一言を、そんな風に貶めるなんてっ」


 何気ない口調で尋ねる晃に、アリスイが哀しげな顔で抗議する。


「新たに人間の友人が出来たこと、私はとても喜ばしく思います」


 ツツジがにっこりと笑ってみせる。いつも硬い顔でいることが多い彼女が、こんなに朗らかな表情をしてみせるのは初めて見たので、凜達も自然と表情を綻ばせた。


***


 その後十夜は自宅へ帰り、晃は事務所で早々に床に就いた。


 凜は晃が寝たのを確認し、船の中から持ち帰ったある物を鞄から取り出し、キッチンへと持っていくと、まな板の上に乗せる。

 船の中で十夜に切り落としてもらった、ジェフリー・アレンの頭部だった。


「さて……どうしたものかな」


 苦虫を噛み潰したような顔で、しばらく逡巡していた凜であったが、やがて意を決し、物置へと向かい、工具箱を取ってくる。

 さらにネットの検索にて、『頭蓋骨の開き方』と打ち込んで検索し、出てきた画像を見てますます顔をしかめる。


 ノミやら金槌やら鋸を取り出し、悪戦苦闘すること数分。ようやく頭部を切り開き、中の脳みそを取り出すことが出来た。


 脳みそをまな板の上に置くと、包丁で前頭葉の部分を切り、それをフライパンの上に乗せ、火をかける。

 味付けはもちろん味噌だ。味噌が無いと始まらない。


「はい、出来た……と。町田さん、一緒に食べようね~」


 焼きあがった脳みそを皿の上に乗せ、嫌そうな表情と顔で凜。


(わざわざ声かけてくれなくても、感覚は共有しているから大丈夫だ……)


 凜の中で、町田も嫌そうな声で言った。


「我ながら凄い領域に入っちゃったね。晃と十夜には絶対知られたくない事だけど」


 十夜にジェフリーの頭を切断させていたし、頭部を持ち帰っていることは二人にも知られているが、その用途までは教えていない。教えたくはない。


(しかしこれで新たな力が手に入るのは大きい)

「うん。純子だって私の前で何度も言ってたけど、力は必要なのよ。この世界で生きていくためには。そのためにはなりふり構っていられない」


 船の中でのゴスロリ風少女も、純子に感化されたのではないかと、凜はふと思う。


 テーブルに皿を置き、椅子に座る凜。


「食べる前に例のおまじないを……と。味噌があれば何でもできるっ。いただきます……」


 焼けた味噌漬け脳を嫌そうな顔で食する凜。


 変化はすぐ訪れた。


「あああああ……」


 凜の脳に凄まじい勢いで多大な情報が流れ込んでくる。さらに新たな力が身についているのが実感できる。

 その二つの感覚は、苦痛でも快楽でも無かったが、形容しがたい刺激となって凜を襲い、思わず身をのけぞらせて声をあげさせた。


(いけそうだな)


 凜の中に流れ込んでくるものを町田も実感し、呟いた。


「はぁ……はぁ……みそ妖術最終奥義、味噌漬け食いの術……達成と」


 テーブルにもたれかかり、頭を抑えながら凜は荒い息をつく。

 凜はゆっくりと立ち上がると、つい一分前まで凜の頭には無かった知識を引き出し、呪文を唱える。


「黒き水、死を呼ぶ油、喉元から鉄の味、落ちる風景を見て楽しもう……」


 魔術が完成し、凜の両手の掌から、黒いドロドロとした液体があふれだし、棒状に伸びていき、一つに繋がる。先端からは巨大な刃が生じて、一振りの鎌の形となった。

 室内で鎌を振るう。刃がテーブルに当たるかと思いきや、鎌の柄の半分と刃の部分が空中で飛沫となって弾け、テーブルの先に置かれていた空のダンボール箱の真上で鎌の形となり、ダンボール箱を切り裂く。

 凜が両手を引くと、また鎌が液状化して瞬時に元の鎌に戻る。


「うん……。気に入ったわ」

 手にした黒鎌を見て、凜は微笑んだ。


(かぶってるな……)


 町田が呟く。どう飛んでくるかわからない攻撃という点で、亜空間トンネルを通しての攻撃と、同質のように思えたのだ。


 さらにキッチンへ向かい、もう一つ魔術を行使する。


「海の如き鮮やかさ、空の如き爽やかさ、然れどその者、焦がし爛れをもたらす使者」


 解体されたジェフリーの頭部と脳みそが、青い炎に包まれて瞬時に焼き尽くされた。


 それから凜は口直しにとコーヒーを入れた。時計を見ると、もう二時を回っているが、眠気は無い。帰りの新幹線の中で寝てしまったせいもあるが、新たな力を手に入れた興奮もあった。


「みそ妖術も凄いけど、今度の魔術も大したものよね。いろんなことができるし、私、相当パワーアップしちゃったわ」


 御機嫌状態の凜だが、町田の気分は浮かない。それを感じ取って、凜の方から声をかける。


「町田さんと二人きりになってこうして話ができる時間、限られちゃったのは寂しい?」


 十夜と晃の二人と行動するようになる前は、いつも二人で会話を交わしていた事を思い出す。


(そうではない。ずっと気になっていたことがあってな)

 迷いながら、町田は話し出した。


(この間の晃との会話でな、恋愛はしたくないと言っていたが、本気で一生独身を貫く気なのか?)


 町田としては、自分の妖術流派の後継者が是非欲しい所だ。できれば子供の頃から修行を積ませて、伝授させたいとずっと考えている。

 その可能性の一つとしては、凜が誰かいい相手を見つけて、子を産んでくれることであると、ずっと考えていたし、その話題も凜との間で何度も交わされているが。


 しかし今回は軽口混じりのやり取りではなく、かなり真剣に問う町田だった。


「私の眼鏡にかなう男なんて現れそうにないもの。知ってるでしょ? 私ファザコンだし、父さんのことを意識しちゃうとどうしてもね。比較しちゃうというか」

(お前の人生だから、私にはどうこう言えないことだがな。まあ……そのうちいい男と巡りあい、気が変わってくれることを祈るしかないか)

「強いて言うなら、町田さんがいいんだけどね」

(はあっ!?)


 何の気無しに口にした凜の言葉に、仰天する町田。


「何を驚いてるの? だって町田さん、私の心の底まで全て覗いて知っているし、もちろん体のことだって隅々まで知ってるし、私の全てを知り尽くしている人じゃない。だから私も完全に気を許せるっていうか、面倒でなくていいっていうか」

(な……何というか、そういう認められ方をしても、複雑だな)


 嬉しいような哀しいような話。いずれにせよかなわぬ話であるが故、町田はいつものように、重い溜息をついた。



第十二章 いい子ぶらない人生を遊ぼう 終

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