第十二章 20

 夜になり、凜と十夜と晃はロビーへと向かった。


 ロビーは吹き抜けの二階建てとなっており、様々な店や施設がある。昼間に来た際、装飾の豪華な小さなショッピングモールみたいだと十夜が言っていたが、凜も同じ感想を抱いた。


 昔船に乗った経験はある凜だが、凜が乗ったのはもっと簡素な客船であり、これほどの豪華客船のロビーをお目にかかるのは初めてである。

 ステンドグラス、シャンデリア、イルカを模した紋様が描かれた大理石の床、そこかしこにある緩い曲線を描いた階段、吹き抜けになった二階と一階の間に設けられたステージ、ユーモラスな絵画、イルカと美女が戯れる彫像、そして喧騒と笑顔。


 全てが眩い世界。正直凜の好みではない。元々人の多い場所そのものが好みでもない。


「えっと、今夜の劇場は何かするのかな?」

「劇場は明日からだってさー。それより十夜、カジノ行こうぜ。カジノ」

「お、射撃場まであるんだ。子供もできるって」

「射撃とか、そんなのいつも訓練で行ってるからいいだろー」

「カジノも安楽市に結構あるじゃん。行ったこと無いけど」

「わかってないねえ、十夜は。こういう場所で遊ぶからこそ、面白いんだよー」


 一方十夜と晃は、パンフレットを見ながら嬉しそうにはしゃいでいる。


「あ、凜ちゃん達―」

 純子が声をかけてきた。真の姿はない。


「あれー? 相沢先輩は?」

 晃が問う。


「真君は部屋で一休みしてるよー。私はちょっくら敵のボスの御尊顔を拝みにきたのー」

「ならいいや」


 真がいないとわかっただけで、興味無さそうにそっぽを向く晃。


「敵のボスの御尊顔?」

 その台詞が気になる凜。


「あれ? 凜ちゃん達も見にきたんじゃないのー? もうすぐグリムペニス幹部の人の御挨拶タイムが始まるんだよー」


 パンフレットを見直すと、確かに本日のイベント予定にそう書かれている。いろいろ考えることとやることが多すぎで、そこまでチェックしていなかった。


「アンジェリーナ・ハリスって人だよね。結構表通りでも有名人だよ」

「ああ、知ってる知ってるー。あのゴリラと魚を混ぜ合わせたような顔のだろー」


 十夜と晃が口々に言う。


「うん。どっちかという悪い意味で有名人だよね。何しろ日本では彼女のこ――」

『これより今回のツアーの主催者、グリムペニスのアンジェリーナ・ハリスより皆さんに挨拶があります』


 純子が喋っている途中で、船内放送が流れた。


 ロビーの照明の幾つかが消えて暗くなり、中二階に設けられたステージにスポットライトが当たる。こんな演出している時点で自意識過剰な人物のようだと、凜は思った。

 ライトに照らされたのは、紫のドレスをまとった小麦色の肌の白人女性だ。


『コンバンハー。コノタビハグリムペニスノホエールウオッチングツアーニ参加シテイタダキ、マコトニアリガトウゴザイマース』


 笑顔をふりまきながら、片言の日本語でアンジェリーナ・ハリスが挨拶を行う。


「うっわー、相変わらずゴツい顔だね。女と思えない。むしろ人間とも思えない。亜人?」


 アンジェリーナを指して言い、ケラケラと笑う晃


「声が大きい。あとね、たとえ相手が誰であろうと、他人の容姿を悪く言うなんて最低よっ」

「はい……」


 凜にかなりキツめの声と口調で注意され、晃は神妙な面持ちになって縮こまった。


 日本語だったのは最初の挨拶だけで、その後は全て英語によるスピーチが行われ、通訳が日本語でそれを伝える。


(何だろ、凄く嫌なイメージ。黒塗りのガラスの破片が散乱しているような、そんな女)


 容姿をどうこうは言わない凜だが、人相や雰囲気、オーラを見て悪印象を抱くのはどうしょうもない。その人物の内面が浮き出るものであるし、凜には特にそれが見えてしまう。


「口だけ笑って目が全然笑ってないね。汚いものでも見るかのような目で見てる」

「あー、僕もそんな印象受けた」


 十夜と晃も、凜と同じ感想のようであった。そして十夜の言葉で、凜がアンジェリーナに受けた悪印象の理由の一つが理屈で理解できた。


「ていうか、あの人レイシストで有名なんでしょ? 以前ツミッターで日本人罵りまくる失言して炎上して、慌てて削除したとかさ」

「日本人は劣等人種で、豚にも劣る害獣とかなんとか言ってたね」


 晃と十夜の会話を聞いたのか、隣にいる中年夫婦がこちらに視線を向けている。


「だからあなた達、声が大きいっての。ま、実際あの人を見下したような嫌な目つきは、誰の目か見ても仕事で嫌々やってますっていうのが、見え見えだけどね」


 グリムペニスもイメージ戦略するなら、もう少しマシな人選をすればいいのにと、凛は思う。


「凜ちゃん、何かいろいろと大変そうだねえ」


 二人の少年の指導役を頼んだ張本人である純子が、おかしそうに微笑む。


「おかげで私の性格が丸くなったって、よく言われるわ……」


 苦笑いを浮かべ、大きく溜息をつく凜。


「あいつも誘拐事件に関与しているのかな?」

 アンジェリーナを見ながら、十夜が言った。


「関与してるに決まってるじゃない。グリムペニス自体が裏にも精通した組織だし、海チワワの上位組織のようなものだし、そのグリムペニスの幹部に無断で船に誘拐した人達を連れ込むなんて、考えられないでしょう」

「なるほど、言われてみればそうだよね……」


 凜の言葉を聞いて、十夜は己の考えが足らなかったことを恥じるように、決まり悪そうに視線を逸らす。


 やがてスピーチが終わり、アンジェリーナはステージから退場した。


「何というか、こう言っちゃ悪いけど、つまらなそうな敵役だねー。モブ幹部とでもいうかさ」

 凜の横にいる純子が言った。


「私もあまりいいイメージはないわ。大物なオーラも全く感じなかったし」


 大物のオーラを放ちまくっている真紅の瞳の美少女の愛らしい顔を見つめながら、凜は同意する。

 純子の側にいると、心がひどく落ち着く。凜にとって心底認められる、数少ない人物の一人だ。ついでに言うと容姿も凜好みであるし、この世で三番目くらいに好意を抱いている人物だ。


「とはいえ、彼女の悪行の数々を考えると、燃えるものもあるんだよねえ。実験台にされた時の反応とか想像するとさあ」


 少しも悪意を見せずに、逆に純粋無垢な笑顔をふりまきながらそんなことを言う純子に、ドキッとする凜。


「さーてと、じゃあ船の施設いろいろ遊びに行こうぜぃ」

 晃が声をかける。


「私はいいわ。二人で遊んでらっしゃい」


 十夜と晃の二人で遊びたいのだろうと遠慮した凜であったが――


「何でいつも凛さん一人になっちゃうの。凛さんも一緒においでよ。それとも俺達と一緒にいるの嫌なわけ?」


 十夜が不思議そうに言った後で、照れくさそうに笑いながらそう尋ねてきた。


「えっ? 私は一緒にいたらお邪魔かなーと思って遠慮してたんだけど」

「そんなわけないじゃーん。そんなこと考えて遠慮してたのかよー。てっきり僕達と歳離れてるから、一緒に遊ぶの嫌なのかなーって、十夜と話してたところだよ」

「むー……」


 晃が歯を見せて朗らかに笑いながら言う。自分の遠慮がまさかの誤解を生んでいたことに、凜は複雑な気分で唸る。


「はーい、はいはいはーい、私も混ぜてー」

 凜が答える前に純子が挙手する。


「純子は相沢先輩連れてきてよー」

「いやいや、寝てるから声かけづらいしー。ていうか晃君にとって私って、真君のオプションみたいな認識?」

「うん」


 純子の問いに、笑顔のまま即答する晃。


「純子が行くなら私も行くかなー」


 腰に片手をあて、凜も照れ笑いを浮かべながら申し出た。

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