第十二章 9

 グリムペニスは世界最大の環境保護団体であるが、この組織がクリーンな代物ではないことは、多くの者が知っている。


 それを証明するのが、海チワワの存在だ。

 環境保護という名目のために、テロ行為を繰り返すこの組織との関与を、グリムペニスは表面上でこそ否定しているが、両組織の幹部が接触している所は何度もパパラッチに撮影されているし、グリムペニスにとって都合の悪い発言を繰り返した人間が殺害され、逮捕された犯人が海チワワだった事などもあり、ダーティーな面も強い組織として認知されている。

 グリムペニスは海チワワと無関係で別団体というスタイルを貫いているが、海チワワはグリムペニスの内部団体、もしくは下部組織であるという話が通説になっていた。


 海チワワは、地球環境保護は人命より重いと謳い、主にその活動内容は、環境破壊を行う国やその国民、あるいは企業に対してのバイオテロだ。テロは決して環境を傷つけない方法を選ぶ。


 グリムペニスの幹部であり、顔役の一人でもあるアンジェリーナ・ハリスもまた、環境保護と動物愛護を盲信し、人命よりも重きを置く思想の持ち主であった。

 三白眼で、頬骨が異様に盛り上がって横に広がり、唇も厚すぎるほど厚く、顔だけ見ると男性にも見えかねない、隆起の激しい容貌だ。


「アクシデントがあったと聞いたけど?」


 豪華客船の船室にて、アンジェリーナはソファーに腰掛け、部屋を訪ねてきた男に尋ねた。


「おーいおいおいおーい、そのことからかよ。アクシデントはいつでもどこでもつきものだろー。しっかし今回は中々に痛かったね。思いもよらぬ闖入者のおかげで、さらってきた日本人を少々逃がしてしまったよ。しかも今も追跡されている最中ときたね」


 海チワワの幹部、ジェフリー・アレンは全く悪びれることなく、芝居がかった口調と仕草で状況を報告した。今日は珍しく占い師めいた格好ではなく、簡素なTシャツにジーンズというラフな格好であり、細い体がさらに際立って見える。


「ショーに使うジャップの数が減らされるのはごめんだわ」

「んー? クルージングツアーで多くの日本人の接客をしなさるんだろう? 足りなければそこから調達すりゃいいんじゃないのお?」

「馬鹿を言わないで。そんなことをしてバレたら大問題よ。そもそもツアーで行方不明者なんて、一人でも出せるわけが無い」


 ジェフリーの言葉に、露骨に顔をしかめるアンジェリーナ。


「そもそもよりによって何で私がジャップ相手に、ホエールウォッチングツアーの責任者なんかしなくちゃならないのよ。人の姿をした人ならざる黄色いモンキー相手に、笑顔を振りまいて引率とか、本当におぞましくてたまらないわっ!」


 ついヒステリックに大声をあげて喚いてしまい、それを恥じ入るように、軽く咳払いをするアンジェリーナ。

 本人は否定しているが、アンジェリーナは白人至上主義のレイシストとして知られていた。過去にSNSで多くの人種差別的な失言があって炎上し(その度に削除してはいたが)、特に日本人に対しては強烈なヘイトをぶちまけている。


 しかし最近では日本でもようやくエコロジーブームが盛んになり、日本におけるグリムペニスの活動が活発になっているため、グリムペニスのイメージがダウンするのは不味い。

 そのダーティーなイメージを払拭するためにも、グリムペニスが開催するホエールウォッチングのツアーの責任者として据えられたわけだが、そのストレスのせいで、元々ヒステリー気質なアンジェリーナは最近、何かある度にすぐに金切り声をあげるようになっていた。


「はっはーっ、同じ人間じゃないか。黄色も白も黒も無い。人間は等しく悪さ」


 歪んだ笑みを浮かべ、ジェフリーが吐き捨てるように言う。


「ところでミセスハリス、イーコなるジャパニーズモンスター、如何なるものか御存知か?」

「知らないわ」

「では後で調べておくとよろしい。我々の妨害をしたのは、何と人ではなく、そのモンスターなのだ。彼等は亜空間トンネルを移動するので、人前には滅多に現れない。とはいえ、俺の魔術で居場所は感知できるがね」


 最初ジェフリーは冗談か何かを口にしているのかとアンジェリーナは思ったが、どうやら本気らしいと判断する。


「一匹ほど捕らえたけどね。残念ながら、ここに連れてくることはできなくなってしまったよ」


 ニヤニヤと笑いながら口にしたジェフリーの台詞が何を意味するか、アンジェリーナは即看破した。


「俺も先日その存在を知ってネットで調べて驚いたわー。奴等、とんでもなく邪悪な魔物だわー。何しろ人間を守護する目的で生きているんだぜえ? これはまさしく許しがたい存在。悪魔の守護者。そのようなものが存在するとはね。だから念入りに痛めつけてやっといたわー。意外なことに、小さな身体のわりに随分と頑丈でね。少なくとも人間より頑丈だ。人間なら明らかに死に至る傷を負っても生き続けていたからね。傑作なのはそのイーコが身ごもっていたことで……」

「その話はそれくらいでいいわ」


 表情に不快感を露にして遮るアンジェリーナ。


「いいや、よくないっ。彼等は人間よりも優れた生命体だ。そんな彼等が我々の敵に回って、日本人の誘拐を阻もうとしている。こいつぁぜってー見過ごせない問題だぜー」

「それなら、どう対処するのかだけを簡潔に言ったらどう?」

「ずばり、船に我々の兵を乗せる許可を頂きたい」


 ジェフリーの要求に、アンジェリーナは目を剥いた。


「ふざけないで。私のツアーを滅茶苦茶にする気?」

「いずれにせよ船にさらってきた日本人を詰め込む気だろう? いつもやってることだ。この期を逃せば、ショーに間に合わないし、一番安全な輸送方法だ。彼等を安全に運ぶ輸送手段が他に確保できるというのなら、そちらを使えばいい。ああ、諦めて彼等を解放するのが、最も利口で安全な選択だがね。そうは思わないかい? そこまで頭回らんかい? ん? ん?」


 にやにやと笑いながら茶化すように話すジェフリーに、アンジェリーナは頭が沸騰しそうになる。


(堪え性が無い彼女にしては、よく抑えているねえ。全く可愛いメスゴリラだ。人間の中ではマシな方だな。見た目だけなら人から離れているから)


 怒りに顔をひきつらせているアンジェリーナを見ながら、ジェフリーはそんなことを考えていた。


「わかったわ、あなたに任す」


 諦めたようにアンジェリーナが息を吐く。グリムペニスの了承を取り、ジェフリーはほくそ笑んだ。


 世間からは蜜月関係と思われているグリムペニスと海チワワではあるが、組織に属する人間の思惑は複雑であった。互いに疎んでいる者も少なくない。

 少なくともアンジェリーナは、海チワワの力を借りている立場でありながら、武闘派であり、何かと騒ぎを起こしてくれる彼等のことを快くは思っていなかった。

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