第十二章 10

 快楽提供組織『ホルマリン漬け大統領』と雪岡純子の幾度目かの抗争。その際に岸部凜はホルマリン漬け大統領側について、雪岡純子と交戦し、命を落としたかと思われた。

 だが脳死に至らなかった凜の脳を純子が取り出して生命維持措置を施し、凜はしばらくの間、脳だけの状態になって、十夜と晃の世話を焼いていた。


「あの二人はどうも危なっかしいから、この先も凜ちゃんが指導してくれないかなあ」


 ようやく元の肉体を再生してもらい、体を取り戻した凜であるが、そのわずか二日後に雪岡研究所に呼び出され、純子にそう頼まれた。


「私は気ままな一匹狼がいいんだけど」


 ペンダントを弄びながら凜は言うものの、純子とてそれを承知のうえで、十分な代価を支払ってくれるのだろうと、凜は察していた。


「二人の面倒をみる代わりに新しい力をくれるとか、そういう話なのよね?」


 物欲しそうな笑みをわざと作ってみせる凜。そもそも現在いる場所が客室でもなくリビングでもなく、実験室という時点ではそれは明らかだ。


「よいしょっと」


 凜の質問に答えず、純子が寝台の上に何かを乗せる。


(お味噌?)


 巨大な盆の上に乗せられた大量の剥きだしの味噌を見て、凜は訝る。


「ところで凛ちゃん、妖怪みそ男って話、知ってる?」


 寝台の前に、何故か大量の味噌を山ほど積み上げられた状態でそんなことを問われ、凛は嫌な予感を覚える。


「知らないけど……」

「じゃあとりあえず裸になってもらおっかー」


 屈託の無い笑みをひろげ、純子は告げる。


「恥ずかしがらなくていいよ。凛ちゃんは実験台、私はマッドサイエンティスト。つまり患者と医者の関係みたいなもんだしさあ」


 尻込みする凜を安心させるかのように、優しい口調で言う純子。


「いや、タダで力くれるんじゃなくて、また実験なの? ていうか、今度は何をするつもり?」

「そんなに警戒しなくていいよー。今度は手術とか、そんなことはしないし。ただ凛ちゃんの体の隅々まであますことなく、味噌を塗りたくるだけだから」


 冗談だと思いたいが、断じて冗談ではないのであることを凜はわかっている。その冗談のような方法が、新たな力を獲得できるかもしれない実験なのであろう。


「さあ、早く脱いでー。痛くも怖くもないんだから、私に安心して身を委ねて。ね?」


 笑顔で迫る純子に、凜は泣きたい気分になりながらも覚悟を決め、服を脱ぎだした。


***


 凜と十夜と晃とアリスイとツツジの五人は、車で東京湾へと向かった。

 誘拐犯達を追跡していたイーコより連絡を受けたアリスイ曰く、誘拐された人達を輸送していた車は、倉庫が建ち並ぶ港湾地帯で止まり、車ごと倉庫の一つへと入っていったということだ。


 目的地に着く途中、港に一隻の豪華客船が停泊しているのを凜は横目で見る。グリムペニスの主催による、環境保護名目のホエールウォッチングを看板に掲げた、クルージングツアーの豪華客船だ。


「あれがグリムペニスの鯨ツアーの船ね」


 車を運転していた凜の言葉に反応し、四人が船の方を見た。


「あんなのに乗ってどーするの? ただ船に揺られて鯨見るだけ?」

 晃がどうでもよさそうに言う。


「船の旅をのんびり楽しむんだろ。そういうのが楽しいって人もいるだろうし、乗り物好きな人は楽しいんじゃないかな」

 十夜もあまり興味が無さそうな口調だった。


「えーっ? オイラは乗ってみたいですよおっ。何故なら、人間の乗り物に乗るのが大好きだからですっ」


 興味津々に表情を輝かせて、食い入るように船を見ながらアリスイ。


「昔一度ヘリコプターに乗ったことがあるんですけどねー。いやー、あれは実に楽しい思い出でした。今も車に乗っていてすっごく楽しいですけど、たまに乗るから楽しいのであって、人間は乗り物に乗っていても楽しいって感覚は無いんですかねー?」

「人それぞれよ。乗り物にもよるしね」


 興奮気味に喋るアリスイに、凜がそう答えた。


「もうすぐ目的地だけど、さっきの船から随分近いのね」


 車をカーブさせて倉庫が建ち並ぶ横道へと入り、凜が言う。


「もうさー、こういう倉庫街ってのは、悪の組織が潜む場所として定番て感じだよなー。ドンパチするにしてもさ。フィクションでもノンフィクションでもお決まりのパターンていうか」


 と、晃。これまでにほころびレジスタンスが受けた仕事でも、倉庫街や倉庫の中での抗争や取引を幾度も経験している。


「言われてみると倉庫がドンパチの舞台になるのって、どうしてなんだろう。フィクションだと、ここみたいな海沿いの倉庫がそういう舞台に使われることが多いよね」


 十夜も晃に同調するかのように言う。フィクションだけではなく、リアルでも同様だ。


「おおおう、そうなんですか。今度から倉庫に近づく時は用心しますっ。倉庫は危険地帯、と」

 変な誤解をするアリスイ。


「フィクションとの違いを言うなら、安楽市にも倉庫街は幾つもあって、裏通りの組織の取引や抗争の場に使われているけど、その多くはすでに使われてない倉庫よ。ここいらはまだ機能している倉庫だけどね」


 フォークリフトで貨物が運ばれている様を目の当たりにして、凜が言った。


「で、海沿いの倉庫がドンパチの舞台として使われる理由は何でだろ?」

 晃が疑問を口にする。


「人目につかない場所であるし、ブツを隠すにも最適だし、取引したらすぐに船でドロンできるし、何よりもう定番な舞台として絵になるからでしょ」


 答えつつ、凜は車を停めた。


「問題の倉庫までは、イーコの亜空間トンネルで移動しましょう。敵の魔術師とやらには見つかるかもしれないけれど、まあ、その時はその時よ。ちょっと待っててね」


 最初に降りて、周囲を見渡す凜。人の姿は無いし、誰かがやってくる気配も無い。


「降りていいよ」


 人目につきたくないであろうイーコ二人に向けて、凜は告げる。

 その直後、凜は空間が歪む気配を感じ、警戒した。アリスイとツツジが力を行使した気配は無い。別方向から、別の者による力だ。


「ちょっと……何で人間の前に堂々と姿見せてるの? しかも人間を巻き込む気?」


 空間の扉が開き、中から新たなイーコが現れて、アリスイとツツジに向かって咎めるかのような口調で問う。触覚が真っ赤で、目は黒く、尻尾がやたら長い。


「おおうっ、コウじゃないですかっ。斥候おつかれさまままでありますっ」

 アリスイが嬉しそうに声をかける。


「お疲れ様じゃなく、事情を説明してよ」


 コウと呼ばれたイーコが、不機嫌そうに言った。


「私達だって人材不足だってわかっているでしょ? イーコの増援を頼むには時間がかかるし、そもそも来るかどうかもわからないし」

 ツツジが冷静な口調で言い返す。


「しかしこれ以上人間を危険に晒すのは……」

「人間じゃない君達が人助けしようとしているのに、人間の僕らが黙って手をこまねいてるってのもおかしな話じゃん」


 なおも何か言おうとするコウに、晃が口を挟む。


「信用してもよさそうだ。町田流の妖術師の気配を感じる」


 亜空間の扉の中から、さらにもう一匹のイーコが出現して言った。触覚が黄色いく、目は黄緑。髪の毛も尻尾も全身の体色も淡い紺色だ。他のイーコは白いのに、このイーコはほぼ紺一色なので、ある意味目立つ。


「僕はルリビタキ、こちらはコウと言います。以後お見知りおきを。僕はかつて町田流の妖術師に直接手ほどきを受けたこともあるので、貴女が町田流の妖術師だということも、感覚的にすぐわかってしまいました」


 全身紺色のイーコが恭しく頭を下げ、丁寧な口調で自己紹介をした。それから各自自己紹介をしあう。


「状況を教えて」


 自己紹介タイムが終わったのを見計らって、ツツジが尋ねる。


「海チワワの黒服達が第六倉庫と第七倉庫に出入りしている。車が入っていったのもその二つだ」

 コウが答えた。


「まだ倉庫の中を確認はしてないの?」


 さらに問うツツジ。イーコの能力を使えば、そこに捕らわれた人がいるかどうかはすぐにわかるはずだ。


「中の様子を見ようとした所に、アリスイ達が来たってわけ。ただ、外へ連れられていってしまった人達もいるよ。僕達、それをただ見ている事しかできなかった……。二人じゃ助けようがない」

 ルリビタキが悔しそうに言った。


「二人って、ライラックはやっぱり見つかって捕まったんですかあっ?」

「うん。僕等の正体さえバレてる。海チワワのボスっぽいのが、妖術師……いや、魔術師なんだ。亜空間に隠れていても感知されてしまう」


 アリスイの問いに、ルリビタキはさらに悔しげに答える。


「それはわかってますよお。何故ならオイラも見つかったからですっ」


 威張るアリスイに冷たい視線が集中するが、アリスイは気付いていない。


「僕等は外へ連れていかれた人達を見にいってくる。多分、彼等の船へと運ばれたと思う。それを確認してくるよ。では皆さん、よろしくお願いします」


 ルリビタキが凜達に頭を垂れ、コウを伴って凜達の前から去る。


「僕達はその第六倉庫と第七倉庫に潜入しようか」

「『しようか』じゃなくて、『しよう』か『するぞ』がいいよ。ボスはあなたなんだからね」


 皆に声をかける晃に、凜がやんわりと注意する。


「よし、するぞっ!」

「おっしゃーっ! それではおーぷーんっ」


 晃の気合いの入った号令に、アリスイも気合いを入れて叫び、亜空間トンネルの扉を開いた。

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