第十一章 19
学校が終わっても計一はいつものように真っ直ぐ帰宅せず、雪岡純子が指定した場所へと向かった。
計一が着いたのは、廃工場ばかりが無数に立ち並ぶ、安楽市内では有名な場所だ。裏通りの住人達が根城や取引や抗争の場として使うため、銃声の鳴らない日が無いとまで言われ、一般人はまず近づかない。
その噂は正しかったようで、計一が足を踏み入れて数分もしないうちに、早速遠くで銃声が響いていた。
前もってイメージしていたよりもずっと恐ろしい雰囲気に、計一は何が起こってもすぐ対応できるように、鞄の口を開け、さらには薬瓶の蓋も開けておく。
廃墟となった建物の数も思ったより多く、この廃工場地帯自体が相当に広い。おまけに構造も複雑で、同じ建造物が均一に建ち並ぶということもなく、建物の大きさも種類もそれを仕切る塀もばらばらであるため、ちょっとした迷路のように感じられ、これなら確かに裏通りの住人達が利用するにはうってつけだと計一は思った。
指定された建物は、かなり小さな工場だった。入っても、何を作っていた場所なのか、全くわからない。
入るなり、眼光の鋭い三人組と目があい、計一はぎょっとして建物を出て陰に隠れた。
(馬鹿っ、何やってるんだ、俺は)
いかにもな感じの、柄の悪そうな裏通りの住人だったので、一目見ただけでビビって退散した己を叱咤する。
(しかしあんなのを手足のように使えって、そんなの無理だろ……。どうしてこんなことしなくちゃいけないんだ。つーか、雪岡純子がその辺までやってくれればいいのに、どうして俺が直に会って命令下さなくちゃならないんだ)
その辺はここに来る前から疑問であった。雪岡純子が自分のことを試しているのではないかとも思ったが、それにしても意味がわからない。
(糞っ、こんなことで薬を使うのもアレだが、この際仕方ない)
動悸も震えも止まらず、ビビっているのを見透かされた状態で彼等と向かい合ってナメられてはいけないと思い、薬を一錠服用する。たちまち震えが消えてハイになり、体中に力が漲っていく。
「はじめましてーっ。あんたらが雪岡純子の遣いかーい?」
突然ハイテンションになって再登場した計一に、三人のチンピラはちょっと引く。
「そりゃこっちの台詞なんだがなあ。指示はここで直に聞けと言われて待ってたんだ」
「おっけー、そういうことね。じゃあ早速だけど、相沢真て奴の家族をね、相沢真の見ている前で嬲り殺しにしてほしいんだ。相沢真は殺しちゃ駄目だぜ」
へらへらした笑みを浮かべて依頼内容を告げられて、三人のチンピラの顔色が変わる。
「なるべく長時間に痛めつけて殺してくれ。相沢真はその間押さえつけてて、ちゃんと瞼こじあけさせて、その様子を無理矢理見せつける感じでな」
「あのな、俺ら金さえもらえば何でもやるってわけじゃねーぞ」
一人が不快感を露わにして吐き捨てる。
「殺しくらいは引き受けるが、そんな悪趣味な真似は御免だわ。俺はパス」
「ああ……そうか、このためか。そしてやはり俺の裁量を試していた部分もあったか」
自分にだけわかる言葉を呟く計一。その時、突然彼は理解した。雪岡純子本人が依頼内容を彼等に告げるのではなく、計一が直に会って告げるようにと指示した意味を。
「よろしい、やりたくない奴はやらなくて結構! 永久に何もやらないでいなさーい!」
声高に叫ぶと、計一は拒否を口にしたチンピラめがけて一気に詰め寄り、その頭部めがけてパンチを繰り出す。
目の前で人間の頭部が弾け飛ぶ光景を目の当たりにし、残る二人の男は硬直した。顎から上が粉々になって消失して、残った下顎に並んだ歯と舌が露出した状態で仰向けに倒れた亡骸に目を落とし、二人して恐怖に震える。
「はいはーい、君達はこの仕事やりたいかね? やりたくないかね?」
ニヤニヤ笑いながら問う計一に、チンピラ二人は選択肢が無い事を悟り、ヤバい依頼主に当たってしまった不運を嘆いた。
***
三年不良グループの殺害事件、二年女子生徒の強姦事件と、続けざまに事件が続いた安楽二中であるが、その日また事件は起こった。
朝――ぎりぎり遅刻で教室に入って、教室内の異様な雰囲気を目の当たりにし、真は一瞬固まった。
昨日よりさらにどんよりとした雰囲気に支配されており、誰も何も喋っておらず、礼子と同じグループの女子達だけが、身を寄せ合って嗚咽をこぼしている。
「菊池が自殺したってよ」
真が口を開く前に、宗徳が重い口調でこの状況がどういうことであるかを簡潔に教えた。
他の生徒達は礼子のグループに気遣ってか、その雰囲気にあてられてか、ほとんど何も喋らず、ただ彼女達のすすり泣く声だけが教室に響いている。
朝だけではなくその後も、クラス全体がどんよりとしたムードに包まれていた。特に礼子と同じグループの女子達は、休み時間も俯いたまま、誰も一言も発しようとしなかった。
放課後、担任の鹿山由美が緊急ホームルームの時間を設けて、全員を残らせた。
「知ってはいると思うが、菊池が自殺した。今朝、首を吊った状態での遺体が自室で発見された。遺書も残されていた。原因は言わなくてもわかるだろう」
(はいはい、俺がその原因ですよーだ。張本人ですよーだ。まさかそいつが同じクラスにいるとか、誰も考えねーだろーな)
重々しい口調で話す由美に、計一が口の中で皮肉たっぷりに吐き捨てる。その真実を教えて驚かせてやりという衝動に駆られてしまう。
(俺はお前達より上の、特別の存在になったんだぞって、教えてやりたいわ。気に入らない奴を殺しちゃうこともできるし、気に入った女を犯して自殺にまで追い込んでやった。いや、犯してはねーけど……。いずれにせよ、こんな俺、こんな中二、他にいねーだろ。すげーだろ。ああ、本当知らせてやりてえ。クラスの中でいつも一人ショボくれてた俺の正体、教えて驚かしてやりてえ)
歪んだ自己顕示欲が計一の中で暴れていた。もちろんそれを放出することなどできない。一人で悦に浸るしかない。それが心地好くもあるが苦しくもある。
「世の中には信じられないような悪人が存在するし、このようなひどい不幸というものも存在する。それを現実として受け止めなくてはならない。他人事として笑ってはいられない。不幸というものは、いつ誰の身に降りかかるかもわからない」
由美の口にする言葉に、計一は唾を吐きたい気分になる。
(俺は生まれた時からずっと不幸だったわ。たった一回、たったそれだけの時間の不幸で自殺とか、馬鹿じゃねーの。軟弱すぎ。実際にやられたわけでもないのに、噂だけで自殺だぞ? そんなもんに惚れてたとか、俺も馬鹿だけどな)
辱め、死に追いやった相手をなおも、心の中で罵倒し続ける計一。
礼子への想いも冷めたし、昨日まで引きずっていた罪悪感も、自殺したと聞いて逆に綺麗さっぱり消え失せた。
(あんなくだらない女に、引け目を感じて落ち込んでいるのも馬鹿らしいわ)
あげく、そのような答えに行き着いた。
常人とはかけ離れた精神構造と思考回路の持ち主。理解も共感もできる者は少ないであろうが、計一は常日頃から、そういった考え方や受け取り方をする少年だった。
その後も由美の話が続いていたが、その途中、凄い勢いで教室の扉が開いた。教室にいる全員が注目する。そこには血相を変えた中年女性が立っていた。
「礼子のお母さんだ……」
礼子の友人だった女子がぽつりと呟く。
「あなたね!」
由美が立ち上がって声をかける前に、礼子の母は教室内を見渡して、真の姿を発見するなり、真を睨みつけて声を荒げた。
「礼子が自殺したの! 知ってるんでしょう!? 乱暴されたのも知ってるんでしょう!」
足早に真のいる席へと詰め寄り、まるで真を仇でも見るかのような目で睨みながら喚く。
「あなた! 礼子が死んで何も思わないの!? あなたがしっかり対応してくれれば、礼子は死なずにすんだのよ!」
「何でそうなるんだよ」
宗徳が思わず呻く。礼子が母親に真のことをどう伝えていたかは知らないが、とにかく真のことを知っているようだ。おそらく礼子が真に対して片想いだったことも知っている。娘の口から聞いたのだろう。だからこそ真っ先に真にくってかかっている。
(いいぞー、やれやれ)
目の前で展開されている光景に、胸がすくむ思いを味わう計一。
一方で真は無表情のまま顔を上げ、礼子の母親の視線を受け止めていた。真からすれば、礼子の母親の気持ちを汲んで、この八つ当たりで気が済むなら受け止めてやろうとしたのだが、その対応は返って不遜と感じ取られて、ますます激昂する。
「あの子の遺書にね、あなたのことが書いてあったのよ! いえ、あなたのことばかり書いてあった! 見なさいよ!」
真の前で遺書を広げてみせる。言う通り、自分の名が沢山書かれているのを見て、真は少なからず衝撃を受ける。しかし文章をしっかり読みたいとは思わない。いや、思えない。できない。
「あなた、この学校でも有名な不良だそうじゃない! あなたがうちの子をたぶらかして、おかしな所に連れていったり危ない遊びを教えたりしたんでしょう! そうでもなければうちの子がトラブルに巻き込まれることなんてないわ!」
「いいかげんにしろよー! 真は何も悪くないぞーっ!」
流石にこれには堪えきれず、仁が机を叩いて立ち上がり叫んだ。と、その直後――
「そのとーり! 仁ちゃんの言う通りです! 真ちゃんは何も悪くなあぁぁーい!」
教室の入り口から、凛とした声が響く。
「ママッ!?」
仁が驚愕に目を見開く。真と宗徳も流石にこの展開には仰天した。このタイミングで仁の母親の田代麻子が現れるとは、思ってもみなかった。
「その子に何の罪があるというのですか? お気持ちはわかりますが、その子を責めるのはお門違いですよ。怨むべき相手は犯人でしょう? 私はその相沢真ちゃんがまだ幼稚園の頃から知っていますが、とてもよい子ですし、女の子を危険に巻き込むような真似をするような子ではありませんよ」
いつになく冷静な口調で諭す麻子。礼子の母親も落ち着きを取り戻したようで、がっくりとその場でうなだれると、声をあげて号泣しだした。
「ママ、かっこいーっ。ママたまにはやるじゃんっ。ところでママ何しにきたのー?」
「たまには余計でしょ。ママは仁ちゃんのために今日も学校にクレーム入れにきたんだけど、たまたま真ちゃんがいじめられててピンチだったから、救ったまでのこと! いいこと? 今日からはクレバークレーママとお呼び!」
そう言えば昔もこの人に助けられたなと、真は心の中で感謝する。
「そして貴女は教師なのに、どうして何も口を挟んで止めなかったの!? 真ちゃん困ってたし、生徒達もドン引きしてるじゃないの!」
今度は由美の方に向かって、毅然たる口調で問う。
「仁のかーちゃんはいつもそのドン引きさせている方なんだがな……。でも今日は確かに格好良かったし、スッとした」
「うんうん」
宗徳が後ろの席にいる仁にヒソヒソ声で言い、仁も嬉しそうに頷く。
「止めるより全部吐きださせた方がよいと判断しました。あと、これも教育の一環によいかなと思いまして。相沢にはね。他の子なら止めていましたが、彼にはいろいろ経験させた方がよいかなと」
(何で僕だけそんな悪い意味で特別扱いなんだ)
悠然と微笑みながら語る由美の言葉に、真は絶句した。
「んまーっ! そんなもの教育でも何でもないわよ! おかしいんじゃないの! しかも真ちゃんだけ悪い意味で特別扱いとか! おかしいんじゃないの! キーッ! これはもう絶対にPTA会議で訴えるわ!」
怒りに満ちた形相で喚き散らすと、麻子は教室の扉を乱暴に閉めて出ていった。生徒達は呆然とし、礼子の母は未だ泣き崩れ、そしてこんな状況にも関わらず悠然と笑っている由美がいた。
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