第十一章 20

 昨日に引き続き、真は学校が終わるなり真っ直ぐ帰宅した。

 ここの所連日に渡って、悪い事件ばかり起こっている。しかも事件の被害者と関わりがあるだけに、真も憂鬱な気分にならざるを得ない。


(さっさと犯人捕まらないかな)


 そうすればこの暗くてじめじめした気分からも解放されるし、礼子も浮かばれるのではないかとも思う。


(いっそ僕が殺してやりたい)


 鞄の中の銃を意識し、そんなことも思う。頭の中に一瞬ではあったが、六枚の翅の蝶が舞うヴィジョンが映る。


(いやいや……何考えてんだ、僕は)


 自分の考えにぎょっとする。何でそんなことを唐突に考えたのか不思議だった。蝶の映像の記憶は、直後に消失していた。

 自宅を前にしたその時、また頭の中で蝶が舞い、直後にその記憶も消えた。


(何だろう。とてつもなく嫌な予感がする)


 鍵を開けて中に入るなり、その予感は的中した。玄関にて、二人の侵入者とばったり出くわしたのだ。


「随分早いお帰りだな。真面目な子かね?」

「真面目な子なら塾に行くんじゃないの?」


 金髪、グラサン、剃りこみ、柄シャツ、ピアス、嫌な目つき。いかにもガラの悪そうな外見の下級のチンピラといった外見の二人組が、真を前にして軽口を叩きあっている。


 真はどうリアクションしたらいいのか、何と言葉を発したらいいのか、迷った。月並みな台詞ならいくらでも思い浮かぶ。

 だがそれを問う意味などあろうか? 誰何した所で何も意味は無い。教えてくれるものなら相手の方から教えてくれるだろうし、その気が無いなら教えてもくれない。少なくとも目的だけならすぐにわかるはずだ。


「何こいつ? 黙って突っ立ったままだぜ?」


 口と鼻にピアスをつけた剃りこみチンピラが訝る。


「顔のわりに度胸はありそうだな。あんまビビってもいなさそうだし。相当な不良だとは聞いていたが」


 金髪に赤いグラサンのチンピラが煙草の煙を吐き、不敵な笑みをこぼす。


「そのまま大人しくしていろよ。お前は殺すつもりはないからよ。でも大人しくしないと、傷つけることにはなるからな」


 金髪グラサンが優しい口調で言いながら、手錠を取り出してチャラチャラと音を立てて軽く振りかざして見せる。その優しい口調と動作が、逆に怖かった。下手に凄まれるよりも迫力があるというか。

 直感的に真は理解していた。目の前にいるのはただのチンピラではない。裏通りの住人に違いないと。何が目的かは不明だが、このまま大人しく捕まるのは絶対に不味い。


(僕の身動きを取れなくする脅しにしても、お前は殺すつもりはないっていう台詞は妙だ。わざわざお前はと言うからには、他の誰かは殺すつもりなんじゃないか?)


 そしてそれは、真の身近にいる人物である気がしてならない。そうでなければ、自分を拘束する際にそんな台詞も出てこないだろう。誰かしら関係があるから口にしたと見ていい。


「僕以外の誰かなら殺すのか?」

「まあ、そうなるかな……」


 赤サングラスの男の声音が沈む。顔色も一瞬だが暗くなったのを確かに見た。明らかに気が進まないといった空気が読み取れる。だが言葉は曖昧でも、確実にその意志も読み取れた。


 頭の中で六枚の翅が踊り狂った。

 そのヴィジョンが意味する所を真は理解できない。現れる度に、すぐ記憶ごと消えているからだ。記憶の残滓くらいには残っているので、きっかけがあれば思い出すかもしれないが、とにかく消えている。

 そして現れて消える度に、真の精神に不自然な作用をもたらしている。


(こいつらを……殺さないと……)


 鞄の中の銃を意識し、同時に殺意に芽生えたその時――


『違うだろ? そりゃあよ』


 片手に血まみれの刀剣をだらりと下げ、長髪を頭頂で結い、血泥で汚れた甲冑をまとった武者が、凄絶な笑みを浮かべて真を見据え、横薙ぎに刀を一閃する。

 武者の前をひらひらと飛んでいた六枚の翅を持つ蝶が、綺麗に二枚に斬られたかと思うと、直後、粉々に砕け散った。


『お前の殺意は、お前自身によるものであるべきだ。こんなくだらねえ術に突き動かされるなんざあ、穢れもいいとこよ』


 まるで時間が止まったかのような感覚。脳裏で展開された謎の光景。


『さあ、殺せ。お前の意思で、だ。お前とお前の大事な者を守るために』


 血まみれの武者が不敵な笑みを浮かべて告げると、その姿が真の頭の中から消える。それと同時に、記憶の中で羽ばたいた蝶の存在を忘れたのと同様に、真は頭の中に現れた武者のことも、すぐに忘れ去った。


(殺る……)


 真は生まれて初めて殺意を覚えた。相手が自分の日常と平和を脅かそうとしている。たったそれだけで十分だ。


「何だ、こいつ」


 グラサン金髪が、真から強烈な殺気が放たれているのを見て不審がる。表通りの小僧とは思えない殺気。こちらは殺意を向けたわけではない。しかし敵意を見せただけで、この反応はおかしい。あまりに不自然だ。


(何で俺達を殺そうとするんだ? まだそこまでのことはしてないだろ。これからする予定ではあるがよ)


 狼狽しつつも、金髪赤グラサンが先手をうって真めがけて蹴りをくりだす。腹部を蹴られて真の小柄な体が前方に折れ曲がる。


「おい、何してんだよ」


 相方が突然暴行を加えた事に驚き、もう一人のチンピラの剃りこみピアスが声をあげた。


「鈍い奴だな。こいつは今……」


 剃りこみピアスに対して舌うちし、何かを言おうとした赤グラサン金髪であったが、それ以上言葉を続けられなかった。


 倒れながら鞄に覆いかぶさる姿勢となり、チンピラから見えないように鞄の中に手を入れると、中にあった銃を掴んで、鞄の中から引き金を引いた。


 真は非常に冷静だった。殺意を覚え、下級とはいえ裏通りの住人さえ慄かせる量の殺気を迸らせると同時に、頭の中が澄み渡ってクリアーになり、自分がどう動いたらいいのかを冷静に計算できた。


 腹部中央を撃たれ、金髪男が驚愕に目を見開きながら撃たれた箇所を見下ろして、その場に跪く。同時にサングラスが落ちる。


「嘘……だろ? こんな……」


 血がにじむ己が腹部を見据え、逃れられぬ死の予感を悟り、目の端から涙がこぼれる。


「てっ、てめっ」


 剃りピアスが上ずった声をあげる。明らかに臆しているのが真にはわかった。相手の反撃など全く計算に入れていなかったのだろう。


 真は倒れたまま素早く体を横転すると、回転と同時に鞄から銃を抜いて、鼻口ピアス剃りこみ男へと銃口を向けた。

 コンセントも服用しておらず、完全に出足を挫かれて恐怖に硬直していた剃りこみピアスチンピラは全く反応できずに、喉の下を撃たれてのけぞって倒れた。


 二人の男が致命傷を負った状態で玄関に倒れている状況で、静寂に包まれる中、真は激しい興奮に身震いしていた。


 殺人という行為をしたにも関わらず、罪悪感も恐怖もわかない自分。それどころか喜悦を覚えて興奮している。

 相手の人生に終止符を打った。生きていればいろいろなことを感じられるだろうに、世界の歯車として絡み合って何かしら影響を与えたであろうに、それらの可能性を永遠に絶った。

 殺人という行為を働いたことを強く意識し、真は余計に震えた。震えてはいる。震えてはいるが、この震えが恐怖からくるものではないことがはっきりとわかる。

 昂ぶり、高揚感、喜悦、満足感、そう……それが快楽であることがはっきりとわかる。生まれてこのかた味わったことのないような快感。それは性衝動までも催し、勃起すらしている。


 恐怖はしばらくしてからやってきた。殺人を犯したことに対してではない。相手の命を否定して絶った事で悦びに震えている、己の異常性に対する恐れだ。


(何でこんなことして勃ってるんだよ。頭おかしいのか、僕は)


 勃起している事実に対して、底無しのおぞましさを覚えたが、それでもリビドーはやまない。


「母ちゃん……」


 金髪チンピラの口から漏れた一言に、真は我に返る。

 仰向けになって倒れた金髪グラサンが、とめどなく涙を流し、嗚咽を漏らしている。己の死に対しての絶望と恐怖、そして悔恨が、若くして人生の終焉を迎えた彼の中で渦巻いているのが、よくわかった。


(何だ……これ)


 しばらくして興奮が冷め、今自分がいる状況を改めて認識した。


(どうしてこんなことになってるんだ。どうするんだよ、これ)


 明らかに災厄をもたらす者達に対して、自分は然るべき対処を行ったとは思う。だがその後の始末をどうしたらいいか、わからない真であった。

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