第十一章 12

 真が母親と食事を取っている頃、計一は料理を自室に持ち込んで、ネットにかじりつきながら食事を行っていた。

 計一は五人家族であり、両親と兄と妹と共に住んでいる。食事の際、食卓にいつも計一の姿だけはない。いつも一人で食事をとる。計一は家族を心底忌み嫌っているし、計一の家族も計一のことを快く思っていない。


 学校だけではなく、家庭でも孤立している計一は、食事の間は大事な心の拠り所である学校裏サイトを開いている。食事くらいは最も心休まる空間で行いたいので、この選択は計一にとって当然と言えよう。


 空中に投影した画面を凝視し、黙々と飯を口に運ぶ。しかし書き込む際とIDを変える作業とリロードする時だけ、どうしても食事の手は止まる。よって、計一の食事は終わるまでひどく時間がかかってしまう。


 計一の書き込み内容と言えば、相変わらず真の悪口と、それを否定した者を叩き返す事だ。それ以外の話題はほとんど触れる事が無い。

 どんなにむしゃくしゃしても、憎き相沢真の悪口を書き込んだ瞬間、えも言われぬ達成感と至福感、何より勝利感で満ち溢れる。書き込めばそれで勝った気になれる。その瞬間こそが計一にとって至福の一時である。彼にとって最大の快楽と言っても過言ではないほどに。


 だが計一も本当はわかっている。それがほんのわずかな間のまやかしに過ぎないことに。わかっているが、できるだけ考えないようにしている。考えないようにしているがしかし、無理に意識させようとする者が、計一の頭の中に現れる。

 それは自分だった。もう一人の自分が、計一の中に現れる。客観的に自分を見る自分。もしかしたらそれは、計一の中に残っている良心や自制心から派生したものかもしれない。それは虚像となって計一の頭の中に現れ、計一に語りかけてくる。


(まだ自分を見つめなおそうとしないのか? 本当のお前はくだらない人間だ。最下級、最底辺の屑だ。最低で惨めなお前にとっての、唯一のストレス解消が、匿名で悪口とか、情けなさすぎるわ。正に道化。お前が意識しまくっている相沢、お前が嫉妬しまくっている相沢、それをお前一人だけが貶めて、それも皆に見抜かれ、一人で勝手に踊って楽しんでいる。いや、楽しんでいる振りをしている。楽しんだ振りをすることで快楽に浸れるとか、お手軽な奴だな)


 自分の中で作り上げたもう一人の自分――虚像が語り続ける。悪意と侮蔑と嘲りに満ちた言葉が浴びせられる。だがそれらは全て真実だ。

 計一は耳を塞ぐが、声はやまない。心を閉ざして考えずにいようとしても、声はやまない。そのうちまたヒステリーを起こし、錯乱する心を抑えるために何をしたかといえば、IDを変えて真の悪口をまた書き込むことだ。これでまた少し気分が落ち着く。


(許せない存在の相沢に依存して平静を取り戻すとか、どこまでも道化だな。度の過ぎた哀れさだ)


 しばらくするとまた声が聞こえた。自分をなじる自分。


(クイズ出すぞ。世界で最も醜い人間はだーれ? 答えは梅宮計一。第二問、世界で最も無様で哀れなのは――)


「うるさい!」

 思わず声にして叫び、はっと口を抑える。


「うるさいのはお前だろう。何喚いてるんだ」


 ノック無しに部屋の扉が開き、父親が険悪な表情で計一を睨みつけた。


「……ごめんなさい」

 目をそらし、口の中でもごもごと謝罪する。


「ったく、馬鹿たれが」

 父親は毒づいて扉を閉めた。


 父親からも母親からも、計一は愛情を感じたことはない。それがどういうものかすら全く知らない。テレビやマンガ等フィクションから得た情報によると、どうやらまともな家庭とやらでは、親は子に愛情をかけるものであるらしい事は知っている。自分の家庭ではそれが該当しないことも。

 自分の不幸の最大の原因は、親にあると計一は信じている。両親共不細工だから不細工な子供が生まれ、両親共に無能だから要領が悪く何をやってもうまくいかない駄目な子供が生まれ、両親がまともな教育をせず愛情も注がなかったからねじくれた心の子供が育った。


(俺は何も悪くない。全部あいつらが悪い。あいつらのせいだ。生まれが悪かった。それだけで何もかも決まっちまうなんて……)


 再び真を意識する。彼の整った顔が計一の脳裏には鮮明に焼き付いている。これほど簡単に顔が思い浮かぶ人間は他にいない。


(俺と顔交換してくれよ。運動神経も交換してくれよ。親も交換してくれよ。そうすれば俺は今よりずっと幸せになる。きっと性格もよくなる。その代わり絶対あいつは不幸になって、性格も悪くなるに違いないさ)


 そう思い込むと、少しだけ自分が救われた気になる。慰めになる。


(毎日毎日、あいつのことばかり意識しているな。片想いの菊池礼子以上に、お前は相沢真の事ばかり考えているじゃないか)


 呆れと嘲りが入り混じった口調で、虚像は言った。計一はそれすらも自覚したくなかった。向き合いたくなかった。徹底して現実から逃げていた。


 虚像の言うことは事実であり、真実である。だがそれを認めてしまえば負けになってしまう気がして、認められない。負けることは駄目だ。負けを認めたらおしまいだ。自分が負けないと思い込んでさえいれば、誰にも負けない。相沢真にも決して負けていない。この世の誰にも負けていない。


(虚ろな像なのは、お前のことじゃないか。根拠の無い強がりで、自分から目を逸らし続けてさ。いっそ俺と交代しようぜ? そうすれば間違いなく今よりはマシな人生を送れるさ。お前が毎日意識して眩しくて羨ましくて憎んで求めてやまない相沢真とも、仲良くなれるかもな。わかっているだろ? あいつだって別に悪い奴じゃない。ラノベを擁護していたしな。それどころかいい奴だ。だから人から好かれる。お前と違ってな)

(ふざけるな!)


 声に出すのを懸命に堪え、心の中で喚いた。


 そのまましばらくうなだれていたが、またネットへと向かう。否定のレスしかついてないと思いつつも、恐る恐る反応を伺う。どんなに嫌われ、馬鹿にされようと、この空間だけが計一にとっての他者との重要な接点だ。計一にとっては最も大事な場所なのだ。

 何者かが反応してレスをつけてくれていた。計一の顔が綻ぶ。否定でもいい。反応が欲しい。だがおかしいことに気が付いた。アンチなレスではないのだ。


『同感。私もあの子が好きじゃないんだー』


 自分の書き込みについたそのレスに、計一は目を疑った。


『愛想よくないし、人を見下してる感じだし、いい印象無いよ。あの澄ました顔ひっぱたいてあげたいな』


 同じIDで続けて書き込みがある。初めて見る。この掲示板で自分以外に相沢真に否定的な意見を言う者など。


『またID複数使いまわして自演か。よーやる』


 他の投稿者にはそう映ったようだ。それは無理も無い。しかしこれは違う。初めての賛同者。初めての同志。計一の精神は高揚した。

 その後、その同じIDの書き込みが何度も続く。どうも女子のような書き込み。明らかに自分とは違う角度からの意見で、真を悪く言っている。


『相沢叩きのアホだけど、いつものパターンとちょっと違くない?』


 そんな書き込みが目についた。そう感じるのも無理無いだろうなと、計一も思う。何しろ本当に別人なのだから。


『一人だけ彼を叩いているとでも思っているの? そうじゃないよ。近々その証を見せるから』


 その書きこみと共に、画像が張り付けられていた。

 画像は全く意味不明な紋様であった。六枚のばらばらの大きさの翅を持つ、蝶だか蛾だかのような変な虫を形作っている。紋様の周囲には小さな字のようなものがびっしりと書き込まれていたが、どこの言語かは全くわからない。言語かどうかも定かでは無い。


『自演の仕方も手が込んできたな』

『証とやらが何か教えてくださいよ?w』


 彼女を煽る書き込みがその後しばらく続いたが、それっきり彼女は姿を現さなくなった。

 一方で計一は、興奮し、感動していた。喜悦にむせび泣いてすらいた。自分は一人では無かった。同じ気持ちの人間が同じ学校にいた。同じクラスかどうかまではわからないが、間違いなく同じ学校の生徒だ。しかも女の子らしい。


(きっと男を顔で判断しない性格のいい子に違いない。もっと話がしたいな。できれば実際に会ってみたい)

 そう思わずにはいられない。


(もしかしたら菊池だったりしてな。本当は相沢のこと嫌っていて。それで……嫌っている者同志で俺のことも好きになったりとか……)


 根拠の無い都合のいい妄想がどんどん膨らんでいく計一。その日は寝るまで、ネットネットの煽り合いとは異なる幸福感に酔い続けた計一であった。

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