第十一章 7

 放課後、帰宅部の真はいつものように、宗徳や仁と共にさっさと学校を出る予定であったが、一人でトイレに行った帰りに、狙いすましたように声をかけられた。いや、実際一人になる機会を狙っていたのだろうと、真は後から思う。


「相沢、俺のこと覚えてる? 一年の時に一緒だった荒沢だけどー」

「覚えてる」


 真の前には、同級生と元同級生のサッカー部員の二人が立っていた。元同級生の方は出席番号がすぐ後ろだから覚えていたが、あまり会話した覚えは無い。

 もう一人は同級生という事は知っているが、顔を知っているだけで名前は覚えていなかった。


「サッカー部入ってくれないかなあ。お前なら絶対レギュラーなれるし、うちの戦力になると思うんだけどさ」


 体育の授業だけは真面目に受けているので、真が運動神経抜群で体力も優れている事は、わりとよく知られている。運動系の部にスカウトされるのも、これが初めてではない。


「せっかく運動神経いいんだし、あんな不良共と一緒になってないで、サッカーで――」

「あ、馬鹿っ。何言ってんだ」


 荒沢という名の元同級生がついはずみで口にした失言に、名も知れぬ同級生が顔をしかめて、思わず叱責する。


「そんな人を軽んじた言い方じゃ、お断りだ。宗徳は確かに不良だし馬鹿だし単細胞だし馬鹿だし不良だし馬鹿だが、付き合い長いし、悪い奴でもないし、けなされていい気分もしない。仁に関しても同じだ」

「あう……すまね……」


 決まり悪そうに頭をかく荒沢だったが、真はそれ以上彼等と取り合おうとはせず、さっさと宗徳と仁が待っているであろう校舎の外に向かうべく、階段の方へと足を進める。


 が、角を曲がって階段へと足を踏み入れた所に、にやにやと笑っている宗徳と仁の二人が、真のことを待ち構えていた。彼等の表情を見ただけで、今のサッカー部員との会話を聞かれたであろうことを真は悟り、頭の中で溜息をつく自分を想像する。


「聞かれてたのか。恥ずかしいな」

「聞いちまった。聞いてた方も何かすげー恥ずかしいわ。でも何で馬鹿と不良二度ずつ言った? それは大事なことだってのか?」


 まんざらでもない笑顔の宗徳。


「何だかよくわかんないけど、真が宗徳をかばったのはわかったぞー。そして馬鹿は三回言ってたもんねー」

「お前もセットだよ」


 仁の言葉を訂正し、真は宗徳を見上げる。


「しかしまあ実際、お前が不良のせいでああいうこと言われるんだからな。お前が悪い」


 照れ隠しも兼ねて憎まれ口を叩く真であったが、宗徳はそれを見抜いてにこやかなままだ。


「お前だって不良じゃんよ」

「だから昨日も言っただろ。不良ってのは、喧嘩したり髪型や服装が不良っぽかったり校則に従わなかったりガラ悪かったりする奴が該当するんだ。僕はそのうちの二つしか当てはまらないから余裕でセーフじゃないか」

「セーフとかいう表現持ちだす時点で、不良属性あることも、他人からそう見られている事も認めてんじゃねーかよ」

「そうだそうだー。よくわかんないけど真は不良だと思うぞー。でも漫画の主人公になれる、良い不良だよー」


 宗徳に同調しつつもフォローする仁。障害を患いながらも、一応細かい気遣いもよくできる。フォローや気遣いの仕方自体に難がある事も多いのだが。


「あ、よかった。まだ帰ってなかった」


 と、そこに礼子が階段の下から駆けて上がってきて、多少息を弾ませながら声をかけてきた。


「大変よ。また仁君のお母さんが職員室に乗り込んできてる」

「えええ~っ」


 仁が心底うんざりといった嫌そうな顔になり、嫌そうな声を上げる。


「またかよ……」


 微苦笑を浮かべて肩をすくめる宗徳。どんな些細なことにでも、すぐに逆上して乗り込んできて怒りをぶちまける、超過保護な仁の母親。幼稚園の頃から、真も宗徳も見慣れた光景だ。


「うちの仁ちゃんにあんな怪我をさせて、どう考えても教師の怠慢でしょーっ! キーッ!」


 四人が職員室へ向かうと、紫と赤のストライプに染めたパーマ頭に、厚い眼鏡と厚い化粧の中年女性が、廊下まで響くヒステリックな金切り声をあげていた。仁の母親、田代麻子(たしろあさこ)だ。昨日の鉄棒で顎に傷を負った事で抗議しにきたのだが、由美はこれを予測していた。


「怪我をさせてしまった事は申し訳なく思っていますが、あの程度の事故は普通に起こり得ますし、いちいち目くじら立てて抗議しに来られても迷惑です」


 教師によっては平謝りし、怒りが冷めるのを待つという無難な対応を行うが、由美に限ってはそれが無かった。冷めた視線を麻子に向け、さらに冷たい声で堂々と告げる。


「キーッ! あの子はハンデのある子なのよーっ! だからもっと注意して見てくれるべきじゃないですかーっ! キーッ!」

「ええ、なので注意してなお起こった事故です。しかしちょっと怪我した程度ですし、あの程度の怪我でいちいち保護者に抗議されていては、我々としても非常に迷惑なのですが」

「ムッキャー! これは確実にうちの子を差別してますね! 訴えますよ! ウキーッ!」

「差別しないからこそ、特別扱いせず、皆と一緒の授業をしているんですが?」

「キーッ! ああ言えばこう言う! ハンディキャップを背負っている子に対してなんてことをするの! この差別者めーっ! 横文字で言えばレイシストよーっ!」


 由美に毅然たる態度で論破され、最早支離滅裂となって弱者アピールとレッテル貼りを展開しだす麻子。もうこのやりとりを由美は幾度となく経験している。


「やめろよママ! 鹿山先生は何も悪くないぞーっ!」

 見かねた仁が、怒りをあらわにして叫んだ。


「んまっ、んまんまんまーっ、仁ちゃんっ! どどどどうしてここにっ!?」


 すでに帰宅していたと思って、そのタイミングを見計らったつもりでクレームを入れにきた麻子であったが、息子が目の前に現れた事に動揺をあらわにする。


「それはこっちの台詞だぞー! やめろって言ってるのに、また学校に来て! オイラが小学校の時、皆に嫌われたのはママのせいだ! そうやってママが学校に乗り込んできてモンペアしまくったから、皆が俺のこと嫌ったんだぞーっ!」

 麻子を睨みつけて怒鳴る仁。


「ママのせいでオイラは特殊学級に入れられて、宗徳や真と離れ離れにされるかと思ったぞー。オイラはちゃんと学校では大人しくしてるのにさーっ!」

「大人しくもしてないだろ。頻繁に放送室ジャックするし」


 小声で突っ込む宗徳。


「んまあああぁぁぁーっ、仁ちゃんっ! 何てこと言うのおおぉぉ! ママは仁ちゃんのことを思って、仁ちゃんを守るためにやったことなのにいぃぃ! ママかなしいーっ!」


 泣きながら職員室を出て走り去る麻子。それを見て職員室にいた教師一同、ほっと胸を撫で下ろす。


「先生ごめんなさい。お詫びにオイラ歌を歌うぞー。うちのママはとっても過保護~♪ うちのママはとってもモンペア~♪ どこでもすぐりにのりこむクレージ~クレーママ~♪」

「いや、歌わんでいいから」


 無駄によく透る美声でおかしな歌を歌い出す仁の頭を、由美は軽く小突いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る