第十一章 1

 職員室に入るなり、教師達から「またあの二人か」と言わんばかりの視線が降り注ぐ。これから始まる説教タイムのことを考え、相沢真と大地宗徳(だいちむねのり)の二人は、表面上こそ不遜極まりない態度であったが、内心はげんなりしながら担任教師の席の前に立った。


「また随分と派手に暴れたようで。お前達のその有り余る元気さには困ったもんだな」


 ジャージ姿の担任教師――鹿山由美(かやまゆみ)が二人を前にして口を開く。言葉だけなら皮肉っぽいが、口調は穏やかそのもので、まんざらでもない感じの微笑みを浮かべている。

 肩辺りで髪を切り揃え、ジャージの上からでもグラマラスな肢体がはっきりとわかる。垂れ気味の目と細い顎が印象的な、小作りな顔の、化粧っけの無いさっぱり美人だ。


「やるからには徹底的にやらないと、その後も絡まれるだろ。こいつらには手出ししたらヤバイと思わせるぐらいの印象を、相手に植え付けてやらないと」


 全く悪びれる様子を見せず、無表情に淡々と喋る真。


「だな。大体あいつら、うちの生徒からかつあげしてる屑だったし、遅かれ早かれシメる必要があった。これで平和になるんだから、俺ら感謝されてもいいくらいだぜ」


 宗徳も憮然とした表情で言う。

 真とは幼稚園の頃からつるんでいる幼馴染であるが、その身長は中二にして180を越え、150あるかどうかさえ怪しい真とは、デコボココンビとなっている。またオールバックにした髪を金髪に近い茶色に染め、制服もだらしなく着こなしていて、見た目からして完全に不良のそれだ。


「それにしてもやりすぎだ」


 穏やかな笑みを崩さず、由美はたしなめた。

 二人が呼び出された理由は、とある高校の不良ら七名と喧嘩し、これを病院送りにしたことが原因だが、宗徳の言い分もわからないでもないというニュアンスをこめた微笑であった。それは二人にも伝わった。


 相沢真と大地宗徳。この二人は入学早々、当時幅を利かせていた上級生の不良グループをシメて、その後も他校の不良とも頻繁に喧嘩しているため、校内では知らぬ者がいないほどの有名人だった。

 特に真の方は、背が低く容姿端麗でありながら、非常に喧嘩っ早くしかも強いというギャップと、中学生にしては異様にガタイのいい宗徳との対比もあって、印象深い存在となっている。


「実際この話を聞いて、生徒は皆喜んでいるがね。教師としての立場では諌めねばならない。何しろ相手の何人かは、骨折までしているんだぞ?」

「そのつもりで折ったんだからそりゃ折れるだろう。ちゃんと下に枕木敷いて、てこの原理を利用して、思いっきり踏みつけてな。あれで折れてなかったと知れば、がっかりするな」


 責められようが諌められようが、真はいささかもひるまず傲然と言ってのける。


「警察沙汰になっても不思議ではないんだが、そうならなかったのは人数の差と、お前達がまだ中学生だということで、正当防衛という面目が立ったおかげだ。ま、私では駄目だとわかっているのでね、君の母親を呼んでおいた。そろそろ来るだろう」


 諦めの吐息と共に告げた由美の言葉に、真は顔色こそ変えなかったが、内心ではぎくりとしていたし、慄く自分の姿を想像していた。


「噂をすれば――来られたようだ」


 携帯電話の画面を空中に投影し、由美が告げた。

 ノックと共に職員室の扉が開かれる。自分と同じく、いつも無表情な母親の顔を見て、真は動悸が早まるのを感じていた。


「わざわざすみませんね」

「ええ、本当にすみませんね。貴重な休日が台無しですし」


 社交辞令にまともに応じる事無く、真の母親、相沢美紗(あいざわみさ)は冷たく硬質な声でそう言ってのける。職員室にいる教師の多くが、あの親にしてこの子有りという言葉を脳裏に浮かべていた。その整った容姿は真とよく似ているが、それ以上に会話の対応の仕方や雰囲気がそっくりだ。


「母さん。僕は何も悪いことをしたと思ってないよ」


 恐れを打ち消すかの如く、あるいは機先を制するかの如く、真が口を開く。


「必要だったことをしたまでだし、何も――」


 言葉途中に美紗の拳が真の頬を打ち据え、真の小さな体が大きくよろめいた。傍で見ていた宗徳が生唾を呑む。実際かなりビビっている。真の母親がどういう人物か知っているし、自分も殴られない保障は無い。


「何で殴られたかわかる?」


 自分の足元でうずくまる息子を見下ろし、美紗は冷ややかな声で問う。


「お前は悪いことをしてないと言ったけど、一つだけ悪いことをしたよ。せっかくの休日の私をわざわざ学校に呼び出したことよ。それに対して悪いとは思わないの? いや、一言それに対して謝りなさい。例え他に悪いことはしていなくても、私に謝罪しなければ筋が通らないでしょ。それ以外は許してあげる」


 硬質な声でまくしたてられ、真は無言で頭を軽く下げる。同じ家族であるにも関わらず、この声を聴くだけで委縮してしまうほど、真は母を苦手としている。嫌っているわけではない。生理的にどうしても受け入れられないのだ。

 真が頭を下げたのを確認してから、美紗は由美に視線を向ける。


「で? 私も保護者失格として、ここで説教でもくらうのですか? それでも構いませんが、時間が惜しいので簡潔に済ませてください」

「いや、もういいです」


 真同様に淡々とした口調で喋る美紗に、曖昧な笑みを浮かべ小さく息を吐く由美。


「今のでオッケーですか。それはよかった。では、今後もこの子はいろいろ迷惑かけると思いますが、よろしくお願いします。呼び出されれば、休日なら私もこうして馳せ参じますし、その度に殴ろうと思いますので、どうぞ遠慮なさらず御呼び出しください」


 ひどく冷たい声で、皮肉とも本気ともつかぬ言葉を口にすると、美紗は深々と頭を下げ、真には目もくれずに職員室を出て行った。


「ひどいことをするもんだな」

「あれでもましになったんだよ。かなりね」


 気遣うつもりで声をかけた由美に、真はそう答えた。皮肉ではなく本気でそう思っている。


 ほんの二年ほど前まで、真は母親に全く心を開かなかった。真が何を行おうと否定してばかりだったからだ。

 あげく真が泣いたり怒ったり感情を露わにすると、暴力と罵声でもって徹底して抑えつけにかかった。

 子供が子供らしさを見せるという行為が、美紗の癇に障る代物であったが故に、幼稚園に上がる前からずっとそのような行為に及び続けた。結果、真は感情を表に出せなくなってしまったが、その一方で人一倍多感になっていた。


 二年前のとある事がきっかけで二人は和解し、美紗は己の過ちを認めて真に謝罪した。

 その後は互いにぎくしゃくしながらも、手探りでコミュニケーションを取り合っている状態である。


「今のを見て、私もお前の親を呼び出したくはないと思えたので、呼び出すようなことはもうしてくれるな。……と言っても無理だろうが」

「嫌なら僕が何をしても呼ばないでくれればいい。その方が僕も助かる」


 しょうがないなといった感じの穏やかな笑顔でたしなめる由美であったが、真はあくまで不遜な態度でつっぱねた。

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