第九章 2

 薄幸のメガロドン本院における戦闘訓練の主な内容は、如何にして警官に取り押さえられる事無く、効率よく大勢の人間を殺せるかを想定しての動きである。

 複数の人間が勢いよく向かってきても、体さばきでそれを上手にいなす事や、避けるのが苦しい時は催涙ガスを上手いこと噴出してひるませる訓練、仲間を助ける際に首筋にナイフを突き立てて即座に相手を戦闘不能にする訓練などだ。


「皆上達してきましたね。これなら沢山殺せますね」


 訓練する信者達を頼もしそうに見つめながら、エリカが口を開く。


「解放の日のために、皆必死で研究して訓練してきたもん。一生に一度、命がけの祭りだからさ、しくじりたくないからね」


 隣にいるグエンがエリカを見上げ、愛嬌に満ちた笑みを広げてみせる。


「俺も心待ちにして日々訓練に励んでたからさ。子供の俺なんかがいきなり幹部とかにされて、嫌な目で見られないかとか心配だったけど、ここの人達はちゃんと俺のこと幹部として立ててくれたし、優しかったよ。俺、移民なのにさ……」


 最後の一言を呟いた際、グエンの笑みが自虐的なものに変わった。


「へーい、移民ちゃんだからどーこーで差別するよーなひでー人はここにいないのに、グエンがいつまでも引きずってちゃ駄目だよ~」


 少し離れた場所で床にあぐらをかいていたみどりが声をかけた。


「まあ、引きずっているからこそ、解放の日にこれまでのウサを全部晴らそうってんだろうけどさァ」

「まあね……でも」


 グエンの顔から完全に笑みが消えた。


(へーい、恨みを忘れて、皆で楽しくやるっていう道も、もちろんあるよォ)


 グエンの逡巡を見透かしたみどりが、彼の心に直接言葉を送る。


(信者だって皆参加するわけじゃねーし。やりたくない奴はやらなくていいって言ってるし、あたしはそれを責めるのも御法度だと言ってるじゃんよォ。今まで武闘派の長の一人として祭り上げられていたグエンだろーと、迷ってるんなら辞めてもいいんだぜィ。それを責める奴はここにいねーし、仮にいたとしてもあたしが許さん。好きなように、やりたいように、心の赴くままにが薄幸のメガロドンの教義だからね。義理だけで付き合うこたーねーのよォ?)

(うん……でもさ、義理でも付き合いたい部分てのもあるし、俺自身も復讐したいって気持ちだってあるしさ。あいつらが俺らの家族にした仕打ちを考えると……)


 優しく諭すみどりの気持ちはありがたかったが、グエンの心には黒いものがこみあげていた。グエンにとって許しがたい者達が、確かに存在している。そいつらを見過ごす気にもなれない。

 だが己の命を賭しても復讐してやりたいほどかと問われると、そこで躊躇いなく頷くこともできない。


(まだ時間はあるし、直前にやっぱりやめるでもいいんだからね~。そん時ゃあ、ちゃんとあたしがフォローしてやんよ)


 みどりはそう言うものの、実際に直前で中止などできるわけがないとグエンは思う。

 そもそもグエンは単身で復讐しようとは考えておらず、特に明確な目的が無く暴れたいだけという信者達を引きつれたうえで、大量殺人を実行する予定なのだ。彼等の手前を考えれば、待ち望んでいた解放の日に水を注すような真似などできるはずがない。


「しかし本当に解放の日はうまくいくのか? マスゴミは連日騒ぎ立てているし、みどりが警察抑えるにも限度があるだろう。施設の周囲を機動隊で包囲されるとか、それ以前にSATが突入かましてくる可能性もある」


 空中に投影したニュースサイトの画像を見ながら、みどりの傍らに立つ犬飼が他人事のような口調で言う。


「ふあぁ……お偉いさんは抑えていても、その下までは抑えきれないから、警察の人達が上の命令を無視して自発的に動けば、そりゃヤバいかもね~。実際その気配はあるんだわ~、これが」


 こちらも危機感の無い口調でみどり。


「こんだけ盛り上げておきながら、実行できずにぽしゃるってのも笑えるな」

「笑えるか!」


 皮肉げに言う犬飼に向かって、少し離れた所で聞いていた伴が声を荒げた。


「我々は解放の日に文字通り全てを賭けている! 命を! 魂を! 燃やし尽くす! 何が何でも実行するぞ! 実行するのだ!」

「意気込みだけでどうにかなれば楽でいいがね。実際どうするのって話だよ。解放の日とかこだわらず先走って暴れていた奴が、正解だったかもしれないな」


 勇ましく宣言する伴だったが、犬飼の言葉に一瞬口ごもる。


「あ、そうだ」

 ふと犬飼は思いついた。


「解放の日が世間にも知れ渡って警戒されてるなら、予定をこっそり何日か前倒ししちゃえばいいじゃないか。うん、我ながらナイスアイディア」

「イェア、それいいねぇ~。よしっ、それでいこう」


 犬飼の案にあっさり同意し、犬飼に人差し指を指してオッケーを出すみどり。


「しかしこちらの情報もどこからか漏れているのだろう? 解放の日もそれで知られてしまったのであるし。解放の日に備えて当日予定だったイベントは全て中止され、多くの企業や店舗が休業、全ての学校が休校になり、どの都市も繁華街では厳戒態勢がしかれる予定だというではないか」

 と、伴。


「それなら平気~。誰が裏切り者なのかは、何となくだけどわかってるからさァ。つーか信者達にも伝えずに、前倒しした当日にいきなり今日にするって言って、そのまま実行でいいじゃん。対応できない人は当初の予定日にでも単独で暴れてもらえばいいし。でもここにいる三人が予め知っていれば、どーにでもなるっしょー?」


 みどりの言う三人とは、伴、エリカ、グエンを指す。

 解放の日に、集団でこの三名の幹部がそれぞれ多数の信者を引きつれて、異なる場所、異なる方法、異なる相手に対してテロを仕掛ける予定である。

 引きつれる信者達は、特に明確な復讐相手がいるわけではない、ただ世界を呪い、暴れたがっている者達である。


「前倒しよりも、解放の日は何もせずに、世間の奴等が油断した所で実行の方がよいのではないか?」

 異を唱える伴。


「ふええぇ~、それだと信者達を口止めしなくちゃいけないし、裏切り者にもバレちゃうよ~。ケースバイケース。日にちをズラしてだまし討ちするにも、遅らせるより前倒しの方がメリットが大きいってことですわ。前倒しなら不意打ち効果もあるし、そっちのが効果も大きいんだよね」

「なるほど。俺の考えが浅かったか。いや、流石プリンセスといった所か」


 腕組みしてもっともらしい口調でうなってみせる伴。ポーズだけではなく、取り巻く状況をよく見たうえでの合理的な思考回路を持つみどりに対し、実際に心底感心していた。


「当然だけど~、解放の日前倒しの件は、ここにいる五人だけのトップシークレットね。この中には裏切り者いないからいいけどさァ、誰が裏切り者か君らはわからんのだから、一切喋らないよーに」

「よし、じゃあ俺も裏切り者に回ろう。皆にバラしてくるわ」

「貴様ぁっ!」


 おどけた口調で冗談を口にする犬飼に、エリカとグエンは小さく笑っていたが、伴だけが真に受けて、憤怒の形相で犬飼にくってかからんとしていた。

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