第九章 1

 都内某所。防衛事務次官の朱堂春道は、薄幸のメガロドン関連の報道を見ながら、召喚した相手の到着を待った。

 朱堂がいるのは、壁に経文がびっしりと書かれた異様な部屋であった。

 聞いたところによるとこの部屋は、霊的に絶対安全圏に等しい場所であるという。霊体であろうと精神体であろうと、招かざる者の侵入は寄せ付けない。そういう場所でないと、これからの会話は行えない。


「失礼」

 ノックと共にドアが開く。朱堂は立ち上がり、深々と頭を垂れる。


 現れたのは、くたびれたジャケットにヨレヨレのジーンズといういでたちに、無精髭、寝癖だらけのボサボサの髪と、小汚い風体の小柄な壮年の男であった。外面の年齢的にはどう見ても朱堂の方が年上だが、実際の年齢は異なる。


「朽縄です。どうも始めましてか、な」


 小男が朱堂に向かって愛想笑いをこぼし、ソファーに腰を下ろし、ふんぞり返って短い足を組み、眠たそうな顔を朱堂に向けた。


「電話で話せずこんな所に呼び寄せるとは、よほどの事なんだ、な?」


 朽縄と名乗った男は、向かいに座った朱堂にフランクな口調で話しかける。


「単刀直入に申し上げます。この国の動かせる妖術師、呪術師、魔術師、超常能力者の全てを動員して、薄幸のメガロドンの教祖を調伏していただきたいのです」

「あ、それ無理だ、な。できない」


 真剣な面持ちで切り出した朱堂であったが、朽縄はおどけた口調でにべもなく却下した。

 どの国においても、超常の力での攻撃を退けるために、古来より能力者、術師を多数抱えている。日本も例外ではないし、多数の流派の妖術呪術魔術が、政府の専属として仕えている。

 だが、それら全ての術師達を退けて、薄幸のメガロドンの教祖は政治家や高官を洗脳し、薄幸のメガロドンへの強制捜査を妨げていた。


 その対象にはならないポジションにいた朱堂は、独断で暗殺者を幾人も雇って送り込んだが、尽く失敗した。政府お抱えの腕利きの妖術師も何人か送り込んだが、これまた全て失敗に終わった。

 残された手段は一つ。国家存亡の危機となりうる有事においてのみ動くという、日本の霊的守護者の中では最高ランクに属する妖術師の一派、朽縄の一族に頼る事を考え、足を運んでもらったのだが……


「国家存亡の危機には及ばない。あいつらのやる事なんて、ちょっとしたテロ程度のもんだ。せいぜい何百人死ぬかどーかだろ? うまくやりゃ四桁か? それじゃうちらは動けんわ。うちらだけじゃない。白狐も動かんだろう。星炭なら動くかもしれんが、今の星炭は裏通りの始末屋なんかをやる程に零落してるし、星炭が動いた程度ではどうにもならん」

「貴方達が動けば、防げますか?」


 ある程度予想の範疇にあった答えであったが、朱堂はそれで引き下がらなかった。


「どうか……な」

 少し思案して、朽縄は曖昧な答えを返す。


「俺の勘だが、教祖は過ぎたる命の所持者――オーバーライフだろう。それもステップ2……上位の力を持つ、な。うちらにも何人か過ぎたる命を持つと呼べる者はいるが、その中で上位に相応する実力者はいないんだ、残念ながら、な。うちらを総動員すればどうにかいけるかもしれないが、犠牲も出る。ほっとけばいくらでも生きられるうちらの尊い犠牲と、掃いて捨てるほどいる一般ぴーぷるのしょーもない命の三桁や四桁程度のどうでもいい犠牲じゃ、とてもじゃないが釣り合わんよ。朽縄の命をそんな事に散らしたら、本当の有事の際に困るだろ? な?」

「国家存亡の危機にはならないと、犠牲がその程度で済むと何故断言できます?」

「あんたは所詮、人命を守りたい、目先の秩序を守りたい程度だろ。さもなきゃメンツのためか? こっちはな、大局を見ているんだ。テロの一発や二発、やらせてやれって。な?」

「答えになっていません。犠牲が少数で済むと答える理由をお聞かせください」


 食い下がる朱堂に、朽縄はわざとらしく大きくため息をつく。


「もし国家転覆クラスの事を企むなら、それに相応しい動きをするさ。イカれた宗教やって、そいつらをけしかける程度で、それが出来るか? 無理だろ? この教祖とやらが、何でこんなことしているのか、謎ではあるが、な。強大な力を持つ者でありながら、凄まじくくだらない事をしている。本人に相応の野心や破壊衝動があるならば、それこそ国を滅ぼしにかかるほどの事ができるはずだわ、な。ま、そうなったら当然うちらが防ぐがな。うちらだけじゃない。この国に潜む多くの超常の力の持ち主と、さらにはオーバーライフが黙ってないぞ」

「しかし今は黙っているでしょう」


 朱堂の言葉に、朽縄はさらに大きな溜息をつき、さらに舌打ちした。


「しつこいね。あんたのしようとしている事は、な、わかりやすく言うとだ、な、コソ泥捕まえるのに軍隊を出動させようとしているようなものなんだ。我々はおろか、防衛省がしゃしゃりでるほどのものでもないよ」

「人命が助かれば、それでも構わないでしょう」

「事務次官の言葉と思えない熱さだね。そういうの、嫌いじゃないけど、な」


 微笑をこぼすと、朽縄は立ち上がった。


「とにかく朽縄は動かん。まあ……なんだ、興味はいろいろあるけど、な。だが保障する。歴史に名が残る大事件になるかもしれんが、失われる人命の数としては大したもんじゃないだろう。交通事故の年間死亡数や自殺者数を顧みず、事件として派手かどうかでアホな世間が騒いだとしても、朽縄はそれにのせられるわけにはいかないよ。然るべき時、相応しい相手でないと、な。では失礼する」


 部屋を出る朽縄を無言で見送ると、朱堂は一瞬だけ憮然とした面持ちになったが、両手で軽く自分の頬を叩き、腐りかけた自分に喝を入れる。


(彼等に託すしかないか。いや、彼等が相応だという事か。朽縄ですら危険だという相手に、警察官がどれだけ対処できるのか、疑問だが)


 警視庁及び警察庁の上層部が洗脳されていても、警察の有志が独自に動いている事は、朱堂も知っていた。

 朽縄の言葉を全面的に信じるわけではないが、防衛省が出張るほどのものでもないのなら、それに越した事はない。政治家や高官の多くが洗脳されるという由々しき事態であるが故に、これまで朱堂は純粋な正義感による独断で、合法非合法を問わずに動ける範囲で動いてきた。


(私が出来るのもここまでだ。内外問わず、悟られずに動くのはこれが精一杯。後は見守るしかないな)


 やれるだけの事はやったと己に言い聞かせながらも、後ろ髪を引かれる思いで、朱堂はこの件から手を引くことに決めた。

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