第八章 25

 杏とみどりの縁はネット上から始まった。SNSにおいて、詩が好きな者が集まるコミュニティで、特に杏の琴線に触れる刹那的な内容の詩を綴っていたのがみどりで、互いに波長が合ってよく会話するようになった。


 オフで会おうという話になり、会ってみたら相手が十歳にも満たない子供でひどく驚いた。やんちゃでくだけておどけまくった喋り方こそすれど、一方でひどく説得力のある言葉を発していたので、かなり年配の人間だとばかり思っていたのに。

 だが、杏が裏通りの住人であることを明かすと、みどりは己の正体も全て明かし、中身は子供ではない事を知って杏は納得した。


 個性至上主義の杏からしてみると、みどりの存在は奇跡にも等しく、現実に現出した幻想と言っても過言では無かった。みどりという存在そのものに、このうえなく惹かれた。

 みどりの方も杏のことをいたく気に入り、杏と会うのを楽しみにするようになった。


 その後すぐに麗魅にも紹介し、妖術師としての力と知識を用いて、麗魅の家族を殺した者達の調査の協力なども行ったが、成果はあがらなかった。


「裏通りで生きてみるっていうのはどう?」


 みどりがそう遠くないうちに自分の前からいなくなる事を見越して、引き止めるニュアンスも込めて、杏は自分のいる世界にみどりを誘い込もうとした。


「ふぇ~、どうだろうねえ」


 まだ教祖になる前――十歳に満たないみどりは腕組みして首をかしげ、杏の提案に難色を示していた。


「みどり、面倒なのは苦手なんだよ~。まあ面白そうではあるけど、ごはんも掃除も洗濯も自分でやっていって生活していかなくちゃならないのが、凄く嫌っていうか、その点ではさァ、裏通りだろうが表通りだろうが、変わりないんだよね」


 想像の範疇を越えた返答に、杏は一瞬絶句する。


「私が面倒見てあげてもいいけど……」

「それも何となく気が引けるよ~。ああ、でもなあ……たまにはそういうのもいいかとも思うけど。あたしはずっとこういう風に生きて死んできたから、それを急に変えるのも抵抗あるっていうか、前に一度事情があって、二十歳過ぎまで生きてちゃんと働いてた事もあったけど、やっぱ合わないっていうか違和感あったんだよね~。大人の自分も何か嫌だったし~。不老不死化で子供の年齢のままにしとくと、周囲にキモがられるし」

「私があなたと離れたくないからっていう理由も、考えてくれたうえで言ってる?」

「そりゃもちろ~ん。あたしだって杏姉と離れたいとか、思ってないよぉ~? 杏姉の事大好きだしさァ。バイパーとだって、あいつがガキンチョの頃に毎日つるんで遊んでたし、別れる時は後ろ髪ひかれる想いだったよ。でもね、誰だっていつかは別れがくるし、それがあたしの場合、ちょっと早いだけなんだよ。運が良ければバイパーみたく、また会えるしね~。それにさ――」


 いつものにこやかな笑顔で語っていたみどりであったが、不意にその笑みが妙に大人びたも

のに変化した。


「哀しき別れもまた良き哉ってね~。そういうドラマも人生の醍醐味の一つだよォ?」


 十歳未満の子供が口にしても、どこかからパクってきて背伸びしてみせているようで軽く聞こえてしまう台詞が、しかしみどりの口から発せられると、非常に重く響く。少なくとも杏にはそう感じられる。


 その会話を交わした時、杏はみどりがいついかなる最期を遂げるか、漠然と想像していただけだった。いずれ杏の前から何も言わず姿を消す。それは止められない事なのであろうと、杏は悟り、半ば諦めていた。

 しかし運命の悪戯は、杏の想像の範疇をはるかに超える形で、みどりの命を終焉へと導くことになる。


***


 約束の日の朝を迎え、真と累は教祖と対面すべく本院へと向かった。


「ちょっと……早すぎます。僕は朝に弱いのですから……これでは本調子が出せな……」

「帰るか」

「わかりました……。頑張り…ます」


 眠たそうに目をこすって訴える累だったが、真の一言で渋々引き下がる。


 朝八時。この時刻ですでに、本院入口は人の出入りが激しい。累が顔をしかめて真に身を寄せる。


「迎えが来るまで……ここで待つのですか?」


 さらに不服を訴える累に真は苛立ちを覚えたものの、無言で累の手を引いて、広いエントランスの隅にある長椅子へと連れて行き、座らせる。


「あ、ありがとう……」


 立ったままの真を見上げて礼を言う累であったが、真は累に目もくれず、広いエントランスを見渡し、迎えが来るのを待つ。


 数分後、見知った女性二人が奥の通路から姿を現した。猫背の女性の方は愛想よく笑いかけながら軽く手を振り、サングラスをかけた女性の方は小さく微笑みをこぼし、サングラスの内側から真に視線を注ぎながら、こちらに歩いてくる。


「おはよーさん、ホモボーイズ」

「その呼び方、凄く不快だから金輪際やめろ」


 麗魅の第一声に、真は珍しくあからさまに嫌そうな声を発する。


「朝早くごめんね。時間が限られているから」

 杏が言う。


「確かに……教祖でいられる時間は……もう限られています……」

「殺すつもりじゃないでしょうね」


 不敵な笑みと共に剣呑な台詞を口にした累の言葉に、杏は不安を覚える。


「同門を殺したりはしません……が、御仕置くらいはして、こんなくだらないこと、やめさせるつもりでいます……よ」


(一応目的は覚えていたし、やる気はあるんだな。綾音の目もあるし、これで何もしないまま帰ったら馬鹿丸出しとはいえ)


 立ち上がって己の意志を告げる累を見て、真は自分の苦労が少し報われた気がした。ここに来てからというもの、ずっと累のネガティヴな発言が続いていたため、結局教祖とも会わずに帰るか、術試しとやらも適当にやって終わるのではないかと疑っていた。


「とりあえずここから……離れたいです。人が多いし……」


 累の要望に沿うような形で、四人は本院の奥へと向かう。


「こんなに多くの信者達をよく集めたもんだな。いや、宗教テロかまして自殺しようなんていう人間を限定で大勢集めるなんて芸当自体、よくやったもんだ」

 歩きながら真が言う。


「前にも言ったけれど、夢経由で信者を集めてるの。人生に絶望している波長の精神を見つけては、干渉するとかね」

 杏が解説する。


「だから、一人一人の夢の中に現れて集めたにしては数が多すぎるだろ。その教祖はひっきりなしに誰かの心に干渉しているわけか?」

「できますよ。雫野流の妖術師なら……精神を分裂できますから。同時に何十人、何百人もの精神に干渉することが……できますし。その全てを記憶することも……できる秘術があるんです……。第二の脳を使って……」


 真の疑問に累が答える。


「第二の脳? 二つも脳みそあるの? 二つ目はどこにあるのさ」


 訝る麗魅。累やみどりの頭以外の部分に、ミニサイズの脳みそがあるのを思わず想像してしまった。


「あ……これは雫野流の門外不出の秘密……でした」

 口元に手をやる累。


「開祖がこんなんじゃ、雫野流の妖術師達も浮かばれないな」

 と、真。


「おそらく彼女には……人間の精神の境界を崩して、自身の心と繋げる力があるのでしょう。他人の夢を……自由に操ることができる。夢の中で夢と意識できる明晰夢……というものもありますが、大抵は夢の中でそれが夢であると意識できない……。夢の中での自分、夢の中での置かれた状況は、夢という特殊な世界の中での現実なんです……。夢を操るには夢のメカニズムをほぼ完全に解き明かしていないと無理だと……思います。夢のメカニズムをそこまで解き明かした術師も科学者も、僕は……これまで見たことがありません」

「その言い方だと、夢と現実がごっちゃになるよう錯覚させるみたいに聞こえるけど、みどりに精神干渉されても、実際には夢と現実の区別くらいはついているのよね?」


 歩きながら話す累に、杏が突っ込む。


「あ、そうですね……ね。言い方が悪かった。干渉された本人にとっては、たとえ夢だとわかっていても、リアルそのものに感じ取れてしまう……と言えばよかったですね。で、こうした精神干渉の能力や術に抗うには、強靭な精神力ではねのけるしか……ありません。トラウマとなった思い出が、悪夢として再現されても、その人の心の強さでいくらでも抗えますし……でも……」

「世の中に、生きる事に絶望した人間からすれば、抗いがたい甘美なる誘惑よね。抵抗するどころか、疑問にも感じないんじゃないかしら」


 累の言葉を継ぐ杏。


「おまけに現実でもって、夢の中に現れていた都合のいい理解者にして指導者にして守護者と御対面すれば、洗脳もより完璧になるわけだな。この世で実際に神に会ったような、そんな錯覚か」


 真も信者獲得のからくりを理解した。それと同時に、真紅の瞳の少女の笑顔が脳裏に浮かぶ。


(将来への不安と孤立感にさいなまれて悩んでいたあの時、僕の悩みを遠慮無く打ち明けられたあいつとの会話で、どれだけ救われたか)


 そういう意味では、過去の自分はここの信者達以上に自分は厄介な存在だと、真は思う。

 しばらく歩いた所で、廊下の突き当りの扉の前にいた男を見て、真の中で熱く黒く激しい感情の奔流が沸き起こった。


「何であいつがここにいる」


 いきなり周囲の空間を切り刻むかのような殺気を放つ真に、杏と麗魅は驚く。その視線の先にあるバイパーも、真から放たれる怒気と殺気が己に向けられている事に鼻白む。


「何だよ一体……」


 怒りと殺意の炎を噴出させる瞳で自分をじっと見つめる真に、バイパーは舌打ちする。以前一度会話した事がある程度しか接点が無いし、何か恨まれるような事をした覚えも無い。


「どうしたのよ」

「何でも無い」


 訝る杏に、真はバイパーから視線を逸らすも、殺気は収まっていない。


(なるほど……そういうことですか。彼が……草露ミルクのマウスの)


 真が何故腸煮えくりかえっているのか、累は察していた。


「入って」


 杏が扉を開き、累と真を促す。二人の後に杏が入り、扉を閉めた。麗魅は室内に入ろうとせず、バイパーと並ぶような格好で、扉の前で待機した。

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