第八章 20

 杏からセッティングの日が明後日だと告げられて、真と累の二人はそれまでの間を教団で過ごす事となった。

 夜くらいは研究所に帰りたいと訴えた累だが、真はあっさりとそれを却下した。当日までに何か事件が起こる可能性もあるし、情報集めも出来る限りしておきたいと真が主張したからである。


 信者達の共同居住区である分院で一夜を明かした真と累は、朝の六時半から外に出て、教団敷地内の庭園にあるベンチの一つに腰を下ろし、横にある自動販売機で買ったジュースを飲んでいた。こんなに朝早くから外にいるのは、累の要望だ。


「衝立も無く……あんな体育館みたいな場所に布団敷き詰めて、百人以上もの人間が……同じ空間で寝るとか……耐えられないです……。地獄です……」

 うつむき加減で愚痴る累。


「そのわりにはよく寝てたようだがな」


 二十三時に就寝し、累は隣に寝ている真の手を握ったまま、すぐに静かな寝息をたてはじめたので、真はさっさと手を離して布団から起き上がり、深夜の教団内の散策などをしていた。

 零時まで散策を行った後布団に入って睡眠を取り、二時半に起きてまた散策し、四時に寝て六時過ぎに起きた。深夜の教団敷地内を歩いても、特に変わった発見も遭遇も無かった。その間、累は一度も目覚めた様子も無かった。


「それとこれとは別……です。早く帰りたいです」


 累が顔をあげて真を見る。今の累だけを見ると、半泣きになっていて本気でしんどそうな様子ではあるが、平然と七時間寝ていたのを見ると、あまり同情する気になれない真だった。


「どうしたの?」


 そこにジャージ姿の幸子が現れ、ひどく気分の悪そうな累を覗き込み、怪訝な顔になって訊ねる。朝のランニング後に、ジュースを買いに来た所であった。


(僕も明日は走っておくかな。本当は今日走る予定の日だったけれど)


 真も数日置きに体力作りのための早朝マラソンをしているため、幸子を見てそんなことを考える。


「こいつは人の多い場所が苦手なんだよ。共同部屋での生活がキツいらしい」

「裏通りの住人なら……人が多くても、平気……ですけどね」


 二人がかりで解説され、ますます怪訝な顔になる幸子。最強の看板を持つ妖術師にそんな弱点があるという事が、まるでフィクションの設定かのように思えて、現実味が無かった。


「そっちも早いんだな」

「私だけじゃなく、一部の信者達はもう戦闘訓練を始めてるわよ。あのひた向きな熱意をまともな方向に活かせば、社会復帰もできそうなもんだけど」


 皮肉というよりは、呆れ気味に話す幸子。だが真はそれに同意できなかった。


「家畜を閉じ込めた柵の外で生きている立場で、言えることじゃないだろ。お互いに」

「まあね」


 真の突っ込みをあっさりと認めて、幸子はおかしそうに微笑みをこぼす。


「彼等の様子を見てみる? 何だったら指南役やってみる? 今は私とごく少数しか指南役いないし、あなたならそれも務まると思うけど」

「暇だし情報収集にもなるから行ってみるかな」


 幸子の誘いにのり、ジュースを飲み干して立ち上がる真。


「僕は嫌です……よ。また人の多い所に行くなんて」


 累が真の手を掴み、泣きそうな顔で引き止める。


「朝起きたら手離してるし……いろいろとひどいです……」

「辛いだろうと思って甘やかすと、つけあがるんだな。お前は」


 真はその手をすげなく振り払い、ジュースの缶をゴミ箱に捨てて歩き出す。


「あの子、いつもあんな風なの?」

「ああ……鬱陶しいことこのうえない」


 肩を並べて歩きながら、呆れ気味に訊ねる幸子に、真が答える。


「ちょっと……待って……」


 一人にされたらかなわないと、累もその後を追う。


「そもそも僕の用事でここに来ているわけでもないのに、用のあるお前は消極的で、お前に付き合っている僕の方が真面目に動いている時点でおかしいだろう」

「それは……わかっていますが、苦手なものは……どうしても苦手ですから……」


 真と累の何気ない会話を聞いて、幸子は累の用事とやらに興味を抱いた。


「貴方達がここを訪れた用事って何なの? プリンセスの暗殺? それとも護衛?」


 今聞けば、わりと簡単に目的を喋ってくれそうな気がして、訊ねてみる。うまくいけばこの人物を利用する事もできるのではないかと、幸子は考えた。


「どっちでもない。でも解放の日は止められるものなら止めたいな」


 真の回答は曖昧だった。

 幸子に全て話すと、累の目的の邪魔になる可能性もあるかもしれないと考え、真は話さなかった。その可能性自体は低いし、話せば協力してくれる可能性もありそうだが、念には念を入れて、余計な因子は排除した方がよいと、真は考えた。


 正直な所、真から見ると幸子のようなタイプはあまり信用できない。杏や麗魅のようにさばさばした性格で気の回る人物はともかく、幸子のような融通の利かないタイプは、下手に手の内を明かすと、情報を与えた事が裏目になる場合がある。協力関係を築いてなお、こちらが困るような行為も平然と行ってしまう事があるからだ。


***


 その後三人は特に会話も無く本院の中へ入り、訓練場へと訪れた。

 畳の広間にて、幸子の言った通り、朝早くから多くの信者が熱心に近接戦闘の訓練に励んでいる。横には射撃場があるとの話だ。

 その光景を見て累は眉をひそめ、真も頭の中でしかめっ面になっている自分の顔を想像していた。彼等の動きがお粗末だったからという理由ではない。もっとメンタルな部分での歪さを感じたのだ。


「狂った羊が爪と牙を研いで、暴れたがっているみたいだな」


 草を噛むための臼歯を強引に研いで、ギザギザの牙にしている羊の姿を連想する真。


「ええ……でも、羊は……羊です。獅子にも狼にも……なれない」


 真と累、共に受けた印象も意見も一致していた。武器を手にしても、技を磨いても、自分達とは全く違うという認識。人を殺す術を半端にかじっているが故に、返って嫌悪感が募る。

 幸子には二人の少年が抱いた嫌悪を理解はできたが、共感はできなかった。闇の世界に身を置いている点で真と累と同類ではあるが、心の底までそちらに預けていない。あくまで大義のために動いている幸子は、裏通りの住人達とも多少の隔たりがある。


「おやおや、噂の新人さんの二人をお連れですね、幸子さん」


 尼僧の格好をした腹の膨らんだ少女が近づいてきて、笑顔で声をかけた。

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